生まれてから

2歳になるとこんなこともできるのかと、感心させられるやら驚かされるやらの毎日です。お手伝いは、よくやってくれます。たまには邪魔しているだけのこともあります。箸やお茶碗を出すのは彼女の役目です。お風呂上がりにお父さんの着替えを持ってきてくれるのも彼女の役目です。
(1999年05月14日記)

水疱瘡です。殆どの人が1度は罹るものなので何れはと思っていましたが、ちょっと早かったようです。お正月に長崎に帰ったときにいとこにその症状が出ていたので、2週間後に出るよと言われその通りになりました。比較的軽いほうでしたが、ピーク時には熱とかゆみのために1時間おきに「パパ、パパ」と、お父さんは起こされ寝不足になってしまいました。姫も大好きなお風呂に入れず、外にも出られないのがとても可哀想でした。病院に連れて行っても別室で待機するという完全隔離状態でした。この年齢では、我慢しなさいと言っても無理なので、どうせ罹るならもう少し親の言うことの意味が理解できる年齢になってからの方が良いようです。
最近お気に入りの遊びは、バッグや人形やぬいぐるみを手にしたりリュックをしょって、「行って来ます」と言ってリビングのドアの所まで行き、ちょっとじっとした後、戻って来て「ただいま」と言って帰ってくるものです。「どこまで行って来たの?」と聞くと、「あっち」とリビングのドアの方を指さして答えます。それと、おもちゃの電話でよく話をしています。親の話すところをよく観察していてそれなりに癖をつかんでいるのですが、自分の知っている単語を羅列しているところが笑えます。「パパ、ママ、黄色、ワンワン」と、言った具合です。彼女も着実に言葉を覚えて来ていますし、発音も大分正確になってきました。私が会社から帰ってくると「お帰りぃ」と迎えてくれるのですが、以前「なーにー」と言って玄関まで迎えてくれていました。今考えると「お帰りぃ」と言いたかったのに言えずに、「なーにー」となってしまっていたのでしょう。
また、私が1週間ほど出張に出ていた間に「パパ、いないねぇ」と言ってたそうで、そんなことまで言うようになったんだと、娘の成長を実感しました。
また、子供の記憶力の良さには驚かされっぱなしです。両親の服や持ち物や普段使っているもの等はどれが誰のものかよく覚えています。酒屋の缶ビールのポスターを指さして「パパ」と言うのは止めて欲しいのですが...。
(1999年02月07日記)

オリヅルラン あっという間に1999年も明けてしまいました。遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
年末からお母さんが、年明けから姫と私が風邪をひいてしまいました。毎年、年末には長崎に帰省していますが、お母さんはいつも風邪をひいてしまいます。今年の風邪は咽喉にくるようで姫と二人でコホコホやってます。長崎と茨城では最低気温が全然違うため、これが原因で私は風邪をひいたようです。リビングは南向きで日当たりが良いうえに熱帯魚の水槽が置いてあるのでかなり暖かいのですが、寝室は北側にあるためかなり冷え込みます。年末からリビングのオリヅルランは次々と花をつけています(写真の花です)。
姫の長崎へのフライトも3往復になりますが、今回も何時もの様に姫は往復ともに飛行機の中では眠っていました。親としては大助かりです。気圧の変化で泣き叫ぶ周りの子供たちを見ていると可哀想でなりません。長崎では、餅つきのまね事をしました。おじいちゃんが杵を作ってくれました。しかし姫の関心は餅ではなくきな粉でした。お餅を丸めているおばあちゃんの横で、顔中をきな粉だらけにして黙々ときな粉を舐めていました。皆に大笑いされました。それから、おせちの黒豆も一人で殆どを食べていました。「まみ、まみ」と、言ってあまり欲しがるので、おばあちゃんが帰りにタッパーに詰めてくれました。また、近くの公園のすべり台が気に入ったようで、一人で上って滑り降りることができるようになりました。
姫も大分語彙が増えてくるとともに、「じじ、きた」「ぱぱ、あっち」等の二語文が少しづつ増えてきました。それとともに自己主張も強くなってきて、かなり我儘娘な状況です。それで、最近はよく叱られています。しかし、叱られたことはすぐに忘れてけろっとしています。誰に似たのでしょうか?
(1999年01月10日記)

10月の第一土曜日に土浦の花火大会がありました。お盆過ぎたら花火はしないものと言われて育ったものとしては、なんとも無粋に思えて仕方がないのですが、花火製造者の大会なのでシーズンオフにやるのはうなずけます。花火が好きな姫の頼みとは言え、寒い中ベランダで姫を抱っこして見るのはなかなか辛いものがあります。寒さに弱いお父さんとしては、テレビで観ることにしました。解説も入るのでありがたいのですが、迫力は比べるべくもありません。結局、姫は見向きもしなくなりました。
最近は大分言葉を発するようになってきました。「ママ」と「パパ」は、かなり前から口にしていました。食べ物と飲み物は、全て「マンマ」だったものがパンは「パンパン」と言うようになりました。大好きな葡萄は「ブー」です。また、飲み物は「チャチャ]です。最近は以前に比べてお茶も飲むようになってきました。彼女の頭の中でも分類が進んでいるようです。それと、部屋やベランダのプランターにある観葉植物は「ブッパ」です。ちゃんと「葉っぱ]と教えたのですが、彼女にはそうは聞こえていないようです。花には「オハナ」と教えているのですが、覚えてくれません。花は大好きなので、花を見つけると「アッ」と言って指さします。花畑のそばを通ると「アッ」の嵐に見舞われます。9月の初めに北海道に行ったときに買わされたキタキツネのぬいぐるみは、「クーン]です。何度「コーン]と言っても、「クーン]と言います。牛は「ンーン」と鳴くそうです。先日行った大洗の水族館で買わされたマンボウは「プップー」です。自動車は「ブッブー」なのですが、クラクションは「キー」です。スリッパは「プッパ]で、パンツは「パッフー」です。また、靴は以前は「クック」と、のどの奥から言っていたのですが、最近は「クンクン」と鼻にかかった声で言うようになりました。唯一変化した例です。
それから、最近は歌も唄えるようになってきました。NHKの「いないいないばー」の「いない、いない、いない・・・」のところをビデオに合わせて一緒に唄っています。その中の「ハミガキシュシュシュ」の「シュシュッシュシュ」も一緒に唄っています。ハミガキは嫌いですがこの歌は気に入っているようです。余談ですが、この歌は谷山浩子氏の作品です。ちょっと驚きです。「オモチャのチャチャチャ]は「チャチャ]と言っています。
音楽に合わせて踊ってもいます。最初は、ユラユラとお尻を横に振っているだけだったのに、最近は縦ノリを披露したり、16ビートで身体を揺すったり、手の振りが入ったり、エキセントリックな動きが入ったりとバリエーションが大幅に増えてきました。童謡、ポップス、ロックにクラシック、果てはCMソングまで何でもありです。その上PUFFYのCMには「ティース」と叫んでいます。
お手伝いもしてくれるようになりました。一番よくやってくれるのは、ごみを屑カゴに捨ててくれることです。「チャイしてきて]と言ってごみを渡すと、トコトコと屑カゴまで歩いて行って捨てて来てくれます。捨てた後は、自分で手をたたいてちょっと得意げです。ごみの日には、屑カゴを持ってきてくれます。空になった屑カゴを元のところに戻すのも忘れません。洗濯の終わった洗濯物をカゴから取って、はやく干すようにと手渡してくれます。しかし干すまで待ちきれず、そこらに散らかしてしまいお手伝いではなく単に邪魔をしているだけになってしまいます。また、お風呂に入るときに、お父さんの脱いだ服を脱衣カゴに入れてくれます。お風呂から上がると、着替えを持ってきてくれます。会社に出かけるときにハンカチを渡すのは彼女の役目になってしまいました。
(1998年10月20日記)

子供の成長は本当にはやいもので、1年なんてあっという間でした。最近は、どこでも歩き回っているというか、走り回っています。買い物なんかでもちょっと目を離そうものなら、トコトコと勝手にどこかへ消えてしまいます。
先日は、それでぬいぐるみを見つけて、泣きつかれたお父さんはミッフィちゃんのぬいぐるみを買わされることになってしまいました。かなり気に入ってくれている様なので、しょうがないかなと諦めています。先月の長崎への帰省でもミッフィちゃんをお父さんのザックにヒモで止めて連れていきました。彼女は背中にミッフィちゃんに出てくるクマちゃんのザックをしょって行きました。中身は紙おむつと携帯用のおしり拭きです。
彼女は今回の帰省で2回目の飛行機での長崎往復を経験しました。飛行機は時間がかからないのでいい反面、気圧変動で耳が変になるのが困り者です。しかし、彼女は飛行機の中では必ず寝ててくれるので助かっています。東京に出るまでの電車の中では飽きたようで少しぐずりましたが、周りの方が気を使ってくれてあやして下さったので助かりました。長崎ではおじいちゃんにべったりでした。一緒に遊んでくれるのがうれしくてたまらなかったようです。
今日は、土浦でお祭りの花火が上がっていました。彼女も気に入ったみたいで、部屋のベランダから身を乗り出して見ていました。次から次にいろんな色が現れては消えていき、時にはものすごい音が辺りの空気を揺らす。この光景は彼女の目にはどのように映ったのでしょうか。
最近、困っていることがあります。長崎でもそうだったのですが、自分ちのお風呂以外を怖がることです。泣いていやがります。お風呂場で水遊びをやっているうちはいいのですが、身体を洗おうとすると泣き出してしまいます。ちょっと大変です。 それから、電話、電卓、コンピュータのキーボードをいじりたがります。電卓はまだいいのですが、電話とコンピュータには困ってしまいます。そこで、オモチャの電話(キティちゃんの声がするやつ)と使わないコンピュータ(MSX2+)を与えました。電話は結構気に入っています。コンピュータの方は電源を繋いでいないので、少しつまらなそうです。
(1998年08月09日記)

暫く更新をさぼっていたので、我が姫君も大分成長しました。年末年始を境にいろんなことを覚えました。昨年までは、四つんばいのまま体を揺するだけだったのが、ハイハイが出来るようになり、最近では掴まり立ちから伝い歩きまで出来るようになりました。調子がいいときは、数秒間ですがバランスをとって立っています。そのために彼女の遊び部屋である和室とリビングの間に柵を設けることとなりました。どうも彼女にはそれがお気に召さないようです。次に、タオルなどを使ってイナイイナイバーが出来るようになりました。これが彼女が覚えた最初の芸です。初めて見た時には、ちょっと前まで寝てるだけだったのにと驚いてしまいました。それからは、イヤイヤと首を振ったり、万歳と両手を挙げたり、名前を呼ぶと手を挙げたり、ごちそうさまと手を合わせたり、音楽に合わせて身体を揺すり手をたたいたりと、徐々にですがいろいろと小さな身体なりに自分を表現できる様になってきました。また、ある時期は舌をペロッと出したり、別の時は口をチュパッと鳴らしたり暫くすると全くやらなくなったりと彼女なりにマイブームがあるようです。
それから、少しずつものの名前を覚え始めました。長崎に帰る時にスチュワーデスさんから貰った飛行機の人形を前に「JALくんはどこ?」と聞くとその人形を手に取ります。魚の人形を持って「おめめはどれ?」と聞くと目を指さします。
それと、「ちょうだい」と言って手を前に出すと、手にしているものを渡してくれます。ただし、気に入って離したくないものはもちろん渡してくれません。軽く無視されます。
(1998年03月10日記)

そろそろ生まれて半年になろうとしています。成長期にある者の凄さと言うべきなのか、彼女の変化の速さには時に驚かされることがあります。
最近、歯が生えてきました。まだ下の前歯2本だけですが、歯茎がむずむずするのか歯固めを噛みながらよだれの洪水を起こしています。それと歯が生える前はブーと口をよくならしていました。それから、うつ伏せと腹這いのどちらも寝返りが出来るようになったので、布団の上をコロコロと転がりながら動き回っています。何でも口に持っていくので、ちょっと目を離すと大変です。
離乳食も始めました。口の周りをぐちゃぐちゃにしながらも何でもよく食べます。ただ、お粥はスープで味が付いていないと嫌な顔をします。この年で自分の好みを主張することにちょっと驚きです。
"fishy friends"というお風呂でのオモチャをアメリカから買ってきました。東京や横浜と違ってこちらのような田舎では気に入った物が見つからなかったのだけれども、アメリカでは直ぐ見つけることが出来ました。ただし、レジの店員がレシートを打ち間違えたのに気づかず$3余計に払ってしまいました。それでも彼女は気に入ってくれたみたいでお風呂を上がる時にもなかなか放そうとしません。それと、"wiggle worm"という虫の形をしたニギニギの大きな物も買ってきました。これは赤ちゃんの習性を理解して作られた優れ物です。前回の出張の時に"inch worm"というニギニギを買ってきたのですが、何れも気に入ってくれています。アメリカの乳幼児用のオモチャには結構優れ物がありますので、興味のある方は機会があれば玩具屋さんを覗いてみるとよいと思います。
この度、生まれて初めて病院に行きました。予防接種の予定があり、ちょっと下痢気味だったので診察に行ってきました。しばらく様子を見るようにとお薬を貰ってきました。機嫌も好いし食欲もあるので特に問題はないのですが、ミルクとの相性の問題なのかもしれません。あまり続くようであれば、ミルクを絶つように言われました。予防接種はお腹が治るまでおあづけです。
こちらがfishy friendsです。大きな魚の中にペンギンと小さな魚と亀が入っています。湯船でプカプカと浮きます。 こちらがwiggle wormです。目の部分を押すとピーと音がし、胴体の真ん中には木で作った鈴のような物が入っていて振ると音がし、尻尾の部分を握るとカサカサと音がします。ワッカの部分は歯固めとしても考えられた作りをしています。
(1997年11月11日記)

9月5日の夜、お風呂上がりに着替えを済ませマットの上に寝かせていたら、ひとりで寝返りを打ってしまいました。それまでも、もう少しの所までは行っていたのですが、まだ3カ月半ほどしか経っていないのでまだまだと思っていた矢先でした。それからは、ちょっと目を離すとコロンコロンと寝返りを打ってうつぶせになっては、頭を持ち上げて喜んでいます。ただ大変なのはまだ元に戻れないのです。うつぶせになったまま、足をジタバタジタバタと車のワイパーのようにさせて、ついには泣き出してしまいます。元には戻れないし、ましてやハイハイ等まだまだなのでイライラしてしまうようです。
最近、紙おむつの種類を増やしました。2種類の紙おむつと布おむつの合計3種類を使い分けています。紙おむつをもう一種類加えた訳は、今まで使ってのは通気性や吸収量は充分だったのですがサイズが合わなかったのです。Sサイズを今使っているのですが、もも周りに余裕がありすぎて最悪の場合横漏れを起こしてしまいます。近所の赤ちゃんと比べて少し足が細いようで、それが原因の一つのようです。今回追加したのは、同じSサイズでも若干小振りのようでサイズはピッタリですし、サイドギャザーが二重になっていて横漏れの心配はありません。しかし、通気性には難がありかなり蒸れ蒸れになります。また、小さめの作りのためか吸収量にも不安があります。それで、大きいSサイズのは眠るときに、小さいSサイズのはウンチの心配があるときやちょっとした外出の時にと使い分けています。
相変わらずよく笑い、よくしゃべります。彼女の喜ぶ対象がちょっと大人とは違うので不思議に思うことがあります。絵のない数字だけのカレンダーに微笑んだり、天井に大笑いしたり...ちょっと戸惑うこともありますが、大泣きされるよりは大歓迎です。
(1997年09月09日記)

8月23日に3カ月検診がありました。体重は5,980g 、身長は60.5cmになっていました。ミルクやオッパイを飲んで取りあえずお腹が満たされると遊びだしてしまうので、足りているのか不安でした。今回の検診で発育状況も栄養状態も大丈夫と言われ安心しました。娘の近況はというと、
  • 首が据わりました。
  • 足の動きが更に活発になった。お客さんが来たりして興奮すると途切れることなくバタバタさせてます。
  • 更におしゃべり好きになった(父親似だとか?)。機嫌がいいと延々としゃべり続ける。しゃべりにも大分表情が出てきて、語彙も増えてきて(相変わらず意味は不明)、声の強弱や高低の違いも付いてきました。ミッフィちゃん、インチワームのにぎにぎやウサギの人形と話をしています。
  • 指やガーゼ、タオルなど何でも口に持っていき舐めるようになった。勿論、人形達も犠牲者です。
  • 下唇を噛んでいることがよくあります。
  • 抱っこされている時に、服の袖などに掴まるのですが、ティシャツなどの場合服ではなく腕や首を摘まむ様に掴まるので結構痛い。
  • スプーンで果汁を飲む練習を始めました。だんだんとゴックンがうまくできる様になってきました。
  • 寝返りはまだなのですが、真横になるところまでは出来るようになりました。
と、いったところです。
(1997年08月27日記)

赤ちゃんにとっては、一日という周期は無いようです。生後2カ月くらいの間は毎日夜中に1〜2回起こされます。お腹が空いたり、おむつが汚れて気持ち悪かったり、恐い夢を見たりと大忙しです。特にお母さんはオッパイをあげなければならないので大変です。産後で体力が回復していない時期だけに睡眠不足でフラフラになっていました。最初の1カ月は、妻のお母さんがずっと居てくれたので何とか乗り切ることが出来ましたが、その後はさすがに大変でした。寝起きはすこぶる良いのだけれど、寝付きが悪いという娘の特徴もあって夜がどうしても遅くなってしまいます。お父さんが寝かしつけ役で何とか寝かせようとがんばっても、気が付くと午前2時を回っているということが毎日のように続き大変な日々を送りました。最近(7/26)になって、12時前に寝て朝までぐっすり眠ってくれて夜中に起きることが無くなり随分と楽になりました。6月14日の1カ月検診では、体重は4,100g、身長は54.0cmになっていました。乳児身体発育曲線の平均値で順調に成長しています。最近娘の行動や様子で目に付くことは、
  • 手足をよく動かす。特に足はよくバタバタしていてまともに蹴られると結構痛い。それに関連した事として、よく動きます。朝起きたら頭が反対の方にあったのには笑ってしまいました。
  • 自分の手(左手が多い)をじっと見ている事がよくある。
  • よく笑う。声を出して肩を震わせて笑うこともある。
  • 話をする。勿論内容は意味不明だが、周りの人の言葉に反応して答える。またオモチャに書いてあるクマさんの絵に向かっても話しかけたりしている。
  • 外出が好きである。泣いていても外に連れ出すと泣き止んでしまう。車も好きなようで車内で喜んでキョロキョロしている。
  • よだれの洪水。
  • 爪の伸びが速い。ミトンが嫌いなので、油断すると顔に見事な傷を作ってくれる。
  • 服の裾や肌着の紐をよく掴んでいる。肌着の紐を引っ張って解いてしまう。
と、いったところです。
(1997年07月14日記)

生まれるとき

5月12日の夜から規則的な陣痛が始まりました。その時私たちはコンピュータゲームに興じていました。13日の朝に病院に連絡を取ったところ、入院の準備をして来るようにと言われ、9時30分に病院に入りました。日中は陣痛と言うほどの痛みはなく、これなら楽だと彼女も思っていたようでした。しかし、13日の夜半から14日の未明にかけて本格的に陣痛が来て眠れぬ夜を過ごし、14日の朝にようやく生まれました。なので、お母さんは2日間、お父さんは1日寝むれませんでした。ここで安心したのも束の間、眠れぬ夜の始まりだったのです。
私は、出産前から二人で決めていたとおり妻の出産に立ち会いました。所詮男が出来る事など何もないことは最初から分かっていました。しかし、実際に経験してみると本当にどうしようもないくらいに男は生命の誕生という重大な瞬間において全く無力であることを思い知らされました。それどころか陣痛の痛みに耐えかねて、叫び、身悶える彼女に対してさえも声をかけてあげることぐらいしかできませんでした。そんな自分の情けなさと彼女の神々しくもある姿に図らずも涙してしまいました。腰が砕けるほどの陣痛に耐える彼女の手を握りしめ、ただただ励ましの声をかけながら腰をさすり続けていました。気が付くと私の手の皮も剥けていましたが痛みは感じませんでした。このような状況の中、私の感覚は麻痺していたのかもしれません。
私たち二人のの思いを受けて14日の朝、娘が生まれました。生まれるまでの長時間の苦しみ・痛みに比べ、分娩自体は短時間だったせいもあり私の目にはわりとあっけないものでした。ここの病院では臍の緒を切るのは父親の役目のようで、私もはさみを入れました。只、セレモニーの一つのようで言われるがままに手を動かしていました。
娘はそれほど泣き叫ぶこともせずか細い声を少し上げただけで、黒く一点の濁りもない眼を見開いて、「これが外の世界なのかしら」と、言わんばかりに看護婦さんの腕の中で辺りを見回していました。視力はまだ無いのでしょうが、明るい場所に出てきて雰囲気の違いを感じていたのでしょうか。
これから、お子さんが産まれるという方は立ち会い出産をお勧めします。そうでなければ、病院の外にいる方がまだ精神衛生上いいと思います。廊下にいると彼女の苦しむ声だけが聞こえて状況が把握できず、心配と不安が膨らむだけです。勿論、出産の現場なので多少の出血等を目の当たりにすることになりますし生々しい部分があるのも事実です。しかし、少量の出血を見ただけで卒倒してしまうような人は別にして、新しい生命が誕生する瞬間に立ち会える意義は大きいと思いますし、わが子ともなれば尚更ではないでしょうか。奥さんが拒否したらそれまでですけど。
(1997年07月15日記)