スイスの作曲家ヴラディーミル・フォーゲル

 今世紀のスイスの重要な作曲家のひとり、ヴラディーミル・フォーゲルについて書いてみたいと思います。
 彼は、その名が表しているようにロシア人であります。一八九六年二月二十九日にモスクワで生まれました。ロシア革命によってベルリンに移り、一九一八年から一九二四年にかけてベルリンでイタリアの鬼才ブゾーニに師事し作曲を学び、クルト・ヴァイルやハンス・アイスラー達の「ノーヴェンバー・グループ」に属していました。
 一九二五年からは、ベルリンのKlindworth-Scharwenka音楽院で作曲を教えていたのですが、一九三三年のナチの政権奪取により再び亡命。スイスに身を落ち着けることとなったのですが、外国人として扱われた彼は、一九五四年にティチーノ州のアスコナで市民権を取得するまで、厳しい外国人の居住に関するスイスの法律により、各地を転々として生きていたようです。
 そんな苦難の時代を迎える少し前の爛熟したベルリンで、フォーゲルは劇的オラトリオ「ヴァガデューの放漫と没落」(私の訳ですので合っているかどうかわかりません)という大作を作曲しています。ドイツの探検家レオ・フロビニウス(一八七三〜一九三八)がアフリカで収集した話(吟遊詩人との対話等)の中の伝奇物をテキストとして作られた作品であります。
 原始的というかバーバリズムによる作品で、強い印象を与える作品です。三人の独唱者(Sop.Alt.Bar)と合唱(この曲のほとんどの部分で大活躍する)とサキソフォン・アンサンブルの為に書かれています。
 その面では、同国人のストラビンスキーを思い出しますが、彼のようにロシア人としての創作というより、フォーゲルの音楽はもっとインターナショナルで、ヴァイルやアイスラーといった作曲家たちに近い感性をもっていたようです。したがって彼の音楽がロシアを聞くのは、大変難しい事のように思えます。
 
 さて、この作品の主題は、紀元前のアフリカでおそらくは起こったであろう、民族の移動にともなう争い、戦争、栄光と死がそのテーマとなっています。フォーゲルがナチを逃れてスイスに来る少し前の一九三〇年に完成していることも、何か因縁のようなものも感じます。
 私が持っているCDは一九六八年にオランダで行われた音楽祭での録音ですが、もともとLP二枚組みで一九七三年頃、オランダで発売されていたのですが、一九九六年にフォーゲル生誕一〇〇周年を記念して、スイスのスーパーの大手ミグロのCD部門が、オランダの会社から版権を移動して発売にこぎ着けたという一枚です。
 そう売れるものとは思えない作品を、大切に考え、それを再び世界に普及するためにねばり強く交渉し、それを再び流通させるというのは、大変立派なことで、このスイスのメーカーを単なる安売り屋などと一部で揶揄するのを聞いたり読んだりすると、こうした立派な文化事業を行っているということを知っていますか?と訊ねたくなります。
 それはともかく、この録音が行われた時(一九六八年)はまだフォーゲルは存命中で、彼自身の監修の元に行われたと思しきこの一枚は、適度にモダンで、戦後の前衛音楽のように難解すぎることもなく、彼の代表作としての位置づけはおそらくゆらがない物と考えられます。
 劇場と教会の間を結びつけ、劇的オラトリオという新しいジャンルを完成させた最初の作品でもあり、彼は一九四八年に再度この作品に手を入れて第二のバージョンを完成させています。このCDもそれによっているのですが、古典的な手法、例えばフガートやレチタティーヴォといった技法を使いながら、ヴァイルやアイスラーのシリアスな作品に聞かれる響きの新しさもふんだんに盛り込まれ、強い作曲者の意思を反映した、大作となっています。
 この録音の頃はチューリッヒに居を構え、チューリッヒ市から芸術賞、スイス作曲家協会からも音楽賞を受け、名実共にスイスを代表する一人となっていったのです。
 私のもっているCDには「言葉」という作品も入っています。これは、ルツェルン祝祭合奏団のために実験的な作品で、フォーゲルの友人であるハンス・アルプの韻文を読む二人の声の音価のタイミングとピッチとを正確に表記することで、話す言葉が音色的に区別され、その間での緊張関係と弦楽アンサンブルとの対位法とでも呼ぶべき作品となったのです。
 シェーンベルクの「ピエロ・リュネール」のようであり、更にそれよりも二人の声を使うことで踏み込んだ問題作といっても良いでしょう。
 これを書いた時、すでに六十六才。まだ新しい表現方法に対してのどん欲な意欲を持ち続けていたとは、驚異的でもあります。
 そして一九七三年に書かれた、カール・ウェーバー(ピアニスト、マグリット・ウェーバー=フリッチャイのDGへのラフマニノフのパガニーニ狂詩曲でソロを弾いていた=の夫)に捧げられた「告別」は、弦楽アンサンブルの為の小品でありますが、ベルトの「ブリテンへの追悼歌」のような、大変深い情緒を伴った作品で、いつまでも心に残る一曲であります。
 おそらくは、ショスタコーヴィッチの最後のビオラ・ソナタがベートーヴェンの月光ソナタに敬意を持って書かれたように、この作品は彼の故郷のロシアの作曲家、チャイコフスキーの「悲愴」の終楽章に敬意を払っていたと思われます。
(瑞西MGB/CD 6128)
 作曲家フォーゲルは一九八四年六月十九日にチューリッヒで亡くなりました。