カウラ捕虜収容所 大脱走
オーストラリアのカウラ市には捕虜収容所があり、多くの日本兵・イタリア兵が収容されていた。
昭和19年8月5日早朝、1,200名近い日本兵がカウラ収容所を集団脱走し231名が戦死、
また多くのものが首を吊り、あるいは自らナイフでのどを刺して16名が自決した。
しかし、それは彼らにとって脱走ではなかった。
捕虜となった日本兵にとって「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」という戦陣訓
の教えは絶対であり、胸中の思いはただ一つ「名誉の戦死」だった。
カウラ日本人墓地
カウラ市民は日本兵を手厚く葬り日本人墓地が作られ、墓地の管理はかつての敵国であるカウラの退役
軍人連盟によって行われた。
その後、日本人墓地は本格的に整備され、オーストラリア各地で亡くなった日本軍人と合わせ522人が
葬られ、姓名・戦死日・享年が刻まれたプレート並べられ、記念碑と2基の石灯籠も建立された。
終戦後、日本政府は感謝の意を込めてカウラ市の丘に日本庭園を贈り、日本庭園と日本人墓地間を結
ぶ道には桜並木が作られ「サクラ・アベニュー」と呼ばれている。
この桜が咲く9月後半には、毎年日本庭園を中心に「桜祭り」が開催されている。
日本人墓地
オーストラリア カウラ市
日本人戦没者之墓
整然と並ぶ日本人戦没者の墓碑
展示写真
日本庭園
オーストラリア カウラ市
更新日:2005/08/19