蘊蓄の部屋(グリム童話の不思議)


はじめに

 「鏡よ 鏡 この国で誰が一番きれい?」・・・「白雪姫」は誰でもが知っている物語であろう。毒りんごを食べ倒れた白雪姫は、王子様が現れた後生き返り、結婚して、めでたしめでたしとなる。

 しかし、実は原作には、まだこの後があるのである。王子と白雪姫の婚礼に継母が呼ばれ、その席で継母は真っ赤に焼けた鉄の靴をはかされて、死んで倒れるまで踊り続けさせられたのである。ご存じだっただろうか。

 また、原作は、初版から第7版まで改訂されるうちに話がかなり作り変えられている。白雪姫が生き返ったきっかけが違っているし、初版では「継母」ではな く「実の母」になっているのだ。白雪姫は実の母親に焼けた鉄の靴をはかせて殺したのである。イメージが一変したのではないだろうか。白雪姫は、王子様を じっと静かに待つ、かよわき、やさしいお姫様でけっしてないのだ。

 さて、グリム童話では、他に「ヘンゼルとグレーテル」、「シンデレラ」、「赤ずきんちゃん」、「ブレーメンの音楽隊」・・・と多数ある。それらは原作で はどうなっているのか、また、それは何を意味するのか、グリム兄弟は何をしたのか・・・。少々長くなるが、気長にお付き合いいただきたい。グリム童話だけ でなくアンデルセン童話まで話が及ぶことになるかもしれない。

 このところどういう訳か童話ブームだという。しかし、これに便乗して、グリム童話についても、その残酷性のみを強調して「残酷な・・・」とか「恐 い・・」などという一般のウケを狙った粗悪本が出ている。また、「教訓」などと付け加えてかってな解釈・解説をしているものも見受けられる。その解釈もま ともなものであればいいのだが、ことさら「性」に関係するものとして、おもしろおかしく歪曲されたものも見られるのは残念である。


グリム兄弟について

ヤーコブ・グリム  (Jacob Grimm)  [兄]1785〜1863年
ヴィルヘルム・グリム(Wilhelm Grimm)[弟]1786〜1859年

1785年 1月4日 ヤーコブ誕生
1786年 2月24日 ヴェルヘルム誕生
1796年 父死亡
1808年 母死亡
1830年 亡命
1859年 12月16日 ヴェルヘルム誕生死亡
1863年 9月20日  ヤーコブ死亡

(つづく)

ドイツの歴史と童話の成り立ち

 グリム童話は、エーレンベルク草稿と7つの版の計8版があるが、版を重ねるにしたがって、主に弟のヴィルヘルム・グリムが話に手を入れ書き直しているため、物語もすこしずつ変化している。

原 作発行年入手が容易な全訳本
初 稿エーレンベルク草稿→「グリム兄弟」国書刊行会、小澤俊夫訳
初 版1812年→「初版グリム童話集」白水社、吉原高志・吉原素子訳、全4巻
第2版1819年→「完訳グリム童話」ぎょうせい、小澤俊夫訳
第3版1837年 
第4版1840年 
第5版1843年 
第6版1850年 
第7版1857年→「グリム童話集」(1〜5)岩波文庫、金田鬼一訳
→「完訳グリム童話集」(1〜5)小学館、高橋健二訳
→「*****」、**、矢崎・大畑・植田・山室・国松訳
→「完訳グリム童話」(I〜III)角川文庫、関敬吾・川端豊彦訳

(つづく)


物語の残酷性について

 グリム童話には残酷な記述が多いという。たしかに、そういう面はあるが、これはなにもグリム童話に限った話ではない。

 日本の話の「かちかち山」では、おばあさんが「婆(ばばぁ)汁」にされてしまったり、タヌキが大火傷をさせられ、最期には泥の舟に乗せられて溺れ死ぬの だ。溺れるところもなかなか壮絶で、タヌキが浮き上がったところをウサギがボカスカ櫂で殴って沈めるのである。また、「猿蟹合戦」では、猿が投げた柿で蟹 が潰れて死ぬし、「舌切り雀」では文字どおり糊をなめた雀の舌をはさみで切ってしまう。「花咲か爺」ではかわいがっていた犬のシロを叩き殺してしまう・・ といった具合である。

 物語は、書物になることもほとんどなく、親から子へさらに孫へ・・と長い間、語り継がれてきた話である。子供は、お母さん・お父さん、または、お祖母さ ん・お祖父さんからわくわくどきどきしながら話を聞いたのだろう。つまらない話は、記憶にも残らないし、すたれてしまうはずだ。これは昔話の特徴の1つか もしれない。特に残酷性のみを強調するのは適当でないだろう。かえって話が生き生きしたものになっているはずだ。


 それはそうとして、もうひとつ、子供に聞かせるのに適当かという議論が別にありそうである。

 宮崎駿の映画「もののけ姫」をご覧になった方はおられるだろうか。このアニメ映画の中で武士の首が飛ぶシーンがあるのだが、私の父がそれを見て「ずいぶ ん残酷だな」とぽろっと言ったのを記憶している。私自身は、主人公アシタカの不思議な力を強調することはあれ、話の流れの中で特に「残酷」という感じは受 けなかった。こういったものの受け取り方については人によってかなり差があるようである。私自身、宮崎駿の映画は昔からよく見ていることも、何ら違和感を 感じなかった要因の1つかもしれない。しかし、このシーンを映画に入れる際に、かなり議論があったのではと思われる。そこでどのような判断がされたのか興 味があるところだ。

 もうひとつ、「禁じられた遊び」という映画はご存じだろうか。古い映画なので、ナルシソ・イエペスが弾くギターの主題曲を知っているだけの方も多いかも しれない。子供の感性というか、ものの考え方・見方には独特なものがあり、独自の世界が存在する。人間の非常に「純」な部分が現れているようにも思える。

 そして、「純」とは時には「残酷」にもなりうる。もちろん良いとか悪いとか言えるものではない。子供は、この「純」側へ(つまり残酷性側へ)物の見方・ 考え方がシフトしており、大人が心配するように特別には感じていないのではなかろうか。まさに物語は子供の思考・感性にマッチしているのだろう。


白雪姫

 「鏡よ 鏡 この国で誰が一番きれい?」・・・「白雪姫」は誰でもが知っている物語であろう。毒りんごを食べ倒れた白雪姫は、王子様が現れた後生き返り、結婚して、めでたしめでたしとなる。

 しかし、実は原作には、まだこの後があるのである。王子と白雪姫の婚礼に継母が呼ばれ、その席で継母は真っ赤に焼けた鉄の靴をはかされて、死んで倒れるまで踊り続けさせられたのである。ご存じだっただろうか。

 また、原作は、初版から第7版まで改訂されるうちに話がかなり作り変えられている。白雪姫が生き返ったきっかけが違っているし、初版では「継母」ではな く「実の母」になっているのだ。白雪姫は実の母親に焼けた鉄の靴をはかせて殺したのである。イメージが一変したのではないだろうか。白雪姫は、王子様を じっと静かに待つ、かよわき、やさしいお姫様でけっしてないのだ。

 さて、継母は嫉妬したという白雪姫だが、何歳だと思われます?物語にはちゃんと書かれているのですが。(^^)

(つづく)


シンデレラ

 よく知られている「シンデレラ」だが、カボチャの馬車に乗ってお城へ向かい、12時を過ぎてガラスの靴を残してしまう・・・というディズニー映画がベー スにしたのはペローの童話の「サンドリヨンまたは小さなガラスの靴」である。グリム童話には、「灰かぶり」という話があるが、これには魔法使いも、カボ チャの馬車も、ガラスの靴もでてこない。グリム童話のシンデレラは実にたくましい。

(つづく)



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