ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ

 たいていの人生は平凡な日々の繰り返し。劇的な変化なんてものは滅多に訪れるものじゃない。絶世の美少女が自分に一目惚れしてくれるとか、ひろった宝くじが3億円当たっていたりすれば、それはそれは劇的な変化を人生に感じることだろう。けれども何十年間生きている自分とか周囲の人間を見回して、そんな幸運に出会った人間の果たしていったい何人いる? 1000円だって滅多に拾えないこのご時世、劇的な幸運なんてものがそうそう降ってくるはずない。

 だからってあきらめきれないのもまた人生。いつか来るかもしれない劇的な変化ってものをってものを渇望し、劇的な人生ってものに夢を馳せつづける。現実の世界ではそれが希望になって、平凡な日々の繰り返しを耐えさせているんだろうし、空想の世界ではそれが想像力の源となって、希望を抱かせる物語を生み出させる。

 人によってはそれを逃避と蔑むかもしれない。平凡を受け入れろと迫るかもしれない。けれども万にひとつが兆にひとつであったとしても、可能性を見たいのがやっぱり人生。だからこそいつの時代のどんな状況にあっても人は、劇的な変化に心躍らせる物語をつむぐ。劇的な人生に体震わせる物語を愛し続ける。滝本竜彦の「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」(角川書店、1500円)のような物語を待ち望む。

 テストが迫って友人がバイクの事故で死んだ憂鬱に落ち込んでいたある日、オレこと山本は獣道のけやきの根本に体育座りして何かを待っている女子高生に出会う。「……待ってるのよ」といった彼女、雪崎絵理の言葉どおり、間をおかず聞こえてきたのが「ドルルルルルン」と響くエンジン音。その正体は、真っ黒いロングコートを着た、背の高い男が手にもって振り回しているチェーンソーだった。

 迫るチェーンソー男を相手に、けやきの根本にいた絵理は木刀を手にして立ち向かい、最後はナイフを投げて見事にしとめる。けれどもチェーンソー男は死ぬことなく、胸に刺さったナイフを抜いて立ち上がり、夜の闇へと飛び去って行ってしまった。

 いったいチェーンソー男は何者なのか。というより絵理はどうしてチェーンソー男と戦っているのか。もしかして美少女戦士って奴? でもって世界を悪から守ってるって感じ? 正確なところは分からない。けれどもオレにとって突如訪れた劇的な変化であったことは確か。あれこれ交錯する疑問はともかく脇へとうっちゃって、オレは絵理といっしょにチェーンソー男を倒そうと決心する。

 一種の戦闘美少女ものっぽい雰囲気で幕を開けた物語は、「戦う少女を見守るダメな僕」って感じの小説なのかと読む人に思わせてあまりある。「角川学園小説大賞特別賞受賞作」というポジションづけが、戦闘美少女の活躍やら、異世界からの侵略者といった有り体の物語を安易に想像させてしまう。なるほどそれはすべてが外れている訳ではない。

 けれども読むうちに、この作品が「特別賞」だったという理由が見えてくる。なるほど超能力者どうしが戦うような物語に見える。不死身のチェーンソー男によってもたらされるホラー的な恐怖感もぞんぶんに味わえる。けれどもそうしたSFだったりホラーといったジャンル小説に人が求める、夢のようだったり悪夢のようだったりするめくるめくビジョンによるカタルシスは、「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」には少ない。ない訳ではないが主眼ではない。

 「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」が描くのは、劇的な変化がもたらす気持ちの辛さと、それでも劇的な変化をのぞむ気持ちの楽しさだ。絵理がチェーンソー男と戦わなくてはいけない理由は、劇的な変化によってもたらされる人生の辛さを読む人に感じさせる。それでも果てしなく脳天気に見えるオレが、美少女戦士・絵理との出会い、チェーンソー男との戦いを通じて得た劇的な変化を目の当たりにする時、人は劇的な人生への渇望を覚える。羨ましいと心底思う。

 あっけらかんとした軽さを持った文体が、なおのこと劇的な人生の楽しさを感じさせる。オレの独白と妄想をまじえつつ状況を畳み込むように説明していく文体の切れ味が、情景をグイグイと頭の中へと浮かばせて、憧憬を抱かせる。クライマックスで繰り広げられる、スリルにスピードにサスペンスあふれる展開の読んで胸躍ることといったら。なおかつ悲しい現実を乗り越え明るい未来に向かって進めと告げるメッセージの強さといったら。映画でもないのに、読み終えた瞬間拍手をしたくなった。

 キャラクター造型の妙もまた、ありがちなキャラ萌え小説の粋へと「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」を留めず、テーマ主体の物語へと押し上げる効力を発揮している。万引きはするタバコは吸う食い逃げは平気テストは赤点、といった平凡な人生に芽生えたちょっとした疑問から、刺激のある日々へとちょっぴりの下心も持って踏み出したオレ。義務感も悲壮感も漂わせず、戦わなければいけないから戦うんだと言わんばかりに、当たり前な顔でチェンソー男と戦う絵理。どこか不条理な2人の言動が、奇妙なザラつき感となって「萌え」より先に身構えを強いる。

 かといって説教臭くならないのもまた筆さばきの妙。誘われたファミレスでネギトロ丼にコーラを頼んだオレを「最悪」と貶しつつ、トンカツ膳とオレンジジュースにご飯大盛りを頼む絵理のエピソードは、クスッとしたおかしさを醸し出す。女子大を出たばかりで下宿のおばちゃんにされてしまった女性が、門限破りをしたオレをなかなか怒れず逡巡するエピソードも最高。それでいてある意味、今どきのコミュニケーションスキルが乏しい若者の姿を表しているようでもあって、笑い飛ばして終わりにできない。巧い。そして深い。

 これが紙媒体では滝本竜彦にとってのデビュー作になる「ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ」。大袈裟ではなく21世紀の青春な文学の歴史が作られた瞬間がそこにある。もしかするとこれを読むことがすなわち、人生に得られる最大の劇的な変化かもしれないし、そうでなくても劇的な人生への希望は存分に与えてもらえる。本当か否か? 確かめたければ買い、読み、笑い、泣け。ついでに安倍吉俊の表紙に萌えろ。



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