インドニューホープ訪問記 

P2インド班 大山顕寿

 

経済成長と7億の貧困層

 インドは1991年以来、経済の自由化を進め、外国からの投資や企業の進出を積極的に受け入れている。年率6〜7%の経済成長を記録し、2億人ともいわれる中産階級の人々を中心に車や電化製品などの耐久消費財購入ブームが起こっている。現在、インドはばく大な人口を抱える消費市場としても、数学・英語に堪能でしかも安い労働力が得られる労働市場としても世界の企業の注目を集めている。今回立ち寄ったアンドラプラデッシュ州の都市ビシャカパトナムでも建設中のビルや工場の群れや立ち並ぶ日本をはじめとする外国企業の看板などからその変化は実感出来た。

 しかし、同時にインドは月収9千円に満たない7億人近い貧困層を抱えている。もちろん、貧困層の中から新たに中産階級に加わる人々も少なくない。しかし、貧困層と中産階級との格差は拡大する傾向にあり、繁栄に参加出来ない人々の間には不満が蓄積されている。われわれが訪れた山岳民族も経済成長からは取り残される可能性が大きい人々である。山岳民族の人々はオリッサ州の公用語であるオリヤ語も話さず、貯蓄プロジェクトを進める際に算数を同時に学ぶ必要があったように計算能力もない。そして通えるところに学校がないためにそれらのことを学ぶ機会もない。
 

ハンセン病患者の治療からスタート  

1996年12月21日から15日間の日程で草の根援助運動(P2)インド班の永野、三谷、大山はインド東部オリッサ州のNGOニューホープを訪ねる旅行に出かけた。目的はニューホープと共同でおこなっているプロジェクト「インドの最貧困層の女性達への保健衛生と識字教育(山岳民族女性への保健プロジェクト)」の視察である。  P2三谷代表とローズ夫妻

日本を出てから1週間目の12月28日朝、前夜泊ったラグバリ地区のセンターの小屋を出て上り下りのある山道を歩き、1時間余りでグンソールという村に着いた。軒の低い草葺き屋根の家が5軒ほどかたまってあった。私たちはそこで45歳の男性の元ハンセン病患者に出会った。彼は実際の年齢よりひどく年老いてみえた。手足の指が落ち皮膚が大きくひび割れて出血し、眼はほとんど見えない状態であった。 グンソール村の子どもたち ハンセン病は細菌の一種によっておこる慢性の伝染病である。顔面や四肢の末端などに症状があらわれ皮膚潰瘍や知覚麻痺などを生じる。今日では感染力のごく微弱な伝染病とわかり、特効薬もできている。

グンソール村の元患者が症状を悪化させたのはニューホープのスタッフが8年前にやって来るまで、村民にハンセン病に関する正しい知識がなく治療が遅れたためである。インド全体にはハンセン病患者が400万人いるとされている。そして地方にはハンセン病を遺伝する不治の病とか悪徳の報いとみるような迷信も残っている。  
ハンセン病の後遺症
NGOニューホープの活動はハンセン病患者の発見と治療をその出発点としている。ニューホープのディレクターであるローズと妻のルースの親もハンセン病患者であった。インドではハンセン病患者は病が治癒してからもカーストの外に置かれ、家族も含めて普通の人々と別な集落に住むことを強制される。 ローズは進学のため親と離れ、身寄りのない子供を収容する政府のホステルで少年時代をおくった。彼の母親は時には物乞いをして彼に学費を送ったといわれている。  

技術系の学校を終えた後、ローズはキリスト教会でハンセン病患者救援活動に携わった。その後、わずか3ドルを持って特に社会開発が遅れていたオリッサ州のムニグダにやって来てハンセン病患者救援団体をつくった。それがNGOニューホープである。  

ムニグダの周辺の山間部には50万人を越える山岳民族がいる。ローズは頻繁に山岳民族の村に通って人々の信用を得て、薬や検査に要する資金はヨーロッパやカナダの社会団体から集めた。これまで3000人以上のハンセン病患者を治癒させ、現在2500人以上を治療・経過観察中である。 山岳民族について 草の根援助運動がニューホープと共同でおこなっているプロジェクト「インドの最貧困層の女性達への保健衛生と識字教育」の対象となっているのもこの山岳民族の人々である。彼らはインド政府の関心の外にある。人口も住んでいる村の位置もは正確に把握されていない。医療や教育などの日本では基本的な行政サービスは一切受けていない。村への道は不十分なもので村には電気がない。  

インドは15の公用語があり約260の言語が話される多言語国家だが、山岳民族の人々はオリッサ州で話される公用語オリヤ語を話さず、独自の言葉を話している。文字はない。宗教はヒンズー教ではなく、自然の中に精霊の存在を認める日本の神道にも似たアニミズムである。村の境には石を積み上げ神を祀っている。  

大概の村は7〜10家族ほどから成り立っている。1つの家族が1軒の家に住んでいる。家はやしの葉で屋根を葺いた土間を持つ小さなものである。焼畑移動農業をおこなっており、4ヶ月の間はアワ・キビ畑の中の小屋に泊まって仕事をする。アワなどの粥、山でとれる果実、菜っ葉のカレーなどを食べている。 米は1週間に1食、朝食べてその上澄みを昼、夜と飲むという生活である。村の女性

P2のプロジェクト  

草の根援助運動のプロジェクトの対象となっている14の村のうち9つの村を視察した。

ジープで山道を行けるところまで行き、残りは徒歩という行程であった。農作業で人々が出ている村を除いて各村で住民の代表から歓迎を受けた。

ニューホープはプロジェクト開始にあたって、村ごとに世話役となる女性を1人決める。世話役の条件はオリヤ語を話すこと。女性であること。人々を教えられることである。彼女には月に60ルピー(インドのお金の単位・1ルピーが約3円)がニューホープから支払われる。彼女は村の女性達に呼びかけ、女性7人で1組のグループを作っていく。このグループを中心とする話し合いがプロジェクトの様々な活動の基盤となる。  

まず、貯蓄のプロジェクトでは、人々は1週間ごとに色の異なる小さい袋に金を入れて、それを村ごとに置かれた箱に入れる。コミュニケーターの女性は1か月毎に箱をニューホープの本部センターに持って来て預ける。貯蓄額は1家族について1冊の通帳に記載される。  

ある村では8家族合計で1ヶ月平均130ルピーの貯蓄額があった。また、別な村では1人が57ルピー1年で貯金していた。これに10%の利子がつくのである。また、融資を受けることも出来る。200ルピーを借りて山間部の盆地に野菜畑の耕作を始めた女性や道沿いに小さな店を出した女性に会った。  

経済的に貧しい山岳民族の村では人々はこれまでその日その日を生き抜くことに精一杯だった。山の産物を町の市場に持っていって得た小額の金もすぐ物にかえて、その週のうちに使い切ってしまっていた。貯蓄プロジェクトによって自分の生活が向上することを信じて努力する態度、未来に希望を持つ態度が人々の間に広がっていると私達に同行したニューホープのスタッフは言っていた。

 ニューホープが実施し、草の根援助運動が1995年より援助をおこなったプロジェクトは山岳民族の女性を対象に貯蓄・融資と識字・保健教育を結び付け、自己開発を促すものであった。
 

精霊に祈る人々 

  われわれがオリッサ州ムニグダ周辺の山岳民族のある村を訪問した際、日が落ち闇に包まれた家の軒先で小さな火がたかれているのが竹の塀の隙間から見えた。しばらくして祈りをささげる声が聞こえて来た。同行したニューホープのスタッフによると病人のいる家だという。この地域の村では病気は精霊がもたらすものであり、また何らかの天罰の結果であると考えられていた。人々は家族が病気になっても神に祈りをささげることしかしなかった。

 95年にプロジェクトが始まり、ニューホープで訓練を受けた人を中心とする女性のグループがつくられ、話し合いがおこなわれた。下痢の子供には脱水症状にならないように生理食塩水を与えること、出産の際には汚れた刃物でへその緒を切ってはならないこと、ワクチンを飲むことでポリオが予防出来ることなどが先ず女性達、ついで彼女達をつうじて村人に浸透していった。96年6月以降、11件の出産があったがうち9件でニューホープの配布した、消毒薬、石鹸、安全剃刀からなる安全出産キットが使われた。

 プロジェクトの実施後、山岳民族の人々は子供や妊婦が死んでいくことを自然であるとも、運命であるとも思わなくなった。自分たちのやり方次第で避けられることと思うようになったのである。
 

これからの課題

 しかし、問題点も少なからずある。村の井戸に吊ってあった石鹸はあまり使われているようではなかったし、飲料水に井戸水か濾過水を使うことも村人の理解を十分得られていない。細菌は目には見えないが存在すること、そしてそれが病気の原因となることをわかってもらうことが難しい。移動実験室のようなものを考えて細菌が増えていく様子を顕微鏡などで観察出来るようにする必要があると話し合った。
 また識字教育の面では字を知ることの大切さはわかったものの、オリヤ語の40を越える複雑な文字を年をとった女性達が習得することは難しかった。そこで彼女達自身の要望でプロジェクトの内容を変更して子供達に教育をおこなうことになった。

 プロジェクトの初期においては現地の人々の信頼を得ることが大事である。95〜96年の実質2年に満たない間に14の村の全世帯の67%がプロジェクトに参加したという数字は悪いものではない。視察の途中、無事出産を終え赤ん坊を抱いたまだ10代半ばの山岳民族の母親の笑顔やニューホープで裁縫の技術を学んで自分の村で開業した障害者の少年などニューホープの援助によるこの地域の「開発」を象徴する人々や光景にも出会った。

 今年より14の山岳民族の村でのプロジェクトは第2期に入った。草の根援助運動も援助を継続する。現在、インド全体に影響を与えている経済自由化による「開発」とニューホープのプロジェクトによってもたらされた山岳民族の人々の「開発」、2つの「開発」がどのようにつながっていくのか、まだ十分整理出来ていないが、両方を視野に入れて活動を続けていきたいと思う。


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