のどかで、どこまでも広がる清浄な空間、緑の絨毯から白い雪と氷河に彩られた山と鮮やかなスカイラインを形成する空の青という、見事なコントラストを、ゆったりとした前後の音楽とそれに挟まれた動きのある部分で、実に巧みに表現しています。
ランボーのイリュミナシオンの中の一節、「私は夏の曙を抱いた」というフレーズに霊感を得て書かれた作品であるとされていますが、そのことが真実であると、スイス・アルプスに滞在し、あの荘厳な暁の情景を見た者なら、即座に信じられると思います。
ヴェンゲンから見たユングフラウ、特にその支峰のシルバーホルンの優美な眺めは、「シルバーホルン」の名がついたホテルなどがよく目につくことからも、大変印象的であり、特にヴェンゲンからクライネ・シャイデック向かって登って行くと、目の前にどんどん広がるその美しい山容と、グッギー氷河の荒々しい表情との見事な対比に打たれます。
尖り頭の教会を中心になだらかに広がるヴェンゲンの村は、緑の牧草地の中に浮かび上がる別天地の様なところで、ラウターブルンネン谷の肩のところにできた小さな村です。
登山鉄道でインターラーケンからラウターブルンネンで乗り換えて行くと、花々に飾られたシャーレーが点在する絵のような風景に出会えます。ミューレン、グリンデルワルドと美しい村はどこも花々に飾られ、観光客の目を楽しませてくれます。
眼下のラウターブルンネンの谷を隔てて、ミューレンの村が遙かに見え、谷の奥には名峰ラウターブルンネン・ブライトホルンやブリュムリスアルプ、グスパルテンホルンといった氷河、万年雪を頂く霊峰が居並ぶ、素晴らしい村で、こんな穏やかで心落ち着く作品が生まれたのであります。
近代作曲家にあっては、作曲技術の誇示や、新しい語法の探求に重きをおくのではなく、ロマンの溢れる作風が印象的なオネゲルの作品の中でも特に穏やかで美しい作品ではないでしょうか。
オネゲルは、この曲をスイスのマルマンドという所に住んでいた楽器制作者のレオ・シルの依頼で作ったのでした。新しい楽器とその普及に挑戦していたこのレオ・シルは、ミニ・ヴァイオリンから特大コントラバスという数々の弦楽器と伝統的な弦楽四重奏とのアンサンブル曲を依頼したのです。
でもオネゲルは、その編成で書くのではなく、通常のオーケストラで作って見たくなったのでしょう。結局通常のオーケストラで作曲されることとなったのは、後世の私たちにとっては幸運であったと言うべきでしょう。何故ならレオ・シルの楽器はどれも残ってはおらず、その風変わりな楽器のためのスコアであったなら、これらの美しい音楽は音になることは、まず無かったでしょうから。
演奏を聞くのなら、デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団のエラート盤が良いでしょう。変わったのが好きな方は、スイス、クラヴェザーノに住んでいたヘルマン・シェルヘン指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏なども面白いかも知れません。このCDの解説の最後に1950年のシェルヘンのスイスでの排斥運動について、彼の愛弟子のフランシス・トラヴィスの文章がのっています。
保守的で、戦争後のマッカーシズム(反共主義)のスイス的現れ方の実例でありましょうし、シェルヘン排斥のキャンペーンにアンセルメやアンドレーエ、ザッヒャーといった人物が加わっていたという、ややショッキングな記述もあります。
ちょっとオネゲルから話がそれてしまいましたね。
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