土師宿禰道良
はにしのすくねみちよし
- 生没年 未詳
- 系譜など 父母等は未詳。土師氏はもと埴輪や土器の製作、及び皇族の葬礼(土葬)や陵墓を管掌した伴造氏族であったが、7世紀以降火葬の普及にともなって伝統的職掌を失った。姓は初め連、684(天武13)年、宿禰賜姓。781(天応1)年6月、土師宿禰古人・道長らは本郷の菅原(現奈良市菅原町)の地に因み菅原姓への改姓を誓願して許され、以後菅原宿禰を名のった(醍醐朝の右大臣に到った道真は古人の曾孫)。また光仁天皇の妃高野新笠の母である土師真妹は790(延暦9)年大枝朝臣を追贈された。ほかに秋篠に改姓して分立した一族などもある。
- 略伝 746(天平18)年8.7夜、越中守大伴家持の館での宴に参席し、歌を詠む(17/3955)。
ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ
左注には史生とある。以後の消息は不明。
関連サイト:土師道良の歌(やまとうた)
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