ペスタロッチとネーゲリ〜スイスの合唱運動
ハンス・ゲオルグ・ネーゲリ
(1773.5.26〜1836.12.26)
 スイスにはウィーンのハプスブルクやパリにブルボン王朝といった芸術の庇護をする王族、貴族の社会がなく、その役目の多くは教会が担っていました。
 一七世紀から一八世紀にかけて、プロテスタントを信仰する地域(主にドイツ語圏)の都市部では、コレギウム・ムジクムという音楽協会が作られました。当初、教会の礼拝の時にきちんとした賛美歌を歌うため、その賛美歌を整理し形を整えることが目的だったと言いますが、すぐに音楽を楽しむための協会となり、多くの社会階層の人たちを巻き込んで、歌が歌われたり、器楽のコンサートなどが企画されていくようになっていきます。
 元来、スイス人は質素で民主主義的思想を持ち、教会を中心に道徳的、人道主義的な思想、教育に対して強い関心を抱いていました。一八世紀はこうした思想が、レマン湖のほとりのジュネーヴでのジャン・ジャック・ルソーによって大いに花開くこととなりますが、これが実を結ぶためには、一七四六年、チューリッヒに生まれた名高い教育家ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチの活動によるところが大きいのです。
 ペスタロッチの墓碑には「ノイホーフにおいては貧しき者の救済者。リーンハルトとゲルトルートの中では人民に説き教えし人。シュタンツにおいては孤児の父。ブルクドルフトミュンヒェンブーフゼーにおいては国民学校の創設者。イヴェルドンにおいては人類の教育者。人間!キリスト者!市民!すべてを他人のためにし、おのれにはなにものも。恵みあれ彼が名に」とあります。
 彼は、急進的愛国主義運動から貧民学校。そうした実践の中から知識の基本要素の形・数・言語の分析と構成の理論や直観重視の教授法(事物や事象そのものの観察によって知識を有効に学習させる教授法)がうち立てられ、現代の多くの初等教育理論に大きな影響を与えました。ペスタロッチは、社会階層の別なく(貧民であろうが孤児であろうが!)自然な発達を可能にする社会への変革を、子供達の教育を通して行っていったことに大きな業績があります。もともとはルソーや一七世紀のチェコの教育思想家コメニウスがその著作などで言っていたことでしたが、ペスタロッチがその方法論を確立したのです。

 彼の教育法には音楽が大きな役割を演じていました。音楽の教育的な役割に関しての彼の理論は、多くの人たちを引き付けたと言われていますが、そんな弟子達の中にハンス・ゲオルグ・ネーゲリがいました。
 一七七三年五月二六日、チューリッヒ近郊のヴェツィコンに生まれた、ネーゲリは、ペスタロッチの初等教育の考え方を、一般大衆、すなわち大人にまで広げていったのであります。彼は特に合唱を奨励し、チューリッヒで大きな合唱団を作り、それを手始めにあらゆるところでそうした合唱団を作っていったのです。そのために出版社を作り、楽譜を出版し、巡回する図書館も作ったのです。
 もちろん、各地に展開していたコレギウム・ムジクムの存在が、ネーゲリの活動を育む土壌を形成していたことも考慮しておいた方が良いでしょう。

 明治の時代、伊沢修二が学校における音楽教育の基礎を作るに当たって、プファイエル、ネーゲリの共著「唱歌教授法」など依っていることは有名です。この本における、第1編「リズムの初歩指導」「旋律の初歩指導」「音の強弱に関する指導」「総合的な音楽表現の指導」「記譜法」/第2編「唱歌における音と話し言葉における音の結びつき」「音楽演奏の初歩指導」という内容は、そのままかつての小学校の音楽教育の思想の基本でありました。
 ネーゲリが与えた影響は、大変大きなものでした。前に述べた合唱の運動が、もともと歌好きであった(スイス人が三人集まればコーラス隊ができると冗談まじりに言われるほど、スイス人は歌好きです!)土壌の上に大きな反響をもって迎えられ、スイス各地の音楽協会に、合唱は根付いて行きました。
 各地の音楽協会は、自分たちに適した独自のレパートリーを作り、愛国的、宗教的、民衆的な色調を帯びた新たなレパートリーがどんどん作られていったのでありました。次第に新しいスイス民謡となっていったそれらの音楽は、地域と結びつきながらルツェルンの歌、バーゼルの歌などという形で今日も親しまれているものも少なくありません。
 スイスにおいてはこういう形でコンサート活動が市民社会の中に発展していったのです。そして、その核となる思想を与えたのがネーゲリであったことは忘れてはなりません。
 今日、チューリッヒにおいて、スイスの音楽界に貢献した音楽家、団体に対してネーゲリ・メダルという賞が設けられています。スイスにおいて最も権威があり、最も名誉とされる賞に、彼の名が冠されていることからも、いかにスイスの人々がネーゲリの功績を高く評価し、自らの誇りとしているかわかります。
 一八二七年、ネーゲリ率いるチューリッヒ声楽家協会によるグロース・ミュンスターにおけるコンサートは大成功であったそうです。チューリッヒ湖畔のこの大聖堂にかつて響いたであろう人々のハーモニーを思い浮かべながら、今日のスイスの合唱の水準の高さ(これはもう素晴らしいレベルであると私は思っています)と、その基礎を作った偉人の功績を思い返してみたいものです。