|
|
|
|
|
|
|
|
ケンペ指揮チューリッヒ・トーンハレ管のブル八
|
|
|
|
(英SOMM Celeste/SOMMCD 016-2)
|
|
|
|
|
やっと出たというべきでしょうか、一九六五年から一九七二年にかけてチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の首席指揮者を務めたドイツの巨匠、ルドルフ・ケンペが指揮したブルックナーの交響曲第八番の名盤が再発されました。
一九七一年の録音ですから、ケンペはまだチューリッヒ・トーンハレ管の首席指揮者だった年の十一月にトーンハレのスタジオ?で録音されています。七〇年代半ばだったか後半だったかにLPで発売(テイチクでしたね)されてそれが今も九州の女房の実家に置いたままになっています。
権利問題でなかなかCDにならず、私にとってこのCD復刻は、ことの他うれしい出来事でありました。
で、復刻の状態はというと、アナログ録音の極地ともいうべきもので、大変保存状態の良好なマスターから復刻したようで、素晴らしい音響を聞かせてくれます。 |
|
ハース版による演奏というのは、カラヤンやベーム等の演奏と同じドイツ系の古いタイプの指揮者に共通したものですが、そのせいかわかりませんが、ずいぶん華やいだ部分も多く、諦念の溢れたややセンチメンタルな悲劇と対照的な力強さが前面に出た演奏であると思います。筋肉質とでも言えばいいのでしょうか?
とは言えゴツゴツした無骨な演奏とはまた違い、自然な表情、呼吸で聞く者をいつの間にかブルックナーの世界に連れていってくれるが如き演奏というべきでしょう。
開始部の低弦の訥々としたテーマが、巨大な物の始まりをつよく印象付ける部分でさえ、不気味さとは縁もゆかりもない明確なフレージングとアーティキュレーションで弾ききっています。よくお化けが出てきそうな演奏に出会うのですが、ケンペはそれとは全く違った、テーマのメロディー、モティーフのリズム、調性、音程の強い印象を残します。したがって、その後の発展、展開が実にスムーズに理解できるし、聞き易くもなるのであります。
こう書くと、浅はかな演奏だと言われそうですが、音楽はおまじないではないのですからね。
筋肉質の音楽という印象は、第二楽章のスケルツォにおいて、特に強いものがありますが、歌う部分のしなやかさとの対比がこの楽章の最も大きな聞き所と言えましょう。
曲全体で特に印象的なのが弦の美しさです。このことは特に第三楽章において強く印象付けられます。弦の伝統については、カール・フレッシュ、クーレンカンプ、シュナイダーハン、リバール、シュヴァルベ、ヴォルガ、メニューインといった人たちの薫陶をうけたスイスですから、やはり素晴らしいものがあります。
筋肉質の力強さが、無骨さにならないのは、このしなやかな表情豊かな弦の演奏に多くを負っていることは言うまでもありません。
終楽章の金管のアンサンブルによるテーマの提示は、幾多の演奏の中でも最高の演奏の一つではないでしょうか?響きに余裕があり、荒々しくならないで、充分な迫力を出すことに成功しています。ついつい気負って音が割れてしまい、演奏に品がなくなってしまうことが多いのですが(実演では、よく出会いますね)チューリッヒの金管セクションは本当に優秀で音楽的であります。
チューリッヒ・トーンハレ管は、ケンペの指揮に良く反応しています。どんな小さなフレーズにも表情があり、音楽しているのです。特に私の大好きな第三楽章の素晴らしいことと言ったら!!
この演奏を聞く際には、第一楽章のあの独創的な開始部から終楽章の最終和音が消え去るまで、一度聞き始めたら途中では立てなくなるのでご注意下さい。聞く者を適度な緊張と充実した音楽でその場に縛り付けておく効果が認められます。二楽章と三楽章の間でCDを入れ替えるのがとてももどかしく思いますので、オート・チェンジャー付きのCDプレーヤーで聞くことが望ましいですね(笑)。
昔、LPで聞いていた時は、こんなに感動したかしら?と考え込んでしまいました。まぁ聞いている内にどうでもよくなってしまいましたが。
今はヴァントのCDに変わってこのケンペ盤が私のブル八のファースト・チョイスとなりました。できたら多くの方に聞いて頂きたいなぁって思っています。
|