ペーター・マーク追悼
 すでに旧聞に属する話ではありますが、4月16日にイタリアのヴェローナの病院でスイスの名指揮者ペーター・マークが亡くなられました。癌だったそうです。五月の来日を目前にしてのことで、ファンは大変残念であったことでしょう。享年81歳。4月20日に葬儀が行われたそうです。場所はどの記事にも触れられてはいませんでした。
 かなりの高齢であったこと、この十年くらいはキャンセルも多かったようで、1995年第7回トーティ・ダルモンテ国際オペラ・コンクール(伊)指揮者部門で日本人初優勝した村上大祐氏もマークの代演で1996年にトレヴィーゾ歌劇場でのモーツァルト『魔笛』の公演での指揮をしておりました。
 近年は指揮よりも、イタリア北部のトレヴィーゾに設立した指揮と作曲の学校での指導に情熱を傾けていたようですが、パドヴァ・ヴェネト管とのモーツァルト交響曲選集、ベートーヴェン交響曲全集、マドリッド響とのメンデルスゾーン交響曲全集などの優れた録音を出していただけに、その死は残念でなりません。
 1962年に読響の設立に伴う楽員減などで(読響が高給で引き抜いたのです)苦しい日本フィルに客演したのが初来日となり、以後客演として度々来演していました。中でも私にとって印象的なのは、コロンビアりダイヤモンド・シリーズという廉価盤で聞いたマークと日フィルのモーツァルトの交響曲39番と41番「ジュピター」でありました。
 ボロボロのプレーヤーでそれこそすり切れるまで聞いたLPは、誰か友人が持っていったきりとなってしまい、長い間想像の中でだけ、鳴り響いていたものでした。数年前にそれがリハーサル風景を録ったものと合わせて二枚組でDENONから発売された時は、それこそ予約注文で買ったものであります。
 今もなお私は、初めて聞いた時の中学生の時の感動をこの演奏から受けることを報告しなくてはなりません。39番の冒頭の引き締まったトゥッティの響き、とのアンサンブルの立派さに、当時の日フィルの楽員のレベルの高さを強く実感させられます。これには渡辺曉雄氏の手腕もあったのではないでしょうか。一度、二十年程前にとあるコンサートでお会いして、その素晴らしいお人柄に深い尊敬の念を抱いておりましたが、氏ももうこの世にはおられないというのはなんということでしょう。
 さて、この素晴らしいモーツァルトの他にもメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」が都響と残されていることも書き加えておかなくてはいけません。実際マークはメンデルスゾーンを得意のレパートリーとしており、マドリードのオケと全集を残しているだけでなく、出世作となった録音がロンドン響とのメンデルスゾーンの交響曲第三番「スコットランド」と序曲「フィンガルの洞窟」であるのです。この録音は何度も再発されているので、大変有名でありますが、彼の真価はそれだけでなく、モーツァルト(彼は七カ国語を自由に操るためほとんど全てのモーツァルトの文献に目を通していたそうです)やベートーヴェン、あるいはイタリア歌劇、フランス歌劇と、当然ながら歌劇場での彼の活躍が示すようにオペラ指揮者としても大変な実力の持ち主でありました。
 中で思い出されるのは、フェニーチェ歌劇場のシリーズで手に入れたビゼーの「カルメン」です。フィオレンツ・コソット(カルメン)、マリオ・デル・モナコ(ホセ)、レナート・ブルゾン(エスカミーリョ)、マリア・キアーラ(ミカエラ)というスター歌手のそろい踏みのようなキャスティングで、元がフランス歌劇であることなどすっかり忘れさせるイタリア・オペラ風のカルメンですが、情熱全開のこの公演の記録は、フェニーチェ歌劇場のシリーズでも特に忘れ難い一組であったと思います。
 1970年代はいわゆるそれまで歩んできたスター街道に対して、徹底的に背を向けた彼は、イタリアのトリノやパルマの歌劇場のポストに着いてます。80年代になってスイスに戻りベルン交響楽団の音楽監督に就任しました。ベルンでの活動はいくつかの録音で知ることができます。得意のメンデルスゾーンの「イタリア」(意外にも初録音ではないでしょうか)や名手コルゼンパを迎えたサンサーンスのオルガン交響曲、ダンディの「フランス山人の歌による交響曲」(残念ながら私のCD棚から現在行方不明となっているが)等の録音を残していますが、いずれも円熟の極みのような演奏でありました。音楽監督の在任期間は1985年と1986年の二年だけですので、大変短いのですが、このあたり何かあったのかどうかは、筆者は残念ながら知りません。
 このベルンでの活動の後、1989年に先に述べたトレヴィーゾの学校を設立し、時折デッカ等のメジャー・レーベルの協奏曲の伴奏等のタクトを振る他は、学校での指導と、パドヴァ・ヴェネト管弦楽団の指揮をメインとしていたようです。
 90年代になって、来日してモーツァルトのコシを振ったりして評判になったりしていましたが、マイナー・レーベルに録音したパドヴァ・ヴェネト管弦楽団とのベートーヴェンの全集(ああオケがもう少し良ければ・・・)やモーツァルトの交響曲選集の素晴らしさで多くの音楽愛好家の心を再びとらえたのではないでしょうか。
 実際、パドヴァ・ヴェネト管弦楽団は、地方オケの中でもそうレベルの高いオケとは言えそうにない水準でありますが、熱い音楽への情熱で一気に聞かせてしまうようなところがあります。特にモーツァルトのハ短調ミサなどは、合唱の酷さに驚いてしまいましたが、指揮者と演奏者たちのひたむきさで、いつのまにか感動すら憶えてしまうという、不思議なものでした。プロならこんなもの・・・と考えがちですが、そこから抜け落ちてしまっている良い意味でもアマチュアリズムにペーター・マークほどの人がひたむきに奉仕している様は素晴らしい体験をさせてくれることでしょう。
 うまいなぁという感心よりも、いつまでも耳に響いている感動を求めるのであれば、ぜひ一度、「虚心坦懐」に(この一週間あまり、某国の首相により聞かされ続けていた言葉です)聞いてみて下さい。
 あのフルトヴェングラーの認められ、その推薦によりザンクトガレンの歌劇場からデュッセルドルフの歌劇場へ、そしてボン、ウィーンと歌劇場と共にあったこの指揮者の本来の姿であるオベラはほとんど残されなかったのは無念でありますが、初期の恩師アンセルメの後押しでスイス・ロマンド管を指揮していた録音などもCDに復刻されているありがたい時代に私たちは生きています。
 せめてペーター・マークのその純粋な芸術に対する奉仕の精神を残された録音から受け止めておきたいと思います。夏の暑い午後、マークの残した日フィルとのモーツァルトを聞きながら…。