ふつうの軽音部

 普通の高校に進学した普通の女子が普通にギターを弾き始め、普通にバンドを組んで唄い始める物語。そこには、友達が一人もできないままひとりひとりぼっちでギターの練習に励んでいたとか、コミュニケーションが苦手で代わりに学習帳いっぱいに詩を書き殴っていたとか、虐めが原因で高校を辞めて都会に出て来て唄い始めたとかいったドラマティックなイントロダクションはない。入った軽音部でも、すぐにバンドを組んで大活躍してライブに出て評判になってといったサクセスストーリーはなく、ひたすら練習に励む中でなんとなくメンバーが出来て、けれども壊れてそしてまたつながってといった“あるある”な日常が繰り広げられる。

 それが面白い。誰かと誰かが付き合ってそして分かれたといった恋愛沙汰がバンドの崩壊を呼んだり、再結成につながったりする。唄えばド下手だからと笑われて悔しいと思って炎天下の公園に行って、アンプも繋がないエレキギターを弾きながら大声でがなりたてたりもする。

 クワハリ原作・出内テツオ作画の『ふつうの軽音部』は、鳩野ちひろという女子高生が毎日を学校とギターとアルバイトに費やす日々がただ綴られていくだけなのに、それが猛烈に面白いのは、誰もが送っている日常と隣り合わせの世界がそこにあるからだ。

 自分でも飛び込んでいけそうで、けれどもちょっぴり引いている人にこういう世界も面白いかもと思わせる親近感。下手だからギターを弾くのも歌うのもためらっている人に気に得ずやってしまえと思わせる牽引力。諸々の魅力がページから漂ってきては読む人を絡め取って話さなくさせる。『ふつうの軽音部』にはそうした魅力が最初からあって、そして巻を重ねても衰えるどころかますます魅力を強めている。

 ナンバーガールやandymoriや銀杏BOYZといった、イマドキ感から少し離れた邦ロックの渋い楽曲を込んで歌うところも、目立とうとか売れようといった気持ちより先にこれが好きだ、これを演りたいといった気持ちの表れとして同意を誘う。こんな気持ちを持って挑む鳩野の歌ならいったいどれだけのものなのかといった興味をかき立てられる。ページからはそんな声なき声が耳に響いてくる。

 アニメ化なり実写化なりがいずれ企画されたとしても、そこで誰かが唄う歌が心に響くかは分からない。マンガだからそ想像の余地があってそこに鳩野への思いを載せることができるのだ。とはいえ、やはりアニメなりドラマなり映画になって登場した時、そうした気持ちをまさに代弁してくれるようなシンガーがそこにいたら、気持ちもグッとなびくことだろう。企画する人たちの手腕が問われる。

 脳天気なだけなく、父親との関係など少しの痛みも持った鳩野がこれからどうなっていくのかまだ見えない。普通の軽音部らしくバンド間の競争もあれば先輩後輩の面倒や関係もあってそれが混乱を来しそう。軽音部の中での勢力争いのような芽も見えてぐちゃぐちゃになっていく可能性もあるが、そこでも鳩野は鈍感に歌い続けてくれるだろう。周囲もそんな鳩野に導かれ、普通に対バンに勝って有名になっていってくれることを願いたい。


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