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■浜松張り子■ 4代目、二橋加代子さんが伝統をついで、量産のできない昔ながらの制作手法で、手仕事の制作を続けています。 浜松張り子は幕臣であった三輪永保が、江戸で習った張り子の技術を生かして、明治初期から作り始め、その長男の永智(ひさとも)から3代目の志乃(永保の6女)へと受け継がれました。 志乃は、二橋家へ嫁いで、張り子作りからは、いったん遠ざかります。 しかし、昭和20年6月の浜松大空襲で、木型の一切が灰になった折、彼女は廃絶の危機に立ち上がり、たいへんな努力で、浜松張り子を再び昔の姿によみがえらせました。 3代目、志乃が復活させた浜松張り子は、昭和34年、市の無形文化財に指定。志乃は83歳まで制作を続けました。 4代目の加代子さんの話では、「3代目は仕事を教えようとはせず、自分の作っているところを眺めさせるだけだった」という職人気質の人であったそうです。 なを、掲載の飾り馬は、平成2年の年賀切手のモデルになりました。 |
■浜松の風車(天竜風車とも呼ばれています)■ 何重にも風車がかさなっていて、重ねあわせたそれぞれが、互い違いに廻るように作られた、珍しく、また美しい風車です。 昔は作る人も多かったそうですが、今は、高齢の松下定男さん1人が作っていられます。 ■由比の宝舟(由比町)■ 藤枝市の、清水義信さんが、注文に応じてのみ作っていられる木製の舟です。これは漁船をミニチュア化したもので、大は1メートル位から、小は掌にのる位のものまで作られています。 桶作りが本業の高橋市太郎が明治中期に、サクラエビ漁の漁船をまねて玩具の舟を作りはじめ、3代目、正次郎の頃には、江の島や熱海まで送られ売られていました。 清水義信さんは叔父の高橋正次郎のそばで宝舟の制作をみて覚えました。昭和50年頃より、会社勤めのかたわら「宝舟」を作り、正次郎にみせたところ「これでよし」といわれたのに自信を得て、現在、注文を受けては、趣味的に制作されています。 (清水義信:藤枝市築地326-4 TEL: 054-643-0969) ■石松人形■ 周智郡森町、「亀八」(村松新一)作の数年前からの創作人形。 森の石松が三度傘の上であぐらをかいています。起き上り式で、転んでもすぐに起き上がります。 この人形は「亀八」の裏山、次郎長や石松の墓地がある、大洞院で売り始めたもので、ほかでは売られていないため、あまり知られていないようです。 ■大黒だるま■ おなじ「亀八」で制作。俵の上にのった大黒様で、大きな耳が描かれている珍しいデザインのだるまです。愛好家の間では「耳つきだるま」として有名な品です。 |
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