2653.チャンパ史の発掘(日本への道)



東南アジア史を探っていくと、日本への道の東南アジアの最終点は
チャンパやその次の南越グエン朝のホイアンであることが分かる。
                   Fより

昔の帆船は風待ちが必要で、大海に出るには偏西風が東に向く春と
西に向く秋に出るために、それぞれ両岸には風待ちの港町と風待ち
するための住居を必要としていた。この1つがベトナム中部のホイ
アンであり、反対側の港町が沖縄やフィリピンのマニラ(ルソン)
などでしょうね。

ルソンと博多が風待港として対応していたようである。しかし、フ
ィリピンがスペイン領になると、スペインは直接的に貿易をするた
めに九州の商人たちを追い出す。このため、九州商人たちは、沖縄
を必要として那覇に王権を作ることになる。それが港町としていい
中山国なのでしょうね。こことホイアンを直接繋いだようだ。

チャンパは、南島語族インドネシア語派に属する海洋民族チャム人
の国である。2世紀から17世紀にかけての1500年間、国を保
っている。2世紀に南シナ海のモンスーンの周期的な航海が可能に
なり、東西貿易、南海貿易が発展する。ここに財政基盤が整いチャ
ンパはできるのである。チャム人は海洋民族であることがこれでも
わかる。

ホイアンの近郊に聖地ミンソンがある。インドの影響が強いことが
分かる。この一帯の海洋民族は中国よりインドに大きな影響を受け
ていた。このため、ミンソンの建物もレンガ建築物でインド的な建
物になっている。このため、信仰は当然ヒンズー教になる。

しかし、中国の呉(3世紀)、東晋(4世紀)、宋・南朝(5・6
世紀)、唐(7〜9世紀)に一貫してベトナム北部は領土化されて
いる。そして、一貫してチャンパは貢物を中国の諸政権にしていた。
このため、チャンパは中国の書物には、たびたび出ている。

9世紀に大乗仏教(密教)を導入する。ドンズオンに仏教寺院を建
てる。チャンパの輸出品は、香料(沈香)、象牙、奴隷でこの中国
や日本との貿易を独占することが国是であった。このため、クメー
ル(アンコール王国)がメコンデルタ地域から海に乗り出すとそれ
を阻止するために戦争をした。この一帯の通貨は銅銭で、この産地
は日本である。このため、奴隷も日本に来た可能性がある。

チャンパはクメールとの戦争、南部の中国系ベト族との戦いで、だ
んだん、衰退する。このとき、チャム人は海洋民族であるために、
この地を離れている。そのチャム人を組織的に使ったのがタイのア
ユタヤ王朝である。アユタヤ朝の水軍はチャム人の雇用兵であった
とある。この海洋民族チャム人は日本にも来たと見ている。平安・
鎌倉時代の朱印船貿易が突如、開始している。日本人は海洋を横断
できないために、中国貿易が中心であったが、ルソンやホイアンま
で行っている。この原動力はチャム人が日本に入ったことによると
見る。

日本にもケガレの文化があるが、この文化はヒンズー教から来たも
のである。銭洗い弁天、水洗地蔵などもヒンズー的である。しかし
、ヒンズー教にはないと思う。そして、仏教、特に密教もヒンズー
教タントラ派の教義を大幅に取り入れたことで、密教はヒンズー教
的になっている。しかし、普通の仏教にヒンズー教的な要素が加味
されるのはチャンパやアンコールなど東南アジアのような気がする。

ビルマ史を読んで、前回の記述に間違いがあったことを発見したの
で修正する。パガン朝はヒンズー教であったが、後期にはヒンズー
と密教が混合した大乗仏教になっていたようだ。その後の15世紀
のハンターワーディ朝になって、スリランカに22名の僧侶を送り
、その帰国後、国教を上座仏教にして密教を禁止したとある。

12世紀ではまだ、上座仏教ではなかったようだ。インドの大乗仏
教は、当然ビルマにも逃げた可能性がある。しかし、15世紀に駆
逐される。

現在、仏教は、スリランカを起源とした上座仏教とインドからシル
クロード経由の大乗仏教(中国仏教)、12世紀後半の大乗仏教崩
壊前に引き継いだ密教的なチベット仏教があり、日本は中国仏教の
範囲にある。東南アジアは上座仏教、チベット・モンゴル・ブータ
ンやインド北部などはチベット仏教、中国・朝鮮・日本が中国仏教
になっている。

日本は中国仏教を引き継いだかというと非常な疑問がある。輪廻と
戒律と因果応報という概念がない。中国仏教にはあるが、日本の仏
教にはない。これで仏教と言えるのかと中学時代、仏教書を読んで
思ったことがある。ということで日本仏教は特殊であり、他国では
仏教とは言わないと思ったほうがいい。

中国仏教の傑作は禅であるが、日本で大発展する。この禅は日本人
受けする。日本人は論理的な積み上げを嫌う傾向にある。直感的な
物に引かれる。密教と禅をチベットの王も比較して、インド密教を
選択した。ここに、日本とインドの違いを感じるし、今もその性格
は変わらない。日本人は論理より感覚的に判断する。インド人は論
理的である。
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ヒンズー教
http://www.osoushiki-plaza.com/anoyo/shukyo/hindu.html

護摩をたく儀礼

インドを中心に南アジアに広がる民俗宗教であるヒンズー教は、シ
ャーマニズム的なものから、梵我一如を説く深遠な思想、実践体系
に至るまで多様性を包括した宗教の宝庫である。その神々、儀式は
日本にも仏教を通じて、形を変えながらも多くが伝来している。
インド人は日本の寺院で護摩を焚く儀式を見ると驚くという。ちな
みにヒンズー教では護摩(ホーマ)を焚くことは古来よりバラモン
の中心儀式であった。

インドでは人が死ぬと荼毘(火葬)に付される。死者はその火とと
もに天に昇って、神か祖霊の道を進む。生前に真我(アートマン)
を認識する修行を行った者は、神の道、即ち炎、光、昼、満ちゆく
月、北行する太陽を通って、梵(ブラフマン)の世界に行く。
そして再びこの世に輪廻することはない。それ以外の人間は、祖霊
の道、即ち欠けゆく月、煙、夜、南行する太陽を通って、祖霊(ビ
トリ)の国に至る。やがて時期が来ると、同じ道をたどって、地上
に生まれ変り、死者の生前の行為(カルマ)に従って、人間・動物
の胎内に入り生れ変わる。悪を犯した者は閻魔(ヤーマ)の世界に
行き、罪が清められるまで責苦を受ける。

ヒンズーの臨終念仏
来世にどこに生まれ変わるかは、死者の臨終のときの心のもち方が
、決定するとも言われている。即ち臨終のときに生前もっとも関心
を寄せた事柄が頭に浮かび、この最後の思念が来世への運命を担っ
ていくのである。ヒンズーの聖典、『バガバッドギータ』に「臨終
にさいして、如何なる状態を念じつつ肉体を捨てようとも、常に思
念したその状態に達する。その時私(クリシュナ、最高神)のみを
念じ、肉体を脱していくものは、私の状態に達する。」と述べられ
ている。

ガンジス河に消える死体
死者は火葬の炎によってのみ天に帰ることができると考えられ、変
死したもの、葬式を行わなかったものの霊は地上に止まり、悪霊(
ブート)、亡霊(プレータ)として人間にさまざまな悪をなすとい
われている。ベナレスでは死体はガンジス河のほとりの沐浴場(ガ
ート)近くにあるバーニングガートで、男は白、女は赤の布に包ん
で、薪のうえに乗せ、衆人の前で焼く。そしてそのあとの遺灰も骨
も川の中に投げ込まれる。昔はスマナーサという塚を作ったことが
あったが、現在では墓も仏壇も位牌も作らない。

昔は夫が死ぬと、妻も一緒に火葬される寡婦殉死の風習(サティー
)があったが、近代にサティー禁止法ができ無くなった。祖霊祭(
シラダー)は『マヌの法典』に規定されているとおり非常に重視さ
れた。死後12日間が喪の期間にあたり、10日目に祖霊祭が行われ、
1年間は毎月死者のために祖霊祭が行われ、1年を過ぎると他の先
祖と一緒に1年に1度お祭りする。団子(ピンタ)を供えて、過去
3代の祖霊を祭る。3代の先祖のかわりに3人のバラモン僧を供養
する。

教の聖地ブッダ・ガヤの北にあるブラフマ・ガヤはヒンズー教の先
祖供養の聖地である。毎年大勢の人が先祖の解脱を求めてガヤに巡
礼に出かける。インドはまだ宗教が生きている国である。

(吉野)
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ヒンズー教について 
http://www.kazokuso.net/shikai/hinduism.html
■教祖 多神教
■成立 紀元前1000年(母体はバラモン教)
■聖地 ガンジス河畔「ベナレス」
■聖典 リグ・ヴェータ(神々への賛歌集/古代バラモン教) 
 
死後の世界<輪廻転生> 
   
水が生命原理
 
 人は死後、肉体はほろんでも、魂は再生し、生まれ変わる。この
生死が、「解脱(げだつ)」のない限り永遠にくりかえされるとい
うのが「輪廻転生(りんねてんせい)」です。
 輪廻説のもっとも古いものは、水を生命原理とする思想にもとづ
いています。
 
 水は天界から雨となって地上にふり、植物を生長させます。根か
ら水分を吸収して成長した植物は、やがて穀物や果実を実らせます。
それらは食べられ精子となり、母胎内にはいり新たな生命として誕
生します。そして、人は死んで火葬にされると、水分は煙となって
ふたたび天上に昇っていきます。
 こうして生命の循環の経路がなりたちます。
 

「業」が輪廻の原因
 
 輪廻説が明確に説かれはじめるのは「ウパニシャッド(ヒンドゥ
ー教の教典の一つ/前0700ごろ)」の時代からです。輪廻の主体が
、人間の本体、永遠不滅の実体であるアートマン(個体を支配する
原理/我)であるとされます。このアートマンを支配しているのが
「業(ごう)」です。業とは、魂に付着し、その人の生前の行為に
より魂にはたらきかけ、その人の死後の運命を決定づける目にみえ
ない力です。来世にいかなる生をうけるかは、現世の業のいかんに
かかっています。
 

魂は水から精液へ
 
 死後に魂がたどる道は、「神道(しんどう)」と「祖道(そどう
)」にわかれます。死者が火葬され、生命である水は煙となって天
界にいき、月に到達します。信心は苦行なりと信じ実行する人の魂
は、ふたたび死ぬことのないすばらしい世界=ブラフマン(宇宙を
支配する原理/梵)の世界にいけます。これが神道です。
 しかしこの知識を知らず、祭祀やお布施をした者は、雨となって
地上にふりそそぎ、その水分を吸収した米・麦・草・木・ごま・豆
となり、さらにそれを食べた人の精液となって母胎にはいります。
これが祖道です。どの母胎にはいるかは、前世の業にしたがいます。
悪行をかさねた人は、犬や豚やチャンダーラ(賤民/せんみん)の
母胎にはいります。(五火二道説/ごかにどうせつ)
 

解脱の道は梵我一如
 
 この輪廻から解き放たれるためには、アートマン(我)と宇宙の
最高原理であるブラフマン(梵)とが一体であることを直感すれば
、輪廻から解放され、不死を獲得できるという「梵我一如(ぼんが
いちにょ)」が説かれるようになります。
 

火葬は聖なる儀礼
 
 この業・輪廻の思想は、現代のインドにおいても支配的な考えで
す。葬儀においても、ガンジス河のほとりで火葬にして、煙ととも
に魂は天にのぼるということが、聖なる葬送儀礼です。ガンジス河
はまさに輪廻転生の象徴なのです。
 遺体は薪(まき)のつみあげられた台のうえに安置され、薪にバ
ター油かガソリンをふりそそぎます。僧侶は遺体に聖水をかけて読
経します。祭壇の火で遺体に点火します。遺灰は河に流されます。
また、個霊はほかに転生しますから、お墓をつくる必要がありえま
せん。
 (参考:死とはなにか/大法輪選書、
世界五大宗教入門/主婦と生活社、世界の諸宗教/晃洋書房、
ヒンドゥー教の聖典/すずき出版、世界の葬式/新潮選書) 

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