バーゼル交響楽団の名演はいかが?

ヤナーチェック:レチェ舞曲、バルトーク:管弦楽の為の協奏曲/ウェラー指揮バーゼル交響楽団
(輸)ARS MUSICI/AM 1112-2

 あまり知られることはありませんが、バーゼル交響楽団のCDを最近聞いていて、これはと思うものがあったので、ここで取り上げてみたいと思います。
 それは、このオーケストラの首席指揮者を勤めるワルター・ウェラーの指揮するヤナーチェックの若い頃の民族的な題材に基づいた「ラチェ舞曲集」とバルトークの晩年の名作「管弦楽の為の協奏曲」という極めて意欲的なプログラムによるものです。
 ヤナーチェックの作品の方は、もう一つのスラブ舞曲とでもいうべき大変魅力的な作品で、全部で六曲からなり、ドヴォルザークの強い影響のもとにモラヴィアの民謡や踊りの伝統の上に出来た作品であり、これがどうしてもっと演奏されないのか不思議でならない逸品であります。
 ドヴォルザークと歩いたこともある作曲者のそんな先輩の強い影響下にあった頃の曲だから、あまり認められないのでしょうか?

 しかしそんな疑念は、このウェラーの丁寧でしかも生気を決して失わない、生まれの上品さがそのまま出ているかのような美しい演奏の前に、取るに足らない異議であることを明らかにします。
 私には、ドヴォルザークと同様に大変美しい曲集に思えます。まあ、ヤナーチェックの後年の円熟といいますか、あの強い個性はここには少ないことは事実ですが、それ故、はじめての人でも大変聞き易い作品となっています。
 バーゼルの面々の演奏はなかなか健闘していて、充分に楽しませてくれます。

 さて、もう一つの収録曲、バルトークの通称「オケコン」はどうでしょうか。
 一楽章の序奏部、まだ荘重さの中で、演奏者の腕はまだ充分に暖まっていないようですが、アレグロのソナタ部に入ると少しずつ調子をあげて行きます。
 展開部の対位法的な展開の力強さは充分で、ウェラーの特徴であるアクセントをややぼかしたような演奏が逆に線的な絡みをはっきりと意識させることになっています。
 バルトーク的な遊びともとれる第二楽章「対の遊び」は、管楽器がそれぞれ二本づつ対になって動くことからつけられたタイトルで、当然ながらオケにも指揮者にも強いアンサンブル感覚を要求する作品となっている。ここでのバーゼルの面々の演奏はそれこそ見事なものと言えましょう。この楽章独特の効果を余すところ無く表現している演奏だと私は考えます。
 そして、核心と言うべき第三楽章「悲歌」。死の音楽とバルトークが呼んだとも伝えられる楽章で、一楽章の導入部で現れた動機が、改めて意味深長に組み合わされ、再構成されているのです。バルトークが生涯を賭けて追求した美学が、ここで構成上のシンメトリーによって表現されていると考えられますが、それに気づかないほどの深い叙情性に彩られた音楽であるとも言えるでしょう。
 「夜の音楽」。バルトークを語る際によく出てくる単語です。深い夜の闇の中、色んな音が聞こえて来ます。そして、それは広い空間を強く意識した息の長い流れの中で捉えられるものであります。そして、この三楽章がその夜の音楽として、恐らくもう一つの傑作「弦チェレ」の第三楽章とともに最も重要な作品として、生き続けるのでしょう。
 第四楽章は「中断された間奏曲」というタイトルを持っています。この中断とは、三部形式の最後の部分、再現部があまりに短いことからつけられたと言いますが、一度聞くと忘れられないほど印象的なオーボエのテーマ、弦によるリムスキーかホルストではないかと思うほどの甘美なメロディーの組み合わせの第一部に対して、舞踊性をより強く出し、やや脳天気なほどの中間、そして切りつめられた再現。
 古典的な響きをバルトークの他の作品よりも更に出しているのに、この何とも不思議な不条理感が、この楽章の持ち味でしょうか。
 そして終楽章。様々な発展がここでは試されます。無窮動の音楽の中から、フーガ風の展開に入り、オケの個々の名技性をしっかりと見せつける(ここにオーケストラのための協奏曲の意味があるのです)実に演奏する方からしたら、飛んでもなく大変で、そして飛んでもなくやりがいのある音楽となっているのです。
 
 したがってこの「オケコン」では、バーゼルのオーケストラの面々の実力を聞くこととなります。田舎オケと侮ってはいけません。このオーケストラはワインガルトナーやアッツモン、ホルスト・シュタインといったドイツ系の名指揮者がシェフを勤めて来た、歴とした名門オケなのです。
 例えば「対の遊び」の隙の無いアンサンブルは、切れ味抜群のアンサンブルというより、柔らかな羽毛のような肌触りで迫ってきます。
 終楽章の無窮動風の音楽にしても、素晴らしいアンサンブルで乗り切りながら、不思議とそれを研ぎたてて鋭さを感じさせる現代の多くの演奏と違い、弾力のあるアンサンブルとなっている点が曲そのものを聞かせて飽きさせないのです。
 アレグレッシブにあおり立てる方が、ずっと容易いことでしょうが、あえてそうはせず、一歩一歩、確実で、豊かな音楽的充実感を求める態度には、敬服します。

 この頃は、とても速いテンポであおり立てるような演奏が何故か多いように思いますが、どうでしょうか。また、その反対に極端にテンポを遅くとって、いかにも物言いたげな演奏になるか、二極分解を起こしているように思います。
 アレグレッシブでやや強引でも切れ味が良い方が現在の流行だとしたら、恐らくこの演奏は流行遅れの演奏ということになるのでしょうが、そう切り捨てるにはあまりにも惜しいと思わせる、一種、味わいとでも呼ぶものがここにはあるのです。
 現代の多くの演奏から無くなってきている、音楽の香りといったものがこの演奏の中から聞くことができます。それは、あの巨匠の時代につながる系譜ともなっているような気がします。
 ブーレーズの旧盤のようなビックリするような鋭さや、ショルティのようなスケール感はありませんが、これはこれである存在意義をもっているように思います。
 ちょっとした名演だと思います。バーゼル交響楽団のCDもいいですよ!!