1932年4月にルツェルンに生まれたジョルダンは、確かにアンセルメの継承者として実に立派な仕事を残したと言えましょう。ドイツ系でありますが、フリブールの大学で音楽学とピアノを専攻し、ローザンヌとジュネーヴで指揮法を学んだ彼は、1957年にフランス語圏のソロトゥルン歌劇場の補助指揮者になり、1961年には同歌劇場の首席指揮者に任命されるというトントン拍子の出世を果たしました。
1961年にはアルミン・ジョルダン室内管弦楽団を組織し、ベルンやチューリッヒ、ジュネーヴにも客演を果たします。
更に1963年にはチューリッヒ歌劇場の第一指揮者となり、1971年にはバーゼル歌劇場の音楽監督となりフランス語とドイツ語がひしめくこの三国国境の町で大活躍したのです。
彼の人気はすさまじく、バーゼルでのワーグナーの「パルシファル」「トリスタンとイゾルテ」、プッチーニの「トーランドット」、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」、シュトラウスの「サロメ」、ベルクの「ルル」といった演目で大成功をおさめ、ヨーロッパ各地の歌劇場に招かれるようになりました。
特にジュネーヴでの彼の人気はすさまじいものがあったそうで、1985年のジョルダン指揮のモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」の上演ではファンが殺到し、3000人収容のスケート場で公演が行われる事態となったそうですから、彼が1985年にスイス・ロマンド管の音楽監督となったのは、当然のなりゆきだったのかも知れません。
エラートと契約してジョルダンはアンセルメほどではないまでも、実にたくさんの録音をバーゼル響、スイス・ロマンド管、ローザンヌ室内管等と残しています。
シューマンの「楽園とぺリ」やハイドンの「天地創造」やシューベルトのミサ曲、ラヴェルのふたつの歌劇等の声楽入りの作品に対するジョルダンの手際はさすが歌劇場のたたき上げと思わせるほどの見事なものです。更に、モーツァルトの交響曲はピリスとのピアノ協奏曲の名演から想像できるように素晴らしいものが何曲かが残されていますし、シューマンの交響曲全集の名演も忘れることができません。ショーソンやデュカスのフランスの作曲家のシンフォニー、意外かも知れませんがウィンナ・ワルツやウィーンのオペレッタのアリア集も良いものを残しています。他には、R=コルサコフの「シェラザード」、マーラー(第三交響曲の名演があります)。もちろんアンセルメの遺産の継承という意味でのドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲も良い録音がたくさんありますが、とりわけラヴェルに良い録音が多いのは面白い傾向だはないかと思います。(ラヴェルは古典的であり、ドビュッシーは未来派だと私は考えています)
ドイツ・オーストリア系の作品からフランス近代まで、実に幅広い適性を示すジョルダンは(スイスの)現代の作曲家たちの作品を世に送りだす仕事にも熱心で、ツビンデン等の録音がクラヴェースから出ています。
しかし、私たちは知らず知らずのうちに、彼に対してアンセルメの遺産の継承ばかりを要求してしまって、彼の本当の良さを理解することが出来なくなっているのではないかと思われるのです。それは前にも述べたように、声楽作品の処理の見事さ(アンセルメは意外とうまくない)と、古典的なフォルムを大切にした、一時的な思いつきのようなテンポやディナーミクの変化は皆無であること(意外かも知れませんが、アンセルメにはこれが多いのです。それも古典作品に・・・)が、その特徴を形成しているように思われます。
とは言え、ロマン的な味わいにも決して欠けているいるわけではないことは、例えばスイス・ロマンド管とのマーラーの第三交響曲などを一聴すればわかることであります。他に、名演とされているシューマンの交響曲でも、古典的フォルムの正確さと過不足のない歌い込みに支えられ、実に見通しの良い演奏を聞かせてくれますが、ロマンチックな味わいに不足は全くありません。
私が、彼のスイス・ロマンド時代で最も好きな演奏は、実はマルタンの小協奏交響曲、イェダーマンのモノローグ、七つの楽器のための協奏曲の三曲を録音した1枚です。リムスキーの「シェエラザード」なども好きですし、ラヴェルの歌劇、「ダフニスとクロエ」等にも心が動きますが、スイスを代表する作曲家の一人、フランク・マルタンの古典的な作品の大変格調高い名演奏であると思います。アンセルメの同曲の演奏をも凌駕する出来に、1997年まで続いたジョルダンとスイス・ロマンド管の第二の黄金時代を、二十一世紀の今、改めて評価していくべきではないかと私は考えています。それは、ルイジの時代が残念なことに、たった四年で終わりを告げ、ピンカス・スタインバークに引き継がれようとしている時期に、この名門のこれからをもう一度見極めるためにも大切なことではないでしょうか。 |
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