モーツァルトの4曲のホルン協奏曲の長さについてはハイヤット・キングがその著書『モーツァルト/管・弦協奏曲』(大塚武彦訳、東芝EMI音楽出版)で「モーツァルトはライトゲープの類い希な才能から与えられた刺激を長く享受していた。しかもモーツァルトは慎重にそれらの才能に無理をさせずに曲の長さを考えたことは明らかである。と言うのも、協奏曲の最初と最後の楽章は平均すると長さは200小節をずっと下回っているからで、これはほとんど他の協奏曲の同楽章よりはずっと短く、モーツァルトがライトゲープの力量にしても肉体的限界があることを認識していたことを示している」と述べている。しかしこの説は全面的には支持できない。なぜなら、キングはホルン協奏曲と例えばピアノ協奏曲とを比較して結論に導いているので議論になっていない。比較するなら、モーツァルトがライトゲープのために書いたホルン協奏曲と、他の作曲家が他のホルン奏者のために書いたホルン協奏曲の長さのデータであろう。反論は簡単である。CD、LPのデータを次表に示してみよう。
曲名 | 第1楽章 | 第2楽章 | 第3楽章 | トータル | 演奏者 |
---|---|---|---|---|---|
テレマン ニ長調 | 2'08" | 2'55" | 3'45" | 8'48" | バウマン |
ロセッティ ヘ長調 | 6'05" | 3'41" | 3'52" | 13'38" | バウマン |
モーツァルト 変ホ長調 K.417(1783) | 6'31" | 3'16" | 3'58" | 13'45" | コスター |
プント No.6 変ホ長調 | 5'34" | 4'37" | 3'53" | 14'04" | クランスカ |
M.ハイドン ニ長調 MH134 | 5'57" | 4'52" | 3'24" | 14'21" | タックウェル |
プント No.7 変ホ長調 | 7'18" | 3'18" | 4'21" | 14'57" | クランスカ |
ダンツィ ホ長調 | - | - | - | 15'30" | バウマン |
モーツァルト 変ホ長調 K.447(1787) | 7'49" | 4'38" | 3'55" | 16'22" | コスター |
ロセッティ 変ホ長調 K3:39 | 7'16" | 6'36" | 2'56" | 16'48" | タックウェル |
プント No.10 ヘ長調 | 7'50" | 3'42" | 5'23" | 16'55" | クランスカ |
J.ハイドン No.1 ニ長調 | - | - | - | 17'19" | バウマン |
モーツァルト 変ホ長調 K.495(1786) | 8'23" | 4'59" | 4'00" | 17'22" | コスター |
プント No.5 ヘ長調 | 9'15" | 4'35" | 3'40" | 17'30" | クランスカ |
ロセッティ 変ホ長調 | 9'00" | 4'52" | 3'39" | 17'31" | バウマン |
ロセッティ ホ長調 K3:42 | 7'32" | 4'54" | 5'30" | 17'56" | タックウェル |
ロセッティ ホ長調 K3:44 | 8'20" | 4'27" | 5'30" | 18'17" | タックウェル |
ロセッティ ニ短調 | - | - | - | 18'38" | バウマン |
表から明らかなようにモーツァルトのホルン協奏曲は長くも短くもなく平均的長さであることがわかる。ただ、ホルン協奏曲が全体としてピアノ協奏曲などよりも短めであることはキングの指摘通りであるとは言えるだろう。これらより、一般にホルン奏者が短めの協奏曲を好んだということは言えるかも知れない。
さらにキングは同書の中で、「ライトゲープは彼の楽器 ―ホルン― の協奏曲作曲家としても、若干の名声を享受していた。彼は1767年にヴィーン、1770年にパリ、1773年にミラノを訪れているので、独奏家として早くから有名になっていた様に思われる」と述べ、ライトゲープの能力を正しく評価している。
以上を前提としてホルン協奏曲 変ホ長調 K.495の問題を考察してみたい。
そのヒントになるのが、「モーツァルトは彼の協奏曲(複数)や交響曲(複数)の全パート譜を部屋の床にふりまいたので、ライトゲープはそれらを拾い集め、元通りに順序正しく揃えねばならなかった。これはモーツァルトが机に坐って作曲している限り続くのであった。ある時には、ライトゲープはモーツァルトの作曲中ストーヴの後ろで跪いていなければならなかった」(オットー・ヤーンの『モーツァルトの生涯』英訳版Up.337-8にヤーンがゾーンライトナーから入手した情報として紹介されている)という証言である。協奏曲ばかりでなく交響曲も、しかも複数の曲に対してモーツァルトは床にふりまき、拾わせたというのである。
最初はいたずらのつもりだったモーツァルトであったが、何回も繰り返しているうちに、曲の作り方そのものにその遊びを持ち込んだのではないか。すなわち拾う際にどちらが表か裏なのかがわからないように作曲したのではないか。表ページをとばして裏ページだけ(あるいはその逆)を演奏しても曲が連続するようにモーツァルトが自筆譜(紛失している)を構成していたのではないか、というのが私の仮説である。残っている自筆譜の第2楽章22小節目からの部分に13葉と振ってあることから、第1楽章は11葉に書かれていたと推定され、また、他のホルン協奏曲3曲が1ページを五線6段ずつに分け2システムにして書かれているのと異なり、1ページ1システムで書いたと推定されることはこの仮説における重要なポイントである。1ページには10数小節書かれているから、省略が10数小節単位で実施されるということになる。
聴き馴れたヴィーン版と異なり、プラハ筆写譜の演奏譜を作成して感じるのは、ページのつなぎ部分の候補がより明確にわかるという点である。例えば42小節、93小節は強力なつなぎ部分候補であり、それだからこそヴィーン版やアンドレ版ではそこが異なった小節になっているのであろうと思われる(編集者による変更が入り込んだ部分であると思われる)。また、スタカートの使用はヴィーン版が最も控えめで、プラハ筆写譜が中庸で効果的である。アンドレ版はrfやppが出てきてメリハリはあるが、短くしている上に、難しいフレーズを易しく書き換えたり、難しいが故にさらに部分カットをしたりしている。新全集校訂のギークリングはプラハ筆写譜には誤りが多いと述べており、確かにその通りだが、私はモーツァルトの自筆譜の原型に最も近いのではないかと思っている。特に、92小節の後ろの92a-i小節はギークリングが「この部分はモーツァルト的でないとまでは思わないが、動機的には何か二次的な意図が感じられ、しかもその意図は馴染んでおらず成功していないようだ。どの原典からこの挿入部分がもたらされたのか不明である」として、後からの挿入と決めつけているが、私は逆で元からあった部分をヴィーン版やアンドレ版が省略したものと考える。
ところで、アンドレ版を調べてみて私が疑問なのは、ソロ部分における第2主題の提示が省略されてしまっていることである。プラハ筆写版、ヴィーン版では第2主題の後ろに、より印象的な第3主題とでも言うべきフレーズがある。アンドレは第2主題でなくこの第3主題の方を選んでしまっている。もしかしたらこれはモーツァルトがライトゲープに課したひっかけ問題だったのかも知れず、後世の我々もモーツァルトにひっかけられたままでいるのかも知れない。代案として、少なくも第1主題と第2主題を省略することなく、出来るだけ短く第1楽章を演奏する試案をプラハ筆写版を元に作ってみた。
次表は各ページごとの想定小節であり、各版におけるカットの様子を示したものである。比較を容易にするためにMIDIファイル(ハンス・ピツカ著『モーツァルトのホルン』記載のデニス・ブレインのカデンツァを使用)をリンクさせた。
Folio (推定) | 推定小節[数] (プラハ版基準) | 形式分析 | プラハ版 (NMA校訂報告) | ヴィーン版 (NMA本文) | アンドレ版 (NMA付録) | 野口案 (プラハ版基準) |
---|---|---|---|---|---|---|
1r | 1-11 [11] | 総奏(第1主題部) | 0'25" | 0'25" | 0'25" | 0'25" |
1v | 12-25 [14] | 総奏(第2主題部) | 0'54" | 0'54" | 0'54" | 0'54" |
2r | 23-31 [9] | 総奏(第2主題部) | 1'06" | 1'06" | 1'06" | 1'06" |
2v | 32-41 [10] | 総奏・独奏(新主題) | 1'27" | 1'27" | 1'27" | カット |
3r | 42-42a-56 [16] | 独奏(第1主題部) | 2'00" | 1'58" | 1'58" | 1'39" |
3v | 57-71 [15] | 独奏(移行部) | 2'31" | 2'29" | 2'29" | 2'10" |
4r | 72-84 [13] | 独奏(第2主題部) | 2'58" | 2'56" | カット | 2'37" |
4v | 85-92 [8] | 提示部結尾 | 3'14" | 3'12" | 2'46" | 2'54" |
5r | 92a-92i [9] | 提示部結尾 | 3'33" | カット | カット | カット |
5v | 93-101 [9] | 展開部導入 | 3'52" | 3'31" | 3'04" | 3'12" |
6r | 102-109 [8] | 展開部 | 4'08" | 3'48" | カット | カット |
6v | 110-112 [3] | 展開部 | 4'14" | 3'54" | 3'10" | 3'19" |
7r | 113-120 [8] | 展開部 | 4'31" | 4'10" | カット | カット |
7v | 121-129 [9] | 展開部 | 4'50" | 4'29" | 3'25" | 3'37" |
8r | 130-139 [10] | 展開部 | 5'10" | 4'50" | 3'46" | 3'58" |
8v | 140-155 [16] | 再現部(第1主題部) | 5'43" | 5'23" | 4'17" | 4'31" |
9r | 156-165 [10] | 再現部(移行部) | 6'04" | 5'43" | 4'31" | カット |
9v | 166-176 [11] | 再現部(第2主題部) | 6'27" | 6'06" | 4'54" | 4'54" |
10r | 177-184 [8] | 再現部(第2主題部) | 6'43" | 6'23" | カット | カット |
10v | 185-187a-197 [14+] | カデンツァ | 7'50" | 7'28" | 5'58" | 6'00" |
11r | 198-212 [15] | 再現部(新主題) | 8'21" | 7'59" | 6'29" | カット |
11v | 213-218 [6] | 終結部 | 8'38" | 8'16" | 6'45" | 6'14" |
注
色は1音だけに付けられている場合、ある楽節のある声部だけに付けられている場合、複数の声部に色づけされている場合、異なった色が重複している場合など一見ランダムに見える。しかし、目的を楽句の省略である点に的を絞ると次のことに注意すれば充分と思われる。
小節 | 形式分析 | モーツァルトの色付け | 赤抜き版 | 緑抜き版 | 青抜き版 | オリジナル | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
[1-20] | A | [黒] | 背景 | 背景 | 背景 | 0'51" | 0'51" | 0'51" | 0'51" |
[21] | B | 背景 | [赤] | 背景 | 背景 | カット | 1'00" | 1'00" | 1'00" |
22-24 | B | 背景 | 赤 | 背景 | 背景 | カット | 1'08" | 1'08" | 1'08" |
25-28 | B | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 1'08" | カット | 1'19" | 1'19" |
29-31 | 移行部 | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 1'16" | 1'16" | 1'27" | 1'27" |
32 | 移行部 | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 1'19" | 1'19" | カット | 1'30" |
33 | 移行部 | 背景 | 背景 | 背景 | 青 | 1'22" | 1'22" | カット | 1'32" |
34-35 | 移行部 | 背景 | 赤 | 背景 | 青 | カット | 1'27" | カット | 1'37" |
36 | 移行部 | 背景 | 赤 | 背景 | 青 | カット | 1'30" | 1'30" | 1'41" |
37-40 | A | 背景 | 赤 | 背景 | 背景 | カット | 1'41" | 1'41" | 1'52" |
41-44 | A | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 1'32" | カット | 1'52" | 2'02" |
45-48 | A | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 1'43" | カット | 2'02" | 2'13" |
49 | 移行部 | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 1'46" | カット | 2'05" | 2'16" |
50第1拍 | 移行部 | 背景 | 背景 | 緑 | 青 | 1'47" | 管カット | カット | 2'17" |
50第2拍-54 | C | 背景 | 背景 | 背景 | 青 | 2'00" | 1'54" | カット | 2'30" |
55-60 | C | 背景 | 赤 | 背景 | 背景 | カット | 2'11" | 2'21" | 2'46" |
61-66 | C | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 2'16" | カット | 2'38" | 3'02" |
67-71 | A | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 2'30" | 2'24" | 2'51" | 3'16" |
72 | A | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 2'32" | バスの第3拍休符 | 2'54" | 3'19" |
73-77 | A | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 2'46" | カット | 3'08" | 3'32" |
78 | A | 背景 | 赤 | 緑 | 背景 | カット | カット | 3'10" | 3'35" |
79 | 終結部 | 背景 | 赤 | 背景 | 背景 | カット | 2'24" | 3'13" | 3'38" |
80-82 | 終結部 | 背景 | 背景 | 背景 | 青 | 2'54" | 2'38" | カット | 3'46" |
83 | 終結部 | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 2'57" | 2'40" | カット | 3'48" |
84-86 | 終結部 | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 3'05" | カット | 3'21" | 3'57" |
87 | 終結部 | 背景 | 赤 | 背景 | 背景 | カット | 2'43" | 3'24" | 3'59" |
88第1拍 | 終結部 | 背景 | 赤 | 背景 | 背景 | 3'06" | 2'44" | 3'25" | 4'00" |
88第2拍 | 終結部 | 背景 | 背景 | 背景 | 青 | 3'07" | 2'45" | 休符 | 4'01" |
88第3拍 | 終結部 | 黒 | 背景 | 背景 | 背景 | 3'07" | 2'46" | 3'27" | 4'02" |
88 | 終結部 | 背景 | 背景 | 緑 | 背景 | 3'10" | カット | 3'29" | 4'05" |
注
《伸縮自在な》ホルン協奏曲を作曲中のモーツァルトは「赤入れない、青入れないで、緑入れ」とか、「青入れて、赤入れないで、緑入れ」のゲーム感覚だったのだろうか。それとも、「初め」が「終わり」であり、「表」が「裏」である様な曲を苦労して作曲するという作曲術へのまじめな取り組みの姿勢だったのだろうか。私には後者がより可能性が高いと思われる。ライトゲープには生涯にこの曲を何度も演奏する機会があったことであろう。そして年と共にカット部分を増やしていったであろうことは容易に推測される。しかし、だからといってモーツァルトがそこまで考慮に入れて作曲したのかどうかについてはわからない。本稿は残されている資料からの一つの可能性について述べるにとどめておきたい。