マルタンは一八九〇年九月十五日にジュネーヴで生まれました。したがってオネゲルやシェック達の同時代人としてスイス楽壇で活躍していたということです。J.ラウバーに師事、また音楽教育の分野では知らない人のいないダルクローズの影響を強く受けています。
彼は一九二六年にジュネーヴで室内楽協会を設立してそこのピアニスト及びなんとチェンバリストとして活躍していたそうですから、バッハなどのバロック音楽に対する造詣も深かったことにもよるのでしょうね。
一九二八年からはジュネーヴのジャック=ダルクローズ音楽学校の教授を勤め、トリビューン・ド・ジュネーヴに音楽評論も書いています。第二次大戦中の一九四三年から一九四六年(スイスは戦争に参戦していないけれど)にかけてスイス音楽家協会会長をつとめたそうですから、スイスを代表する音楽家として知られていたのですね。
フランス近代の音楽の影響を受けながら、ワーグナーの音楽に熱中したり、一九三二年頃からローザンヌに滞在していたストラビンスキーなどの影響も受けているようですが、そこからシェーンベルクの十二音音楽(ドデカフォニー)に興味を持ち、独自の作風を確立してと思われます。
それは、調性を捨て去ることなくドデカフォニーの考え方を軸に色彩的なハーモニーをそこに見いだしていったのです。
彼は、特にオラトリオなどの合唱を含む大規模な音楽に真価を発揮しました。オラトリオ「地に平和を」はアンセルメの演奏やバーメルトの演奏などで聞くことができます。
「マリア三部作」もまた晩年の傑作でありますし、「コルネット」というスイスと縁の深い詩人リルケの文章をテキストとした作品もロベス・コボス指揮ローザンヌ室内管の面々とブリジッテ・バレーによってスイスのレーベルCASCAVELLEから出ています。
彼は自身がピアニストなどとして活躍した経験もあり、また指揮者としても自作をいくつも録音しています。有名なのはスイスのJecklinからでているシュナイダーハンとのヴァイオリン協奏曲とバドゥラ=スコダとのピアノ協奏曲第二番が良いでしょう。「イェーダーマンのモノローグ」、「トリプティーク」といった晩年の作品も忘れるわけにはいきませんし、「7つの管楽器とティンパニ、打楽器と弦楽のための協奏曲」1949といった作品をエルネスト・アンセルメの指揮、ジュネーヴの名オーケストラ、スイス・ロマンド管弦楽団などの演奏でデッカから出ていて比較的簡単に手に入ります。
多くの作品を初演した、スイスの生んだ今世紀の名指揮者、エルネスト・アンセルメとの長い親交を始め、バーゼル室内管弦楽団の名指揮者、パウル・ザッヒャーなどとの長い親交が示すように、バルトークやストラビンスキーなどと並び称される、今世紀を代表する作曲家であります。
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