闘魂名言集〜お客さんどーですか?!

「日本チャンピオンになって、ブラジルへ行くのが夢です」
                    1960年9月30日 台東体育館でのデビュー戦後

 ブラジルで猪木を見いだした力道山は、いきなり「おい!裸になれ」と一言、猪木の肉体に納得した力 道山は「よし、日本へ行くぞ!」と一言。その迫力に飲まれたまま猪木の運命が決まってしまったとい う。
 力道山は猪木をブラジル帰りの日系二世として売り出した。猪木は東京プロレス旗揚げの際に、初めて それを否定したが、それまでは力道山の方針に従った。親戚や友人が訪ねて来ても会わなかった。
 そうした背景もあっての発言であろうが、猪木にはブラジルが第2の故郷という意識があるのも事実で ある。新日プロ旗揚げ後に、ようやく念願のブラジル遠征を実現している。


「向こうさえ受けてくれるなら、インターナショナル王座への挑戦もしたい」
                    1966年4月 東京プロレス旗揚げ前に

 日本人対決がタブーだった頃の日プロ時代に、敢然と馬場への挑戦を表明し、時期尚早と却下された り、オールスター戦でBI砲を復活させたときにリング上で対戦を迫り、強引に馬場に承 諾させてしまっ たり、ファイナル・カウント・ダウンが進む中でも「馬場さんの死に水は俺が取 る」と発言したり、猪木 はことあるごとに馬場に挑戦を表明してきた。その初の宣戦布告がこれである。
 周囲の目がそうさせるという部分もあって、猪木は敢えてこうした発言を繰り返してきたが、 実際には アリ戦のあたりで、進む道が違うことを感じたという。


「誰の挑戦でも受けます。一般の人でも構わない。こっちはプロなんですから」
                    1966年10月12日 東京プロレス旗揚げ戦後

 「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」猪木の最も有名な言葉の原点は、東京プロレス旗揚げ時にさかのぼ る。前述のコメントと考え合わせると、馬場は挑戦を受けないが俺は受けるという意味あいも感じられ る。


「プロレス界発展のために思い切って日本プロレスに復帰することになりました。」
                    1967年4月6日 日プロ復帰記者会見で

 東京プロレスが挫折し、古巣である日プロへの復帰は、猪木にとって屈辱ともいえた。最終的 に猪木に 復帰を決断させたのは、仲介に立った日本プロレス・コミッショナーで当時の自民党副 総裁、川島正次郎 氏の「日本プロレスの発展ために小異を捨てて大同に就け」という言葉だった という。
 日プロ首脳は猪木のプライドを傷つけない配慮を見せ、猪木もプライドを貫く発言をした。


「坂口とやれば、片手で3分だよ」
                    1972年1月15日 新日プロ旗揚げ前に

 日プロを追放となり、新日プロの旗揚げを発表した後、記者との歓談中での言葉だったが、坂 口にも伝 わり「自分は3分間とは言わない。10分あれば反対に猪木さんを潰してみせます」と 応じた。結局、日 プロのストップにより、このときの対戦は実現しなかった。
 猪木の発言は常に強気である。苦境に立たされらたときにはなおさら強がって見せる。そのため時とし て人に対して痛烈な言葉を発することになる。高田がヒクソンに敗れたときの「一番弱 いやつが出た」も そうである。
 後に黄金コンビと呼ばれ、ともに新日を支えた坂口に対しても、こんな発言をしている。


「本当なら10年もつ選手生活が1年で終わってしまうかもしれない」
                    1974年3月19日 ストロング小林戦後リングで

 この有名な言葉は、当時の常識を打ち破る日本人エース対決となったS小林戦後に発せられた 。「過激 なプロレス」とも称された猪木のプロレススタイルを現す名言でこの試合には十分な説得力もあった。
 結局、猪木の引退は様々な事情により、遥か後のこととなるが、猪木のファイトが過激でなく なったわ けではなく、実際、猪木の体は満身創痍の状態である。


「俺だって生身の人間だ。とにかく最後は、
     レスラー・猪木じゃなくて、人間・猪木になってしまった」

                    1974年6月26日 シンの腕を折った試合後

 史上最高のヒール・レスラーといえば、タイガー・ジェット・シンで異論はないだろう。猪木 との抗争 は実に刺激的だった。
 新宿路上襲撃事件、猪木の左目を焼いた火炎殺法、そして鉄柱攻撃とアーム・ブリーカーでシ ンの右腕 を折った、この腕折り事件に行き着いた。
 試合後の猪木の発言がこれである。その後、猪木は「俺の右腕を、どう痛めつけられたか記憶はない が、あの瞬間、腕を折ってやろうという気持ちになった。本能的なものだと思います。でも今までのこと を考えれば徹底的にやって再起不能にしてしまうところだったが、レスラーとして使いものにならないの も可哀想だなという気も起きた。攻撃を止めたのは日本人の弱みだろう 。とにかく後味が悪い」と続け た。


「リングに上がっているのに、なぜスキを見せるのか」
                    1974年10月10日 大木金太郎戦後に

 大木金太郎の必殺技である頭突きを、敢えて何発も受け、最後にカウンターで右ストレートを 叩き込 み、バックドロップで勝利したこの試合は、猪木の名勝負中の名勝負となった。猪木はゴ ング前のレフリ ー・チェックの際、大木の顔面に右ストレートの先制攻撃を見舞っている。その ことに対する発言であ る。
 この大木戦と重なるのが、Uターン参戦したUWF代表としての藤原喜明との一戦である。藤 原の頭突 きにカウンターで見舞ったエルボーが反則のパンチに見えたため前田日明が「猪木なら 何をしても許され るのか」と抗議した。
 猪木は、ここ一番では奇襲攻撃や反則すれすれのことをしでかしている。フェアではないという意識は 持っていない。猪木の闘う姿勢をこの言葉が現している。


「誰が何と言おうと、私は力道山の弟子だ」
                    1975年11月10日 力道山家からの破門通告に対して

 全日本プロレスが主催した「力道山13回忌追善合同大会」に参加を呼びかけられた猪木だっ たが、同 時期にビル・ロビンソンとの一騎打ちが決定していたため不参加を表明したため、力道 山家から破門を宣 告された。
 猪木は、この言葉で反論し「名勝負をファンに提供することが最大の供養だと信じている」とし、ビ ル・ロビンソンと歴史に残る名勝負を展開した。


「プロレスが格闘競技の王者であることを見せるために挑戦を受けました」                    1976年1月7日 ルスカ戦受諾の記者会見

 アリに対戦を迫る猪木は世界中のマスミから注目を集め、柔道金メダリストのウイリエム・ル スカが逆 に挑戦してきた。猪木の異種格闘技戦の原点がこの一戦であり、この言葉である。


「私のアゴの筋肉は常にビルドアップされ、鍛えられています」
                   1976年5月18日 MSGでのアリ戦の記者会見

 ビッグ・マウスで世界のスーパースターとなったアリとも、猪木は互角以上に渡り合った。ニ ューヨー クでの調印式には羽織袴姿で登場し、アリが来日したときには松葉杖をプレゼントして いる。
 ニューヨークでの記者会見では、アリの「ペリカン野郎」という挑発もあり、アゴに関する質問があっ たが、この言葉で軽く切り返した。
 一時はアゴの長さを悩んで病院で検査を受けたこともあるというが、「卍固めを掛けると同時 に俺のア ゴが相手の肩に突き刺さる」「アゴを引くと手が掛からず、スリーパーが決まらない」 「すぐに顔を覚え てもらえる」とアゴの利点も語っている。


「NWAを超える組織を作って旗揚げし、誰もが認める世界タイトルを争ってみたい」
                   1980年12月13日 世界王座統一構想発表の際

 NWA王座が絶対の権威であった頃、NWAが馬場の全日プロと太いパイプがあったこともあり、猪木 とはまったくの無縁だった。それでもNWAに加盟し、王座挑戦を狙っていた猪木だったが、遂にNWA 脱退を宣言し、世界統一構想を語った。この3ケ月後にはIWGP組織委員会 が開かれた。


「お前達、姑息な事はするな。誰でもいい、俺の首をカキ斬ってみろ」
                   1983年8月28日 田園コロシアムで

 古舘伊知郎により「逆下克上宣言」と呼ばれた名言である。ホーガンの斧爆弾の前に失神KO負けの失 態を演じ、事業の失敗から新日プロのクーデター騒動も巻き起こった。
 失神KO負けからの復帰戦、真夏の田コロで、猪木は強烈なアピールを行った。


「長州は紙一重の差を破れなかった」
                   1984年8月2日 長州戦勝利後

 猪木がよく口しする「紙一重」の原点がここにある。維新軍の首領として猪木のライバルにまで成長し た長州との大一番をグランドコブラで制した猪木は自分の勝利を「紙一重」と称した。
 「紙一重の差」とは、骨を折ってしまうのかまで絞って、最後の決断をできるのかという分かれ道のこ とを言う。


「すっきり清掃ができた」
                   1984年9月26日 長州ら維新軍大量離脱に関して

 長州ら維新軍が大量離脱したとき、猪木はこの冷たい一言を発した。もちろん本心ではなく、 強がりで あろう。


「何で、こんな事するんだ」
                   1985年4月18日 ブロディとの初対決前控え室で

 新日プロに電撃移籍したブロディは猪木との初対面で「猪木の目にバーニング・スピリットを感じた」 という名言を残した。「バーニング・スピリット」はその後、新日のシリーズ名にも使われた。
 そして迎えた両国国技館での初対決、ブロディの代名詞ともいえるチェーンの使用に国技館がクレーム をつけたこともあり、ブロディは試合前に猪木の控え室を襲撃し左ヒジを負傷させた。
 大一番に意気込んでいた猪木は、ブロディの行為を涙を流して悔しがった。当時、猪木の付き人を務め ていた若き頃の蝶野正洋のみが、その姿を目撃している。


「藤波、俺の足を折ってみろ」
                   1985年9月19日 藤波との試合中

 維新軍の大量離脱、全日本への参戦。その頃、藤波にも引き抜きの手が伸びていたという。常に猪木と ともに歩んできた藤波は、新日残留を選んだ。
 そんな背景の中行われた師弟対決、リング中央で藤波の足4の字固めが決まった。必死に耐える猪木 は、この言葉を言い放った。結局、猪木が卍固めでレフリーストップ勝ちを納めた。
 試合後、猪木は「藤波は俺の足を折れなかったが、俺は藤波の腕を折る気でいた。勝負に徹しきる、そ の非情さが紙一重の差なんだ」と語った。


「極める角度が違う」
                   1986年2月6日 藤原との試合中

 UWFが新日にUターン参戦し、猪木との対戦を賭けてトーナメントが開催され、優勝した藤原が猪木 に挑んだ。UWFの登場で、にわかに脚光を浴びたのが関節技である。中でも、それまでまったく注目さ れなかった技「アキレス腱固め」が一躍クローズアップされた。猪木と藤原の アキレス腱固め合戦は「元 祖」と「本家」の闘いといわれた。
 藤原が猪木にアキレス腱固めを決める。しかし、猪木は平然と指さしながら、こう言い放った 。猪木の 関節はルーズジョイントといわれるもので関節技が極まり難い。


「男のケジメで坊主にしました」
                   1986年5月21日 写真誌にスクープされて

 猪木が突然、坊主頭で登場し、周囲を驚かせたことがあった。アンドレから腕固めでギブアップを奪った ときもまだ坊主頭だった。
 その理由がこれである。写真誌に女性同伴の写真を掲載されたからという理由だった。マイナス要因をパ ワーに変えてしまう猪木らしい言動である。


「テメエの力で勝ち穫ってみろ」
                   1987年6月12日 長州の俺達の時代宣言に対して

 猪木対マサ斉藤というベテラン同志で行われたIWGPの決勝戦。猪木の勝利後、リングに駆 け上がった 長州は「俺達には今しかないんだ」と叫び、藤波、前田らに共闘を呼びかけた。猪木 もこの言葉で応じ、坂 口、マサ斉藤らと手を組み、世代闘争が巻き起こった。


「どうですか」
                   1987年12月27日 TPGの挑戦を受けて

 名言というよりは迷言である。何故か敬語なのもらしくない。猪木対長州の一騎打ちが発表さ れており、 ファンも期待していた。そこへビートたけし率いるあのTPGが登場。「我々が用意 したベイダーと戦え」 とアピールした。猪木は「受けてやるかこの野郎。どーですか」と叫び、 カードを変更してしまった。結局 は長州戦、ベイダー戦と2連戦したが、その内容が納得できる ものではなく、怒ったファンが暴動騒ぎを起 こした。
 「どーですか、お客さん」というフレーズは、その後たけしがギャグとして使い、有名になってしまった が、実際には「お客さん」とは言っていない。
 ちなみに、同じく、たけしがテレビなどで取り上げて有名になった「こんばんは。ラッシャー 木村です」 も実際は「こんばんは」としか言っていない。


「やれるのか、おい」
                   1988年4月22日 藤波の飛龍革命スタート時

 「飛龍革命」と呼ばれる藤波の決起は、沖縄・奥武山体育館の控え室での猪木とのやりとりから始まっ た。
 初代IWGP王者に就いた猪木は4度の防衛に成功し、ベイダーとの2連戦が決定していた。この強行日 程に藤波が異議を唱えた。
 「2連戦は無理。もう何年続くんだ。何年これが」「だったら破れよ。何で俺にやらすんだ、 お前」「だ ったら、やりますよ、俺が」「遠慮することはないって。リング上は闘いなんだから よ。先輩も後輩もな い。遠慮されたら困る。何で遠慮するんだ」「これは新日本プロレスの流れ じゃないですか。そうじゃない ですか」「じゃ、力でやれ、力で」「やります」「やれるのか、 おい」というやり取りの後、猪木が立ち上 がって張り手。藤波も張り手。そして藤波はハサミを 出して自分の前髪を切り始めた。
 猪木は藤波の言い分を認めたが、いづれにせよ、左足骨折のアクシデントで欠場することにな る。藤波は ベイダーとの王者決定戦でIWGP王座を獲得する。そして王者・藤波に猪木が挑ん だ60分フルタイムド ローのIWGP戦へと流れていく。


「これも追い風、天の声と思い、決意しました」
                   1989年6月15日 参議員選挙出馬表明

 突然の参議員選挙出馬表明でファンを驚かせた猪木だったが、出馬の理由として、猪木独特の この表現を 使った。


「俺も電気には強い方だから」
                   1994年1月3日 大仁田に挑戦されて

 「猪木さんと電流爆破マッチで戦いたい」大仁田の発言はあったが、誰も本当に実現するとは思わなかっ た。しかし、大仁田は猪木に直訴という行動に出た。猪木は、電気療法で怪我の治療をしていることに掛け て、この言葉で応じた。
 結局、実現はしなかったものの、この嘘のような対決は、会社レベルでかなり具体的な条件の話し合いま で発展していたという。観たかった気もする。


「そろそろ潮時でしょうね」
                   1995年1月4日 東京ドームでの試合後

 ファイナル・カウント・ダウンとして行われた格闘技トーナメント。ジェラルド・ゴルドー戦に辛くも勝 利したものの、ゴルドーのローキックに左足を剥離骨折し、次くスティング戦の入場時には、ドームの長い 花道の途中で猪木はうずくまってしまった。
 スティングにも辛勝した猪木だったが、試合後は弱気な発言をした。このときの猪木は気力、体力とも低 調で、本当にいよいよかという気にさせられた。


「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。
 危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。
 迷わず行けよ。行けばわかる」

                   1998年4月4日 引退の挨拶の中で

 引退試合後の挨拶で、ファンに対する最後のメッセージとして朗読した。一休和尚の言葉であり、新日の 道場訓にもなっている。猪木がよく口にする「一歩踏み出す勇気」のもと、猪木の人生感のもととなってい る言葉だ。


「元気ですかーっ?! 人は歩みを止め闘いを忘れたときに老いていく
 今こそ格闘ロマンの道を突き進め。オガワー!」

                   1999年10月11日 橋本対小川戦のリングアナとして

 世紀の因縁マッチ橋本対小川戦で、レフリーを勤める案もあったが「もっと面白いことをやる」と語った猪木が勤めたのはリングアナだった。暗転後、スポットライトに浮かび上がったのはタキシード姿の猪木。そしてお馴染みの挨拶の絶叫から型破りの呼び込みを行った。


「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」
                   2000年1月4日 橋本組対vs小川組戦の立会人として

 橋本・飯塚対小川・村上のダブル遺恨マッチの立会人として、白いトレーニングウエアに身を包み、闘魂棒を持った猪木が登場すると場内のボルテージは一気に上がった。恒例の「元気ですかーっ」の後、新年のメッセージとしてまたも名言を残してくれた。試合が一度は混乱のうちにノーコンテストとなった時「俺が立会人だ。正々堂々とやれ。試合続行」と猪木裁きを見せることも忘れなかった。


「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ
 かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる
 本当の自分も笑ってた それくらい 馬鹿になれ」

                   2000年10月4日 猪木詩集の標題作       

 出版した初の詩集に収録された一編で、標題作ともなっている。引退を賭けて小川に敗れた橋本に贈った詩としても話題になった。


「今、俺は人生のホームレスをやっております」
                   2001年2月18日 新日両国大会にて       

 久々に新日マットに登場した姿は、何故かホームレス・スタイル。そしてこの一言。場内を爆笑の渦に巻き込んだ。面白コメントがさえわたり「この格好で木戸をくぐろうとしたら入れてくれないので、このバカヤローッ!!」と続く。そしてなんとマイク・タイソンの招聘決定を電撃発表。最後は闘魂棒を振り回すパフォーマンスを見せた。


「元気が一番、元気があれば何でもできる」
                   2001年5月5日 新日福岡ドーム大会にて       

 すっかり恒例となった「元気ですかーっ?!」の挨拶に続く言葉。元気がなくなってしまった世の中に喝を入れるという最近の猪木の理論につながっていく。4.9大阪ドームでは「元気があればホームレスもできる」という変形バージョンも披露した。


「野球界の大馬鹿者が・・・清原、いたら出て来ーいっ」
                   2001年11月3日 PRIDE東京ドーム大会のリング上で

 格闘技ファンとして知られ、格闘技の試合をするとも噂されていたプロ野球読売巨人軍の清原選手が観戦に訪れていた。挨拶のためリングに現れた猪木が何かアクションを起こすかと期待されたが、いきなり大馬鹿者扱いでリングに呼び入れた。そしていきなりのピンタを見舞う。清原選手は頬を押さえながら「めちゃ痛いわ。猪木さん、ありがとうがざいました」と言い残し退場。野球界の番長も形無しだった。


「紅白が裏で、俺たちが表だよ」
                   2001年11月16日 INOKI BOM−BA−YEの記者会見で

 「INOKI BOM−BA−YE」の記者会見で「紅白の裏ですが・・・」という質問に対して反論した言葉。閉塞した世の中に風穴を空けるため、猪木は本気でK−1と同時に、紅白歌合戦、NHKにも喧嘩を売るつもりだった。ホームレス姿での全国キャンペーンなども展開し、結果的に14.9%の好視聴率を残した。


「俺の心はオープン24時間」
                   2002年1月4日 新日東京ドーム大会にて

 新日ドーム大会のリングにアルミのゴミ箱を背負って登場。手書きっぽいリサイクルマーク付きだった。お馴染みの「元気ですかーっ」で始まり「猪木が歩けば世界が騒ぐ」「人生はまさに闘魂ビジョン、表があれば裏がある」など面白コメントを連発。「今まさに苦しみの中から立ち上がろうとしている男」として負傷欠場中の藤田を呼び込み、「ちょうど1年前、ゴミ箱の中に捨てられていた男」としてバンナに勝利した安田を呼び入れ、猪木軍ワールドを展開。最後は「俺の心はオープン24時間」で締めてダーッ!TシャツにはOPEN24の文字もあった。心はいつでも開いているからいつでも来いという意味だろうが、前後のつながりがなかったので何だという感じだったが、後日放映された「おしゃれ関係」で娘の寛子さんからの手紙の中に「私の心は24時間開いているよ」というコメントがあり、そこから取ったものと思われる。


「力があるから、チョーノー力」
                   2002年2月1日 新日道立総合体育センター大会にて

 武藤らの退団騒動に揺れた新日本。何かが起きる雪の札幌に猪木が来場。蝶野が猪木とのリング上公開討論を宣言していた。そして蝶野が「新日本の神」として猪木を呼び入れ、超異色の猪木劇場が展開された。蝶野を新日の現場責任者に任命し、永田、中西らもリングに上がり、新日の結束を示した。リングを降りてからのインタビューで蝶野への期待を改めて表明し、最後は得意の駄洒落で締めた。


「出ればタイソン、戻ればヒクソン」
                   2002年8月8日 UFO「LEGEND」東京ドーム大会にて

 UFOが東京ドームで格闘技イベント「LEGEND」を開催。小川がガファリと対戦し、ヒクソンがゲストとして来場、猪木はタイソンも来日すると発表したが、やはりタイソンの来日は中止となった。生中継が開始される午後7時にホームレス姿の猪木が入場。やはり掴みは猪木だ。「元気ですかーっ!元気があれば何でもできる。元気があれば一歩踏み出す勇気。小さな常識ぶち破れ。家がなくても、金がなくても、おなごがいなくても、ボロは着てても心は錦。俺の心にでっかい夢がある。誰が得する今夜の東京ドーム。出ればタイソン、戻ればヒクソン。今日のお客に損はさせない。8.8は熱い夜。燃えに燃えて燃え盛れ!いくぞーっ!イチ、ニー、サン、ダーッ!


「空を飛ぶ プライドリングにへり下り
 やらレちゃいけない 蝶野力で阻止してやるぞ
 心配無用 俺の運気は上げ覇超」

                   2002年8月28日 「Dynamaite」でダイブに臨んで

 国立競技場でK−1とPRIDEが合体した格闘技イベント「Dynamaite」が開催される。猪木は3000メートルの上空からダイブで登場するというド派手な演出。東スポにダイブの心境として残した詩である。


「たかが高田の引退だけど、リングを去れど高田は高田。もうすぐ寒い冬。
 秋はいってしまうけど、高田の奥さんは向井亜紀」

                   2002年11月24日 「PRIDE.23」東京ドーム大会にて

 高田延彦のラストマッチとなった「PRIDE.23」東京ドーム大会で、いつものように休憩明けに登場。高田に贈る言葉として、このところ連発しているダジャレまじりの詩(?)を披露。この後「道」も朗読した。


「泣かす男が悪いのか、泣いた女が悪いのか、刺しつ刺されつ玄界灘」
                   2002年12月23日 「PRIDE.24」福岡マリンメッセ大会にて

 交際中の女性に刃物で背中を刺されるという不祥事を起こし、欠場中の新日プロ棚橋弘至をPRIDEのリングに上げ、闘魂ポエムを伝授。闘魂ビンタもお見舞いした。


「俺は常に時代の先を行っている」
                   2002年12月31日 「INOKI BOM−BA−YE」のリングで

 サップ対高山、吉田対佐竹、藤田対ミルコなどで大成功した猪木祭り。年越しイベントのはずだったが、試合が終了したのは午後9時過ぎ、猪木が登場し、このセリフで強引にフライングのカウントダウン「ダー」を行い、3万人の観衆を唖然とさせた。


「怒って怒って怒ってみろよ。怒りのタネが落ちてきて、昔のそれが芽を吹いた」
                   2003年1月4日 新日東京ドーム大会のリングで

 会場に行けないということでビジョンでメッセージを送った猪木だったが、直後に花道に登場「猪木は来るのか、コンドーム」という得意のダジャレも披露した。新日本に対して怒りを見せろというメッセージを送り、「ババさんにはなれなかったけど、じいさんにはなれた」という意味深なダジャレで締めた。


「男は赤いちゃんちゃんこを着せられて照れている。
 盛宴。良き友に囲まれて、杯をかざした祝い酒。
 やがて男の顔は、杯を重ねていくうちに、
 ちゃんちゃんこと同じ色に染まっていく。
 真っ赤に燃える熱い心の奥底で、
 今、新しい船出のドラの音を静かに聞く。」

                   2003年2月20日 還暦記念パーティーで

 60歳の誕生日を迎えて読んだ還暦の詩。


「今宵はプロレスかはたまた狂言か。信じるか信じないかはあなた次第です」
                   2007年6月29日 IGF旗揚げ戦で

 IGFの旗揚げ戦にて、メインのレスナー対アングル戦終了後に、スタンドに設置されたステージに猪木が登場。最後はやはり1、2、3、ダーで締めた。


「(し)という漢字は七十一コ、同じ(し)ならば、この(志)を選べ」
                   2007年10月10日 猪木酒場仙台店オープニングレセプションにて

 猪木酒場3号店の仙台店オープニングレセプションに参加した猪木が、自殺未遂をした安田を励ますために披露した闘魂ポエムの一節。


「一寸先はハプニング」
                   2007年12月20日 IGF第3弾有明コロシアム大会のリング上で

 IGF第3弾興行は波乱の連続となった。レフェリーを蹴散らし安田を攻め続ける小川に猪木が鉄拳制裁から締め落とす。「男には手加減がある。やるなら殺せ!これから上がってくるやつ、そういう覚悟で来いよ。今日はよかったか悪かったか俺にはわからない。まさか俺もリングに上がるつもりはなかったし。一寸先はハプニング。まだまだこれからおもしろいことが起きるかもしれない。そんな期待に来年はすげえことを起こすぞ」とマイクアピールし、ダーで締め。IGFを象徴する一言である。


「バカヤロー!明かりをつけろ、このヤロー!」
                   2008年2月16日 IGF第4弾有明コロシアム大会のリング上で

 猪木65歳の誕生日4日前の記念大会ということで、リング上で猪木の誕生会が行われた。猪木がリングに上がると場内が暗転。この一言で笑いが起きた。バースデーケーキの形をした餃子タワーが置かれ、KYワカマツ、ガスパーズに扮したボブ・オートン・ジュニアと木村健悟、ハンセンが登場。亀田史郎も花束を贈呈した。


「世界一元気な糖尿病になりました」
                   2008年6月23日 IGF月寒大会のリング上で

 猪木がリングに上がると会場のボルテージは一気に上がる。恒例となった「元気ですかーっ!」で挨拶が始まる。猪木の祖父が、何でもいいから、やるなら世界一になれと言っていたのは有名な話しだが、そのおかげで「世界一元気な糖尿病になりました」とジョークを飛ばし、笑いを誘った。


「花が咲こうと咲くまいと生きていることが花なんだ」
                   2008年10月8日 新刊のタイトル

 猪木の新刊本のタイトル。ブラジル移住した少年時代、プロレス、議員生活を通じて様々な経験をしてきた猪木ならではの人生に対する珠玉の名言、格言集である。


「来年は母さんの年にしよう。なぜなら今年はとうさん(倒産)が多かったから」
                   2008年11月24日 GENOME7愛知大会のリング上で

 休憩前に猪木がリングに上がり、時事ネタを取り入れた得意の駄洒落で挨拶。IGF認定ベルトの設立を予告し、ベルトデザインを公募するプランも明かした。


「腰の完売」
                   2009年11月3日 GENOME10JCBホール大会のリング上で

 猪木がリングに上がり、書道を披露するパフォーマンス。直前に極秘入院して腰のすべり症の手術を受けていたことにかけて「腰の手術をしたら勝手にチケットが売れてしまった」として、この文字を書いた。


「ワン、ツー、スリー、ダー」
                   2010年3月37日 米アリゾナ州フェニックス・ドッジシアターにて

 日本人と初のWWE殿堂入りを果たした猪木は、レッスルマニの前夜祭「ホール・オブ・フェーム」に出席。スタン・ハンセンの紹介の後「炎のファイター」のテーマで登場した猪木は英語と日本語でスピーチし、最後は英語版のダーで締めた。


「俺がリングに登場した以上の歓声を観客から浴びて欲しい」
                   2010年5月9日 GENOME12大阪府立体育会館大会のリング上で

 最近は駄洒落が多いが、この日もWWE殿堂入りをもじって「田道」と書道を披露。農業団体から表彰されたと話した。メインは小川&澤田対鈴木&丸藤だったが、試合内容はイマイチで、猪木はリングに上がると、鈴木、丸藤と握手を交わし、IGFの現状を的確に示す、この言葉を口にした。


「運は 勇気の無い者には めぐってこない 何が起ろうとも 総てに感謝 ありがとう」
                   2010年9月25日 猪木詩集「馬鹿になれ」文庫版あとがき

 あの猪木詩集からもう10年の月日が流れたということです。待望の文庫化がされ、そのあとがきで「謝」という詩を締めの言葉に使っています。


「皆んなで手をツナGO」
                   2010年9月25日 GENOME13JCBホール大会のリング上で

 休憩空けの猪木のパフォーマンスタイムで、この日は何故かマグロの解体ショーを披露した。続いて書道を披露し、マグロにちなんでこの文字を書いた。ツナがソナになっており、客席から突っ込まれて「点が足りなかったな」


「誰かが俺を撃ちやがったな」
                   2010年12月3日 INOKI BOM−BA−YE2010両国大会のリング上で

 休憩空けの猪木コーナーで、挨拶中に2発の銃声、猪木が倒れ込む。起き上がった猪木が言った一言に場内は失笑だった。弾丸を口にくわえて、もう一発は手で受け止めたとのことだったが、意味不明の演出で、蝶野の登場、シンの乱入、2億円ベルトの披露など盛り沢山だったので、不要だったかもしれない。


「元気があれば胆石も出来る!この胆石を2億円ベルトの飾りにしようと思っています」
                   2011年1月7日 胆石除去手術後のコメント

 新年早々、猪木が腹痛を訴え、東京都内の病院に搬送されていたことが分かったというニュースに驚かされた。IGFによると、精密検査で胆石が見つかり、内視鏡手術ですでに除去したとのこと。同社を通じて発表したコメントがこれだった。


「元気があれば復興も出来る!」
                   2011年4月5日 東日本大震災の被災地を慰問して

 蝶野正洋、鈴川真一、澤田敦士らIGF勢力を伴い、東日本大震災により被害を受けた福島県いわき市、宮城県東松島市にある避難所や防災センターを慰問した。
 この日ばかりはいつもの「元気ですか?!」を言っていいものか迷ったという。それでも被災者たちは猪木の呼びかけに「元気です!」と応じた。「皆さんが思ったより元気だったので、こっちが元気をもらった感じ」と話すほどで、いつものように「1、2、3、ダァー!」、闘魂注入を行った。被災地の現状を見たら「軽はずみなことは言えない」が、猪木はこうメッセージを送る。


「津波は去ったけど藤波はいる 村はなくなったけど木村はいるぜ」
                   2011年4月28日 GENOME15TDCホール大会のリング上で

 IGF恒例の猪木劇場で「猪木が笑えば世界が笑う」の精神で、駄洒落とお馬鹿なパフォーマンスに終始した。イスに座ろうとして転び「思いやりは見えるけど、痛みも感じなくちゃダメだよ」と震災後に放送されたACのCMになぞらえたパフォーマンス。
   40周年試合に出場した藤波辰爾、品川区議選に当選した木村健悟に続いて「原発問題解決の最後の手はチョーノー力しかない」と蝶野を呼び込み、3人にキャンディーを渡して「キャンディーズ」の時事寝ネタを披露した。


「全日本、ノア、新日本、こいつら、こんなじじいに束になってかかってこい!
 そのくらいの元気がなきゃしょうがない。お互いがいっぱいになればいい」

                   2011年7月10日 GENOME16TDCホール大会のリング上で

 IGF恒例の猪木劇場で、8.27武道館のプロレスオールスター戦に、あえてIGFの大会をぶつけた猪木は、主催者の東スポ仮面を一蹴するパフォーマンスを披露。力道山13回忌興行に、ビル・ロビンソン戦をぶつけた隅田川決戦にも触れ、今回も更に話題にように、そしてお互いがさらに盛り上がるようにという思いを明かした。


「誰かが俺を撃ちやがったな」
                   2011年8月27日 INOKI GENOME両国国技館大会のリング上で

 震災復興支援イベント、プロレスオールスター戦に対抗して開催された大会で、メインはバーネット対バンナのチャンピオンシップ決勝戦だったが、バーネットが契約トラブルによるドタキャンという異常事態を受けて、猪木劇場では、その責任を取って切腹するというパフォーマンス。白装束で登場し、パフォーマンス後にこのノリつっこみを見せた。その後は、ジャイアント馬場の代役にチェ・ホンマンを呼び込み、ブッチャー、シンに鉄拳制裁を見舞い、32年前のオールスター戦を再現してみせた。


「オレのモノマネをする人はいっぱいいるけど、自分がモノマネをするのは初めてです」
                   2011年12月2日 INOKI BOM−BA−YE2011両国大会のリング上で

 猪木劇場に、先日来日し、美人の王女とともに、猪木と似ているということで話題になった、ブータンのワンチュク国王のコスプレ姿で登場した。プロレスファンとして知られる野田首相からの直筆のメッセージが届いたことも紹介された。


「鶴が田んぼでケガをして飛べなくなったのを農家の夫婦が看病した。元気になって大空へ飛べるようになった。
農家の夫婦は鶴に『鶴の恩返しをしないのか』と言ったら『オレはサギだもん』と言って飛んでいった」

                   2012年2月17日 GENOME18TDCホール大会のリング上で

 猪木劇場に、グラジエーターの衣装で登場。鶴の恩返しの話をとアントン・ジョークを披露。木村健悟と藤原喜明に69歳の誕生日を祝福される。


「何で行くんだ? 危ないから行くんだ」
                   2012年10月16日 GENOME23TDCホール大会のリング上で

 恒例の猪木劇場にタキシード姿で登場した猪木。パキスタンでの興行開催を発表し、何で行くんだと聞かれるが、危ないから行くんだと語った。


「首から肩から腰からヒザから、関節がコキコキ(古稀古稀)と」
                   2013年2月20日 都内のホテルで行われた古希を祝う会での挨拶

 坂口征二、藤波辰爾、前田日明、スタン・ハンセン、九重親方、野村克也夫妻、船越英一郎ら660人が出席した古稀を祝う会で、得意のジョークを交えて喜びを表現した。


「維新伝心 ジェット・シン サーベルを鳴らすのは誰」
                   2013年6月6日 国会内での参院選出馬表明の記者会見にて

 国会内で記者会見を開き、石原慎太郎氏とともに日本維新の会から7月予定の参院選に比例代表で立候補すると正式表明。意気込みを駄洒落に込めた。


「国会の前に芋を食べ過ぎて鉄砲玉のようなブーが出てしまい、超バツ(懲罰)が悪かった」
                   2013年12月31日 INOKI BOM−BA−YE2013両国大会のリング上で

 大晦日の猪木劇場で、スポーツ外交をアピール。IGFの北朝鮮進出や北方領土でのイベント開催の構想もぶちあげる。そして議院運営委員会の許可を得ずに北朝鮮を訪問し、懲罰を受けた自虐ネタで笑いを誘った。


「何でもアリのモハメッド、好きなようにやらせて下さい」
                   2014年4月5日 IGF1両国大会のリング上で

 メイン終了後、藤田和之がリングに上がり、石井慧にリベンジを要求。石井もこれを受諾した。藤田が去った後に猪木がリングに上がり、得意のダジャレで大会を締めた。


「プロレス成人式に贈る これからは一人歩き 自信と勇気を持って大きな夢をファンにおくれ 健闘」
                   2014年4月11日 佐々木健介引退記念パーティーにて

 佐々木健介の引退に「引退は明日への第1歩」と書いた色紙を贈り第二の人生の門出を祝った。


「皆さん、料理は得意ですか?包丁(訪朝)がなければ料理はできない」
                   2014年7月13日 平壌の金日成広場から衛生中継にて

 GENOME30が開催された福岡国際センターのビジョンに、訪朝中のため異例の衛生中継で登場。得意のダジャレで闘魂外交の成果をアピールした。


「アメはしゃぶってもシャブはダメだよ」
                   2016年2月26日 GENOME35TDCホール大会のリング上で

 GENOME35の猪木劇場にて。73歳を祝ってアメと「猪木が清原を救う」が1面となった東スポが用意されており、東スポを読みながらのブラックジョーク。