戦前の立川市は陸軍の飛行場や軍事施設・軍需工場が設置され軍都となっていたため、米軍の度重なる
空襲を受け330余名の立川市民が犠牲となった。
山中坂悲歌
戦前の立川市は陸軍の飛行場や軍事施設・軍需工場が設置され軍都となっていたため、米軍の度重なる
空襲を受け330余名の立川市民が犠牲となった。
山中坂
東京都立川市
戦災供養地蔵尊
碑文
太平洋戦争の末期、立川は一九四五年(昭和二十年)二月十六日から八月二日までの間、少なくとも十三回の
爆撃を受け、三百三十余名が犠牲となった。
ここ山中坂にあった横穴式防空壕は、四月四日未明、B29が投下した爆弾が直撃し、中に避難していた子ども
たち三十二名をふくむ四十二名が死亡した。
平和ねがい、思いをおなじくする私たちの挙出金と、土地所有者の伊藤商店のご協力によってこの歌碑を建立
し、戦争の悲劇を再び起こさないことを誓います。
一九九五年四月二日
戦災供養地蔵尊
山中坂悲歌 歌碑(右)
山中坂悲歌(エレジィ)
作詞 小沢長治 作曲 新田光信
夜明けが遠い闇の中 山中坂の防空壕に 息つめよりそう四十二人 .
. 子ども年より女の人 爆弾つんだ飛行機がくる
闇をひきさきとどろく音 防空壕に爆弾が落ちた 埋められた四十二人 .
. 子ども年より女の人 二度とかえらぬみんなの命
ああ悲しみが坂を流れる 桜の花がなきがらに降った あの日のように花びらが舞う .
. 山中坂よ小さなほこら お地蔵様に祈る誓い
あの苦しみを繰り返さない あの苦しみを繰り返さない
普済寺
東京都立川市
戦災殉難者慰霊碑
平和観音
更新日:2012/09/02