☆桃兎の小説コーナー☆
(09.02.13更新)

↑web拍手ボタンです。                    
 レスは日記でしております!


 ドラゴンマウンテン 第二部

  第二話  ここは死都アランカンクルス  

   4 月の浮かぶ夜空に

     10

 真円に近づく月の光が死都に降り注ぐ。
 だが、それを遮るか様におびただしい数の幽体が夜空を覆い、死都を暗く闇で染めてい
た。彼らの放つ<魔>の波動が死都全体を揺らし、一段と濃くなった<魔>の魔力は死都
を異質な場所へと変えていくようだった。
 霊は皆、黒いローブを纏っていた。それは死都の民であった何よりの証だった。
『『魔物は一匹たりとて死都には足を踏み入れては居ない』、か。確かにそうかもしれん。
……だがこれは……!』
 霊達は苦しみもがく様な怨嗟の声を漏らしながら、ホーラを、マリンとガントの周囲を
取り囲む。
 濃密な<魔>の魔力と禍々しい思念の嵐に、ガントの上に乗ったマリンは恐怖と悲しみ
で言葉を失っていた。
 霊達の発する「おおおぉ」と唸る様な音は、嵐の激しい風の音にも似ている。死都全体
に響き渡るその音は、耳から伝わると言うよりも体の中に直に響いている様に感じられた。
 恐怖が、体を焦がす熱が、マリンをかき混ぜ、悲惨な現実を前にあふれだした悲しい気
持ちが涙になって頬を伝う。
 霊は最早唯の霊ではなかった。
 <魔>を放つ霊は悪霊であり、それはまさに魔物以外の何者でもなかった。
「死都の民が……悪霊に、魔物に……なっちゃったの?」
「違う!」
 マリンの震えた声を、漆黒の竜は強く否定する。
「アレらは死都の民だ! ……断じて、断じて魔物などではない!」
 竜は強く断言した。
 だが現実はその言葉を否定していた。霊達はかつての主にむかって次々と体当たりを仕
掛け、無抵抗の黒い竜を苛む様に打ち据えていく。
「ホーラ! 住民の皆を思う気持ちは、わかるよ、でも……、っ!」
 霊達の一部が、叫ぶマリンに視線を向けた。そしてじわりとマリン達ににじり寄った。
『……マリン、奴ら俺達も殺る気だ』
「……っ!」
「ウオオオオゥッ!!」
 四方を取り囲み迫る霊達に向かって、銀色の狼が大きく吼えた。鋭い野生の眼差しの放
つ気迫に、霊達はたじろぎ、一歩後退する。だが、また直ぐに二人に赤い視線を向けて、
じわりじわりと間隔を狭めていった。
「っ、んぅっ!」
 震える体をどうにかしゃんとさせて、マリンは狼の背から飛び降りた。そして自分の状
態を少しでもましにさせるように再び辞書を片手に魔法を唱え始めた。
 ただ、宙に描く魔法陣も呪文の響きもいつもとは違っていた。最後には両手を重ね指を
交差させ折りたたみ、祈る様なポーズでマリンは呪文を締めくくった。
「天に輝く清冽の奇跡よ、我を<魔>から守り給え……!」
 なれない祈りの言葉に戸惑いながら、マリンは呪文を完成させる。
(<聖>のイリニ系の魔法はどうも相性がよくないのよね……成功してっ!)
 魔法の得意なマリンが魔法を使う時には決して見せない弱気な表情で魔法を発動させる。
その様子に違和感を感じながらも、ガントは魔法の発動を見守った。

 マリンが唱えていたのは<魔>の魔力を受け流す為の<聖>属性の、魔法使いの間では
イリニ系と呼ばれる魔法だった。イリニ系の魔法は僧侶の魔法とも呼ばれ、マリンは専門
外だったのだが、これからのマリンに役にたつかもしれないと、旅立つ前にメディが丁寧
に教えてくれたのだった。
 だが、マリンはそれを使いこなせないでいた。
 イリニ系の<聖>の魔法は少し特殊で、精霊を介さずに祈りの力で奇跡を具現化させる。
 その奇跡は様々で、怪我を瞬間的に回復させたり、究極の魔法として、失った体を再生
させたり、死者を蘇らせる事も場合によっては可能だという。もちろん敵対する<魔>に
対する効果も絶大で、<魔>に関するアンチマジック(退魔、破魔)は他の精霊魔法なん
かよりもよっぽど効果が大きい。
 そしてその魔法を扱う為には、天使やイリニの教の神と呼ばれる大天使プロディエルを
信仰する祈りの力と、術式への知識と魔力が必要で、中でも信仰心の強さが鍵になってい
た。
 呪文で天使達に語りかけ、強く祈りを捧げる→天使達に祈りが届く→それに答えた天使
達が術者の魔力を代償に奇跡の降臨させる、というのがイリニの<聖>の魔法の一般的な
流れだ。

 だが、精霊魔法の使い手であるマリンには、精霊が居なくても発動するイリニ教独特の
魔法の発動の形態が理解できないでいた。魔法は、精霊達の力なくしては発動しないとい
う事が頭にあったからだ。
 だが、その疑問も先の歴史書のお陰でその理由をなんとなく理解する事ができた。天使
達も本来は精霊だったという事、それが答えだった。
 と、<聖>の魔法の発動のメカニズムを理解した所で、<聖>の魔法を使えるようにな
るかといえば、それはまた別の話だ。

 マリンの呪文に答えて、<聖>の輝きがマリンを包み、紫竜の爪に蓄えられた魔力が消
費され魔法が発動する。
 だが、マリンは自分を包む薄いシールドを見て、はぁとため息をついた。
「やっぱり祈りの力とか、精霊魔法とは方向性が違いすぎるよね……限りなく失敗に近い
発動だよ」
 それでも無いよりはましなのかそれともやはり対<魔>の力が強いのか、応急的に唱え
た光のシールド一枚の時よりもマリンの体は少し楽になっていた。

 <聖>の属性の魔法でも、精霊を介した本来の形式の魔法ならばマリンも問題なく扱え
る。マリンの所持する<聖>に属する光の精霊のフォロイとは長い付き合いだし、魔法や
物理的な物から身を守る光のシールドを張るのはマリンの得意技だ。
 ならば、フォロイの力を借りて<聖>の魔法と同じ効果を表せるように一から呪文を構
成すれば良いのかもしれないが、それは非常に難しい事だった。
 <聖>の魔法は、祈りの力と天使の加護があれば短い呪文と比較的簡単な魔方陣で発動
する、覚える側としては比較的楽な魔法だ。だが、それを光の精霊に代行させ、同じ事を
行おうとすると、複雑極まりない、それこそ儀式呪文に相当する複雑さと長ったらしい呪
文が必要になるのだった。
 <聖>の魔法は正に奇跡であり、奇跡は普通に起こりえないからこそ奇跡と呼ばれるの
だ。
 平たく言えば、マリンは信仰心が足りないのだ。イリニ教の信者でないから当然と言え
ば当然だが、一応魔法が発動しただけでもこれはちょっと奇跡だ。
 これらを総合して考えると、<聖>の奇跡を『信じるものならば誰でも気軽に扱える』
様に体系化したイリニは、本当に物凄い魔導師だったという事だ。

 そんな事を考えながら、マリンはガントの横に立って取り囲む霊達をぐるっと見回した。
『……大丈夫か? マリン』
「な、なんとか。……でもっ」
 軽減されたとは言え、マリンは未だに魔力に酔った状態のままだ。霊達もぐらつくマリ
ンに赤い視線を向けて、あざ笑う様にゆらりゆらりと揺れる。
「っん、でも、なんでこんなに<魔>が濃いのよ……絶対濃すぎる、最近濃くなったとか
それもまたわかんない」
 ふらつくマリンに霊達の赤い視線が注がれる。黒いローブを揺らしながら、半透明に揺
れる霊が不意に<魔>の気配を強めた。
『…………来るぞ、マリン!』
「う、うん!」
 霊達はマリン達にも体当たりを仕掛けはじめた。影の様に半透明だった霊体は、マリン
達に触れる寸前に黒い塊に変化し、実体となって攻撃してきた。マリンがそれを避けると、
黒い塊になった霊体はそのまま地面にぶつかり、そしてゴスっと地面を深く削る。それを
見てマリンの血の気がすっと引いていく。
「何これっ!? こんなの……食らったら、唯じゃすまないよ!」
『ヤバイな……っていうか、ホーラはこんなのをそのまま受けてるっていうのか!?』
 ガントは素早く体当たりする霊をかわしながら、ぎりりと牙を軋ませる。
 二人を囲む霊の数も半端ではなく、次第にマリン達は霊に囲まれ追い込まれていった。
「どうしよう、このままじゃ、……っ!?」
 不意に迫ってきた圧力に気付いて、マリンは顔を上に向ける。
「死角っ!?」
 マリンの頭の直ぐ上には黒い塊になった霊がいた。そしてそれはマリンにむかって真っ
直ぐに落ちてきた。
「うわああっ……、っ!?」
「ガウウッ!!」
 銀色の光がマリンの頭上を舞い、深紅のガントレットが素早く振りぬかれた。
 ゴッ、と鈍くぶつかる音がして霊が吹っ飛び、また半透明に変化する。マリンの頭を飛
び越える様に狼は向こう側に着地すると、ぐるぐると唸りながら牙を剥いた。
「が、ガント!」
『元が民だろうがこうなったら魔物だ。哀れむ気持ちはあるが……こちらとてやられる訳
にはいかん。降りかかる災難は……振り払うまでだっ!』
 ガントは取り囲む霊達を威嚇するように大きく吼え、獣の四肢を奮わせ身構えた。
(体当たりの瞬間奴らは具現化する。その瞬間ならば!)
 ガントはあらゆる方向から自在に襲い来る霊達の具現化のタイミングを見て、獣の手を
ふり抜き、その体で跳ね除ける。流れるような身のこなしは、人であった時よりも更に素
早かった。相手が霊体であるが故に完全に葬る事はできないが、それでも霊達を払いのけ
るには十分だった。
(す、凄い)
 魔力に酔う頭の中で、素早く舞う狼にマリンは思わず見とれていた。思うように動けな
いマリンを、ガントはしっかりと守っていて、その事実がマリンの奥をきゅっと締めつけ
る。
 ガントの正確な攻撃に阻まれて、霊達は次第に二人から離れ、距離を開けていった。

「やめろ! 死都の民に手を出すことは我が許さぬ! 余計な手出しは無用だ!!」

 不意に大きな叫びが死都に響く。
『……ッ!!』   
 ぐるる、と唸りながらガントはホーラに視線を向け、そして息をのんだ。
 マリンも死都の主の姿を見て、いやいやと首を振る。
「ホーラ……、そんな」
 鱗ではない分厚い皮で覆われただけのホーラの皮膚は、繰り返される打撃に赤い色が滲
み、尾も背も腹も赤い筋が幾つも流れていた。
 全身に受けた傷は深く、だがそれでも竜は仁王立ちのまま退こうとはしなかった。
『ホーラ……貴方はまさか、毎夜これを……!』
「……それがなんだというのだ」
 金色の半眼を霊達に向けて、ホーラは表情を緩める。
「彼らは我の無力故に死んでいったのだ。我は彼らを護ると誓った。なのにできなかった
のだ。恨まれない理由など無い。民が怨嗟の声を上げ始めたなら、それを受け止めるのも
彼らの主であった我の役目だ」
『声を……上げ始めた?』
 淡々と話すホーラに、マリンは揺らぐ視界の中必死に首を振った。
「でも、こんな事続けてたら、いくらホーラでも持たないよ! 死んじゃったら、死都を、
門を……護れなくなっちゃうんだよ!?」

「構うか!」

 竜のすさまじい気迫に、マリンはびくりと身を強張らせた。
「死都も、民も、約束も、全て我にとっては全て同列なのだ! 退けぬのだ。この気持ち
……、娘、お前などに解るものか!!」
「解んないよ! でもっ……!! ねぇガント、…………ガント?」
 涙を浮かべガントに訴えかける。だが、狼は目を伏せて押し黙っていた。
 何かを思案する様なその表情に、マリンは少し不安になる。
「ガント、どうしたの?」
『……マリン、ここは俺達の出る幕じゃない。退くぞ』
「え……どうして!?」
『霊達はもう俺達を見ていない。ホーラだけを見ている。今のうちに結界の部屋に戻るぞ。
このままでは、お前がどんどん弱っていくだけだ』
「そんな、傷つくホーラを、そのまま……見捨てるなんてっ……」
『……今の俺達に何が出来る』
「……!!」
 直接頭に響く狼の声に、マリンはビクリと体を震わせる。
「そうだ、帰れ。我は竜だ。そう簡単に死なん。お前達は朝まで何も考えず休んでいれば
良いのだ」
 竜は優しい瞳でマリン達を見つめ、背を向けた。
 そんな竜に狼もくるりと背をむけ、元来た方向へと歩き出した。
「が、ガント!?」
 マリンは慌ててガントを追いかけた。だが魔力酔いもかなり酷くなってきたのか、よろ
けて膝をついてしまう。
『……マリン、乗れ』
「……っ!」
 振り返りもしないガントに戸惑いながら、マリンはその背に乗った。
 走り出すガントの背に揺られながら、マリンは霊の叫びを聞いていた。悲しく叫ぶ様な
声は耳を塞いでも聞こえてくる。
「ガント……私解らない……!」
『……』
 主を慕っていた民達は、何を思い主を責めるのか、一体彼らになにがあったのか。
 霊達の攻撃を受け続けるホーラを思うと、その切なさにマリンの視界が涙で滲んでいく。
「死都が滅んでから、ずっと苛まれ続けてたっていうの? そんな事って……!!」
『マリン』
「!」
 厳しい声でガントはマリンの言葉を遮った。
『今は何も出来ない。だが、まだ考える時間はある。……わかるか?』
 低く、淡々とした狼の声。その声から感じられるのは怒りなどではなく、優しく諭す様
ないつものガントの声だった。
『ホーラの気持ちは理解できる。だがあのままで良い筈がない。俺だってあのままでいい
なんて思わない』
「ガント……」
 落ち着いたガントの声は、マリンを落ち着かせるには十分な力を持っていた。
「私、一瞬ガントがホーラを見捨てちゃうんじゃって……ちょっとだけ思っちゃった。ご
めんなさい」
『馬鹿者』
 ぴしゃりとたしなめられ、マリンはきゅっと目をつぶる。
『お前は極度に感情がぶれると冷静さを失う所がある。落ち着いて考えろ。俺達が死都を
去るのは満月の夜の後、つまりは明々後日の朝だ』
「明日、明後日、少なくとも、明後日までに何か考えれば……って事?」
『そうだ。あの女のゴーストは俺達に、お前に何か出来るはずだから訴えてきたんだろう
? お前がさっきそう言っただろう。まだ時間はある、なら今はそれを考える時だ』
「…………はい!」
 曇った気持ちが少し晴れた気がして、マリンは走る狼にしがみ付いた。
(やっぱり、ガントは私の師匠だ)
 マリンが戦いで迷った時、いつもヒントをくれるのはガントだ。そんなガントが誇らし
いし、素直に尊敬している。
 そしてまだまだ自分は未熟だと、マリンは少し赤面するのだった。

 石室の前にたどり着き、マリンはゆっくりとガントから降りた。
 石の扉の隙間をくぐり、ふはぁと大きく息を吐く。結界の中に帰ってきてようやく呼吸
が出来た気分だ。
 石室の雑多に詰まれた本を見回し、うんと大きく頷く。まだ知らない事実が、ここの本
の中にあるかも知れない。死都それ自体にもきっとヒントがあるだろう。
 ずっと一人で死都を護り続けていた孤独なドラゴン。
 昔々に、世界を救った勇者の仲間だったドラゴン。
 一人痛みに耐え、それでも民を思い続けるドラゴン。
 そんなホーラをマリンはどうしても放っておけなかった。
「何か……手がかりが見つかるかも知れない。本をあさるわっ! ……でも、今日はもう
だめ、限界」
 がくんとその場に崩れるマリンを、ガントは慌てて支える。
『この状況では休みづらいかもしれんが……、って、こら、ココで寝るなッ!』
「うぅ、無理してなれない魔法を使うもんじゃないね、<魔>の魔力も凄かったし。反動
きっつ……い」
 マリンを護っていた<聖>と光の二枚のシールドがパンと弾け、マリンはそのまま突っ
伏した。
 そして狼に寄りかかったまま、すやすやと寝息をたて始めた。
『……全く』
 狼は少し困った顔をしながら、マリンを起こさないようにそっと身を伏せると、そのま
ま書庫の真ん中で丸くなった。
『死んだら護れなくなる、それでも退けない……』
 死都の中心で死んだ民の思いを受け止めるホーラを思い出し、狼は目を細めがふぅと息
を吐いた。
『…………』
 部屋はまだ<魔>の振動で僅かに揺れており、民の怨嗟の声も、悲しい竜の叫びも遠く
聞こえてくる。
 
 その揺れも声も、日が昇るまで絶える事はなかった。

 

 

 

 

     11

「うっわ、爽快」
 翌朝、マリンが石室の外に出て朝日を浴びた感想がそれだった。
 死都の<魔>の魔力は酔うほどに濃いが、昨日の晩の濃さに比べれはまだ全然ましに感
じられた。
『昨日の晩が嘘のようだな』
 禍々しい気に満ちた夜とはうって変わって、朝の死都は静かだった。
「視線も……今は全然感じないね。あぁ、日差しが気持ち良い……!」
『連なる山々』の向こうから射す朝日をうけて、マリンはんんっと伸びをした。
「なんだ、一日で魔力に慣れたのか?」
「!?」
 真上から聞こえた声にマリンは慌てて顔を上げる。大階段の上から人の姿をしたホーラ
がこちらを見下ろしているのだった。
「ホーラ! 大丈夫なの!?」
「案ずるな。なんともない。それよりもこっちへ上がって来い」
「?」
 マリンは呼ばれるまま大階段の正面に回り、たんたんと階段を上がっていく。その後を
追ってガントも飛び越えるように階段を昇った。
「……って、この階段長っ」
 石で出来た階段は段差が大きく、そして長い。マリンは駆け上がるように階段を昇って
いったが、頂上につく頃には少し息があがってしまう程だ。

「ふいい、着いた! ……って、うあああああああ!」

 マリンは大階段を振り返って感嘆の声を上げた。
 大階段の上からは死都の全景を見渡す事が出来た。廃墟となった白い家々は朝日を反射
してキラキラと光り、死都は昨晩とは全く違う顔を見せていた。
「どうだ、見事だろう」
 金色の瞳を細めながら、ホーラは自慢げに胸を張る。
「うん、すごい!」
 マリンはホーラに笑顔を向けたが、次の瞬間その笑顔が曇る。
 ホーラの身に着けているラベンダー色のズボンからは、鮮やかな赤い色が滲んでいたの
だ。昨日も汚れているな、とは思っていたが、今日はまた数が増えている。
(そうか……あれ、霊に傷つけられて滲んだ血だったんだ)
 最初は、魔物の返り血か何かだろうと思っていたのだが、今はそうではないとはっきり
解る。昨晩のことを思い出し、マリンはどう声をかけていいか解らなくてつい目を逸らし
てしまう。
「……平気だ、と言っただろう。気にするな。ほら、ついて来い」
「……あ、はい!」
 何事も無かったかの様に歩き出すホーラを追いかけ、マリンは慌てて後を追いかけた。
 
 大階段の上はちょっとした広間か庭園のようになっていた。広間は七十センチ程の高さ
の落下防止の石壁に囲まれていて、正面には冥哭の神殿の入リ口が見えた。ホーラは神殿
の入り口ではなく、その右の脇の方へと向かって歩いていく。
 そこにあったのは噴水だった。
 膝の高さほどの石壁で囲まれた一メートル四方の囲いの真ん中には、精巧な竜の彫り物
が設置してあり、その足元からこんこんと水が湧き出ていた。水の透明度は高く、ひんや
りとした水しぶきがぱしゃぱしゃと水面を跳ねていた。
「うわ、水だっ!」
 マリンは水を見て目を輝かせる。
 死都に来てから水筒の水ですごしていたのだが、もうすっかり空になっていたので困っ
ていた所だったのだ。
「昨日教えておくのを忘れていたのでな。死都の水源は二箇所。ここと庭園の中央にある
噴水だけだ。食べ物も無いわけではないが……」
 そういうとホーラは噴水の淵に腰掛け、水の中に手を突っ込んだ。
「コレ一種類が庭園に自生してるだけでな。人間も食べれる筈だ。食べるがいい」
 ホーラは水の中から取り出した何かをマリンに向かってヒョイと投げる。
「わっ……って、りんご?」
 受け取った物を見てマリンは首を傾げる。水に冷やされていたのは、リンゴの形をした
紫色の物体だった。どうやら果物のようだが、見た事無い物だ。
『なんだ?』
「わかんない。形はリンゴみたいだけど……」
 色はブルーベリーのような紫だ。
 まぁ、食べれるのなら、とマリンは一口かじってみる。
 食感は若干やわらかく、果肉は真っ白で、甘いクリームのような味が口の中に一気に広
がった。リンゴを想像して食べたせいで一瞬びっくりしたが、これはこれでアリだと、マ
リンは目を輝かせた。
「うあ! 美味しい! 何味か解んないけど……ほら、ガント!」
『…………ん、えらく甘いな』
 妙な食感と甘さにガントは眉を寄せつつも、一口、二口と齧っていく。おなかのすいて
いた二人はあっという間に食べつくしてしまい、その様子にホーラは満足げに笑った。
「まだいくつか冷えているから好きに食べるが良い。じゃあな、我は行く」
 そう言うとホーラは手を振り、神殿へ向かって歩き出した。
「ホーラ、何処行くの?」
「我は門の番人だ。月が満ちてくると門の隙間を抜けるヤツが増えるのだ。今また隙間を
抜けたヤツがでた。娘、お前は神殿には近づくなよ。それ以外は自由だ。好きに過すがい
い。我は行く」
「……行っちゃった」
『だな』
 神殿の中へと消えていくホーラを眺めながら、マリンは噴水の中からもう一つ果実を取
り出し口に運んだ。少々甘さがくどい気もするが、香りがココナッツに似ていて妙にくせ
になる味だ。
「ね、神殿の中ってどんなだったの?」
 興味津々と言った様子でマリンは目を輝かせるが、ガントはふるふると首を横に振る。
『ここよりも強い魔力で満ちていたからな、お前は無理だ。諦めろ』
「うぅ。今でも若干くらくらするし、くぅ、無理か」
 異界へ続く門のある神殿の中に興味はあるが、流石に無理だとマリンは諦める。
 それよりもやらなくてはいけない事がある。
「ガント、死都一周しよう。その後私は書庫で呪文の構築するの」
『呪文の構築?』
 口の周りについた果汁をペロリと舐めながら、ガントはマリンを見上げる。
「うん。私、<聖>のイリニ系のスペルは全然駄目だから、光のシールドの呪文を再構築
してもう少し性能をよくしようって思って。……ちょっと大変だけど」
『なるほどな』
「あの魔力の中だと私何にも出来ないもん。なんとかして一日で仕上げなきゃ」
『じゃあ、急いで死都一周を終わらせないとな』
「うん。……なんで死都の民があんな風になっちゃったのか、なにかヒントを探さなくち
ゃ」
 マリンの言葉にガントも深く頷いた。
『よし、行くか。……それにこれを片付けないと、元に戻ろうにも集中できなさそうだか
らな』
「え、そうなの!? …………それなら尚更なんとかしなきゃっ!」
 マリンは湧き出る冷たい水をたっぷり飲み干すと、ふんと気合をいれて走り出した。

 

     12

 廃墟と化した住居区、青い芝に覆われた庭園をぐるりと一周し、大階段の前にもどって
きたマリンは疲れた様子で階段に腰掛けた。
『大丈夫か、マリン』
「……うん」
 魔力に慣れたとは言え、平気な訳ではない。休み休み回っていたとはいえ思ったよりも
時間がかかり、気がつけばもう太陽は真上に来ていた。

 死都をまわっていくつか発見があった。
 庭園の中央最奥には<闇>の加護をうけた者だけが使えると思われる転送装置があった。
庭園の東の端、マリン達の入ってきた入り口の近くには例の紫の果実がなる木がいくつか
植わっていて、反対に西の端には荒く突き刺した石の柱が何本も立っている区画があった。
柱に刻まれた文字から、そこは死者を葬った墓だという事が解った。
 住居区でも幾つかの発見があった。
 死の寸前に住民が残したであろう走り書きが、住居だった壁に刻まれていたのだった。
それも一つではなく複数見つかった。それらの走り書きからはいずれも『病』という単語
があり、そして竜への感謝も記されていた。
「病気が流行ったのかな……」
『魔物ではなく病気だというなら、ホーラが無力だったと言った理由も解らなくもないな』
「うん」
 イリニ系の<聖>の呪文には病を治す魔法もあるとメディから聞いた事があるが、ホー
ラは闇竜だから<聖>の、ましてやイリニのスペルが使えるとは思えない。
 病で一都市が滅んだと言うなら、その病は相当強力なものだったのだろう。苦しみ抜い
て死ぬ事になるのだから、民が恨むのも分からなくも無い。だが。
「……でもそうなると走り書きの最後に書いてあった一文が謎なのよね。竜への、感謝を
伝える一文……」
 助けてくれなかったホーラを恨んで死んだのなら、感謝など書ける筈も無い。逆に恨み
を記した文章あるかと言うと、どの遺文を見てもそんな文章は全く無かったのだ。
「死者もちゃんと埋葬されてたみたいだったし……、埋葬されていた?」
 ふと引っかかり、マリンはピクリと眉を動かす。
「あれ、おかしいな。……確か師匠は『人は土に還らないと、彷徨える霊となる。悲惨な
死に方をすればする程に』って昔言ってた様な…………って、もしかして!!」
 はっとなるマリンと同時に、ガントもピクンと耳を立てる。
『…………マリン、あの霊達は……!』
「うん、まだ解らないけど……何とかなりそうな気がしてきた!」
 確信には至っていないが、何かを掴んだ気がしてマリンは立ち上がった。
「ガント、書庫に帰ろう! 私の魔法の知識じゃ足りない、きっとあの本の山の中にヒン
トがある筈!」
『あぁ、頼むぞマリン、魔法やなんかはお前の専門だ!』
「了解っ!!」
 魔力酔いした体に喝をいれ、マリンは走り出した。
 誰も居なくなった死都に、ふと影が揺れた。
「…………」
 影は二人を目で追った後、ぐにゃりと歪んで再び姿を消した。

 石室に入ったマリンは、直ぐに本の山に目をむけた。
 書庫に山と積まれた本のタイトルは様々で、『<闇>の精神への侵食』、『異世界の輪
郭』、『時に関わる魔法理論』、『複合属性魔法の応用』など、どれもじっくり読んでみ
たくなるような魅惑的なタイトルばかりだ。
 そんな本の誘惑に必死に耐え、マリンはそのうちの一冊を手に取りガントにバンと見せ
た。
『なんて書いてあるんだ?』
 古代文字の読めないガントは、突き出された茶色の革の表紙の本が何か解らず眉根を寄
せる。本は相当に分厚く、武器になりそうだという事くらいしかガントの頭には浮かばな
い。
「『異世界の輪郭』って本なの。ちらっと中を見たけど、コレでいい呪文が構築できそう
なの! ガント、……これでホーラを助けられるかもしれない」
 マリンは目を輝かせてぱっと顔を明るくする。マリンは魔法が絡むと、本当に生き生き
するのだ。
『……楽しそうだな』
「だって、私の魔法で誰かを助けられるかも知れないんだもん。こんな幸せな事ないよ!
……問題は、あるけど」
『何だ?』
 急に苦い顔になるマリンを見上げて、ガントは首を傾げる。
「……紫竜の爪の魔力が足りなかったら……魔石使わなきゃいけないの」
『なるほどな。……でもやるんだろう?』
「当然よっ! ガントを元に戻すヒント、くれたんでしょ? ホーラって、偉そうな感じ
だし、何があっても平気って顔してるけど、……あんなに優しいドラゴンなんだもん。魔
石のコレクションくらい、惜しくは……!」
(……とか言いながらひくついてるじゃないか)
 心の中で突っ込みつつも、ガントはそんなマリンの一生懸命さについ顔がほころんでし
まう。
『ほら、呪文を二つ構築するんだろう? 時間、足りるのか?』
「うわわ! 変な所に気を取られてる場合じゃ無かったよ! ガント、寝室借り切るね!
さぁ、集中して行くわよ!」
 マリンは気合十分で拳を突き出した。ガントはその拳に獣の手をぽんと重ねてこくんと
頷く。
「魔法使いの使いの意地に賭けて、最速で呪文を構築して見せるわ。二日で二つも構築な
んて……正直ありえないけど、何とかして見せるんだからっ!」
 本を片手に「じゃ!」と手を振って、マリンは水と携帯食料を拾い上げると寝室へと入
っていった。

『……さて、俺はどうするかな』
 古代言語も読めず、魔法にも詳しくないガントは何もする事が無い。
 ただただ満月の晩が待ち遠しく、そして一抹の不安と期待にそわそわと落ち着かない。
『……外にでも行くか……ん?』
 外にでも行こうと立ち上がったガントの目の端に、一冊の本がとまった。
(やけに古いな、というか雑に扱われていただけか?)
 本の山の隙間に無理やり押し込められた様に、紐で閉じられただけの本がちらりと覗い
ている。ガントは紐を爪で引っ掛けちょいちょいと引っ張り出すと、その表紙を見てぶっ
と噴き出した。
(なんだ? コレは)
 他の本と違い、皮の立派な表紙もついていなければ綺麗な文字でもない。
 表紙には棒人間の様な絵と、荒い手書きの表題がよれよれと書いてあったのだ。棒人間
の絵はいかにも投げやりで、子供が描いた様に見えるほどだ。いや、本当に子供が描いた
のかも知れない。絵の内容は、二人の人間が万歳しているその両端に太陽を模した絵と三
日月の絵が書いてあり、何を表しているのかはぱっと見ではまったく理解できない。
 一体何故こんな本が小難しい魔法書に紛れて存在しているのか、そこがどうも不自然で
ガントはまた噴き出してしまう。
『一応紐で閉じられているから本なのだろうが、コレは……ないな』
 マリンの邪魔になってはいけないと笑いを堪えながらも、何故か気になってページをめ
くる。いや、狼が本を見ているその光景も相当変で、アレイスあたりがこの場に居たら「
お前の方が変や!」とツッコまれたかもしれないが。
『それにしても……絵本のようだな』
 中に書いてあるのはやはり棒人間の絵とよれよれの文字だ。二人の棒人間は踊りを表現
しているのか、いろんなポーズで縦にいくつも描かれていた。こうなってくると逆に内容
が気になってくる。文字が読めないのが残念な気さえしてきた。
 そんな事を考えながら、ガントは絵本を見る感覚でページをめくっていく。
 が、半分過ぎた所でガントの手がぴたりと止まった。
『これは……!』
 二人そろって描かれ続けていた棒人間。その片方の人間が腕を上げている。上には月の
絵。下の絵に目を移すと、丸い頭に二つの三角、腰の辺りから楕円が付け足されていた。

 ――まるで獣化だ。

 違うかもしれない。だが、半獣人のガントにはそう見えて仕方なかった。
 そこから棒人間達はまた踊る様にいろんなポーズで描かれ、獣人のような棒人間の片手
には炎の様な物が付け足されていた。そして太陽の絵がどんと描かれた後は、棒人間の三
角や楕円が消え、普通の棒人間が二人万歳をして太陽に手を振っていた。その後も棒人間
達は再び踊りだし、だが、獣人だった棒人間の手には炎が残ったままだった。
『――まさか』
 ガントはもう一度最初に戻り、絵をもう一度見直す。
『もしコレが、踊っているわけじゃないのだとすると……』
 絵の流れを見ながらガントは棒人間の動きを追っていく。
『これは『戦っている』のか?』
 力の抜けた絵だが、そう考えて見ると、なにか組み手を表しているようにも見えなくも
無い。同じ動きをしてみれば何か解るのかもしれないが、生憎今のガントの体は人ではな
く狼だ。余計にもどかしくなってきて、狼はぐるると小さく唸る。
『……、待てよ?』
 耳と尻尾(?)が生えてからの絵をもう一度見返して、ガントはふと閃く。
『…………炎は戻っても手に残ったまま……か。……試してみるか!』
 ガントは本を咥えて立ち上がると、外へ向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 





















     13
  
「人間、やれば出来るものよーーー!」
 寝室から聞こえてきた叫びに、仮眠していた狼がビクリと目を覚ました。
「ガントっ! 構築成功! 間に合った!?」
 若干乱れたポニーテールを揺らして、マリンは寝室から書庫へと滑り込む。その反動で
積んであった本がいくつか倒れたがマリンはそれを素早く直すと眠そうな、でも興奮した
様子でガントに振り返った。おそらく徹夜で構築していたのだろう。目の下にはくっきり
とクマができていた。
『今、三日目の夕方だ、ギリギリ間に合ったな』
「っしゃ! 後はぶっつけ本番でやるしかないのよね。何回も見直したから構築のミスは
無いだろうけど、結構規模が大きいから大変かもしれな……」
 そう言うと、マリンはガクンと大きく揺れ、ビクンと再び顔を上げた。
『少し寝ろ。まだ夜までは時間がある』
「ら、らじゃ。でも、これだけは……やってこないと……」
 マリンの片手には手帳の切れ端があり、そこには走り書きで数箇所の場所の名前が書い
てあった。
『何をするんだ?』
「この場所に、この砕いた魔石を置いてこなきゃなの……。軽い儀式呪文みたいになる…
…から」
 ガクガクと揺れながらマリンは焦点の定まらない目で握り締めた手を突き出した。
『置いてくるだけなら俺がやってこよう。ほら、寝ていろ。どうせ事が始まったら嫌でも
目が覚めるだろうしな』
 霊達が騒ぎ出せば、死都が揺れ、<魔>の魔力が衝撃波のように死都を駆け抜ける。
 マリンはこくこくと頷きながら紙と砕いた魔石をガントの前に出した。ガントは手甲を
僅かに変形させて、魔石を掬い取るように受け取った。マリンはそれを確認するとそのま
まその場で眠りだした。
『……だから、ベッドで寝ろと言ってるだろうが』
 ガフゥ、とため息をつきながら、ガントは毛布を咥えてきてそっとかけてやった。
『……さて、何処に置いてくれば良いんだ?』
 メモには死都の6箇所に置く、と書いてあり、大階段の中央前や転送装置の前など死都
を大きく囲むような指定になっていた。

「お前達。何を企んでいるんだ?」

 石室の扉の前に、金髪の男が立っていた。
『さぁな。マリンが何を閃いたのか俺には解らない。貴方には見えるのでは? ホーラ』
「さぁな」
 ホーラは金色の瞳を爬虫類のように変化させ、取り澄ました顔で狼を見下ろした。
「……死都にでかい魔方陣でも敷く気か? 余計な手出しは無用だと言った筈だ」
 いかにも迷惑だと言った様に、ホーラは眉根を寄せる。
「全く。アークと言いその娘と言い、ありがた迷惑なヤツらだな。……勝手にしろ」
 フン、と鼻を鳴らし、男は壁にもたれかかった。
『勝手にさせてもらうさ』
 狼はブルルと身を震わせると、銀色の尾を揺らし男とすれ違う。
「今宵は満月だ。……試す気か?」
『……当然だ。あの悪魔と対峙するよりはずっとリスクは低い』
「…………成功する確立は低いといった筈だがな。あの娘を泣かせるのか?」
『乗り越えて見せるさ。…………越えなければいけないんだ』
 狼はそのまますれ違うと、尾をばさりと振って外へと向かっていった。

 男は半眼を床で眠る少女に向け、もう一度鼻を鳴らす。
 毛布をかけられた少女は幸せそうな笑顔でむにゃむにゃと夢の中だ。
「……まさか、あのアークが弟子をとるとはなぁ? あの寂しがりやめ。我らの約束を違
えるとは一体どういう事なのだ」
 眠る少女を抱きかかえ、ホーラは寝室へと運ぶ。
 数百年ぶりに抱えた人間は、妙に軽く感じられた。
 少女をそっとベッドにおろし、ホーラは軽く毛布をかけ直す。
「がんと……」
「っ!?」
 少女の手が男の手に触れる。
 男は手を引こうとしたが、少女は切なげな表情で男の指を握った。ほんの少し戸惑った
後、男は手を握り返した。それに安心したのか、少女の表情は緩み、力の抜けた指は男の
手を離れた。
「……何故ディファーは悲しい運命を辿るのだ。あいつらだってそうだ。なぁアーク、封
じてもこれではお前も辛いだけではないか。そろそろ諦めて天に還ればいいものを」
 石室を出て、ホーラは大階段を上がる。
 冥哭の神殿の前に腰をおろし、自分の護り続けてきた都を見下ろした。

 綺麗だった白い家々は今や崩れた廃墟だ。
 空中庭園と謳われた庭園は、あまりに濃い<魔>の為に花も咲かなくなってしまった。
 民が滅び、死都となってまで、それでも護るには理由があった。
 グレインとの約束もある。
 だがそれ以上に。
 メランの民達は、この都を愛して、そして護り続ける事を望んでいた。
 戦う事しか出来ぬ主を、何代にも渡り慕い続けてくれていた。
 そんな民は竜の誇りだった。
 アランカンクルスは竜の誇りそのものだった。

「我も……我もあやつとなんらかわらないのかもしれん」

 ギシリ、と体が軋む。
 表情一つ変えないが、ホーラの体力は相当消耗された状態だった。
 常に門を見張り続け、それに加えて夜は繰り返し霊に苛まれる。
「もう少し、生きていなければ。グレインとの約束を、果たすまでは」
 彼との約束さえ果たせば、後はこの死都で朽ちればよいと、ホーラはそう考えていた。
 竜は死都を見下ろし、沈み往く夕日に金色の瞳を重ねる。
 日が落ちれば、死都は闇に包まれる。
 死者の嘆きが、また竜を責めるのだ。

「我には……アレを消す事などできぬのだ。アレを否定などできぬのだ。アレがたとえ…
…」

 日が沈み、宵闇のベールが死都を包み、そして何処からとも無く、苦しみもがく声が響
き始める。<魔>が一気に深さを増し、それは衝撃となり竜の仮の姿を吹き飛ばした。

「……今宵は満月。あの娘を泣かせれば我もアークに責められるだろうな。難儀な事だ。
せめてあの狼が集中できるように、アレらを……民をひきつけておかねばな」

 宵闇の竜は翼を広げ、大きく羽ばたき空を舞う。

「我はココだ! 気が済むまで思いをぶつけるがいい!!」

 姿を現した霊達が一斉に赤い視線を黒い竜に向け、一気に竜へと向かう。
 夜空を覆い隠すほどの黒い影と死者の慟哭、唸る<魔>の魔力は今宵も死都を揺るがし
始めた。

 

 
  第二話・3へ戻る        第二話・5へ進む    
   


もどるー TOPへゴー