中央スイスを巡る旅

 ウィリアム・テルの伝説を御存知ですね。そう、あの息子の頭のリンゴをテルが矢で射ぬく場面で有名なあのお話です。ハプスブルクの圧制に抗してテルを始めとするスイスの民衆が立ち上がるというお話・・・。でも、これはフィクションなのだそうです。つい百年ほど前まで、実在の人として考えられ、大変尊敬を集めていたといいますから、調べてみてその存在を実証する物が、何も見つからなかった時のスイスの人々のショックは、ずいぶん大きかったようです。

 古くからのその伝説が、スイス独立に向けた苦難の歴史を後の世の人たちに伝えようとした人たちのフィクションであったとしても、その精神はあくまで真実であったと言えるでしょう。そしてその舞台はウリ、シュヴィーツ、ウンター・ヴァルデンの原三州と呼ばれる中央スイスのルツェルン湖をめぐる地域でありました。

 一九九一年、スイスは建国七百年を祝いました。
 それは一二九一年八月一日、フィーアヴァルトシュテッター湖(ルツェルン湖)の畔のリュトリで原三州と呼ばれる三つの地方の代表が集い、ハプスプルクの加重な要求に対しての自由・独立・相互扶助の盟約が交わされたことに由来するとされています。
 この盟約によるリーグはやがてルツェルンやチューリッヒ、ベルンという商人、貴族、軍人の地域が加わり、様々な紆余曲折を得て今日のスイスに発展していったのですから、リュトリの誓いの日がスイス建国の日とされたことも頷けます。しかし、正確には、これ以前にもこうした盟約は数々あったと言われていますので、かなり象徴的にリュトリの盟約が扱われていると言ってもいいと思われます。
 リュトリの盟約の原文は今も大切にスイスの国会にあるそうです。
 「ウィリアム・テル」の戯曲は、スイスを旅行したゲーテが聞いてドイツに戻り、シラーがその話を戯曲にまとめたとされますが、音楽好きにとっては、後にロッシーニにより歌劇化された方が親しいかもしれません。そのあまりのスケールの大きさゆえに、今日の歌劇場であまり上演されず、もっぱら序曲ばかりが演奏され、親しまれているこの作品。きっとみなさんも聞いたことがあることでしょう。その中にはアルペンホルンのフレーズや郵便馬車の角笛のフレーズが使われています。郵便馬車の角笛のフレーズは、今もスイスのポストバスの警笛に使われていて、それと知っていると、「ああ、あのウィリアムテルの音楽」と皆、思うはずです。
 まっ、そんなことはともかく、そのテルのお話を戯曲にまとめて世界に知らせたドイツの詩人シラーの碑文がルツェルン湖にあります。力強く湖から直接突き出て聳える自然石に刻まれたそれは、それだけで実に力強いモニュメントとなっています。
 この中央スイスには、ワーグナーをはじめとする多くの音楽家たちの足跡が刻まれています。ホロヴィッツにラフマニノフ、ここに生まれたオトマール・シェック。そして世界に名高いルツェルン音楽祭。

 ルツェルンをはじめとして四森林州湖をめぐる旅は、スイスと音楽を巡る旅でもあるのです。そして、スイス誕生の物語とロッシーニの音楽に思いを巡らせて、ぜひみなさんもスイスの奥深い旅を楽しんでほしいものだと思います。