4
「……あ、あのっ」
震える足に力をいれ、マリンは慌ててガントを追いかけた。
「迷惑……かけて…………ごめんなさい」
「…………何故直ぐに救命弾を使わなかった」
低く怒る声に、マリンはビクリと身を震わせる。
(怒ってる……!)
適当に言い繕おうとも一瞬考えたが、この師匠の前に嘘は通じない。
ガントはやたら勘が良いし、それにマリンも偽りたくはなかった。
「持って……なくって」
その一言に、ガントの周りの空気がピリッとなる。
「レンジャーたるもの、いつ何があるかわからんと言っただろう! 非番の時でも対応出
来る様にしておけとあれだけ言った筈だ!」
「ごめん……なさい!」
あまりの迫力に怯みそうになりながらも、マリンは震える声を絞り出す。
泣きそうになるのを必死に堪え、背を向けたままの師匠に頭をさげる。
「謝らなくてもいい。こういう事になると解っただろう。……次は助けないからな」
「……っ」
ガントの言葉に、マリンは何も言えなかった。
当然の事だったからだ。
自分の未熟さが悔しくて、愚かさが情けなくて、ぽろぽろと涙があふれ出す。
腕の痛みなんかよりも、心の痛みが辛くて涙が止まらない。
師匠は足早に森を進んでいく。追いつこうと足を速めるが、涙でぼやけた視界と腕の痛
みに息がつまりなかなか追いつけない。
だが、少し進んだところでガントがぴたりと止まり、くるりと振り返った。
「……!」
不意にこっちに近づく師匠に驚いて、マリンは慌てて涙を拭う。
「……、えと、あの……」
怒る師匠の顔を見れず思わず目を伏せるが、ずっと目を逸らしている訳にもいかない。
目の前で止まった師匠にむかって、マリンはそっと顔を見上げた。
彫りの深い顔立ち、強い意思が宿る深い紺色の瞳。
だが、激しく怒っていると思っていた表情は、意外にも普段と代わり無い見慣れたいつ
もの『厳しい』表情だった。
「……痛むか?」
「え……」
ガントは腰のポーチから応急セットを出すと、驚くマリンをよそに手早く処置し始めた。
上位クラスのレンジャーらしく、手馴れていて速い。
「……っ」
きゅっと縛られた傷口に軟膏が染みて、マリンはビクリと震える。
痛い、と言いたかった。
弱音を吐きたかった。
だが、悔しさが、自分への情けなさがそれを言わせてはくれなかった。
包帯を巻く度にガントの手の暖かさが腕に伝わる。
決してやさしいとはいえない処置だったが、確実なその技は見事なものだった。
上位のレンジャーともなれば、これが当然なのかもしれない。
強くて、技術も知識もあって。
改めて凄いと思うし、尊敬の気持ちが大きくなる。
「……ひぅっ」
小さく嗚咽が漏れる。
安心したのかもしれない。
そのせいなのか、さっきまでの事が一気に脳裏に蘇りマリンの肌が粟立つ。
痛みやなんかよりも、それ以上に『怖かった』という事を思い出したのだった。
震えだす肩を両手で無理やり抑えつつ、マリンは俯いて歯を食いしばった。
こんな所で大泣き出来ない。
弱い所など見せたくはなかった。でなければ、また「帰れ」と言われてしまう。
不意に、ぽん、と頭に大きな手が触れた。
「…………?!」
一瞬、何が起こったのか解らず、マリンは目をぱちくりさせる。
じわりと伝わる、暖かい感覚。
頭をすっぽりと包んでしまう程の大きな手が、優しく触れていたのだった。
「怖かっただろう。……この町にはああいう輩も多いんだ。だから常に警戒する必要があ
る。レンジャーならば尚更だ」
涙で潤むマリンの瞳を、深い紺色の瞳が見下ろしている。
ほんの少し優しい、そんな視線にマリンの鼓動がどくんと波打つ。
「……今は弱い事を責めたりはしない。ただ、同じ事を二度繰り返すなよ。救命弾無しに
救助してもらえる事はまずないんだからな」
不意をつくような優しい言葉に、マリンの涙腺が一気に決壊する。
「う……、うあああぁ」
「良いレンジャーに、なるんだろう? ……強くなれよ、マリン」
「……っ! ……っ!」
マリンはただ必死に頷いた。
それを見てガントが拳を差し出す。
「……!」
差し出された拳を見て、マリンの胸がまた大きくドクンと鳴る。
拳を重ねるのはレンジャー同士で行われる挨拶であり、激励であり、決意の表明だ。
今まで『今昔亭』でそういう光景を何度も見て「かっこいいなぁ」と羨ましくも思って
いたが、マリンは正式なレンジャーになって間もない。
まだ、そんな事出来る筈もないし、早いと思っていたのだ。
「意味くらい知ってるだろ? ほら」
ガントは握りしめた拳を差し出し、頷く。
「……!」
マリンはどきどきと高鳴る心臓の音を感じながら、ぼやける視界の中で拳を握ってそっ
と突き合わせる。
こつん、と拳の重なる音がして、それと同時にまた涙がぶわっと溢れ出す。
「ほら、帰るぞ。歩け」
「はい゛っ……!」
涙を拭いながら、マリンはガントを追いかける。
今回の事で明確になったのは、「ガントの様なレンジャーになりたい」という事。
そしてガントに対する憧れと尊敬の気持ちだ。
暗い森を進みながら、マリンは握ったままの拳をそっと胸に当てる。
(絶対、素敵なレンジャーに、師匠みたいになるんだ。絶対、絶対……!)
決意は固く、少女はレンジャーの階段をまた一つ登っていく。
ガントの手の優しさを、深く心に刻みながら。
「お、無事やったか!! マリン!!」
森の出口でアレイスが大きく手を振っていた。
その脇にはレンジャーのメディと女将が心配そうにこっちを見ている。
どうやら心配して皆で迎えに来たらしい。
「やだ、マリン……!?」
怪我をしているマリンを見つけて、メディが慌てて駆けてくる。
「怪我してるのかい!?」
それに気付いた女将も、心配そうにこちらをのぞきこんでいる。
そんなみんなの暖かさに、またマリンの涙腺が緩みだす。
「……うぇえん」
「もう泣くな。子供じゃないだろ」
ガントは呆れたように目を細め、小さく呟く。
「泣くほど怖い目にあったの? 大丈夫マリン?!」
メディは素早く回復の呪文を唱え、さりげなくマリンを抱きしめる。
「く、苦しいですっ、メディさん!!」
メディの巨乳に押しつぶされるマリンを確認すると、ガントはさっさと帰っていく。
「何やガント、マリンおいていくんかい!」
「…………疲れた」
予想外のその台詞に、アレイスが細い目を思いっきり見開く。
「……なんやて? 体力馬鹿のガントがか?」
「…………精神的にだ。帰って寝る」
眉を寄せて小さく呟きすたすたと帰っていくガントを見て、にんまりとアレイスが笑う。
「くおーーっ!! やっぱ面白かったわ!」
「何いってるの!? マリン、斬りつけられたのよ!?」
「いた、いったたたたたた! メディ、違うんやっ、違うんやって!!」
憤慨するメディに髪の毛を引っ張られながら、アレイスがか細く悲鳴を上げる。
夕日がチークの町を赤く染めあげる。
『今昔亭』からはおいしそうな夕飯の匂いがながれてきていた。
|