長髪


大学3年のとき、髪の長いのが私。

高校時代の友人と吉野・奈良・京都へドライブしたときのもの。



たぶん大学3年の時、右端が私。

相模クラブでフィールドデーコンテストに参加したときのもの。


なぜ髪を伸ばしたか

大学時代、私は髪を胸に届くくらいまで伸ばしていました。一番長い毛は50センチくらいあったでしょうか。「何でそんなことをしたの?」とよく聞かれるので、ここでその答を書いておこうと思います。

まず、「髪の毛を伸ばせるのは大学時代しかない」ということがありました。就職してもそんな髪でいられるのはごく限られた職場だけでしょう。「この機会を逃しては一生そのチャンスは巡ってこないかもしれない」と思ったわけです。

次に、自分の髪がどのくらい伸びるものなのか実験してみたかったということがあります。髪の毛というのは際限なく伸びるものではなく、ある程度の時間が経つと抜け落ちて、新しく生えてきた毛がそれを補うので、ほぼ一定の量を保っているわけです。つまりこのサイクルの長さと抜け毛の数は反比例するわけです。

いうまでもなく、髪の美しさというのはまっすぐな長い髪がきれいに揃っているところにあります。つまり、抜け毛が少なく、1本の髪の寿命が長いと美しい髪になるのです。

恵まれた環境で育った人は髪が生え替わるサイクルも長くなり、美しい髪を保てますが、過酷な環境にあった人は髪が傷むので次々に生え替わる必要があり、サイクルが短くなります。これはもちろん、1世代だけでそうなるわけではなく、何世代にも渡って積み重なった結果が遺伝的特質となって残ると考えられます。

平安時代には「美人=髪の長い人」というのが常識だったと古典の先生が教えてくれたとき、「何てバカな」と思ったものですが、こう考えてみると一応理に適っていることなのだと納得できます。つまり、「恵まれた境遇で何世代も暮らしてこれた人(貴族)」と「美人」は強い相関があるということです。

それで、「私はどうなのだろうか?」という疑問が生まれたわけです。「遺伝的形質として私は貴族だったのか知りたかった」というわけです。もっともこれは性ホルモンによって大きく影響されるものなので、男の私が試してみたところで意味のないものなのかもしれませんが・・・

何事もやってみないと解らないということがあるものです。髪を伸ばしてみて初めてわかったことは、「ラーメンが食べにくい」ということでした。どんぶりの上で下を向くと髪がばさっと垂れてラーメンの中に浸かってしまいます。耳にかけて心持ち横を向きながら食べるというのは、食べにくいだけでなく、あまり見られた様ではありませんでした。腰に届くくらい伸びれば大丈夫でしょうが、それまではラーメンを食べるときには結ぶ必要がありますね。いまでこそ志村ケンのおかげで男が髪を束ねるのは何でもないことになってしまいましたが、私が伸ばしていた当時はそれはとても恥ずかしいことでした。なぜだか分かりませんが・・・

おかしかったのは、女性に間違えられることがあったことです。温泉から出て浴衣で涼んでいたら、二十歳くらいの男数名が好奇の視線を向けているのに気付きました。振り返ったらびっくりしていたのが笑えました。


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