Last Updated 2016/12/7
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【12月7日】 NHKの夜9時からのニュースで「君の名は。」「この世界の片隅に」「映画 聲の形」といった長編アニメーション映画が取り上げられいた。つまりはSNSなんかでの口コミで広がった人気が、さらなる人気を呼んで観客を集めて盛り上がっていったといった内容。それは確かに言えることで、日刊ゲンダイも同じような口コミでの賑わいを一方に掲げ、事務所の問題を不安視して紹介しなかった民放キー局をイジりつつ、大宣伝したってちっとも稼げない日本映画なんかにも触れつつ、良い作品だからこそ口コミでもちゃんとお客さんが増えていくといった、確かにそうだけれど言ってしまうと身もふたもない話を書いていた。

 それは日本映画に挑戦的な言説も少なくない前田有一さんがコメントを出していたからそうなった感じもあるけれど、NHKの方は「日経エンタテインメント」なんかで編集長を確かしていたヒゲのおじさんがコメントを出していて、普通の人が好む話もアニメで描けるようになったって離していてピクっと反応した人多数。だってそんな普通の人が観て楽しいアニメーション映画なんて昔からあるじゃん。でもアニメーションはマニアのものだってレッテルを貼って、自分たちとは関係ないもの扱いして紹介しなかったのは誰なんだって話。つまりはメディアのあなたたちってことで。

 というか、一般の人が観て楽しめるアニメがあったって事実は、宮崎駿監督や高畑勲監督といった人たちが手がけたスタジオジブリの作品が、あれだけヒットしていたことからも明らかで、そこでアニメーションそのものの意義を訴えればいいところを、分かりやすい方へと逃げてジブリブランドだからこそといった感じに持ち上げ、他を無名にしてしまい誰でも見られる作品をオミットした挙げ句にジブリがなくなって、フックを見失って取り上げるに取り上げられない状態に陥っていただけじゃんかと、そう思わないでもなかった。

 そんなジブリ以外は存在していないような雰囲気を、口コミと丁寧なコミュニケーションで繋いできた新海誠監督が打破してアニメーション映画の存在を世に喧伝し、「映画 聲の形」もそんな勢いに半ば乗っかり続いてそして、高い作品性で人を集めて20億円を越えるところまで到達した。一方で「マイマイ新子と千年の魔法」の悔しさをバネに密なコミュニケーションを育ててきた片渕須直監督の努力も奏功し、「君の名は。」効果も乗って「この世界の片隅に」も大きくハネようとしている。そんな作り手とファンの頑張りから遠いところにいた大メディアの偉い人から、分かったように一般にも受け入れられるアニメがやっと作れるようになったんですよーとか言われると、それをお前さんが言うのかと、思わないでもなかったり。

 なるほど耳に聞こえよくまとめられてはいるものの、やっぱり名のある監督で良い作品も作ってきた人たちを、無名に押し込め存在を消した果てに2016年になって初めて発見されたかのごとくに言うのは、この10年ほどに作られた多くの素晴らしい庵メーション映画に申し訳がない。なのでジブリの低調からこっち、アニメーション映画の存在を見せてファンの思いを繋いできたアニメーション映画を思い起こして、みんな観ようと訴えたい。筆頭はやっぱり原恵一監督の「百日紅−Miss HOKUSAI−」と宇田剛之介監督の「虹色ほたる〜永遠の夏休み」かなあ。あとは「ハル」とか「ねらわれた学園」とか「伏 鉄砲娘の捕物帖」とか「REDLINE」とか。もちろん「RWBY」シリーズも。最後のそれは目下上映中なので行こう劇場へ。

 大賞の人が来ないとやっぱり締まらないのは表彰の常って奴で、「新語・流行語大賞」が受賞者の来そうな言葉に賞を与えようと議論したり入れ替えたりしたのも分かるけれど、それでもとりあえずりゅうちぇるさんに欅坂46に藤原さくらさんが来ればワイドショー的にはりゅうちぇるさんで繋げるから良いのかも。去年くらいに出始めて今年一気にブレイクしたりゅうちぇるさんは、来年以降にどれかで出られるか分からない中で今を精一杯に仕事しているって感じ。だから来てくれたのかどうなのか。でもライバルが志茂田景樹さんってなかなか口が達者だなあ、確かに似ているけれど、知っている世代なんて結構上。そうした層にも響くキャラクターになっていくのかな。

 プロダクトカテゴリーでは家電部門でプレイステーションVRが受賞していてやっぱりなあ、といった感じ。会場に置いてあったんでつけたらもう軽いははめやすいわで、出回っているVRヘッドマウントディスプレイの着けづらさとそしてピントの合わせづらさを思うと、さすがに家電レベルの品として出してきただけのことはあると感心する。プレイステーション4とセットで使わないと意味がないって部分はあるけれど、それはHTC ViveだってOculus Riftだって同じ事。スタンドアロンで使えるスマートフォン挿入型がやっぱり映像の面で劣るなら、家電として使えるレベルになったプレイステーションVRが今のところの最高峰に位置しているって言えるかも。ちょっと欲しくなってきた。でもやっぱり高いかなあ。

 そんなプレイステーションVRを体験している人が。ってさっき壇上でトロフィーを受け取っていた人だった。同じプロダクトカテゴリーで「お取り寄せ部門」を受賞した「格之進メンチカツ」を作っている門崎という会社の社長さん。間に入ってPRしている人が前から知ってた人だったんで紹介してもらい離していたら、その一流シェフがお取り寄せしてでも食べたいと行ったメンチカツを食べさせてもらった。衣が肉と重なり混じり合うような感じで分離せず、そして肉もぼろっと粒感があって肉食べてるって気になるという。冷めて油が浮かばず口中をしっとり潤し、そしてふわっと漂う塩麹、といったものらしい。なるほどこれは美味しいわ。1個300円くらいなら普通に出して食べても良い。ハンバーグとやらもあるそうで、美味しそうだけれど家で調理ができないからなあ。食べさせてくれる店があれば通うんだけれど。

 ソニー・コンピュータエンタテインメント改めソニー・インタラクティブエンタテインメントが4月に設立していた、プレイステーション向けゲームなんかのIPを使ってスマートフォン向けゲームアプリを作る会社のフォワードワークスがいよいよ本格的にタイトルを投入してくるそうで発表会に。とりあえず「どこでもいっしょ」と「パラッパラッパー」と「ぼくのなつやすみ」あたりが出てきてそして、「ワイルドアームズ」に「アーク ザ ラッド」といったタイトルも登場するみたいで、そうしたのが直撃した世代は懐かしいかもしれないけれど、家だからこそやり込んだRPGをスマホでどこまで遊ぶのか、ってあたりは悩ましいところ。それでも引きつけるからこそチェインクロニクル辺りはずっと人気になっている。そういう現代ならではのスマホってプラットフォームに向けた仕掛けがあるか。それが売れ行きを決めるのかも。

 一方で「みんなのゴルフ」をスマートフォン向けにした「みんゴル」なんかは分かりやすいから大いに賑わいそう。プレイステーション向けがプレイステーションポータブル向けになっても面白さは変わらずやり込んだゲーム。指でひっぱり離すようなプレーが可能ならより使いやすくなっているかもしれない。1ホールだって数分で済むなら電車の合間に楽しめる。時間制限もないからボールを置いたままちょっと休憩だって可能だろう。そして内よりゲームそのものがゴルフなんで分かりやすい。出れば結構行くだろうし、個人的にもやってみたいけど手持ちのタブレットのスペックじゃあキツいだろうなあ。「ポケモンGO」なんて未だに1匹しかモンスターを捉えられず、あとはずっと処理落ちを繰り返しているし。

 そんな市場にあの男が戻ってきた。「サクラ大戦」を世に送り出しほかにも数多のゲームソフトをプロデュースしてきた広井王子さんが、フォワードワークスでもって1本、宇宙漁師のゲームを作るらしい、ってなんだ宇宙漁師って。海での漁業ができなくなったんで、遠く宇宙にいけすをつくって漁業をするようになった世界で、宇宙漁師の女の子達が登場していろいろ動き回るゲームって事になってるらしい。舞台は広島県尾道市で、地元との連携もしっかりとっていくとのこと。ただの育成でもなく普通の職業物でもない、どこか捻りがあるけど基本はストレートなゲームってことで、やってみたい気もするしそうでない気もしないでもないし。どっちなんだ。しかし広井王子さん、ちょっと額が広くなっていたなあ、今いったい幾つなんだろう。

 額が広くなった、って程度なだ加齢の具合を婉曲的に示唆したものとして受け止めてもらえるかもしれないけれど、ハゲ頭だとか白髪だとかいったともすればそう言われることを悪口ととらえることも可能な身体的特長を論う言葉を、記事に入れ込んで見出しにも使って平気な自称するところの全国紙とその記者がいたりするところに、この国の言論空間の衰退って奴を感じてしまう。いやその自称全国紙だけの話かもしれないけれど、それでもそうした酷い言葉を良く言ったと讃える人の結構居る状況はやっぱり拙い。ネットのキュレーションサイトがパクリだとかで問題になっているけれど、下品な悪口やらすれすれのヘイトやらを公器とかが平気で発してそれに呼応する人が大勢いることの方がよっぽど影響もデカいいしヤバい。そう訴えたところで聴く耳も持たないからなあ、そこん家は。やれやれだ。


【12月6日】 まだ公開もされていない新海誠監督の「君の名は。」が全米で人気になっててアニー賞にノミネートされロサンゼルスの映画批評家協会賞でアニメ部門を受賞して、どうやって観ているんだろうと気にもなりつつ観れば分かる面白さがあるんだろうと納得しつつ、“本命”とも言えるアカデミー賞での位置取りが目下の注目といったところ。そんな「君の名は。」に続いてこれからきっと北米に出て行くだろう片渕須直監督の「この世界の片隅に」が、こと太平洋戦争においては日本と立場を正反対にする米国でどう受け入れられるかという部分がやっぱり気になって仕方がない。

 片渕監督はインタビューなんかで多少の説明は必要かもしれないけれど、どこの国にも共通の日常というものがあって、それが戦争のようなもに浸食されていって、けれども人は毎日を懸命に生きていくといった普遍の主題がそこにあるから、きっと大丈夫じゃないかといったことを確か話してた。それでもやっぱり残る、原子爆弾という兵器の存在。使われた日本が被害者を装ってもその原因は日本の軍部にあったと言われ、そして何十万人もの人が死んでしまった哀しみを問おうにも、それで戦争が早く終結して多くが死なずに済んだ可能性を挙げられスタンスがぶつかり合ってしまう。

 毎日新聞の小国綾子さんもそんな心配を抱いていたようで、12月6日付けのコラム「発信箱」でかつて同じこうの史代さんの漫画「夕凪の街 桜の国」に感銘を受け、その英訳版を持って渡米したけれど、相手に分かってもらえるかどうかに迷い、原爆投下の責任の所在をめぐる日米のスタンスの違いも分かっていただけに悩んで、結局英訳本を誰にも見せられなかったと振り返る。そんな後悔に似た気持ちも覚えつつ、観た「この世界の片隅に」に「これならわかってもらえるかも、と希望を感じた」と書いている。自分の居場所を探そうとしてがんばる人たち。笑ったり泣いたりして生きている、そんなささやかな日常が戦争によって踏みにじられてしまう残酷が、自然と感じられるこの映画なら「世代や国境や文化を越えて心にまっすぐ伝わる気がして」。そしてもし、米国の友人が映画を観てくれるなら、今度こそ勇気を出して言い添えようとも書く。

 「巨人が好きだった私の祖母は入市被爆者で、72年目のこの夏まで、102歳まで生きたんだよ。あの日はこんないも、今と地続きなんだよ、と」。日常があって非日常にすり替わって苦労して、悲劇に見舞われながらも生きて生き抜いてやって来た現在から、振り返って遡って感じられるあの時代、あの空気。それは誰にもあること。そんなタイムトラベルに導いてくれる映画だと、過去の誰かの日常と非日常に思いを馳せさせてくれる映画だと、思って観てくれるだろうか。大丈夫だろう。そう思いながらいつか来るその時を待とう。それにしてもよく生きていてくれた102歳。あと少しで「この世界の片隅に」を観て、あの頃に気持ちを戻せたんだと思うと寂しくなる。身内でも何でもないけれど、謹んでご冥福をお祈りしたい。

 日本では来春の後悔らしいアニメーション映画「SING/しんぐ」にきゃりーぱみゅぱみゅが歌う楽曲が採用されたそうで、日本向けのアレンジではないその自体にやっぱりワールドワイドに知られた歌でありアーティストなんだなあといった実感を抱く。だって「にんじゃりばんばん」だよ、それが別に英語にもならずにキャラクターとして登場するアライグマか何かのユニットが歌ってる。ほかにも「きらきらキラー」と「こいこいこい」ってそれぞれにタイプの違う曲も採用されているそうなんで、どこでどんな感じに使われるか今から楽しみ。「きらきらキラー」は結構アップテンポで賑やかで明るい曲なんで、そいうう場面で使われキャッチーな印象を観客に残すと嬉しいかな。日本版で差し替わるなんてことはないよな。

 去年は歩き回る恐竜に噛まれた記憶があるテーマパークEXPOを見物に東京ビッグサイトへ。何かの一角で行われいたものが独立したって感じで、そこに劇場のプロモーションもするイベントもくっつけて東京ビッグサイトの西館(にし・やかた)4階の半分くらいを使って繰り広げられていたんだけれど、そんな狭い場所でなぜかジェットコースターに乗りハンググライダーで空を飛び風船を手にして空中に上がって「太陽の塔」の周りを浮遊し、さらには腕から炎を放ってモンスターやドラゴンを倒すことができあ。あとはスキージャンプか。まともにやれば場所も時間も金もかかるそれらの遊びを、居ながらにして、そして割としっかりと体験させてしまうのが、VRでありARの醍醐味だなってことを強く感じさせるイベントになっていた。

 本来だったらもうちょっと、遊具とか関連施設のイベントになるはずなのが、今はそれが時代ってことでその筋では大手の泉陽興業が「VRビークル」っていうレールの上を船みたいなのが前後して、その上にある動く椅子に座ってVRヘッドマウントディスプレイを着けると、思いっきりジェットコースターに乗って上がって落ちて曲がって回転して振り回されて花畑を抜けるといった体験ができてしまう。メディアフロントジャパンのブースでは、前にCEATECで見かけたハンググライダーのVRがあって、板に寝そべってバーを握って前を向くとそこには空中が広がりマグマの上を越え洞窟を抜け峡谷を通って海へと出るまでを体験できる。

 ポニーキャニオンではこぶしをつきだし炎を出してモンスターを倒すAR。これはナンジャタウンで遊んだゴジラを倒すアトラクションを同じ動きで、コンテンツを変えていろいろなところで導入を進めているらしい。あとは超人スポーツのカメハメ波みたいな奴とか。テレビ朝日系の会社もスキージャンプとか、車でサッカーをするとかいったVRを出していた。テレビ局系なのにそいした新しい技術へもしっかり興味を見せてる感じ。だったらフジテレビは、って探したけれども見当たらない。大層な会社をアライアンスを組んだ割には出てくるものが乏しいのは、ハイセンスにこだわって何も生み出せないからなのか。分からないけれどもベタでも面白そうなものを出して名を挙げイニシアティブを取るのが勃興期ってのは何より大事。そのコンテンツ力と財力を生かしてフジテレビにもがんばって欲しいんだけれどなあ。どうなのかなあ。

 真珠湾に行って慰霊することが明らかになった安倍晋三総理大臣。オバマ大統領が広島へと来たという状況を鑑みるなら、その返礼もかねて行くのが筋ではあってこれでちょっとだけわだかまりも抜けそうな気がするけれど、それを過去の清算ではなく雲散霧消に使いたい勢力もいたりして、その親玉に担がれている節もあるだけに反発も残るかもしれない。オバマ大統領側が止めるのも聞かずにトランプ次期大統領のところを訪問するとか外交儀礼に思いっきり反したこともやってしまったし。その失地回復もあるのかないのか。いずれにしても「戦没者のご遺族の冥福を慎んでお祈りします」とか言って大顰蹙を買わないことだけは切に願いたい。やりかねないからなあ、あの総理とその取り巻きは。

 メディアの人間であってもそのメディアの上ではない、個人のフェイスブックに書いたことで名誉毀損だと訴えられて1100万円もの損害賠償を請求されたことも異例なら、一審と二審でともに敗訴して110万円って決して安くわない賠償金を支払うよう命じられたことも異例。そんな状態に置かれたならたとえ最高裁が残っていたとしても、状況として自分が悪かった拙かったと認めるのが物書きとしてジャーナリストとして当然の態度だし、そんな人間を論説委員で編集委員といった立場から動かすのも所属するメディアの当然の処遇なんだけれど、当然が通用しない場所なのか、当人は最高裁まで戦うと息巻き所属しているメディアも何か処分を下す感じがない。まあ過去にやっぱり名誉毀損で敗訴しながら順調に出世を重ねたところだけに、身内に甘いといったレベルではない何か暗黒の了解があるんだろう。真っ当な人が触れると全身が焼けただれるような。怖いなあ。恐ろしいなあ。


【11月5日】 おそるおそる触れて撫でようとして手を引っ込める感じの民放と違って、NHKでは片渕須直監督によるアニメーション映画「この世界の片隅に」を、主演声優ののんさんのことも含めて普通にプッシュしているようで、「あさイチ」の中でニュースとして今、ネットの口コミなんかで盛り上がっている作品として紹介しては、池袋のHUMAXに見に来ていた観客に尋ねて何が良いかを話してもらい、そして舞台挨拶に来ていた片渕須直監督からも話を聞いて淡淡とした展開の中に自分たちがいろいろと自分なりの考えを持ち込んでいける作品であることを感じさせ、押しつける部分も脅かす部分もないまま、自然体で身にいける映画だってことを知らしめていた。

 観て観客もそれほど流行っているならと考えたようで、午前11時から上映が始まる丸の内TOEIには開場前の午前10時半過ぎにすでに観客が何人も並んで待っていた。都内では新宿テアトルが連日満席で立ち見だけになっている一方で、池袋とか渋谷のユーロスペースなんかはまだ席があったりもしたけれど、こうやって新しい劇場が増えてもなお番組での紹介という後押しもあって動員が伸びて席も埋まってきている様子。それが証拠に興行通信の週末興行ランキングで「この世界の片隅に」は動員数4位となり、公開されたばかりの「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」や「RANMARU 神の舌を持つ男」とかを上回った。

 100館に満たない上映館数で始まって、初週が10位でそれだけでも一種の快挙であとは下がっていく一方かなあなんて思ったりもしたけれど、翌週も10位に踏みとどまってそれだけで奇跡に近かったものが、次の衆院は6位まで上がるという奇跡以上の何かを見せて世間にこれは何だといった印象を植え付けた。そしてさらに上がっての4位はもはや映画興行の世界ではありえない事態。それこそニュース速報として打電したって不思議はない事態なんだけれど、民放各局はそうしたニュースとしか言い様がない事態すらもスルーしてのけるんだろうなあ、何かのために。視聴率だって稼げるニュースであるにも関わらず、別の何かに配慮するそのスタンスが公器たるメディアを担うに相応しいか否か。答えは視聴者が遠からず出すだろう。

 そんなランキングで2位の座をキープした「君の名は。」がいよいよ興行収入で200億円近くまで来て、宮崎駿監督の「ハウルの動く城」を抜いて「千と千尋の神隠し」に続く歴代の第2位に入ってきたとか。さすがに300億円を突破している「千と千尋の神隠し」を抜くのは無理だとしても、ずっと宮崎駿監督しか居なかったアニメーションでの興行成績上位独占を新海誠監督が崩したことがひとつの快挙。専門のアニメーション制作会社で修行を積んだわけでもない、それこそインディペンデントな制作体勢から出てきた人が15年ほどで引退をしている宮崎駿監督をのぞけば現時点で日本でのトップアニメーション監督に躍り出た。これもまたニュース速報級の快挙で、いったい今年のアニメーション界に何が起こっているんだ、それより日本の映画界に何が起こっているんだって検証が待たれる。

 いやずっと新海誠監督と片渕須直監督うの活動を見て来た目には、遅すぎるくらいの状況ではあるんだけれど、世間が宮崎駿監督だけではないアニメーション監督の存在に気付き、口にするようになって来た流れのひとつの帰結として、例えば細田守監督であったり原恵一監督といった名前を経由して新海監督、片渕監督の作品が認知され関心を持たれ観客に観られていった、その結果がこの状況に現れているんだろうなあ、おそらくは。これでロサンゼルスの批評家協会賞を新海誠監督が受賞した勢いで、米アカデミー賞にノミネートされるなりアニー賞を受賞するなりすればさらに盛り上がりそうだけれど、そっちは原恵一監督の「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」に譲って欲しいなあ、っていうかまだ公開されてない映画がどーして賞に絡んでくるんだろう。そこがちょっと不思議。今年じゃないと来年は「この世界の片隅に」に持って行かれると思い急いだんだろうか。

 遠い昔にネット評論の偉い人が持ち出した「キュレーション」って言葉にいったいどういう意味で使っているんだろうと考え、もしもそれが図書館の司書や博物館の学芸員のように豊富な知識を持ち、そして職務への誇りも持って情報を価値付けし、整理して世に提示するのと同様に、ネット上にあるさまざまな情報を選び抜き、価値付けした上で自らの名前なり責任のもとに世に問うようなものだったら、それもまた「キュレーション」と言えるかもしれないとは思ったものの、どうも状況はネット上にある興味深げな情報を、コメントをつけてツイートする程度のことで、その情報が果たして間違っていたものであった場合に、拡散してすいまんせんといった責任を取る覚悟があったかどうかが妖しげで、単純に面白げな情報を面白げに紹介して、自分へのアクセスを稼ぐような雰囲気が当初からあったような印象。

 そして個人としてのキュレーションを、企業が「メディア」として行うようになるに至って、ネット上にあるさまざまな情報をまとめて載せて自分たちへのアクセスを稼いでそれで儲けるだけになった感じ。それを「メディア」と言えるかというと、「媒体」という意味合いではメディアであっても、古くからある題字なり番組名なりのもとに編集権を持ちつつ掲載した情報への責任も担保していくといったスタンスはなく、自分たちはただまとめただけで責任は元記事の方にあるといったニュアンスすら漂わせていた。それがたとえ剽窃であっても。無断使用であっても。

 それが世間受けを狙った情報であった段階ならまだ、便利なサイトとして使っていられても、命とかに関わる医療情報となってしまった段階でこれは拙いといった声が起こって問題化し、一気に燃え上がってそれが無断使用も平気、だってまとめているだけなんだから的なスタンスが日常化していたキュレーションメディアとやらに飛び火して、大炎上したってのが昨日今日の情勢か。他人のふんどしで相撲を取るのがそもそも間違いだろう、っていった真っ当な声すらかき消し収益を上げて堂々とお天道様の下を歩いていたのが、高まる批判にもう耐えきれないといったところで続々とサイトが消えていく。復活させようにも1度ついたネガティブな印象を覆すのは難しいだけに、あとはちゃんとした情報をしっかり集めて載せていく、名実共に「メディア」となったサイトだけが生き残っていけるのか、それだと儲からないからとやっぱり転載だけの“キュレーションメディア”とやらが幅を利かせて生き残るのか。今が分水嶺にあるって言えそう。

 悩ましいのは、運営者側に本気で旧来型の「メディア」を立ちあげようって意識が乏しいことか。まとめサイトとして名を馳せたNAVERが、いよいよ無断転載上等のキュレーションメディアからの脱却を狙おうとしているけれども、偉い人自身が自らコンテンツを作るのはキュレーションとは言えないとかいった意識を持っているそうで、借りるなりパクるなりしてまとめることが真っ当なお仕事だって認識し、情報をゼロから作り上げることへの敬意をあんまり払ってないように感じられる。DJとかなら元の楽曲へのリスペクトを持ちつつ、自らのクリエイティブにもプライドを持って挑んでいるだろう。でもキュレーションメディアがそうしたまとめる行為自体にクリエイティブのプライドを持っていないとするならば、以後もタダ情報を引っ張ってきて並べてまとめてキュレーションでございとやって行きそう。

 転載したなら元の情報主に還元する? それならコンテンツを作った人に9割くらい与えてキュレーションは手数料を得るくらいのビジネスモデルじゃなきゃ情報の作り手は納得しないだろう。自分たちが配信してやってるんだから多く取ってあたりまえ。そんな意識でこれからも行くならいずれ行き詰まる。って思いたいけどキュレーションがこれだけ蔓延ったのは利用するユーザーも大勢いたからだからなあ、タダで楽に情報が観られればそれが転載だろうと剽窃だろうと気にしない。そういう人たちの存在もあってこれからもキュレーションメディアとやらは跋扈していく。そんな気がするけれども、さてはて。


【11月4日】 小指の先ほどの自尊心を過剰に信じては大言壮語を吐いてはみても、うまくいかずに失敗をして挫折もすると途端にひ弱になって逃げ腰になって一歩も動けなくなってしまうへたれっぷりが見ていて苛立つ我聞悠太だけれど、そんな超ネガティブな場所から何かを得て突破口を開いて物語を結末へと導いていってくれると信じて見ていれば、そのとおりになって偉いぞ悠太と褒めてあげられるんだろうか、それともへたれのままなんだろうか。一方で刑事の森塚駿はどこまでもポジティブで過信を自信に替えつつ裏付けも持って事にあたるタイプ。それがにっちもさっちもいかなくなった時に食らう挫折にもちょっと興味がある。そんな「Occultic;Nine −オカルティック・ナイン−」。

 でもさすがにへたれが過ぎるのか、謎の脳天気巨乳少女にすぎなかったりょーたすこと成沢綾歌が本性を現した感じ。そういえば彼女は別に256事件で死んではおらずかといってその出自が明らかにされた訳でもなく、オカルトサイトの「キリキリバサラ」を作る我聞悠太のそばにいたってだけ。でもそれには理由もあっただろう、それがいよいよ明らかにされるのか。その目的は、って辺りからさらに面白くなっていきそう。占い師の紅ノ亞里亞も同人漫画家の西園梨々花も出てこなかったけれどどこかで何かをやっているんだろう。そんなメンバーが結集して起こる事件の謎解きと、そして時間に挑むような大仕掛けを期待して見続けよう。あとは澄風桐子のタイツとか。眼鏡とか。ファッションと雰囲気だけならピカイチなんだけどなあ。

 「Vivid Strike!」も見て拳で語り合う少女たちって良いなあと思ったかというとそうでもあるしそうでもないし。っていうかあのガチな戦いに割っては入れる男子なんていないだろう。きっとそういう世界観。少女たちの方が魔法が使えて格闘センスもあって世界を唸らせる戦いを繰り広げられるという。そんな設定の上で結構な実力を持ってのし上がったリンネ・ベルリネッタが孤児院ではずっと上に仰ぎ見ていた親友のフーカ・レヴェントンを見下さざるを得なくなってしまった過去がだんだんと吐露され、そんな言葉の応酬の中で拳もぶつけ合ってしだいにわだかまりが解けていくと良いんだけれど、そういう展開まであと一歩。勝ったのはどっちだ。どっちでも嬉しいけれどここは格闘技の先輩ということでリンネに勝たせてあげたいなあ。ベルトもあげて自分を取り戻して欲しいなあ。

 もう第2章の公開が始まったと聞いて慌てて「CYBORG009 CALL OF JUSTICE」の第1章をバルト9まで観に行く。シアター1はそんなに広くはないけれども全席がほぼ埋まっていて、同じ最前列にも人が並んで見上げるように鑑賞。そして始まった映画は……2012年の「009 RE:CYBORG」から4年も経過してどうして輪郭線がギザギザになったり、キャラクターとか物体とかの描線が時々途切れたり消えたりしてそしてまた現れるような映像を見なくちゃいけないんだろう。それこそリアルタイムでレンダリングして描画しているようなゲームだったらそういう処理落ちもあるけどインタラクティブなゲームだから気にせず遊んでいける。でもこれは映画だ、それで固定された映像が時々切れたり掠れたりして作り手として気持ち良いのかとちょっと思った。

 何も実写と見間違えるようなハイクオリティの映像に驚かされた「KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV」のようになれとは言わない。あれはゲームの開発の副産物みたいなものでかけられるお金も時間も違っている。でもせめて「RE:CYBORG」でたどり着いたフル3DCGなんだけれどアニメーションっぽい雰囲気もあって、それでいて2Dライクというよりはやっぱり3Dな奥行きも持っている映像を基準として、そこから下がるようなものにはなって欲しくなかった。ストーリーがドバイを核攻撃で失った後の世界で、そしてグレート・ブリテンがMI6で働きジェット・リンクもCIAと関係があったという設定を引っ張るなら、クオリティも同等のものであって欲しかった。

 でもそれはかなわずキャラクターの雰囲気がどこか平板で、かといってポリゴンピクチュアズが「亜人」とかで見せたようなぐにょぐにょ動くけどクールでスタイリッシュなものでもなくって、3DCGの人形をやっと動かしてみせました、って感じになっていた。コーデリアっていうジャーナリストなんかは同じパンツスーツ姿の「亜人」のマイヤーズさんが醸し出していた妙な色気にあんまり及んでいなかった。下着のラインが浮き出ないとかそういう話でもあったりなかったりするけれど(あったりするのか)、でもやっぱり書き割り的。とはいえ同じ女性キャラクターのフランソワーズ・アルヌールは表情とか仕草とか好みな感じに描かれていたから、力の入れ用の差でもあったんだろうと想像する。方やヒロインでこなたゲストキャラじゃあ差が出ても仕方が無い。

 そんな映像のクオリティに比してストーリーはどうかというと、これも正義の味方から引退したいと願っても入れられず、ギフテッドという異能を持った不老不死の集団に襲われ否応なしに戦いに巻き込まれていくサイボーグ戦士たちの哀しみを描いたという点では良かったけれど、そんなサイボーグ戦士たちの居場所を一介のジャーナリストだけがどうして見つけられたのか、彼女だけがどうしてMI6もCIAもたどり着けなかった存在に気がついたのか、ってあたりの無茶がちょっと気になった。いくら父親が残してくれたからといって、それでも他に誰か気づきそうなものだし、気づけないなら彼女だって気づけない。そういうものだろう。そこはやっぱり都合が良すぎだけれど、でも仕方が無い、それで話が進むのだから。

 戦闘に入ると敵の繰り出す強大な力にたいして、1人ではかなわないサイボーグ戦士たちがそれぞれの能力を掛け合わせて挑み倒していく、そんな展開がやっぱり良かった。チームワークと結束が命、だから。やや1人、活躍の場がなかったサイボーグ戦士もいたけれどもテキサス州の砂漠の真ん中で深海を泳ぎ回る能力は生かしようがないからなあ。そこがやっぱりバランス上の問題か。「サイボーグ009対デビルマン」ではそのあたり、どういう風に解消してたっけ。もうあんまり思い出せないんだった。スタン・ハンセンみたいな氷使いとヘッドマウントディスプレイを被った重力使いを倒して、って不死身なのに死んでしまった不思議も抱きつつ、それが理由になって追われる羽目になったサイボーグ戦士たちは次にどう戦っていくのか。哲学的になりすぎた「RE:CYBORG」みたいな終わり方ではなく、ちゃんとした結末を付けてサイボーグ戦士たちに安寧の場を与えてあげて欲しいなあ。第2章も早いところ行かないと。

 NHKスペシャルで「戦艦武蔵の最期」と見ていて破片の画像とソナーでのデータから3DCGで武蔵を再現してしまう技術力に驚き、そして魚雷を食らってリベットが外れ装甲板から進水し、沈んだところに主砲の弾薬が爆発して中央が四散してしまったという経過が分析されて技術って凄いなあと思ったけれど、それ以上に武蔵が航空機の攻撃を受ける場面で対空戦闘用意のラッパが鳴って、それが映画「この世界の片隅に」ですずさんが晴美ちゃんと畑にいて、そこで聞こえて来たラッパの音色とまるで同じだったところにあれは空襲警報の合図ではなく、砲台も含めて対空戦闘を準備するための合図だったんだと気づいたという。

 映画ではほんわかとした日和を破るようにラッパが鳴り響き、そして直後に山を越えて飛行機が現れ呉の街は空襲を受ける。そんな場面でいい加減いサイレンを鳴らさずラッパを鳴らしたところに映画「この世界の片隅に」の隅々にまで行き渡った考証の凄さが浮かぶ。丘の上からすずさんと晴美ちゃんが武蔵を見たのもきっと史実なんだろう。その武蔵が数カ月後にフィリピンに沈んだ。晴美ちゃんが見ていた武蔵にもそこで亡くなられた人、そして生きて番組で証言していた人が乗っていたんだろうなあと思うと、途端に映画が現実にグッと近づいてくる。そう言う凄さを味わいにまた映画に行こう。今度は丸の内東映が良いかな。


【12月3日】 「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」のスタッフトーク付き上映が終わって急いで家に戻ってフジテレビの「ユアタイム」。キャスターをやっている市川紗椰さんがおそらくは自身で企画を立てて行った映画「この世界の片隅に」の紹介は、片渕須直監督へのインタビューがありテアトル新宿に来ている観客への取材もあって、あの映画がどういった人たちに人気になっているかが分かって観た人はきっと行きたくなっただろう。1度観ただけでは分からないことでも、知れば興味が浮かんで確かめに行きたくなる映画。「ユアタイム」では呉駅前を歩く女子挺身隊の“その後”が語られ、知ってはいても改めて言葉にされてグッと来て涙が滲んだ。

 映画では何も言葉では説明されていない。呉の駅まで出たすずさんと晴美ちゃんが空襲に遭って防空壕に入り込む場面で、工場から走り出て防空壕へと向かっているような人もちょっとだけ出てくるんだけれど、それが少し前に駅前を歩いていた女子挺身隊の“その後”に繋がっているのだと思うと哀しみも増してくる。そこじゃない、もっと遠くへ走って逃げろと言いたくなる。でも現実は……。だからせめて、そこに彼女たちがいた証(あかし)を残したかったという片渕須直監督の思いを、しっかりと引き出して放送で伝えた市川紗椰さん、良い仕事をした。そいsて片渕監督のそうした思いが亡き少女たちに届いて欲しいなあと心底思った。思いに心焼かれる。届いたかな。届いて欲しいな。

 そんな映画「この世界の片隅に」にピンと来ていない感じのフジテレビ報道局編集委員の風間晋氏。アニメーションであろうとなかろうと、そう聞かされて想像力を働かせればどれくらい意味のあることをやっているかも分かって、好きか嫌いかはともかく重要かそうでないかは理解できるはずなのに、初っぱなから否定でもしていのかまるで関心を向けようとせず、想像力を働かせようとしていないところに今のテレビ局の限界って奴が窺える。そういえば1962年、昭和37年生まれの毎日新聞の記者が、劇場でアニメーションを観るのがはばかれるとか書いていたっけ。下に推されて観に行ってくれたそうだけれど、でも僕と3歳しか違わなくてアニメを映画館で観られないとか、どれだけお上品な家に育ったんだと思いたくなる。

 風間氏についてはたぶん56歳で片渕須直監督と同年代。アニメーションにだって馴染みもあるはずなのに、偉ぶってか知らん顔をする態度を崩さない。そんなおじさんどもがメディアから“卒業”すれば、きっとアニメもエンタメもガンガン取り上げられるようになると思いたい。ああでも別の理由が「この世界の片隅に」にはつきまとってテレビという媒体での取り上げを阻止する方向に働いているか。「ユアタイム」では10分くらいの特集で、1度たりともすずさんの声を演じたのんさん、本名能年玲奈さんについて触れられなかった。あの声あっての作品だという意見、あるいは国民的な人気を誇った女優が声を当てているというバリューですら無視して知らん顔をする、その裏にあるテレビ局が抱える問題がある以上、未来は悲観的なものなのかも。雑誌がどんどんと取り上げているのに民放のテレビ局だけが頑な。これを異常と言わなくて何を異常と言うんだろう。やれやれだ。

 ただ見てくれているところは見てくれている。第38回ヨコハマ映画祭の2016年日本映画個人賞で「この世界の片隅に」が堂々の作品賞を受賞した。もしかしたらアニメーションとしては初めてかもしれない受賞。なおかつ審査員特別賞を主演の声を務めたのんさんが受賞していた。理由が「この世界の片隅に」の作品世界を決定づけた声音の魅力を称えて、といった具合であの作品性と不可欠だという評価だからこれも嬉しい限り。片渕須直監督による調査と演出、そして松原秀典さんらによるキャラクターデザインなりが作品の凄さを形作っているんじゃなく、のんさんの声があってあれだけの素晴らしい作品になったってことを、ちゃんと認めてくれている。作品と不可分のもの。誰が観たってそう思うことを民放のテレビ局では報じようとしない。その理由は言わずもがなだけれど、こうやってだんだんと評価が現れ外堀が埋まっていけば、いずれ取り上げざるを得なくなるだろうと思いたいけれども、果たして。

 午前6時起きして新宿ピカデリーへと行き「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」。3回目。劇場では昨日の前夜祭に続いての鑑賞だけれどところどころ意識を失っていた箇所が違ってたんで相互に補完できたというか。やっぱり朝が早いといろいろ大変だという。ただ179分という長時間から心配されたトイレタイムは上映後に10分ほどの間を置くことで解消。アナウンスがあったとたんに席を立ってトイレに向かう人で行列が出来たから、やっぱり欲してたんだろうなあ。それは観客にとって喜ばしいだけでなく、我慢しながら観ている人を前に喋る舞台挨拶の声優さんたちのいらぬ不安も解消できた感じでまずは良かった。それで時間が削られるでもなくたっぷりの女子会トークも楽しめたし。

 そう女子会のように4人が喋っては突っ込み流して受ける感じで進んで楽しかった。上映後だから中身についての言及OK。とりわけ後半に怒濤の展開があって驚きの事態も起こる「RWBY VOLUME3」なだけに、そこに触れずに喋るのはなかなか難しい。すべてを受けてぶちまけられたトークはやっぱりヤン・シャオロンのこれからがどうなってしまうのか、ってあたりにひとつ的が絞られた。これも「RWBY VOLUME4」で少しずつ描かれてきてはいるんだけれど、回復にあたってとりいそぎ家族が支えはしても、ヤン的には、というか中の人の小清水亜美さん的には嶋村侑さん演じるブレイク・ベラドンナとの関係性から立ち直っていて欲しいみたい。

 お姉ちゃん組で結構話す場面も多い中で深まった友情。だからこそ逃げたと思ってやるきを失ってしまったんだろうなあ、ヤン。でも大丈夫、きっと再会をしてルビー・ローズもワイス・シュニーも加えたチームRWBYとしてお話を引っ張っていってくれるだろうから。そんなルビー・ローズ役の早見沙織さんとワイス・シュニー役の日笠陽子さんも交えたトークでこれも的になったのが「RWBY VOLUME4」の日本語吹替版の制作で、ここまで来たら最後まで演じきりたいという思いを持っているうことを示してくれた。それはとっても嬉しいこと。作品を、キャラクターを愛してくれているってこと。だから答えて欲しいけれどそのためにはやっぱり観客の助けが欠かせない。なので劇場限定BDは買い初回限定版BDも買っているけどこれはやっぱりボーカルCDも買わないといけないかなあ。

 これで3枚まで出てルビーにワイスにブレイクがジャケットになったけれども4枚目が出ないとヤンがなく、RWBYがRWBで止まってしまう。これはダメだ。絶対にダメだ。アルバムの日本語版だけ出せばってのもやっぱりダメなのでまずはWEBでの「RWBY VOLUME4」が完結し、その果てに日本語吹替版の制作も決まって日本公開となれば嬉しい。というより絶対にそうならなくてはいけないので、まずは公開された「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」を盛り上げよう。それにしてもワイス役の日笠さんが気にしていた、あの償還された左腕の先にあるのはいったいどんな存在なのだろう。やたらとぶっとい腕だったし、サイズも結構デカかった。姉のウィンターが呼んだ白いグリムみたいなものとはケタ違い。それだけに覚醒したワイスの戦いが気になる。もちろんルビーの銀色の瞳から放たれるビームの威力も。あれってビームなの? 目からビームが出ていたの?

 どこが主催しているんだとか、サンディエゴのコミコンからライセンスを受けたようなものではないとかいったアヤシゲな話も飛び交って、どんなイベントになるのか不安もあったけれども「東京コミコン」はステージイベントはともかく展示に関してはアメコミ関連のグッズが並びフィギュアが並び映画のプロップめいたものもいっぱいあって歩いて眺めているだけで楽しい上に、生きたフィギュアとも言うべきコスプレイヤーさんがいっぱい歩いていて、すれ違うだけで心が楽しくなってくる。ハーレイ・クインとかもう何人もすれ違った感じで、前より後ろに回って見るホットパンツからはみ出したお尻が素晴らし、ってそれかい結局。

 日本人だけでなく外国人も観客とコスプレイヤーにいっぱいいて、コミックマーケットとかワンフェスとかとは違った雰囲気。気軽に撮ったり撮られたりしているのも現地のコミコンあるいはコンベンション的空気感が再現されている表れだろう。せっかくだからと「エルストリー1976−新たなる希望が生まれた街」の前売り券を買いトレカをもらう。くじ引きもやってコンプリート。誰だこれとか言わないというかこれ誰だな人がヒーロー&ヒロインになれる映画が「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」だというドキュメンタリーなのだ。12月17日から東京だと新宿武蔵野館で上映。きっとストームトルーパーとかいっぱい来るから初日に行けたら行きたいけれど。


【12月2日】 朝からアニメーション界がザワザワと。設立から10周年を迎えて記念展も開いた庵野秀明監督率いるアニメーション制作会社のカラーが、庵野秀明さんの古巣にあたるガイナックスを提訴したという。つまりは貸した金を返せってことらしく、もともとあった庵野秀明監督の作品を使った際にガイナックスからカラーへと支払うはずだったロイヤルティーが滞り、かつ別途貸し付けたお金もあってそれらの支払いなり返済が滞っていたことから、いよいよもって提訴に踏み切ったという感じ。

 商売的には当然でも、半ば古巣でもあって知り合いも多い会社を提訴したってことは相当に憤っていたか、あるいはガイナックスに残っている庵野秀明監督関係の“権利”が、ガイナックスの経営破綻なりでどこかに行ってしまうことを懸念して今のうちに債権を申し立てておいて確定させようとしたのか、いろいろと想像はつくもののそれとは別にガイナックスという1980年代の末に立ちあがって現在まで、数々のヒット作を生み出してきたアニメーション制作会社でも行き詰まるくらいに業界事情は厳しくなっているんだなあ、なんてことを思わされた。

 なるほど1995年に始まった「新世紀エヴァンゲリオン」のシリーズをのぞいてどれだけのヒット作があるんだと言われればそうだろうけれど、「トップをねらえ!」とか続編「トップをねらえ2」とかそれなりに知られている作品はあったし、長くテレビ放送もされて劇場版にもなった「天元突破グレンラガン」だってガイナックスが手がけた作品。知名度もあって転がせばまだまだ転んで不思議はない作品がどうにも埋もれてしまう状況がどうにも勿体ない。

 それは作り手はいても売り手に欠ける部分が会社にあったからなのか、身の丈を越えた経営をしてしまったからなのか。事情は分からないけれども既に「フリクリ」がプロダクションIGへと譲渡されているように、こうした過去の“栄光”も資産として切り売りせざる終えない状況になって来ているのかもしれない。それともすでにどこかに渡ってしまったんだろうか。「エヴァ」に関してはこうした債権債務のやりとりのなか、カラーが間に版権管理会社も挟むような形で権利を引き取った感じで、ハンドリング出来ている感じ。だから「シン・ヱヴァンゲリヲン」については大過なく作ることが出来るだろう。

 その他の作品については庵野秀明監督がらみのたとえば「帰ってきたウルトラマン」とか「トップをねらえ!」とかがどうなるか、トリガーへと移って「キルラキル」を手がけた今石洋之監督が残した「グレンラガン」をどうするか、っていった辺りでガイナックスから出た人たちが属する会社が動き出すことになるのかな。一気に解散とはいかないまでも、追い詰められてしまった状況からさて、ガイナックス自体がどう“再生”に向かって歩み始めるかにも注目したい。とりあえず12月7日発売の「放課後のプレアデス」のBD−BOXは買うことにしようか。その権利もあるいはどこかに渡ってしまっているのか? やっぱり目が離せない。

 日本工業新聞でも主に1人が1995年あたりからエンターテインメントを積極的に取り上げ押井守監督の「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」の映画化とかいろいろなニュースを経済記事として書き散らしたけれども、早すぎると世間はなかなか理解しないものでいつしか途絶えてしまった一方で、産業専門紙のたぶんナンバーワンの日経産業新聞はそのあたりとちゃんと逃さず、時代の変化に即してちゃんと抑えてなおかつ時流にも乗ろうと今旬な話題をちゃんと取り上げている様子。映画「この世界の片隅に」が人気になっていることを、12月2日付けのデジタルトレンド面に記事として乗せ居ていた。

 それはまずはツイート数が映画の公開前後から急増しては、3週間近くが経った今も衰えることなく上下動しつつ高位安定を保っていることを紹介し、またクラウドファンディングで応募した人が積極的に情報を拡散して映画の盛り上げに一役買っていることを乗せて、デジタルとネットワークが映画というどこか旧態依然とした部分が残っているコンテンツでありビジネスを、変えようとしていることを世の中に示している。「映画の中身がよいことが大前提」とは言いつつ、ファンの思いが資金面でも宣伝面でもダイレクトに作品へと向けられる時代の到来を、受けて映画界は動くのか。動いて欲しいけどなあ、次にこうした優れていながらそうは思ってもらえない作品が世に出るために。

 そうそう、記事ではまるで触れられていないし、ほかの媒体でも添えられることがないけれども、クラウドファンディングでは「この世界の片隅に」の企画が滞りつつあった時期、そして「マイマイ新子と千年の魔法」を語り伝える動きもやや沈静化しかかっていた2014年の2月に、海外で「マイマイ新子と千年の魔法」をBD化け、DVD化しようとするキックスターターが立ちあがったことがあった。これは大成功を収めたけれども、地域縛りでパッケージが買えないことが分かっていても、「マイマイ新子と千年の魔法」のファン、片渕須直監督のファンが参加したり宣伝したりして、改めて結束を固める役割を果たしたような気がする。

 もちろん、既に片渕監督が「この世界の片隅に」を作ろうとしていることは分かっていたから、これへの期待を抱くファンも応援の意味をこめて参加や宣伝につとめたっけ。そうした活動があるいは、世に広く存在を知らしめるパブリシティ効果も含めて製作陣にクラウドファンディングの存在を意識させ、そこから1年後、今度は「この世界の片隅に」でのクラウドファンディング実施を思い至らせたんじゃないのかなあ、なんて考えているけれど本当のところはよく分からない。いずれにしてもそういう存在があったことは自分では結構な意味を持っている。そして完成したみたいなアートブック。いつか届くかな、この手元に。

 長いけれども長くなかった179分間。明日12月3日から公開となる「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」の前夜祭、新宿ピカデリーには監督を務めたケリー・ショークロス、共同監督のグレイ・G・ハドック、そして共同監督にして脚本を手がけ本国版ではジョーンの声も担当しているマイルズ・ルナが登壇してあれやこれや喋ってくれた。通底するのは大きなスクリーンで観客を迎えて「RWBY」を観るという光景の“シュール”さ。どうしてシュールといった言葉を誰もが使ったのか分からないけれど、元がWEBで観るもので、それが巨大なスクリーンでもって日本語の吹き替えで、最高品質のサウンドで観られることがやっぱりどこか信じられないといった思いがあるのかもしれない。アメリカでだってない光景、だもんなあ。

 そしてやっぱり意識する亡きモンディ・オウムの存在。彼へのリスペクトを強く持っているスタッフが、その思いを壊さないようにしつつどんどんと大きくなっていく評判にも背かないで答えなくてはいけないプレッシャーを、感じながら作っていくことはやっぱり相当に大変なことだろう。でもご安心。3人はやり遂げた。他の大勢のスタッフももちろん含めて「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」は最初は楽しげなくションから、やがてシリアスな戦いとなって残酷な運命が明らかとなり、残忍な展開が繰り広げられる。

 潰されそうになる。逃げ出したくなる。けれども、それに負けずに立ちあがり、仲間のため世界のため、そして何より自分自身のために少女は歩き始める。そんな旅立ちを経た先にいったいどんなドラマが待っているかはすでに配信が始まった「RWBY VOLUME4」を観れば分かる。怖いし不安だけれどそこをしっかり、家族が支え仲間が見つめてがんばっていく姿が描かれている。最新のChapter4ではあのヤンに訪れた覚醒と再起。ここからどう絡んでいくかが楽しみ。そんな物語を存分に味わうためにもまずは「RWBY VOLUME3<日本語吹替版>」をご覧あれ。ハドックさんが見どころと推すシンダーの演説以降のバトルバトルバトルバトルバトルに目を見張るだろうから。いやあ最高だよヴェルヴェットの戦いぶり。


【12月1日】 昼に丸善丸の内店へ行くと残りは3個。聞くともうそれだけしかないそうで、買い占めるのも申し訳ないので1つもらって包んでもらっていたら予約が入ってひとつが取り置きされていた。残り1個も誰かの手に渡ったもようで本日をもってこの店では完売となったセーラー万年筆によるボトルインクジェントル【ブルーブラック】の映画「この世界の片隅に」オリジナルパッケージ。片渕須直監督のお父さんがセーラー万年筆に務めていたこともあって実現したらしいコラボレーションは、パッケージに映画の絵が使われていて羽根ペンをもったすずさんが描かれている。このインクを渡したらいったいなにを描くんだろう。そんなことも思えるくらいにすずさんの“実在”を信じてしまっている。それだけ映画が緻密な考証と描写に満たされていたって現れなんだろうなあ。宝物にしようか、吸引式の万年筆をあつらえて使うか。考えようしばらく。

 何試合かは見たことがあるのかなあ、ジェフユナイテッド市原・千葉でのエヴェルトン・ケンペス選手の活躍。J2に落ちてからこっち、昇格の可能性が早々と尽きることが多くなってちょっと興味が薄れてしまっているけれど、ケンペス選手が所属していころはまだ、天皇杯も含めてそれなりに試合で勝っていたから観に行ったような記憶があるような、ないような。ブラジル1部リーグだから日本で言うならJ1に所属しているサッカーチームのシャペコエンセでがんばっていたケンペス選手がコロンビアのメデジンで開催されるコパ・スダメリカーナの決勝へと向かう飛行機の墜落事故で死亡。というか選手の多くとスタッフと番記者がまとめて死亡してしまう悲劇に見舞われ、世界中のサッカーファミリーを驚かせ、哀しませている。

 相手はコロンビアの強豪というか、南米屈指の実力を持ったアトレティコ・ナシオナルでリベルタドーレス杯を制して南米1になって日本で開かれるクラブワールドカップに来ることも決まってた。その前哨戦的に開かれてリベルタドーレス杯に続く権威を持ったコパ・スダメリカーナを制して土産にしようとも意気込んでいただろうナシオナルの選手たちが、受けたショックも相当にありそうで果たして平静な試合が出来るのか、準決勝を突破しておそらくは来るだろうバルセロナを相手に戦い世界一になるだけの気力を保てるかがちょっと心配になってくる。そこは同じ南米の心意気を携え来日し、バルセロナを破って勝利をつかんで欲しいものだけれど。そうなればシャペコエンセの選手たちも少しは報われたかなあ。

 いやいや、やっぱり死んでしまっては意味がない。グランデトリノと呼ばれたイタリア屈指の強豪チーム、トリノがスペルガの悲劇で選手のほとんどを失って後、長く低迷を続けたことはサッカー史に残る事件だし、英国の名門マンチェスター・ユナイテッドがミュンヘンの悲劇でダンカン・エドワーズ選手やトミー・テイラー選手を始めとした所属選手を失い、10年の停滞に入ったこともやっぱり大きな事件として記憶されている。そこで生き残ったボビー・チャールトン選手がマット・バズビー監督とともに欧州チャンピオンの座を取り戻したのだとしても、トミー・テイラー選手やダンカン・エドワーズ選手はそこにはおらず代表として参加していたイングランドチームもワールドカップで1966年まで優勝を待つ必要はなかっただろう。失われた才能は戻ってこない。だからこそ悲劇は起こってはいけないし起こしてはいけないのだけれど、起こってしまった以上は次、同じことを繰り返さないために出来ることをやって欲しい。それがサッカーファミリーの切なる願いだ。合掌。

 見どころは田中あすか先輩のスカートでの胡座で、それをテーブルの下から撮ったようなショットを描くあたりに田中あすか先輩フェティッシュに頼り誘おうとするアニメーション制作会社のタクラミめいたものを感じた「響け!ユーフォニアム2」。その前にもあすか先輩のほどけかけた靴紐を結んであげる晴香のしゃがんでスカートからのぞく足とか描いていたからそういった、女子高生の日常にちらっと見える仕草への関心を誘うことに力を入れているんだろう。それもまた日常な訳で描かなかったおかしいとは言えるけれど、そればかっかりなのは演奏というメーンコンテンツがないこの週の精一杯のサービスか。とはいえ田中あすか先輩を巡る情勢は厳しく母親の壁は高い。越えて復帰できるのか。演奏はどうなってしまうのか。全国大会へと向かう展開。1話たりとも見逃せない。

 本音を言うなら木々が茂った広場ににょっと立って遠目にその上半身がのぞく風景の方が、高さが分かって面白かったお台場の等身大ガンダムで、静岡での展示を経てお台場に戻ってきた時にダイバーシティお台場という建物の前に置かれてしまって、その屋根より低い姿にあんまり偉容を覚えず建物の部分に成り下がってしまっていた感も浮かんでいた。それだけに今回、ダイバーシティ前での等身大ガンダムの展示が来年3月で終わるという話に、機会としては悪くないと思いつつそれならいったいどこに移設すればベストなのか、そもそも移設があり得るのかと考えていたりするけれど、今のところ次の設置場所は明らかにされていないし、設置されるかどうかも不明なので今後の報を待ちたいところ。

 そこが設置場所として相応しいかどうかといった個人的な思いは別として、終の棲家を得たものとも思っていただけに、どうして移設なのかも気になるなあ。2020年の東京オリンピックの時にあそこにあれば世界だって驚かせられるのに。いっそだったら新しく作られる国立競技場の前へと持っていっては日本が世界に誇る巨大ロボット技術だと行って見せつけ、日本に侵略するとかいったよこしまな気持ちを海外に抱かせないようにするとかいった使い方をすれば良いのに。それとも次には動いて歩いて飛ぶガンダムをダイバーシティ前に設置する予定があるのかなあ。それならそれで期待したい。ボールとかジムとか置くのだけは勘弁して。

 戦記物との年代記とも言えそうな設定ならば、文体は大仰で叙情的で盛り上がりがあって感情の爆発もあってといった所になるのが、そこはどこかズラした視点から、成り行きを淡淡と描くことを続けてきた感じがある芝村裕吏さん。「黒剣のクロニカ01」(星海社FICTIONS、1300円)はコフという都市国家があってそこを支配する黒剣の一族の長男にトウメスという男がいて、怪力を持ち牛の精霊めいたものをまとって戦場でとてつもない戦いぶりをみせる。そんな黒剣の家に3男として奴隷の母親から生まれたのが主人公のフラン。貴族でありながら奴隷という複雑な境遇で、トウメスによってそれこそ奴隷のように使われている。

 そんなフランにトウメスから指令が。隣の都市ヤニアを支配する小百合家の娘をトウメスが嫁にもらいたいと言っていて、その使者としてフランが派遣される。赴いてフランは人馬の姿となっている姉のイルケと人形を操る力を持った妹のイルドネーと出会うけれど、そんな2人がトウメスではなくフランを婿に迎えたいといったことから話は急展開。これはトウメスに殺されると感じたフランは都市を逃げ出しヤニアへと言ってはイルケとイルドネーを連れて逃げだそうとしたものの、それはかなわずやってくるトウメスを迎え撃つことになる。さぞや派手な戦いが繰り広げらるかと思いきや、戦闘描写はトウメスが力を振るって蹴散らす場面と、それを迎え撃って槍を投げて倒そうとするといった感じ。淡淡としつつ一騎打ちにも似た雰囲気が繰り広げられる。

 というか、そんな場面に臨むフランが素っ裸というのが不思議なところ。ペニスの皮を結んでみせるくらいで裸で向かい合って戦うところに宗教的な意味はないようで、物資の問題から裸で戦うことが習いとなているといった感じらしい。そうした文化レベルの設定も不思議なら、説明もそれほどなしに水鏡をのぞくことによって異能が得られるといった設定が、とくに神様の類を絡まずポンとあたりまえのように提示されるところも不思議。イルケもそうやって鏡をのぞいたら人馬になってしまったという。ちなみにフランは水鏡をのぞいていなくて異能はなく、それで牛の怪力を持ったトウメスを迎え撃たなくてはならないところが大変だけれど、そこを知略で乗り切るところが読みどころ。そうやって終えた戦いの果てに、謀略が成功していたのを聞いてぽかんとするところも、情動より情景の描写を尊ぶ芝村裕吏さんらしい。「マージナル・オペレーション」にも似た乾いた雰囲気の読み心地を持った戦記であり年代記。次はどんな派手な戦いが淡淡と描かれていくのか。筆致に注目。


【11月30日】 クラウドファンディングの開始初日に日記に、「クラウドファンディングをひとつの話題にして多くにアピールしなくちゃいけない事情」と書いているから、僕はそれが直接的な制作資金を集めることよりは、こういう作品に大勢がお金を寄せることを世間に示す意味を持っていたことを知ってた感じ。だから映画「この世界の片隅に」でプロデューサーを務めたGENCOの真木太郎さんが、東洋経済オンラインで「映画『この世界の片隅に』製作プロセスの秘密 クラウドファンディングの『実態』」というタイトルのインタビューに答えて、クラウドファンディングの目的を「パブリシティ」と言っていたのも、そうだったよねえと受け止めた。

 これに対してインタビュアーの斉藤守彦さんから「ビジネス戦略的な意味では理解できるものの、では片渕監督のファンとして、資金を提供した立場からはどう映るだろうかという疑問もある」と書かれてしまっていても、そうは感じなかったなあと思ったというか。あとは、それが直接的な制作資金ではなく、パイロットフィルムを作ってスポンサーにプレゼンテーションするという目的を持っていたことも、募集時にしっかりと理解していて何か記念品がもらえるといったリターンは期待していなかった。だからすずさんからのはがきが届いたり、報告会が開かれたりしたことの方が驚きだったくらいで、クラウドファンディングは資金調達の新しいルートであって、こいう使い方はちょっとあんまりじゃないのといった意見には与しない。

 もちろんスタートアップ企業なんかの場合、そういう気持ちを抱いて当然だけれど、金額が張るエンターテインメントコンテンツの場合は、すべてをクラウドファンディングでまかなうなんてまず無理で、マーケティングでありパブリシティの方法として使って、それが実際のコンテンツでありプロダクトの登場に繋がるんなら、ファンとして嬉しいといったあたりに留めて支援するのが、心理的にも楽だし未来に希望も持てるんじゃなかろーか。「この世界の片隅に」のクラウドファンディングに参加した人は、たぶんそういう意識の持ち主だと思うけれども、果たして。

 そんな「この世界の片隅に」を、映画評論界の重鎮にして関西芸能界の超大物、浜村淳さんがラジオで語ってくれて嬉しいこと嬉しいこと。「ありがとう浜村淳です」という毎日放送のラジオ番組の中で、お便りがあって「この世界の片隅に」を見たかどうかを問われて浜村さん、番組のディレクターが隣でやってる劇場に3回も4回も行ったけれども満席で見られなかったという話を枕にフリながら、自分は見ているといって片渕須直さんが監督脚本を手がけ「何としてでも映画にしたいがお金がない。大手の映画会社が乗ってくれないので一般の皆さんに制作費を募集したんです。3000万円以上が集まった」とクラウドファンディングのことからまず話して、この映画がいろいろと苦労の上に作られたものであることを聴取者に印象づけた。

 浪花節で判官贔屓のこの国で、こうした紹介はビビッと来る人も多そう。そして「非常によい出来です」と作品について触れながら、「すずさんという18歳の少女が居て、絵がものすごい綺麗で、18歳でまだ気持ちも決められないうちに、昭和19年2月に広島県の呉へお嫁に行ったんです。相手は海軍の軍人のひとりで、戦艦大和が建設中だったそうです」と、微妙に外しながらもだいたいのことは抑えつつ話していった浜村さん。「見知らぬ土地で男性の親も小姑も姑も一緒暮らしで、すずさんは懸命に尽くして洗濯炊事掃除をするんです。共同の井戸へ行って水くみも。朝の4時5時から1日が始まるんです」と言って、似たような苦労をしただろう年配の女性の気持ちをくすぐってみせる。

 「夫の姉、小姑が子供を連れて出戻りをして嫁としてやりにくい」とか「食料のない頃は工夫としてねえ、ええ嫁さんです」といったコメントは、浜村さんのリスナーに多そうな、年配で身に覚えのある人には響くだろう。なおかつ「すずちゃんの声はのんさんです、知ってます? 能年玲奈。監督が『あまちゃん』で声に惚れ込んですずちゃんんの声をやってと引っ張り出したんですよ」とまで話していたから、そっちのファンにも響きそう。しかし詳しいなあ、浜村さん。いろいろと勉強したか教えてもらったかしたんだろう。

 「遊郭に迷い込んで遊女と語り合って辛い境遇を知ったり。物のない時代です。食料を工夫しながら家族が喜んで食べられるようにしたり。着る物がないから洋服を直したりして。良い嫁です」。やっぱり詳しい。そして浜村さんの真骨頂、ラストシーンまで話してしまう必殺ネタばらしが出るかと思ったらそうでもなく、「昭和20年3月、空が見えないほどアメリカの飛行機がドカンドカンドカンと爆弾を落とします。ラストシーンに迎えるのが8月6日。広島に原爆が落とされた日です。すずちゃんの運命はどうなったか?」。ここで寸止めして語らないというか、これも微妙に外しながらも関心を誘う言葉でしめるあたりに浜村さんのこの映画への愛情が窺える。

 「ロフトの地下にある映画館、何回行っても満杯になるほど感動の作品です。絵がリアルで美しい。すずちゃんの姿がいじらしいほど可愛らしい。良く出来た若い嫁ですねえ、見て感動の涙が止まらないくらいです。いつまでやっているか確かめていませんが、ご覧ください。戦争というものについて改めて考えさせられます」。これを聞いて観に行かない大人はいないだろう。番組を聴いて、かつて「2時のワイドショー」で聞いていた映画の解説の時とは違って、声にも年齢が重なっていたけれど、こと映画の解説になると立て板に水の浜村節が蘇って来た。本当に映画がお好きなんだなあ。そんな人に認められた映画。行くしかないし、見るしかない。

 ASKAの覚醒剤使用容疑での逮捕に絡んでタクシー会社がドライブレコーダーに記録されたASKAとのやりとりをテレビ局に出したといってプライバシーを侵害するものと問題になっていいたけれど、当該のタクシー会社なり車両を配下に持つチェッカーキャブがお詫びをしていて、厳罰に処すとまでいってそっちはそっちで対応を待ちたいところ。ただ問題はそうしたタクシー会社の無茶に止まらず、明らかに違法性がありプライバシー的に問題があると認められる映像を、それでも使って放送したテレビ局側にもあることは明白で、それに対する釈明なり見解が未だ発せられていないことが気に掛かる。

dc2  たとえそれで視聴率が取れるからといって、違法性があるものを流すのは拙いと分かりそうなものだし、それが違法性があると感じたら、相手が持ち込んで来たなら諭してつっかすなり通報すれば良いし、それで相手が気づいて引っ込めれば問題そのものが起こらなかったとも言える。けれども受け取ったか、あるいは頼んで出させたかしたテレビ局が知らん顔して逃げるなら、それはそれはメディアとしての自殺に近い所業だろう。ちょっと前にも川を遡る津波を橋の上からとらえた写真を提供されて掲載した新聞があったけど、それも違法ではないけれど、危険性の高い写真を認めて使って危険行為を結果として容認してしまった。犯罪なり危険なりが金になる、あるいは承認欲求を満たすと感じて世間が暴走するのをテレビや新聞が止めるどころか煽る時代。拙いと思うんだけれど、そういう拙さを自覚している節がないのがなおのこと拙い。困ったなあ。

 ありゃーってな時のすずさんの顔真似をしていた町山智浩さんを片渕須直監督が見守っていたのが印象的だったテアトル新宿での「この世界の片隅に」でのトークイベント。町山さんが片渕作品大好きモードに入って、「この世界の片隅に」を4度目に見て気づいたことをあれやこれや挙げて聞きただしていきつつ過去の「マイマイ新子と千年の魔法」や「アリーテ姫」との関連性、たとえば少女が閉じ込められているところから出て行くところとか草花とか鳥とかいった“小道具”めいたものの共通性を挙げ、片渕監督の創作に連なる思いというかスタンスみたいなものを浮かび上がらせていったといった感じ。すずさんが指でなぞっていた天井が、最後の方で焼夷弾を避けるために剥がされていたのに気づいたことを嬉しそうに語っていたのが面白かった。

 でも基本は町山さんが聞きたいことを聞きまくったという雰囲気。個人的には町山さんの知見でこの作品がアメリカでどう受け入れられるかを聞いてみたかったけれど、片渕さんをメインにしたトークなだけにそこは片渕さんがあの戦争から70年が経って誰が被害者かどうかといったことではなく共通に感じるところがあるんじゃないかといった話をするに止まった。機会があれば過去の日本の戦争を扱った作品と今回の作品との違い、そしてアメリカでどう受け止められるかといった予想を町山さんに聞いてみたいところでありました。

 1点、町山さん気になっていた太極旗が揚がる場面の改変で、りすずさんが“外来”の食糧から暴力の存在をつぶやく映画「この世界の片隅に」の流れは漫画とは違ってて、それは日常で民族に関する意識をすずさんが見せてないならそこで急に言うのは違うといった考えから、家事を通して感じていた“搾取”を改めて意識したと、そんなことらしい。調べて調べ尽くして気になれば了解を得て直していった果て、世界がリアルさを持って立ちあがりそこに息づいていた人々の姿が見えてくる。何度見ても見飽きることのない映画ってのも、そこに理由があるのかも。また行こう。


【11月29日】 6位だよ6位。前週が10位でその前の公開初週と同じ位置にいたことだけでも100館に満たないスクリーン数で公開された、テレビ局とかに派手な宣伝をしてもらえない映画として異例中の異例だったのに、それが3週目にして週末の動員数で6位まで上がってスクリーン数も増えているのは映画興行の世界的に異例も異例。普通は2週目3週目と落ちていくもので、そんな中で9週連続1位を取り、1週譲ったもののそこから3週1位を続けてそして2位に落ちたものの、まだまだ上にいそうな「君の名は。」も驚異だけれど、「この世界の片隅に」のランクアップはそれを上回る驚異だって言えるし、ほとんど奇跡の領域にまで達していると言っても言いすぎじゃない。

 おまけにさらに館数は増えていく感じで、3億円を突破した興行収入も5億円は見えて来たところだけれど、さすがに1カ月経つと通常の封切り館はだんだんと年末のプログラムへと入れ替え、名画座的な場所へと上映が移って館数は維持できても観客席の数だとか、1日の上映回数は減っていく可能性がなくもない。情報が広まり賞レースにも名が上がってきたところですでに上映が絞られているのが1番残念な結果を招くんで、ここは大きなシネマコンプレックスが1つ2つスクリーンを割り当てて朝昼晩とちゃんと上映を維持してくれれば10億円の大台にだって乗っていくんだけれども果たして。とりあえず銀座・有楽町の老舗、丸の内東映がスクリーンを明けてくれるのが有り難い。岡田裕介さんが観て感動でもしたのかな。ティ・ジョイともども応援よろしく。本当はバルト9でもやって欲しいんだけれどなあ。

 これでさらにしばらく「On Your Mark」のブルーレイディスクの正式発売はないんだろうなあ、といった思いがまずは浮かんだASUKAの覚醒剤使用容疑による再逮捕。当人はやってないって主張しているけれども周辺の状況を鑑みるに再犯の可能性は高く執行猶予は取り消された上に次の刑期も乗って4年とか5年は刑務所に入ったままになりそう。その間はCDも出せそうもないし音楽ビデオもやっぱり無理そう。宮崎駿監督作品のボックスを買って特典としてもらったから良いと言えば良いんだけれど、そういう形ではなく大勢の人に観てもらいたい作品が埋もれてしまうのはやっぱり寂しい。人は人、罪は罪、作品は作品といった切り分けが出来ないものかなあ、この世界。

 築地から豊洲への市場移転を塩漬けして、東京五輪のボートや水泳やバレーボールの会場に難癖をつけて工事を進めさせず、ボランティアの衣装に文句を言いそして「&TOKYO」ロゴを変えるとか言い出して小池百合子東京都知事、狭いオセロ盤で白を黒に置き換えてるだけで新しく何か始めたって話がまるで聞こえてこないんだけど、東京都民はそれで良いんだろうかと千葉県民的に思う。というか市場の移転に関してはあまり個人的に影響はないんだけれど、有明アリーナを作る予定が横浜アリーナの使用になるとライブとかに影響は出そうだし、オリンピック後の施設の利用においても有明があればそこでスポーツやライブが楽しめるのが、ないとただでさえ施設が足りない状況がずっと続くことになる。施設前にスペース的な余裕のない横浜アリーナでオリンピック競技なんで土台無理なんだから、さっさと有明に作れば良いのに。ひっくり返す仕草だけが見せ場と思っている節がある小池都知事に自分がリスクを負って決断するなんてこと、出来ないのかなあ。やれやれだ。

 演説の推敲とかだったら日本だって歴代の総理大臣が安岡正篤に支持して助言をも立っていたりするからあって不思議はないんだけれど、その相手が権力をバックに企業を脅して自分の仕事を有利に進めようとして、それに感づいていないならまだしも側近を含めて関わっていたとしたら大統領として失格どころか、犯罪者として摘発されたって不思議はないって状況に、いよいよ覚悟を固めたのか韓国の朴槿恵大統領がテレビで談話を発表して、道筋ができれば早期に退陣することもやむなしといった態度を見せ始めた。誰かが止めさせる訳にもいかない大統領職を解くには弾劾といった手があって、それに向けて国会が動き始めていた。当人の態度も明らかになってこれで一気に進みそう。その場合後任は誰になるんだろう。アメリカで弾劾前に止めたニクソン大統領の後任はフォード副大統領だったけれど、韓国は制度が違いそうだし。それも含めてさらに動静を注視。

 「文豪ストレイドッグス」の朝霧カフカさんってそうか小説も書いているのかと読んだ「ギルドレ(1) 世界最弱の救世主」(講談社BOX、1200円)は、ただ「敵(エネミー)」と呼ばれる存在によって蹂躙された地球にあって精鋭部隊すらあっという間に蹴散らされた作品で、ふっと現れた少年が強大な敵を手にした拳銃だけであっという間に屠ってのけた場面から幕を開け、そしてしばらくたって車の中で目覚めたひとりの少年は記憶を失っていて、そのまま運転していた女性とそして途中で拾った手足が機械化されていた少女とともに移動中、敵に襲われ逃げて逃げてトンネルに入って一安心、そして出ようとした瞬間に襲われ車ごと吹き飛ばされたかと思いきや、まだトンネルの中にあってさあこれから出ようという場面だった。

 時が戻ったのかどうなのか。分からないけれども瞬時にハンドルを操作し敵を交わしたものの襲ってくる敵は兄弟で、どんどんと追い詰められていった時に少年の不思議な能力が発動する。それは……って感じに進んでいったストーリー。とりあえず拠点の街へと入ったものの異能の力を少女もそして少年もどこか異端扱いされていて、まだ幼いうちから電子的にさまざまなものを操るデバイスを移植された少年少女たちから虐げられていた。そこに事件。侵入してきた敵の攻撃に追い詰められ決死の覚悟で戦いを挑んだ果てに少年は勝利するものの、そこに不穏な陰が漂う。少年の顔を見て敵はいったい何を思ったのか。最初に現れ世界を救った救世主はいったいどこにいるのか。手足を機械に替えられた少女は狂戦士化することへの恐れを乗り越えたものの、少年の方にはまだまだ壁が立ちふさがりそう。そんな壁を越えていく展開と、敵の狙いや正体、そして救世主の行方を探る次巻が楽しみ。

 モデルがいたのかエルドゥシュ中尉。地球連邦軍のガンキャノン部隊を率いて月面に降りて亡命しようとするミノフスキー博士の救出に向かったもののランバ・ラルとそして黒い三連星に阻まれシャア・アズナブルも参戦したチームにフルボッコにされてしまうキャラクター。その元ネタはハンガリーから日本へと来てサンライズに入り制作の仕事をしている2年目の下っ端だけれど、あごひげを結んだ特徴的な顔立ちもあって安彦良和総監督に目を付けられ、キャラクターとして登場することになった次第。デザインを手がけたことぶきつかささんにはヘルメットに隠れてしまうあごひげをどうにか見せられないかといった声もかかったそうだけれど、角くらい平気で付けるジオンと違って規律もある連邦軍であごひげ部分が透明になったへるめっとはさすがに作れなかったみたい。誰にも知られずあごひげは退場。いつか実物を見たらこれがそうかと堪能しよう。

 そんなスタッフトークつきの「機動戦士ガンダム THE ORIGIN4 運命の前夜」の上映で、安彦さんがあんまりお好みでないキャラクターをいっぱいデザインしたことぶきつかささんだけれど、漫画版ではムラタというなのザコキャラだったシャアにバイザーを渡すキャラクターをデザインしなおし、存在感を持たせたとか。ただ最初はあそこまで大きな役ではなかったのが、シャアとガルマの横に立って遜色のない佇まいにしようってことでデザインをさらに替え、割と見られる顔にしてそれが日本人ではないから名前もリノ・フェルナンデスになったとか。でも1話で退場。勿体ないけどそれもまたキャラクターデザインの運命ってことで。次の「ルウム編」にも参加するからことぶきつかささんが手がける安彦さん以外のキャラも増えてきそう。せめて美少女を手がけさせてあげたいなあ。


【11月28日】 大暴れしないまま万流礼央子は退場していってしまうんだろうか「ブブキ・ブランキ 星の巨人」。レティシアも命を無くしてロシアチームも含めて大勢の少年少女が死んでいく。それも何か成し遂げたといった感じではなく老人のとてつもなく下らない、純潔の地球人を取り戻すとか言った野望のために。そんな老人の戯れ言に多くのブブキ使いが共鳴して味方したことがまずは信じられないし、あっさりと退場していくことも分からない。

 しばらくぶりの登場となった一希汀もちょっぴり会社員風になったと思ったら、ザンバダとともに自爆エンドっぽい感じ。それで何も成し遂げていない。落としどころが見えないまま行き当たりばったりの闘いを繰り広げている感がまたも漂って来たけれど、それでも扇木乃亜と間絶美がしっかり胸の谷間を維持してくれているから目も止まる。そこを拠り所にしてとりあえず最後まで観ていこう。ちゃんとまとまるかなあ。

 愚直で忠実。だから教えを守って相手の選手からボールを奪えるし、危険な場所に顔を出してピンチをしのいでチャンスを作り出せるんだろうなあ、柄本つくし。そんな「DAYS」は高校選手権の地区大会優勝に向けて挑んだ試合でキャプテンの水樹がいないし華麗な1年生の風間陣もいないしフォワードの要ともいえる大柴喜一もいなくて3本の矢がかけた状態で挑みながらも柄本つくしは読みの鋭さでボールを奪ってはゴール前にも顔を出し、シュートを放ったところで以下次回。何てワクワクさせるんだ。これこそ普通に夕方7時台の放送してサッカーファンを増やせる作品に他ならないんだけれど、そういう時代でもないのはラグビーの熱さを描いた「ALL OUT!」が真夜中なのと同じか。勿体ない話。スポーツ界は無理してでもスポンサーになって夕方に放送してもらえば良いのになあ。

 ようやくやっと株式会社カラー10周年記念展へ。庵野秀明さんも含めた会社要人へのびっちりとしたインタビューが掲載された冊子も込みで500円は安い上に、庵野さんのこれまでをつづったアニメーションが観られたのも良かった。大きなカブをきっと作ってくれるだろう。その心構えが出来たからこそ漫画にしたしアニメーションにもした。そう思う。展示物ではやっぱり目がいく眼帯でプラグスーツ姿のアスカや制服姿のマリのお尻や「日本アニメ(ーター)見本市」で平松偵史さんが監督をした「until You come to me.」に出てきたスカートがめくれるアスカとか胸元がはあけたアスカの原画にばかり目が向かってしまう。ダメだなあ。まあそういうファンも含めての人気な訳だけれど。

 いよいよもってアーカイブ事業も立ちあげたみたいで特撮のプロップやらアニメーションの原画やらが並んでいた。1つのアニメーションスタジオががんばったところで収集にもお金は掛かるし保管にはさらに場所もお金も人手もかかってくる訳で、どういうスキームで今後取り組んでいくのかが気になるところ。政府・自民党あたりが超党派で議員を集めて画策している文化的なアーカイブを作る事業に参画して絡んでいくのかな。そこに明治大学とかも乗っかればなお良し。KADOKAWAが所沢に作っているのはどうなるなろう。いつかのメディア芸術総合センター構想が潰された時と比べてマインドはガラリと変わったけれど、今度は船頭になりたい人が多く現れ引っ張り合いになって頓挫なんてことにならないよう、調整と妥協とリーダーシップを望みたい。庵野さんに任せとけ? いや庵野さんには「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を作ってもらうのがまずは先で。

 島根県だよ島根県。人間よりも神様の方が11月に限らなくても多く住んでいそうなその土地の、山奥にあってダムに沈んだような場所にどうして5階建てくらいの団地とかビルとかが建ち並んだ街があったりするんだろう。舗装された道とかあって信号機とかも立っていたように見えるそんな開けた場所が、そもそもダムの設置にテキした場所とは思えないしそもそも島根県の山奥に存在するとも思えない。もしかしたら古代出雲文明の遺産か何かか、ティオティワカン級の発見か。そんな思いが浮かんでどうにも消えないけれどもそれがストーリーに直接関係ないのが救いか。

 あるいは東京近郊にあるという神ノ原から島根に向かうというのに在来線に飛び乗って、眠ってしまって終点の駅までたどり着いてはそこから徒歩でとぼとぼ歩いてたどり着けないまま海が見える丘の上にある飯場の宿泊小屋で10歳くらいの少年少女4人がひと晩を明かすことになるとかいった展開に、親の心配はないのかといった不思議が浮かぶしいくらなんでもそういう経路しか選べないものなのかといった疑問も漂う。

 幸いにして超自然的な乗り物がびゅーんと島根県まで運んでくれることになったけれど、それがなければいったいどれだけ時間がかかったかな。なおかつ追っ手もそこで補足できるなら、もっと手前で補足できなかったのかといった疑いにつきまとわれてしまったけれど、それもまあ本筋と関係ないと思えば思えないこともなかったりしなかったりするのでひとまず脇に置いておこう。作画監督がそれこそ両手の指ではきかないレベルで並んでいたように見えたエンドクレジットも含めて月刊ムーか何かに似たレベルの驚異に溢れた作品であることも、ここは忘れて本筋だけを追うとすると。

 「モンスターストライク THE MOVIE はじまりの場所へ」はテレビというメジャーな媒体を使わず、WEBで配信されたアニメーションのシリーズという画期的な成り立ちを持った『モンスターストライク』の物語をひとつの起点にしつつ、そこでいろいろと描かれていた主人公の少年・焔レンがどうして記憶を持っていなかったのかといった部分、あるいは立ちふさがる神倶土春馬の両親をめぐるあれこれがどうして起こったのかといった部分に迫るストーリーとなっている。舞台は過去。スマートフォンのようなデバイスから精霊のようなものを取り出しては戦わせるバトル「モンスト」をプレーしていたレンや水澤葵や若葉皆実、そして影月明たちの前に現れた謎の少女とそれを追う怪人が開いた時のゲートで明が飛ばされ、そして移ったその舞台でまだ小学生のレンは春馬と葵と皆実の3人で廃棄された野球場にある実験室のような場所で「モンスト」というゲームオン開発を任されていた。

 親が開発者の春馬と祖父が開発者らしいレン。その日も研究室に向かったがどこか様子がおかしかった。トイレを我慢できずに飛び出した皆実の前に倒れていた男たち。博物館の奥深くに捉えられていたドラゴン。その背後で蠢いていた世界を支配しようとする謀略を阻止しようとしたレンや春馬、葵、皆実たちはそのまま巻き込まれるようにしてドラゴンを元の世界へ返す任務を負い、遠く島根県を目指すおとになる。なぜ島根県なんだろう。もしかしたらWeb版のシリーズに説明があるかしれないけれど、そういうものだと思えばそれで良い。なぜ鳥取じゃないかも含めて。

 そんな子供たちによるある種のロードムービー的に進んでいくストーリー。自分こそがと先に行き、危険を指摘されても聞き入れず弱虫めと煽って突出しては危険を引き込み仲間を危険にさらしてなお、反省できないで強気を貫くレンという子供のガキっぷりにムカっぱらも立つけれど、子供ってそういうものだととりあえず思い、そしてちゃんとそうなってしまった理由の説明があり、仲間との和解もあるからラストは気にしないで劇場を後にできる。

 激しい闘いが残した後遺症めいたものが、WEB版で大きな伏線になっている。既に観ている人はそれを確認し、未見に人はこれから観ていく上でそうだと理解できる。そんな位置づけの映画だと言えるかもしれない。WEB版を見て来た人はとりあえず観て悪いものではないだろう。小学生女子がおしっこを我慢し続ける姿を眺める趣味のある人も。ところで皆実はちゃんとトイレに行けたんだろうか。それが心配。大いに心配。プロデューサーを務めた里見哲朗さんの胃に穴は空いてないだろうかも含めて。


【11月27日】 5000億点とはまたライムスター宇多丸さん、大盤振る舞いをしたものだけれどそれを言っちゃって大げさと誰も思わないくらいに今、片渕須直監督の「この世界の片隅に」を語る言葉、褒める点数に不足こそあっても多すぎるということはない感じ。インフレーションでも何でもなく、例える言葉が見つからないから5点が上限ならそれの最高点をキネマ旬報なんかではつけ、100点満点を旨としているなら岡田斗司夫さんはその100点満点を持ってきた。上限がなければ無限とでも言いたいところだったかもしれないけれど、それはさすがに何も言ってないに等しくなるので出せる最高あたりを出して5000億点となったんだろう、宇多丸さん。いずれにしても凄い話。

 だったら「マイマイ新子と千年の魔法」は何点か、ってところで4978億2846万6133点くらいつけても良いような気がするし、人によってゃ5000億2万409点あたりにしてくるかもしれにあ。つまりはそれだけ拮抗している面白さがあるってことで、「この世界の片隅に」のヒットを受けてそっちを見返す人が増えてくれたら誰もメディアの来ていない中を東京ミッドタウンで開かれた、サウンドトラックで歌を歌っているMinako“mooki”Obataさんのイベントを観に行った人間として思うのだった。あの時にこれくらいの評判があれば。

 あるいはいっそ、片渕須直監督作品にまつわる音楽祭でも開いてコトリンゴさんが歌い村井清秀さんの伴奏でMinako“mooki”Obataさんが歌っても良いかも。続くのがMELLさんで「Red Reflecton」 …だと殺伐とし過ぎるか。それならMinako“mooki”Obataさんが歌う「The World of midnight」をラストにして、アンコールに「アリーテ姫」からエンディング曲となっている大貫妙子さんの「金色の翼」を。これなら綺麗にしんみりと終われそう。誰か企画、しないかなあ。

 そうそう「この世界の片隅に」に満点を付けている町山智浩さんが片渕須直監督と対談する上映があるってんでテアトル新宿の予約サイトにアクセスしたけと繋がらない。時々座席を選ぶところまでは行くんだけれど、そこから先、個人情報を入れて決済しようとしたらそっちの画面に行く前に真っ白になってしまう。ひどいと購入のためのサイトを示すポップアップが真っ白になって何も出てこなかったりして、そうこうしているうちに時折見える座席選びの表がどんどんと埋まってしまってもうこれはダメかもしれないと諦めかけるものの、1時間が経ち2時間がたってもいっこうに完売とはならずずっと埋まらない座席表が出続ける上に、前は埋まっていた席が開放されていたりする。

 想像するならまずは座席を確保して、そこから個人情報を入れて決済のサイトへと向かう途中で阻まれて、そうこうしているうちに取った席が開放されてしまってまた現れてくるといったところ。もっともそれを抑えて決済しようとすると、今度は自分が繋がらなかったりするから苛立ちも募る。午前3時を回ってもうこれは無理かなあ、なんて思っていた3時15分過ぎになぜかすすっとアクセスができて、個人情報の入力から決済まで画スムースに行って座席が確保できてしまった。その瞬間に同じような状態になって購入できた人が確認できただけでも結構いるみたい。がんばったご褒美に神様が瞬間、ワームホールでも明けてくれたのかもしれない。ともあれ席はとれたんで、あとは万難を排して仕事も早く終わらせてテアトル新宿へと駆けつけるだけ。見るのは5度目か。もう泣かない? やっぱり泣くかなあ。

 さすがにこれはダメだろうというか、ビジネスだったら失格の烙印を押されトバされたって不思議はないようなヤラカシを、一国の総理大臣がやってしまっていてそして指摘されまくっているのにいっこうに改善しようとしないところにこの国の知性の劣化とそして危機管理の甘さって奴が浮かんで来る。キューバのカストロ元議長が死去した件について官邸とそして安倍晋三総理大臣のFacebookが追悼のコメントを出しているんだけれど、その文章に「日本政府を代表して、キューバ共和国政府及び同国国民、並びに御遺族の皆様に対し、ご冥福をお祈りします」という一文が。

 まずは「ご冥福」という言葉は宗教観の違いもあって死後の世界での幸福を祈って良いか良くないかを考えて、使うのを選ぶというのが普通の考え。増しては相手は外国の要人で、もっとシンプルに悼むといった言葉で良い物を敢えて使って墓穴を掘っている。それはまだ救いようがるけれど、そんな「ご冥福を祈る」、すなわち冥途での幸福を祈っているぜっていう言葉は、泣くなって旅立たれた人に対してのみ使う言葉であって、遺族だの残された国民に使って良い言葉では絶対にない。だって存命の遺族なり国民にお前ら死んで幸せになりなって言っているに等しいことばあから。

 ビジネスの世界でもだから、ご冥福という言葉は亡くなった人にのみ、使って良いと言われているのにそうした知識をまるで持たずに使ってなおかつ、指摘されても直そうとしない。おそらくは秘書官か誰かが書いて官邸と総理個人のFacebookに掲出したんだろうけれど、官邸名ならまだ誰か他に書いたと言い訳できても総理個人名では総理が書いたとしか捉えようがない。SNSだからってそれが開放され官邸なり総理の名で発信されているなら公のもの。そこで決定的な間違いを犯す愚も愚なら、いっこうに改めようとしない体たらくも体たらく。普通だったらやり玉に挙げられるべきところを、アレな総理だからしゃあなしだ、なんてハードルが下がりきったところでスルーされてしまい、また傷口をえぐって嫌われてはかなわんと遠慮が蔓延するメディア的空間で、これも触れられず問題にもされないで通り過ぎていくんだろう。なんで国になってしまったんだろう。

 さても大阪☆春夏秋冬が来るってんでMOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL2016 in TOKYOを見物に東京体育館へ。牛タンつくねを食べて牛モツ入りラーメンを食べて腹ごしらえをしてから、まずは外のステージでニーコさんのDJを聞いてアニソンに浸ってから、中に入ってしばらくして始まったTEMPURA KIDZによるパフォーマンスを見物。相変わらずキレキレのダンスを見せてくれるし、歌うだいたい2人も巧い。前はライブハウスとかライブ&イベント産業展のデモンストレーションといった狭い場所で見たけれど、大きなステージの上でもしっかり踊って歌って煽ってと、会場に負けないパワーを見せてくれた。こりゃあフェスで話題をかっさらうグループだ。海外でも。もっと大受けしないかなあ。

 そして外に出たらやのあんなさんが歌っていて、前にこれもライブ&イベント産業展で見た時と似たセットリストを聞かせてくれた。とっても良かった。「Darling Darling」とかほんわかとしてクラップする場所もあってミディアムテンポだけれどのれる歌なんでもっと知られると良いと思うんだけれど。アニメ好きだしそっちの活動もしているんだけれどアソビシステムだとそっちとのリンクがとれているようでズレているようでもあるんでもっとアニメな人にも存在が知られる仕事をして欲しいかなあ、主題歌とか。そしてキュピトロン。テクノな3人組だとPerfumeが思い浮かぶけど、よりアイドルよりで衣装もそんな感じで何より可愛い。スタイルも良い。グングンと来るだろうと勝手に予想。「銀河鉄道999」の劇場版主題歌を歌っているんだから悪い訳ないよね。うん。

 そんなこんなで大阪☆春夏秋冬。やっぱり熱いなあ。去年の同じイベントで見た時にそのパワフルなボーカルと激しいダンスに驚いて、渋谷で行われたアイドルネッサンスとのツーマンを観に行ったくらい。それからしばらく離れていたけど1年ぶりの東京体育館登場という訳で駆けつけ屋外の雨降りしきる中でステージを見る。はっぱりパワフル。そしてちょっとだけセクシーにもなったかな、とりわけ次にでるシングルってのが色っぽくってオトナの雰囲気って奴を感じさせた。でもやっぱり代表曲めいた「Let you fly」が始まるとみんなノリノリでジャンプありの声出しありのヘドバンありので観客席が盛り上がる。雨とか気にせず待ち続けた気持ちを爆発させつつ暴れないその熱量が寒さなんて吹き飛ばす。楽しい。そして嬉しい。そんな気持ちを味わいにまたライブ、観に行こうかな。次はどこでやるんだろう。調べとこ。


【11月26日】 これはあらゆる人たちに対する遺言だよなあ。「ハイキュー!! 烏野高校vs白鳥沢学園高校」の宮城県代表を決める試合の第5セット、もう後が無い状態に追い込まれた烏野の選手たちに向かって烏養コーチがかけたというか、叫んだ言葉が「下を向くんじゃねぇぇぇ! バレーは常に上を向くスポーツだ!!」 。上から来るボールを見極め上へと返してさえいれば絶対に勝てるスポーツ。逆に下を向いたらもうそこで終わってしまうスポーツの勝負において抜群の言葉であると同時に、人生においてもそんな心構えをずっと持ち続けていたいと思わせる。

 そんな言葉を発して烏養コーチを演じた田中一成さんは逝ってしまった。次からは代役が立たれるからまさしく放送上で最後の言葉。聞いて選手が鼓舞するのは物語上の話だけれど、思い出して演じた声優さんたちも、聞いた僕たちもずっと上を向いて高みをめたかっただろう役者としての田中一成さんが、そこで下を向かざるを得なかったことに気を新たにして下に向いていた視線を前へ向け上へと向けて歩み出そう。そう思った。そんなところに帰還した眼鏡くん、月島蛍。執拗な読みと諦めないブロックでもって白鳥沢の牛若こと牛島の前に立ち続け、破られても屈しなかったその態度が試合の流れを烏野へと引きつけた。影山と日向だけでない主役たち。その活躍の融合が観られるのがやっぱりスポーツアニメの面白さだよなあ。「ALL OUT」も「DAYS」も。「競女!!!!!!!!」は……ちょっと違う。

 玉音放送の後にぽこっと上がる太極旗が、長かった戦争が終わって支配されていた朝鮮半島にルーツを持つ人たちがこれで自分たちを取り戻せるといった思いを形にしたものだろうってことはたぶん、想像もつく話であってそれをもって政治的というならなるほど、大日本帝国における植民地支配の状況を思い起こさせるという意味では政治的ではあるけれど、でもそういう状況が実際にあってそして解放されたと感じた人がいたんだろうという過去への洞察もあったとしたならそれは歴史的な情景の描写に過ぎないともいえる。知識と推察がどうにでも判断を右にも左にも振るだけでそこに政治的な意図を見たいと思えば見られるし、見たくないと感じれば見ないで済む。ただ事実は事実。それだけは噛みしめておかないといけない。旗は揚がった。併合した過去はあった。それにいろいろ思う人はいた。そんな事実に。

 そしてデザインフェスタVOL.44へ。これでも30回以上は通っているけどだんだんと人が増えて行列が出来るサークルも見られるようになって知名度は上がってきている様子。テレビ局の取材も入って入り口で入場を待ち構えるテレビカメラなんてのもあったし、有名人なんかも出てくればコミックマーケットじゃないけれど、これからのクリエイターが生まれて来る場として注目を集めてそして実際に有名になっていく人も出てくるんだろう。ってことは10数年前にも思っていたけど、知らずビジネスの分野に出て行っている人はいても、デザフェス出身を看板に掲げている人はあんまりいないのは、まだそれが看板になるほど知られているってことでもないのと、大きいところで活躍するよりデザフェスを主戦場にしてこぢんまりとしながら、自分のクリエーティブを世に問うている人が多いから、なのかもしれない。

 そんな中でも着実にビジネスに広がっている感じの「もにまるず」は元々は武蔵野美術大学の中で競い合っていた作品として登場したものが発端で、それがデザインフェスタに出て参考品みたいに売り始めてから幾年月、ファンも増えて呉区ションする人も出てきた感じでデザインフェスタではちょっとした人気スペースになっている。今回はちょっと派手目な色をした「もにまるず」が登場。でもちゃんとさわるとぷにぷにしている。干支を意識したものもあったりしてビジネス面も意識している感じ。聞くといろいろなキャラクターとのコラボレーションもあったとか。土台となる素材さえあればキャラクター展開、いろいろと可能だもんなあ。そんな成功を見るとデザフェスもまだまだ掘れるイベントなのかもしれない。

 女子高生と世界遺産とを結びつける、意味不明だけれどよく分かるキャラクターを打ち出しているバラ色のクマタローさんのブースへと行って新作を見物。兵馬俑坑にティオティワカンにストーンヘンジがあってあとモスクワにある聖ワシリイ大聖堂がやっぱり女子高生と組み合わさって登場していた。今回は特徴的なロゴだった「リボン色の世界遺産」という文字を廃してキャラクターだけにしたようで、それだけ組み合わせのミスマッチなマッチングぶりが際立つ感じになっていた。バックが黒ってのもあってこれもキャラクターが良く目立つ。いろいろと試行錯誤している感じ。でもそんな中で最高だったのがあらゆる女子高生をフルグラフィックでプリントしたTシャツ。遠目にはヘリンボーンかドットかといった感じに見えるシャツの近くに寄ってみると女子高生。最高なんだけれど着ていく場所があるかどうか。それが問題なんだよなあ、格好良すぎるTシャツって。

 そんなデザインフェスタで見てこれはと思ったのが台湾から来ていたシャウリーさんという人によるイラストレーションで、描かれているのはバラ色のクマタローさんみたいな女の子たちなんだけれど、どれも民族衣装っぽいのを着ていてちょっぴりエスニック。聞くと台湾の少数民族の衣装だそうで、それを女の子っぽくアレンジして着せているとか。だからちょっぴり露出は激しくそんな格好なんてしないと言われそうだけれど、でも可愛らしさって部分はちゃんとでていて目にとまる。あとキャラクターが日本人のイラストレーターでも描きそうな感じで見ていて違和感がない。色もビビッドで背景なんかもおそらくは地元の意匠が使われていそう。エスニックで最先端の。そんな組み合わせから日本の台湾への関心を向けさせるキーとして、使って行けそうな気がしたけれど、どこか取り上げるところはでるかなあ。

 キューバ革命を起こしたフィデル・カストロ死去。20世紀を革命の世紀を例えるならばロシア革命を成し遂げたレーニンがいて、そして中国共産党による革命を成し遂げた毛沢東がいてその両巨頭の後を追うくらいには存在感があったけれども、大西洋に浮かぶ島ひとつを革命したって意味合いを歴史の上でどうとらえるか、ってなるとそこはやっぱり評価が分かれそう。アメリカの大国主義に挑んでのど元に合口を突きつける役割を果たしたとも言えるし、一方でロシア革命の余波みたいなものを享受して存在が保たれたとも言える。ただあの近さで再度、アメリカに支配を許さなかったあたりに続く南米での解放を呼んだ原因があるとするなら、やっぱり偉大な指導者であり革命家だったんだろう。謹んで合掌。1926年生まれは「この世界の片隅に」のすずさんより1歳下か。なんだ若いじゃん。


【11月25日】 そして気がつくと我らがジェフユナイテッド市原・千葉の監督が、スペイン人のファン・エスナイデルって人になっててまだリーグ優勝が決定した訳ではなく、天皇杯もこれから始まるといった具合に今シーズンが終わっていない状況で、来季の監督が決まるなんていったいジェフ千葉、悪い物でも拾って食べたのかって驚いたり慌てたり。まあ普通のチームにとっては当然のことでも、このチームに限ってはあり得ないことだったからなあ。でも現実として早く決まるのは有り難い。

 国籍はスペインでも代表歴はアルゼンチンで出身も。スペインの血を引くということで渡航し国籍もそっちに映したといった感じか。レアルだとかユーベだとかリーベルだとか、経歴は華やかでも現役としての記憶がほとんどないから大活躍したスター選手って訳でもなかったのかな。まあそんな時代のスターってサビチェビッチだったりデルピエロだったりバッジョだったりロマーリオだったりといったビッグ過ぎるネームしか覚えてないから仕方がない。監督経験はスペインリーグの1部と2部だからJ2なんて来てくれるのは有り難い方だろう。あとは手腕。そして何より選手層。どういじってくるかなあ。佐藤寿人選手は来てもらえなかったのかなあ。

 日刊スポーツ映画大賞のノミネート作品が発表になったけれども「この世界の片隅に」は見当たらず。公開時期が11月19日と1週間遅い「聖の青春」でもノミネートされているってことは期間外ではなく、そして「君の名は。」もちゃんと入っているからアニメーション作品が除外される訳でもない。それでも入らないというこの現状をどう思えば良いのか。それが広い意味での芸能界とも言える日本の映画界とそして芸能マスコミという奴なのか。だとしたらとっとと壊れてしまって欲しいなあ。せっかく「シン・ゴジラ」と「君の名は。」が入ってもこれでは須直に、じゃなかった素直に喜べないよ。

 この様子だと報知映画大賞とか毎日映画コンクールなんかもちょっと厳しいかもしれない。エントリー制なのか選考があってのノミネートなのか、場合によっては違うけれどもどっちにしたって最終的には誰かが選んで作品を絞る。その家庭でザ・芸能界が働いたらやっぱり来ないだろうと思えるけれど、そういう壁を突破できるのが誰でも投票可能なファン投票って奴で、毎日映画コンクールでもTSUTAYAとフィルマークが絡んで「あなたの投票で決定! TSUTAYA×Filmarks映画ファン賞2016」なんてものをやっている。候補作があるわけじゃなく期間内に公開された映画なら何でもオッケー。それならと早速「この世界の片隅に」を推しておく。他にも同じ声が集まればあるいはザ・芸能界の風に逆らう偉業を成し遂げられるかも。がんばろう。

 そうした方面からの黙殺はもは風景として消化する一方で、新聞の方ではのんさんのインタビューが朝日新聞の夕刊に載り、そして「この世界の片隅に」を応援する有名人のコメントがびっしりと掲載された全面広告が毎日新聞の夕刊に出て読者の方にはしっかりと伝わっていきそう。今もなお新聞を読んでいる年配層にはこうしたアピールが覿面に効くみたい。時間もあて昼間から出かけられる年配者が映画館に足を運んで満席にしてくれればやがて劇場も回数を増やして夕方からの客も受け入れそして館数も広がって興行収入も上がるだろう。2週目3週目と落ちていくのが常の映画界にあって逆に増えていくという“事件”が現在発生中。それを見過ごす民放キー局の愚劣を横目で小馬鹿にしつつ、観たい人が観にいってくれている状況を喜びそして、なおいっそうの拡大を期待しよう。

 なぜか毎週ちゃんと観ている「ALL OUT!」は籠コーチが顧問の所に出向いてあれやこれやとお願い。私が顧問だからと言って怒るかと思ったら冷笑混じりにどうせといった態度でそれはそれで鬱陶しさはないものの、やっぱりもうちょっと働いて欲しいってことでし合いを見せたらあんまりうまくいってない。相手の東道大相模高校は籠コーチの教え子らしい人間がコーチをやってて、それが人が良さそうに見えてラフプレーぎりぎりのところを教えるなかなかの策士。心理的な攻撃もさせては神奈川高校の選手たちを肉体的、精神的に停滞させる。そのまま沈んで顧問も見放すか、って分水嶺にあるけれど、そこから元気はつらつ祇園あたりが張り切って、ヤンキーだけれどラグビー莫迦の江文も立ちあがって神奈川高校を引っ張り相手を本気にさせて顧問にもやる気を出させるんだろう。そんな復活劇を楽しみにしつつ来週を待とう。

 今日も今日とて「もしもしにっぽんシンポジウム2016」へと出かけていってはバンダイナムコエンターテインメントのパックマンがアソビシステムとかと君でかわいくなるって発表を聞く。その名も「PAC−STORE」はパックマンが暮らす世界といったコンセプトでもって、レトロなアメリカといった風情の街を想定して、そこにあるショップを舞台にいろいろなもおを展開していくといった筋書きになっている。中心にいるのがパックマンだけれど、ゲームの世界で迷路を行ったり来たりしながらモンスターと戦っている、といった肝となる部分を今回は捨てて、ひたすらに丸くて黄色いキャラクターとそしてモンスターのビジュアルをどこかレトロにして描いたものとなっている。

 クールというよりキュートな同じ。おまけにパック−リトルにパック−マリーといった弟分やらガールフレンドやらといったキャラクターが加わった3人組になっていて、それらが集団だったり単独だったりで描かれたグッズがあったり、レトロな雰囲気のゲーム筐体を添えてチェリーも並べた感じのテキスタイルがあったりと言った具合に、単純にあの黄色くて丸いキャラクターを配置しただけのものではなくなっている。これならパックマンを知る人だけでなく、知らない人にも雰囲気のある親しみを持てるキャラクターとして受け入れられたりするのかな。アソビシステムの人がやっているからには女の子にキャッチーな要素は入っているんだろう。26日と27日の「MOSHI MOSHI NIPPON FESTIVAL2016 in TOKYO」の会場で売られるみたいなんで、反応をちょっと見てみよう。

 角川三賞の贈賞式があったんで見物に行ったけれども、ホラー小説大賞の優秀賞を獲得した坊木椎哉さんはおらず。腐臭が漂っていそうな世界でありながらもそうした臭いを感じさせないくらい、どこまでもピュアでどこまでも凄烈なボーイ・ミーツ・ガールの物語を紡ぎ出した作家がどんな風体をしているのか観てみたかったけれども仕方が無い。そんな「きみといたい、朽ち果てるまで 〜絶望の街、イタギリにて〜」と同時に集英社からもジャンプホラー小説大賞を受賞して第1作となる「最後のデートをきみと」を刊行。同じイラストレーターを使い表紙や装丁も似たものにして並べるとどっちがどっち、ってほどでななくても関連しているような雰囲気でついついどっちも買ってしまいたくなる。内容的にはやっぱり関係はなさそうだけれど、一方の面白さから想像するならもう一方も面白いに違いない。読んでそして次にいったい何を書くのか、想像しながら待ち望もう。


【11月24日】 お金が集まりすぎてこのままでは月にまで派遣されてしまうのかと思われた片渕須直監督の海外渡航費用を募るクラウドファンディングは、とりあえず上限を決めてそこまでの募集とし、海外での活動をより広げ充実させるとともに報告リポートを分厚くし、なおかつ報告会を全国各地も含めて開いて大勢の人に参加してもらえるようにしたとか。前のクラウドファンディングで途中経過を伝えるイベントを開いた際には会場が割と限られて、来られない人も結構いたんでその反省も含めた開催拡大は判断としてベストかも。怪我の功名というか。

 しかしやっぱり凄かったなあ。クラウドファンディングにお金が集まる勢い。ここまで「この世界の片隅に」というタイトルがバズっているとはちょっと思わなかった。Twitterのワード頻出ランキングでも「君の名は。」を抜いたって話しがあるし、その意味では今もっともトレンディな作品ってことになるんだけれど、相変わらずに民放テレビ局の出足は鈍いというか、まるで見かけないのはやっぱり事情がいろいろあったりするからなんだろう。

 なるほど片渕須直監督が民放テレビ局には出向いても、出演したのはそこが出資しているAbema Primeってネットのテレビだものなあ。地上波じゃない。そりゃあネットの方が拡散はしても、30代40代50代の女性層に届くメディアは民放地上波。そこがまるっとかけた状況で、よくもここまで検討しているものだ。逆にいうならそこにハマればさらにって話。でもそうはいかないところに芸能界にまつわるいろいろと思ってしまう。紅白歌合戦も発表になったけれど、ジャニーズ事務所から6組も出てAKB関連は3組で、それでいっぱいな感じ。

 去年は特別枠で“復活”を果たし、いよいよ本番にもと思われた小林幸子さんはやっぱり出ないし、こちらはヒット曲がないから何ともだけれど日本レコード大賞の金賞には入ったきゃりーぱみゅぱみゅもいない。映画「何者」の主題歌を歌っていてそして中田ヤスタカさんがプロデュースもしている米津玄師さんも出ない。中田さん関連ということでPerfumeは出ても、所属事務所が同じBABYMETALはいない。それが日本のテレビ界における歌の先端。でもリスナーは……。そんな乖離が滅びを招くんだろうなあ。せめて合間の寸劇にコトリンゴさんが出て歌いそれをバックにのんちゃんがすずさんの声をアテレコする「この世界の片隅に」コーナーがあればなあ。

 クラウドファンディングといえば八谷和彦さんが手がけたメールとキャラクターとを結びつけた画期的タイトル「ポストペット」の最新版として「ポストペットVR」ってのが作られることになって、その費用の一部をクラウドファンディングで募っていた。HTC ViveとOculus Rift向けに作られるそうでバーチャル空間に入って手に持ったコントローラーを動かすと眼前に現れるモモに触れられるとかどうとか。それだと単なるバーチャルペットがそばにいるタイトルになってしまうから、きっとメール的な役割もそこにくっつけることになるんだろう。モモにメールを渡されそこからネットの海にだいぶして誰かのルームに行ってモモにメールを渡して帰ってくるとか。

 分からないけれどもスマートフォン版の開発ってのも視野にいれているそうで、それが完成すればVR版との連携なんかも行われるそうなんで、たとえクラウドファンディングの成否が開発には関係ないとはいっても、いっぱい突っ込んではスマートフォン版の開発へと至らせるのが20年、「ポストペット」を見続けてきたウォッチャーの役割だと思い記者発表音場で即座にキャンプファイヤーにアクセスをしてログインをして9000円を突っ込む。とりあえず体験会には出られるみたい。ちょっと楽しみ。ちなみに「ポストペット」は20周年だとかであの増田セバスチャンさんが登場してモモを使った記念ビジュアルを披露してくれた。

 増田セバスチャンさんらしくキッチュでカラフルでカワイイデザイン。これで若い子にも「ポストペット」が広がれば、キャラクターとしての命もさらに延びるだろうなあ。お金が八谷和彦さんに行けばメーヴェもより飛ぶ? でも八谷さん、「ポストペット」のお金は使わないことを旨としていたからそれはそれ、これはこれってことなのかな。そうそう増田セバスチャンさんが話していたのがなかなかに面白くって真実をついていた感じ。メールにキャラクターを載っけた「ポストペット」はインターネットの出始めに、メールを使うという行為の上にキャラクターを載せて楽しくさせて認知を広げ利用者を増やした。VRにキャラクターを付けることで「ポストペットVR」もVRを広げる役にたつかもと。それはあるかなあ。長く八谷和彦さんを見て来た増田セバスチャンさんらしい指摘。それが真実となる日を見守ろう。

 アニメとはパンツであり、パンツこそがアニメであるのだと、誰が言った訳でもないけどそう思っていた時期があったし今でもひっそり思っていたりするのだけれど、テレビでそれがあんまり見られなくなって幾年月、規制という枠に果たして押しつぶされてしまったのか、業界最多パンツを誇ってあるいはギネスワールドレコードに認定されても不思議はないアニメ制作会社のスタジオ・ファンタジアが破産を認定されて会社が整理に入った模様。更正法なら立ち直る可能性もあったけれども破産では……。「AIKa」をはじめ数々のパンツを見せてくれたあのスタジオが、なくなってしまう寂しさはあって、今あれだけのパンツを見せれてくる会社がない状況に悔しさも募るけれども仕方が無い、これが資本主義だ。せめて今晩くらいは「AIKa」のボックスを探して見ながら拝もう、パンツを。追悼は……しないよ辛気くさいし。

 田中あすか先輩がユーフォニアムでありユーフォニアムは田中あすか先輩であることは自明なことで、それだけにしばらく田中あすか先輩が出ていないとちょっと物足りなさも覚える「響けユーフォニアム2」。事情は分かっていて親の縛りで部活に出られないんだろうけれど、あれだけ日頃から常識に縛られず自分を貫く人間でも、親に逆らうのはいろいろと面倒くさいのかもしれない。あるいは親に逆らってまで部活に出るのは格好悪いと思っている? それはないか田中あすか先輩なだけに。まあ原作の通りに進めば復活はして全国大会にも出てって感じになるんだろうけれど、そのあといったいどんな進路に進むのか。大学に行くってことでトロンボーンを止めてしまい美容師になる道も諦めた黄前久美子の姉を描いていることで、そのようにはならない人として描いていくんだろう。そういう構成もひとつの妙味か。好きなことは諦めないで。でも遅すぎるということもないとは言っておこう。「いとみち」のハツヱばあちゃんなんてあの年で、メイド、始めたんだから。

 TPPから離脱するとかいったドナルド・トランプに会いに行ってそして理解を深められたといった会見をして、もしかしたら説得できたんじゃないかと周りに思わせていた安倍晋三総理だけれどもその後、トランプは就任したその瞬間にTPPからの離脱を表明すると言って梯子を外された感じ。自分の周囲には自分の偉大さを見せようとしたけど現実は子供の使いにもならなかった訳だけど、それを伝える御用メディアはあんまりなさそう。それはプーチン大統領との会談も同様で、北方領土の返還交渉に期待を持たせて何か成功されるんじゃないかと思わせていたら、国後島と択捉島にミサイルを配備したという報。最初っから期待なんて持てる話でもないのに、会談までは雰囲気だけは成功だと思わせおこうとしたら出る前から鼻をくじかれた。これで会談で何にもなかったらメディアは何を書くかなあ。やっぱり成功と書くんだろうなあ、良いところ探しで。やれやれだ。


【11月23日】 そして「この世界の片隅に」の片渕須直監督を欧羅巴とか亜米利加とかに送り出して映画の上映拡大に大いに役立ってもらうための資金を募ったクラウドファンディングは、開始から11時間ほどで目標としていた1080万円を集め切ってしまうという凄さ。これ以上集まっても使う先がないのでご遠慮頂きたいといったメッセージも出るくらいの賑わいになっていて、予想を超えた評判だったことも何と話しに窺える。何とも勿体ない話ではあるけれど、渡航の飛行機をファーストクラスにするとか泊まるホテルと5つ星にするとかいった贅沢に使えるお金でもなく、かといって余らせても目的以外に使えるものでもないのでここは希望していた人は、別の使い方で映画の評判に貢献をして頂ければといった思い。あるいは願い。

 客観的に見るなら映画そのもののパイロットフィルムを作ろうとして集めたクラウドファンディングに乗って自分は良い映画に応援したんだといった思いを抱えているだろう人たちを一方に見つつ、今回もそうした“関わり”を得ることで映画の成功にひとつ貢献できたんだといった気持ちを得たかった人が多く居たとも言えそう。それはそれで貴重な思いだから無碍にはできないけれど、そうすることだけが関わりではないといったこともあるのでひとつ、我慢をしてまた別の機会に関わりを持てるようお財布にお金を貯めて準備しておいてくださいな。そしてお金を出せた人たちはそれを妙に誇らないことも。出せなかった人たちとの間に意思表明の後先はあっても強さに遜色はない。だからリターンは特権ではなく、同じ情報を得たいと願う人が居たなら、多少の優位性は与えられても最終的にはイーブンになっても、嬉しいと思える気持ちを育んでといった思い。そして願い。

 そういえば週末ではなかったんだと気付いて録画されていた「夏目友人帳・伍」。田沼が前に世話になっていた旅館が改装とかで人手を集めたのに同級生たちといっしょに乗って訪れた夏目たちだったけれどもそこに祭りを邪魔しようとする妖怪の影。いったい誰が。そして分かった妖怪と、それとは別のあやかしの存在。人の人生は長いようでも妖怪から見れば一瞬。そんな寂しさを感じさせつつ、それでも人から見ればかけがえのない出会いもあるんだってことを感じさせてくれた話しだった。それにしても妖怪にたぶらかされていたカップルの男子は、あのあとどうしたんだろう。自分は何でここにいるとか思ったんだろうか。「君の名は。」の終わりがけ、訪れた山頂で目覚めた瀧もそんな思いだったんだろうか。俺なんでこんなところに来たんだろうって。

 午後1時からの三鷹での「アリーテ姫」と「マイマイ新子と千年の魔法」の上映会に行くなら果たして寄っていて間に合うだろうかと思ったものの、青山ブックセンターでの初期段階からずっと通っているんで東京に(千葉だけど)いる以上は抜かす訳にはいかないと、浜松町からモノレールに乗って「文学フリマ」へ。前回は場所が奥になっていたけど今回は戻って手前のホールの1階と2階を使うスタイルへ。まずは下をざっと回ってどちらかといえば創作系のブースがあるのを確認。そんな一角に「小説家になろう」とそして「エブリスタ」のブースが出ているのを見て、何かを書きたいという人たちの思いをとりこむプラットフォームがしっかりと存在感を示すようになったんだなあと実感する。

 まだ青山とか秋葉原で行われていた時代に、そうした創作物を世に示すツールなんて自分のサイトかブログくらいしかなかった。あるいは紙の同人誌。それが今は創作あんらまずは「小説家になろう」なり「エブリスタ」なり「カクヨム」といったプラットフォームを使い連載をしてそれで人気になれば出版といったルートがある意味“確立”している。そこからヒット作が出てベストセラー作家も出ている状況で、「文学フリマ」に参加している創作系の人たちも出展している小説投稿サイトに関心を抱き、親近感も持って作品をアップするようになれば共に豊穣さと多様性を得られるようになるって判断か。「エブリスタ」は珍しく自分たちで本も出していたけどこれは基本はキンドルのデジタルパブリッシング向けで紙の本はオンデマンドなり「文学フリマ」の場だけでの販売。そういう”特典”もあるプラットフォームとしてアピールして参加者を集めるって考えもあるのかな。今後に関心。

 幾つか買ってそのままモノレールで浜松町を経てJRで神田まで出て中央快速に乗ると三鷹には12時半過ぎには到着。そこから歩いて入った三鷹産業プラザの会場は普通にホールなのにそこに35ミリの映写機を2つ持ち込んで上映するというスタイルで、大丈夫なんだろうかと思ったらちゃんと映るし音も響いている。そうだよフィルムの映画って場所を選ばずスクリーンになる平たくて白い壁さえあればあとは電源に繋がりさえすればどこでだってかけられるんだってことを実感する。もちろんプロジェクターだって軽くて便利だけれど映画に使う今のデジタルシネマだと音源から映像の送出からきっとシステム化されて、プロジェクターとは別に機材が必要で、映写機にフィルムをかければ音も光も出せるってことにはなっていないんだろうなあ。

 大仰に見えてコンパクトな35ミリフィルム。だから上映会のスタイルでもって回って見せられた。小さな街の小さな映画館でも。それが不可能になったのは、興行のスタイルが変わったのとあとはやっぱりデジタル化が進んでフィルムが作られなくなって、かけられる映画が少なくなってしまったことならやっぱり、技術の進化が文化の進歩とは限らないってことになるのかも。まあ後ろでカタカタと映写機が回る音が聞こえてくるのと、映写機を切り替える時につっかえるようなカ所が感じられるあたりがオールドだけれど、それも味として噛みしめつつ作品そのものを味わうことは可能。そうやって見ると「アリーテ姫」も「マイマイ新子」もただ1本のアニメーションである以上に、さまざまな思いと歴史がそこに詰まった作品として感じられるようになる。すべてが繋がっていて、すべてを含んでいる。それが作品。そのことを忘れた上っ面だけの映像であり音声であり物語では、響く範囲も狭いんじゃないのか、なんて思ったけれどそれも一種のノスタルジー、最新の環境に慣れた人はそこで自分の鑑賞スタイルを育み経験としていく。寂しいけれどもそれが時代なら従うか、それともあらがって35ミリを守り上映会を開いて記憶を受けつぎ体験を提供し続けるか。岐路にあるのかもしれない。

 上映後に片渕須直監督が登壇して廣田恵介さんを司会にトークを幾つか。会場から出た質問で「アリーテ姫」の空が「マイマイ新子と千年の魔法」や「この世界の片隅に」みたいに真っ青ではないくすんだような色味になっていることについて、片渕監督は「あれは」絵として描かれているもの」といった解釈と、あとはデジタルに取り込んで造り始めた作品でいろいろな色を試したってこともあってああいった色味になったとか。背景のサイズも小さめでそれを拡大しているので筆の線が拡大されてぼけたりもしているという。そんな効果が日本とは違った世界のどこでもないファンタスティックな世界の風景を作りだしているのかもしれない。最初から異国情緒を狙ったって訳でもないのだな。

 そして会場に来ていた声優さんで「マイマイ新子と千年の魔法」では吉岡さんとバーカリフォルニアの女、そして「この世界の片隅に」では刈谷さんを演じている以前は喜多村静枝さんと言ったたちばなことねさんが来場していて「マイマイ新子と千年の魔法」では吉岡さんとタツヨシでオーディションを受けたら吉岡さんになってバーカリフォルニアの女もやってと言われた話をし、そして「この世界の片隅に」ではすずさんと一緒にリアカーを引く場面のセリフを翌日に取り直したって話をしてくれた。なんて贅沢な収録だけれど監督もそして当人も納得がいくまで演技をさせるのは「マイマイ新子と千年の魔法」の時から。そうやって生まれた声だからこそ馴染んで気持ちもこもっているんだろう。でもやっぱり映画ならではだろうなあ、日々のシリーズものでは限られる時間をどうこなすかが精一派になってしまうし。そして内容も内容なだけに極端になる演技をアニメ的と言われて声優さんもちょっと可哀相かも。ギャランティーの問題も含めて改善が図られると良いけれど。


【11月22日】 起きていたら揺れたのか、揺れを感じて起きたのか。午前6時に覚めた目で感じた地震はそれなりに揺れたものの何かが落ちるといったことはなく、いつもの茨城沖が震源で深さ40キロ、震度は3とかって当たりかと思ったら、午前6時に始まったテレビのニュースがそれこそ「逃げろ!」と叫ばんばかりの声音で津波からの避難を訴えていた。そして映し出された港では、次々に船が沖合へと出航していく様子が映っていて誰もが事態を深刻に捉えている様が窺えた。

 そりゃあそうだ、あの時、避難していればといった多いがまだ大勢の人に残っている。あるいは強く避難を呼びかけていれば救えた命もあったかもしれないという悔いを引き摺っている。そんな気持ちから出た大声での強い避難の呼びかけは、たとえ実際に来た津波が防波堤を越えるものではなかったとしても、そして同じような事態が何度繰り返されようとも変わらず続けて欲しいし、誰もがそれに従って欲しい。巨大な津波が街をのみ込むことなんてないって、絶対に言えないことを僕たち私たちは知ってしまっているのだから。それにしても逆流する川の様子を撮影する人がいるとはなあ、問題はそんなツイートの画像を紹介するメディアがいること。そういうことをやれば目立てるって気分を助長するようでなんかヤダ。規制する術ってないのかなあ。

 メディアといえばやっぱり民放にはいろいろと制約もあるみたいで、どれだけヒットしても10億円を超えてもお爺ちゃんお婆ちゃんが息子や娘に勧められてこぞって映画館へと足を運んで観て泣いてたりする、かつてない現象が起こってても、映画「この世界の高住に」はその主演声優に関するあれやこれやが主因となって紹介されない状況が今もなお続いているみたい。「黄色いワンピースのワルイちゃん」のグッズが発売されていっぱいのテレビカメラが来ていても、放送したメディアがあったようには見えないところに、現場はがんばっても上で止める何かがある雰囲気が漂ってくる。

 オリジナル・ラブの田島貴男さんが観て渋谷系サブカルチャーの殿堂入りしそうな勢いがあり、西武セゾン系のおいしい生活者も観て絶賛していてソウル・フラワー・ユニオンまでもが褒めて関西パンクロックシーンにも広がりつつあるその認知度。キネマ旬報では名うての映画評論家たちが3人そろって最高得点の星5つを並べてみせる絶賛ぶりは、もはや文化にとっての超常現象とも言えるのに、そうした社会の空気を肌身で知りながらも伝えようとしない民放キー局あたりの体たらくは、「この世界の片隅に」という映画が生まれたことと重ね合わせて今世紀を通じて語られることになるだろうなあ。テレビというメディアの自殺行為であり、凋落の始まりかすでに凋落しきった先での留めとして。

 さすがに現場の心ある人たちは、どうにかしなきゃと考え始めているだろうから、何かすり抜けるようにして報じる術を考えているのかも知れない。でもそれが可能ならとっくに何かやているか。でも始まらないのはやっぱり死んでいるとみるべきなのか。かつて徳間書店の徳間康快社長が、それなりに知られていたとはいえ世間的には無名に近い宮崎駿監督の「風の谷のナウシカ」を作った時に、日本テレビ放送網へと持ち込んで氏家齊一郎さんに放送権を買ってと頼んで分かったと確か4500万円という、当時としても今でも破格のお金を出したことがあったっけ。徳間さんと氏家さんが同じ読売出身の知人だったってこともあるけれど、それが必要なら出す独断を、行えるトップがいたってことも大きい。今そんな独断即決が出来る民放の経営者っているのかな。いそうもないなあ。1人いるけど絶対にやりそうもない方向の独断が働きそう。やれやれ。

 大資本が背を向ける一方で、それならやっぱり自分たちの手でと動き出した新しいクラウドファンディング。世界での公開が決まっている「この世界の片隅に」だけれど、それを見届ける意味もあって片渕須直監督が世界を回るのを応援する資金を募ろうとうもので、目標金額は1080万円となかなかに高額だけれど初日にはすでに1割を超える資金が集まった。普通だったら海外配給をになう会社が費用を出して宣伝のためにと招聘するのものだし、世界で成功させたい製作委員会あたりが出すものだけれど、まだ2億円にすら届いてない興行収集では、そういった余裕があるとも思えない。

 仮に10億円に届いたとしても、そこから劇場に半分払って残りから制作費とか宣伝費をさっ引いていったい幾ら残るのか。もしかしたら足だって出そうな状況で、広く海外に作品を知ってもらおために一般に頼るというのがひとつの事情、そしてこれだけの人が応援していますとうことを改めて知ってもらって、否が応でも“事件”としてテレビなりに報じてもらおうというのもうっすらながら事情としてありそう。監督がわざわざ海外に行く必要があるのか、って意見もあってまとめサイトあたりが茶々いれているけれど、監督が行けばそれだけ見てもらえる人がいる、そして多くの国々に広がる可能性があるとするなら、それに期待をするのもまたファンって奴。このあたりまえに見える日常の、あたりまえにされてしまった困難に喘ぐ、世界中のすずさんたちには必要な映画。だから届けたい。そのために応援したい。そんな気持ちには茶々とかまるで届かない。屈しない。同じ意を抱いた人たちも多いから、たぶん数日で達成するだろうクラウドファンディング。それが何をもたらしてくれるかに期待。

 ハヤカワSFコンテストの贈賞式に行って誰が受賞したかを眺める。今年は正賞がいなくて優秀賞が2人に特別賞が1人。うち特別賞は「最後にして最初のアイドル」というアイドルについて書かれたらしい作品で、その筆者の草野原々さんという人が見るからにアイドルを書きそうな人だった。というかキャラが立ち過ぎ。ちょっと落ち着け。でも柴田勝家さんじゃないけどキャラがあるといろいろ使用範囲も広まるんでこれはこれで使い勝手があるかも。残る優秀賞では「ヒューレの海」の黒石迩守が繊細そうで、同じく優秀賞「世界の終わりの壁際で」の吉田エンさんが緊張してたっぽい。でもこうやってデビューして本も出たんだから心配なくSFは認知してくれるでしょう。後は書き続けるだけ。書かないとゲームはそこで終わりだから。

 あの栄光は今何処。クラブハウスに並んだJリーグやらカップ戦のトロフィーを眺めつつ今の状況を思ったりする東京ヴェルディ1969だけれど、こと経営に関してはアグレッシブで今回何とeスポーツのチームを作って日本eスポーツリグに参戦をするってんでその体制発表会を見に稲城市の東京ヴェルディのクラブハウスへ。大昔に女子サッカーの試合を見に来て練習グラウンドで行われた試合を眺めていた記憶があるけれど、それから10年以上は経っていてなおしっかりと好環境を維持しているところにスポーツクラブとしての伝統て奴を感じる。それだけに意外だたったけれど、そう思わせるところに注目を集める秘訣があるし、まだ多くがいない中での参入で名を挙げることでヴェルディの名門ぶりをカバーできる。認知度が上がればサッカーにだって反映できるといった思惑も。そんな経営判断が良い方に転ぶと良いけれど。共にJ2暮らしが長いジェフユナイテッド市原・千葉も作らないかなあ、eスポーツチーム。


【11月21日】 週末の映画興行ランキングが出て11月19日と20日の動員数では新海誠監督の「君の名は。」が1位。いったん2位に落ちてから返り咲いてこれが3週連続になるのかな、その前に9週連続をやっているんで足して12週。他に追い越す勢いのありそうな映画は「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」くらいまでないから相当な数字を積み重ねては興行収入で歴代2位までたどり着くだろう。一方で期待していた「聖の青春」は第5位で、松山ケンイチさん東出昌大さんが出演している割にはちょっと出遅れ感。まあ将棋なんて普通に人は興味がないんで、そこで何が繰り広げられているかをもうちょっとアピールした方が良かったかも。萌えとか。BLとか。本当だってば。

 そして我らが「この世界の片隅に」は10位で前週といっしょ。っていうか普通10位だったらそこからずるずると下がっていくのがしっかり踏みとどまりつつ前週よりも良い成績を収めている。だったらもうちょっとランクを上げても良かった気がするけれど、1つ上にはブランド力だけならトップ級の「機動戦士ガンダム THE ORIGIN4 運命の前夜」がいたんでちょっと抜けなかった。館数は全然少ないんだけれど2週間限定のイベント上映でおまけにいろいろグッズも買えるとあって、来る人も多かったんだろう。だから2週目はグッと下がるんでこれを超えることは難しくない。

 ともあれこれで10万人を超えて1億6000万円くらいに来て「マイマイ新子と千年の魔法」は大きく超えた。「君の名は。」に比べればまだまだだけれどこの時代、この作品がここまで来ただけでも奇跡。そしてなお観客は増えているし館数も増えている。ならば3週目でのランクアップに興行収入の増加となって2億3億から5億10億といった数字もあるいはあり得るのかも。ここで民放が一気に情報をばらまき始めれば凄いことになるんだけれど、「ワルイちゃん」で登場したのんさんを取り上げてたテレビが朝、まるで見られなかったんだよなあ、あれだけ取材に来ていたのに。そんな不思議がまだ続いているならテレビは当てにできないか。ならば口コミだ。そして紙媒体だ。マスの座を滑り落ちたいテレビを横目に今の時代にこそ生きる媒体のパワーを見せつけよう。

 神奈川県の藤沢市にあるスーパーの副店長をしているのが藤沢太郎だなんて名前なのはちょっとできすぎだけれど、それなりに人口のいる街だけに1人2人、そんな名前の人がいたって不思議はないかもしれない。ただしその藤沢太郎は別にそこで生まれ育った訳じゃなく、家は東京を挟んだ埼玉県久喜市の栗橋にあってそこに奥さんと息子が住んでいる。藤沢太郎は単身赴任でスーパーに来ては遠からず都内の本部に戻れる時を願っているけどそこにちょっとした騒動が。近所に暮らしている今は刑事をしている友人の家で飲んで帰った自分のアパートに、空からガラスサッシ窓を破って飛び込んできた者がいた。

 それは人で、女の子で、大きな箒にまたがっていて、破ったガラスサッシで切ったらしく額からポタポタと血を垂らしていたりする。これは大変。というよりいったい何物だ。慌てるところに中年男の声がする。いったいどこから。探すとムササビともモモンガともつきつつつかない小動物がいて日本語を喋ってはあれやこれやと説明を始めた。少女の名前はアリスで魔法使いの修行中で人間界にやって来たそうで藤沢太郎のことをいろいろ研究してて中年男なら安心で家族思いだから頼れるとみてやって来たらしい。なるほどうそうですか、なんて受け入れられるかとうとそうでもなく、目の前でアリスの怪我が魔法のような力で直り、太郎がガラスを踏んで負った傷も治ってといった具合に不思議なことが次々と起こって、そのこと自体は認めざるを得なくなる。

 だったら夢だ、そう思い寝て起きたらやっぱり夢ではなくってアリスはいて、まるるんという名らしい小動物もいてそして14歳らしいアリスと41歳で単身赴任中の中年男との奇妙な同居生活がスタートする。そんなシチュエーションから浮かぶ諸々の不安。まずは奥さんと子供がいる身で単身赴任のアパートに14歳の少女がいるという状況を、家族が知ったらいったいどんな騒動が起こるだろうかといった不安、そして近所に暮らす人が中年男と娘ではない女の子との同居を不審がらないかといった不安、さらには勤め先の人たちがアリスのことを見とがめて、大過なく副店長の仕事を真っ当して本部に復帰したい太郎の日々が厄介なものにならないかといった不安。そうした不安の中でどこかから迷い込んできて、転身欄間な態度で魔法使いになるための修行に励むアリスを傷つけないかといった心配が浮かんで先を読むのが怖くなる。

 あるいは途中を飛ばして結末だけ読んで、安心するにしろ絶望するにしろおおよその覚悟を持ってからプロセスを埋めていきたいといった気持ちが浮かぶけれど、そこを我慢して1行ずつ読み、1ページずつ読んでいくことによってしっかりと、アリスが藤沢太郎になつき自分の居場所をとりあえず得て、そして同じアパートの同居人にもスーパーの従業員にもちゃんとした立ち位置を理解させることで彼女が悲しい思いをし、その思いに読む僕たちも釣られて悲しくなるようなことにはならないんじゃないか、といった理解に至る。

 ただ、そんな物語の半ばほどに繰り出されるアリスという少女の“正体”が、先の展開に暗い影を及ぼす可能性が浮かんで改めて身構えも浮かぶ。大丈夫なのか。本当に大丈夫なのか。それはだからもう読んでもらうしかないとして、結果として得られる感動があり、浮かぶ感涙があるとだけは言っておこう。どうであっても心配することはない。それがアリスの選んだこと。そして読後感は辛さに歯がみするようなものではなく、幸いを得たものになる。だから気にしないで手を取りページを開いてアリスの頑張りに目を向け、太郎の応援を後押ししていこう。越谷オサムさん「魔法使いと副店長」(徳間書店)。読み終えれば人に優しくする嬉しさを味わえる。人から優しくされる喜びを確認できる。そして抱きしめたくなる。最愛の人を。この世界に生まれたすべての人を。そんな物語だ。

 月野うさぎちといったら中学生な訳でたとえ大学生の地場衛を彼氏にしていたところで不純異性交遊はもっての他な訳だけれど、これがセーラームーンとなると後にクリーンセレニティとなりタキシード仮面と結ばれちびうさを出産したりもする訳だから不純ではなくなるといった理解も成り立つのか。いやいやでもやっぱり「美少女戦士セーラームーン」がコンドームを使っての性交渉をしましょうよって呼びかけのキャラクターに起用されるのはどこか違っているような気もしないでもないかなあ、なるほどそうした性感染症の予防を呼びかけるに当たって、対称となる層に届くキャラクターではあるなけれど、清純にして無垢のセーラームーンが性交渉を前提とした性感染症を呼びかけるのって、つまり彼女やヤってるのって話になってしまいそう。まあ武内直子さんが認めたんだから他に言うことはないんだけれど、でもなあ。メドベジェワ選手は何を思うかなあ。これ欲しいと日本に来てもらって帰るかなあ、セーラームーン印しのコンドーム。



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