井上ひさし作品のページ No.1


本名:井上廈(ひさし)。1934年山形県小松町生、上智大学文学部卒。学生時代には浅草のストリップ劇場“フランス座”の文芸部員。64年からNHKで放送された人形劇「ひょっこりひょうたん島」台本の共同執筆で注目され、72年「道元の冒険」にて第17回岸田國士戯曲賞、同年「手鎖心中」にて第67回直木賞、「吉里吉里人」にて読売文学賞および日本SF大賞、「不忠臣蔵」にて吉川英治文学賞、「シャンハイムーン」にて谷崎潤一郎賞、「東京セブンローズ」にて菊池寛賞、「太鼓たたいて笛ふいて」にて毎日芸術賞および鶴屋南北戯曲賞を受賞。
1984年劇団「こまつ座」を旗揚げし、座付役者として自作の上演活動を行った。2004年に文化功労賞、09年には日本芸術院恩賜賞を受賞。2010年04月死去。


1.
しみじみ日本・乃木大将

2.イーハトーボの劇列車

3.吾輩は漱石である

4.頭痛肩こり樋口一葉

5.四捨五入殺人事件

6.泣き虫なまいき石川啄木

7.十二人の手紙

8.人間合格

9.四千万歩の男

10.シャンハイムーン


ある八重子物語、マンザナわが町、父と暮せば、井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室、東京セブンローズ、わが友フロイス、わが人生の時刻表、四千万歩の男忠敬の生き方、紙屋町さくらホテル、日本語は七通りの虹の色

→ 井上ひさし作品のページ No.2


夢の裂け目、あてになる国のつくり方、太鼓たたいて笛ふいて、話し言葉の日本語、兄おとうと、夢の泪、イソップ株式会社、円生と志ん生、箱根強羅ホテル、夢の痂

→ 井上ひさし作品のページ No.3


ロマンス、ムサシ、組曲虐殺、一週間、東慶寺花だより、グロウブ号の冒険、黄金の騎士団、一分ノ一、言語小説集、馬喰八十八伝

 → 井上ひさし作品のページ No.4

    


   

1.

●「しみじみ日本・乃木大将」● ★★★    読売文学賞戯曲賞受賞

 

1979年10月
新潮社刊

新潮文庫

   

1989/05/15

 

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乃木大将の評伝劇。乃木大将の軍馬3頭と近くの牝馬2頭が馬格分裂を起こし、各々前足と後足に分かれる。そして、乃木大将のその時々の場面を演じ、乃木大将という人物を語る。そんなアイデアが良い、面白い作品です。

よくもまあ、面白いことを思いつくものだなあと思うのですが、それが評伝戯曲恒例の楽しさです。
その中で、乃木大将の夫人・静子の本音妻が全然構ってもらえない」、というセリフが時折挟まれるのですが、それが何とも人間的で、同時に軍人乃木への批判にもなっており、面白いです。
それにしても、短い戯曲の中で、乃木大将という人間の性格、人物像を見事に描き出しています。それも愛馬の語らいによってという工夫が、いかにも井上さんの本領発揮という感じがします。
この戯曲の中では、童謡メロディの替え歌が多く唄われています。それが、暗く、深刻になりがちなストーリィを、明るくコミカルなものに変えていて、救われます。よく、これだけの面白い替え歌を思いつくものです。言葉の扱いの巧い、井上さんならではのことです。

結局、乃木大将は、自決によって武人の型を完成させた。では、“武人の型”とは何なのか? それが正当なものであるかは、また別の問題でしょう。

  

2.

●「イーハトーボの劇列車」● ★★




1980年12月
新潮社刊

1988年01月
新潮文庫



1988/09/20



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宮沢賢治の評伝劇。賢治の何回か上京する汽車内の場面と、東京での下宿の場面にて、 賢治の生涯が描かれています。

童話から受ける賢治像は、純粋な若い思想家というものですが、ここに描かれている賢治は、朴訥な、田舎出の、世間知に乏しい若者です。
理想的なユートピアを夢見るが、彼にはその実行資金も、実行力もなく、未だに親のスネカジリであり、一本立ちしていない。理想に燃え、農民の理想郷を創ろうと努力するが、所詮金持ちの長男坊、農民に成り得なかった姿が浮き彫りになります。

上京しようとする度に賢治は挫折しますが、その度に彼に関わる人間が不幸になっていく。

夜汽車内で道連れになる人は、彼の童話の主人公たちらしく、童話への繋がりとして楽しい反面、それ故にかえって哀れさが呼び起こされます。

賢治を一段高い思想家として捉えるのではなく、朴訥な若者として真実を捉えようとする、井上さんの眼をそこに感じます。
場面毎を列車内風景で区切って、また“思い残し切符”を配る車掌の登場など「銀河鉄道の夜」を偲ばせます。そうして、一歩一歩、賢治は夢破れ、死に近づいていく。
井上さんは、そんな賢治を非難しているわけではありません。むしろ、理想を追い求めた求道者の、困難に打ちひしがれた姿に深い愛情を抱いている、そう思います。

宮沢賢治という人間像、賢治の童話の世界、理想が現実に打ち負ける姿、短い劇の中で、この作品は複雑な視点を多数内含しています。賢治の実際の生涯が如何なるものであったにしろ、賢治と言う人間を、また賢治の世界を、愛さずにはいられません。

  

3.

●「吾輩は漱石である」● 

  
吾輩は漱石である画像

 
1982年11月
集英社刊

1988年11月
集英社文庫

1991/01/25

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夏目漱石の評伝劇
プロローグ、4場面、エピローグという6部構成。

伊豆修善寺温泉で吐血した時の、漱石の“30分間の死”。その間に漱石が見たであろう、 と想定したストーリィを描く作品です。

4場面の中には、漱石が創作した主人公たちらしい人物らが登場します。三四郎とか、坊ちゃんとか、マドンナとか。しかし、もうひとつ私にはストーリィの意味合いが理解できませんでした。どういう目的での筋立てだったのか。
劇が終わってみると、すべてがカラッポ、漱石の生み出したものも所詮カラッポ、そして漱石自身も。そんな印象です。
漱石の小説の共通点は、知識人故の不幸にあります。
漱石にとって見れば、カラッポを目指すあの夢の中の教室のような世界が理想だったのかもしれない、そのような気がします。

   

4.

●「頭痛肩こり樋口一葉」● ★★★

 
頭痛肩こり樋口一葉画像
  

1984年04月
集英社刊

1988年11月
集英社文庫

1991/01/26

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樋口一葉の評伝劇。19歳から死後2年目までの、お盆の時が舞台。現世冥界の間に一葉を置いた着想がお見事です。

母親多喜の世間体におもねる態度、戸主だとして夏子(一葉)へプレッシャーをかける態度。半井桃水先生を慕いつつも、夏子は世間体、家族の為に諦めるほかなかった。女として死ぬ、生きているとしても死んだも同然、頭痛止むことなし。
そうした夏子の境遇から思うと、この題名はピッタリですし、現世にいながら冥界に足を突っ込んでいるという設定は、お見事です。
夏子だけではなく、他の女たちも現世では苦しいことばかり、彼女たちがやっと心の落ち着きを得るのは、御魂になってのことです。
最後の場面、ただ一人残った夏子の妹・邦子に対する皆のエール。

世間体ばかり気にせず、幸せになる為には何が必要なのかを、人間はもっと考えることが大切なのである。それが本作品における井上さんのメッセージではないか、と受け取りました。

 

5.

●「四捨五入殺人事件」● ★★★

 

1984年06月
新潮文庫


2020年07月
中公文庫



1990/03/24



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井上さんにしては珍しい推理小説。しかし、井上さんらしく、ただの推理小説では決して 終わりません。
石川藤川という2人の作家が、講演会後に訪れた鬼哭温泉という鄙びた郷に隔離されてしまいます。大雨で橋が流されてしまったというのがその理由。TVも無い、便所は水洗にあらず、というとんだ田舎です。
そして、あたかも2人を待ち構えていたように殺人事件が起きます。旅館の主人・加代が風呂場で殺される。次いで、犯人と思われた、妹の小夜もまた川で殺される。当然の如く、藤川は自ら事件解決の推理に乗り出す、というストーリィ。
この作品、藤川の探索過程で農業問題がクローズアップされ、なかなか読者も勉強させられる面を持っています。
肝心のミステリは、アガサ・クリスティの代表的な2大作品を連想させます。そしてその真相は、それを凌駕すると言って良い、異色なもの。
また、各章には「事件の発生」「被疑者」「核心」「逆転」といった題名がつき、まるで推理小説の授業を受けているような気になります。
ミステリといい、ギャグといい、農政問題といい、誠に読み甲斐のある一冊でした。しかも薄手。読み得です。

  

6.

●「泣き虫なまいき石川啄木」● ★★★


泣き虫なまいき石川啄木画像

1986年06月
新潮社刊
(777円+税)

1992年06月
新潮文庫化

 
1991/01/27

 
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石川啄木の評伝劇
家族は、一(啄木)、妻節子、母カツ、妹光子、父一禎、そして友人金田一京助
絶えない生活苦、金銭の苦労、借金漬け、質屋通い、妻と母のいざこざ、まさに生き地獄とも言うべき生活です。
方言といい、何かユーモラスな雰囲気が漂い、現実の辛さを見過ごしそうになりますが、その暮らし振りは、啄木の耐乏生活を余すことなく描き出していると思います。

しかし、井上さんは単に啄木一家の悲惨な事実のみを伝えようとしただけではなく、主人公たちの心の変化を描いた筈。

葛藤、嘆き、相手へのいたわり。
しかし、それが互いに相手の死期を感じとってのものと互いに知った時のゾッとするような感覚、2人の死後の節子と京子の安らかな姿。
貧乏な生活を忘れようとするどころか、忘れまい、後に残そうという節子の強い希望。そこに井上さんの主張があるように感じました。
あの悲惨な生活の中に在ったもの、生活の苦しみ、生活に耐えることの貴さ、絶えてこその人間の生活であり、幸福である、という主張が秘められているように感じます。

この作品を読んでも目頭が熱くなりましたが、もっと、言葉さえもふさがれてしまう、という作品がありました。
妻節子を描いた、澤地久枝「石川節子−永遠の愛を信じたく候−」 (文春文庫)。本書と併せて読むことをお薦めしたい本です。

    

7.

●「十二人の手紙」● ★★


十二人の手紙画像

1978年06月
中央公論社刊

1980年04月
中公文庫
2003.9 第14刷
(533円+税)

 

2005/03/07

書簡体小説というのは結構面白いもので、主人公の心情が率直に伝わってくる一方、主観的なものである故に主人公による騙しが入っていたり、逆に主人公が騙されているといった仕掛けがあり得ます。要は油断のならない代物なのです。
それを仕掛け、小道具の類には卓越した井上さんが、趣向を凝らした書簡体小説の短篇集というのですから、各篇各様に楽しめるというのは至極当然のこと。

地方出の娘が勤め先の社長に弄ばれる話や、信仰篤い女性の転落人生。同じ手紙を使った仕掛けであっても、ラブ・コメディがある一方で、離婚を妻に承諾させるための策略等々と多彩。
純愛にもとづいた手紙があるかと思えば、完全に騙しといった手紙もある。さらに慈善事業への援助問題から農村への奉仕活動、障害者施設の運営問題と、社会問題も織り込まれているのですから、もう舌を巻く他ありません。
あまりに多彩過ぎて、かえって好き嫌いをはっきりさせてしまうかもしれません。私は諸手を挙げて歓迎の方ですけど。

「赤い手」は手紙によらず、出生届、失踪届、死亡届等の公的な届出書をもって一人の女性の人生を描き出すという趣向。もう脱帽するほかない見事さですが、最後に唯一付け加えられた手紙がさらなる感動を誘います。
最後の「人質」は、犯罪トリックを施したストーリィであると同時に、これまでの登場人物が勢揃いし、彼らのその後を語る篇ともなっています。この辺り、井上さんならでは周到さであって、まさに鯛焼きのシッポまで楽しめるという具合。

※電子メール全盛の現代、このような書簡体小説はいつまで成立しうるのでしょうか。廃れてしまうのはとても惜しい。

プロローグ・悪魔/葬送歌/赤い手/ペンフレンド/第三十番善楽寺/隣からの声/鍵/桃/シンデレラの死/玉の輿/里親/泥と雪/エピローグ・人質

 

8.

●「人間合格」● ★★


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1990年03月
集英社刊
(825円+税)


1991/06/20


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太宰治の評伝劇
東京の学生下宿で3人の仲間ができた。そのうちの一人が津島修治、青森の大地主の子、後の太宰治です。

戦前から戦中、そして戦後へと、3人の出会いが展開されていきます。他の2人の共産活動。それに加わろうとする修治、コミカルです。一方、修治の兄の番頭・中北は、3人と対照的、いわゆる実務家であり、常識人です。彼から見れば、3人とも、あらゆる面で“失格者”でしかありません。弟失格、学生失格と、次々と烙印を押していく場面は、リズミカルで面白いです!
しかし、戦後になった途端どうなるのか? 中北は急転回して民主主義の信奉者になっています。余りに不節操ではないか、3人の疑問は当然です。3人とも落伍者ながら、演劇、赤活動、小説とそれなりに一環した道を歩んできました。果たして落伍者なのか? 3人こそむしろ人間として“合格者”ではないのか?

人間というものを考える面白さのある作品ですが、劇列車」「啄木に比べると、今一歩迫力不足だった、という印象です。それと、本作品の雰囲気がやや暗い。太宰自体に暗い印象がありますし、他の2人にもそんなところがあります。
自分の内部に矛盾を抱えながら、それを解決することができないまま、その矛盾に引きづられる様にして作品を書き、死に至った作家の人生を、うまく描き出していると思います。ただ、読んで楽しむ、という作品ではないようです。

    

9.

●「四千万歩の男(一)〜(五)」● ★★★

 

1990年
01〜05月
講談社刊
全5巻

1992年11月〜
1993年03月
講談社文庫化
全5巻

 

1991/01/16〜
1991/02/03

 

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日本地図を作った伊能忠敬 を描いた作品。

元来歴史上の人物を描く時、とかく偉人として捉えがちですが、本作品では伊能忠敬も周囲の人々も、当然の如く人間臭い。
忠敬が伊能家に婿養子で入った時は、年上で再婚の女房に頭があがらずずっと我慢。学問の道を志したのはその女房の死後で、50歳になってから。算術が好きで堪らなかったことが、商いで成功することにもなり、後に測量へ道にも繋がったというのが、忠敬の人物像。

蝦夷行きも暦学上で名を残したいが為のものであって、それも商人だったからこそ、という作者の解説は誠にバタ臭い。

この作品には、“歴史大河小説”というキャッチフレーズがついていますが、その面白さは次ぎのようなところにあります。
1.ディケンズ「ピクウィック・クラブ」、セルヴァンテス「ドン・キホーテ」に通じる道中記小説の面白さ。
2.時代小説に珍しい紀行の要素(とくに蝦夷地部分は興味深々でした)
3.作中、登場人物によってなされるユニークな論理の展開。具体的には、コペルニクス理論に対抗する地動説、ロシアとの交易論、北海道における稲作論。
4.山東京伝、間宮林蔵、二宮尊徳と、歴史上の実在人物が数多く登場し、ストーリィを少しも飽きさせません。
5.更に更に、言語の駆使。南部訛、そしてアイヌ語。
6.そして、アイヌの生活振りを紹介し、何故アイヌが和人に容易く征服されたかの解説までしてしまうという、欲張りな作品。

ただ、蝦夷地測量が終わって伊豆の測量になると、測量行という要素は薄れて、まさしく道中記という印象が強まります。
一応5巻までで完結していますが、なんとなく続編への期待が残る、楽しい作品です。

 

10.

●「シャンハイムーン」● ★★★   谷崎潤一郎賞受賞


シャンハイムーン画像

1991年03月
集英社刊
(825円+税)

 
1998/05/25

 
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中国を代表する作家・魯迅の評伝劇

国民党に脅かされる魯迅と妻の許広平、その2人が一時的に避難した場所は、本来敵である筈の日本人、内山完造、みき内山書店でした。
面白かった、笑った、涙が出そうなくらい感動もしました。評伝劇の中でも、とくに充実した作品だと思います。
登場人物のいずれも善人ばかりです。こうしたストーリィは読了後も気分がすこぶる良いです。

人物誤認症失語症という魯迅の症状をもって、魯迅の人生、深層心理を描き出す、という評伝劇のこの巧さには、ひたすら井上さんにひれ伏して感心する他ありません。また、魯迅ら2人と日本人4人との間の心の交流は、素晴らしいと称えるほかありません。
日本人とか、中国人とかの違いは、彼ら6人にとって何の関係もありません。お互い人間同士、尽くすべきものを各々有している人達だけの繋がりがあります。だからこそ、その素晴らしさが光っているように思います。

この作品では、周囲の人々も単なる脇役にとどまらず、各々が各々の行き方において主役となるストーリィが展開されていることが、魅力のひとつです。見逃して欲しくない一冊です。

    

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