2月13日(日)


(3)三人それぞれ別行動



Siam Squareまでタクシーで戻る。
段々道もわかってきた。今回のタクシーのお兄さんが、私たちが
会った中で、一番正直だった思う。乗ると、ちゃんと、メーターを立ててくれるし、
すっきり、一番近い道筋で来たような・・。ああ、気持がいい。

着いたところで、私達は、それぞれ別行動、ということにする。

主人は、いつもながら、どこかへ? 娘は、物価の安さに大喜びで、
デパートを回るという。私は、開館している「ジム・トンプソンの家」に
もう一度行ってみることにする。いざという時の連絡は、空港で借りてきた
携帯電話二台である。今回は、娘と私が持った。
とは言っても一番方向感覚が怪しいのは、私なのだけれど。

歩道橋の下で、娘とも別れた。


もう一度、ジム・トンプソンの家へ


ジム・トンプソンの家につくと、何ヶ国語かに
分かれて、言語別に:案内がしてもらえるとのこと。
時間まで、アジアの布の展示会が開かれていたので、
それを見て過ごす。

ガイド嬢は、他のジム・トンプソンのスタッフ同様
オリジナルの上質のタイシルクの巻きスカートの制服を
身につけている。とてもたおやかで素敵だ。


ジム・トンプソンについては、行方不明になったその最後と共に
その収集品の集め方についてもいろいろ取り沙汰されてもいるけれど、
当時周辺諸国から集められたその仏像や陶器などが
アンティークのコレクションとなって、現在の「ジム・トンプソンの家」の
中核をなしている。当時の民家を数件集めて、邸宅とし、
見事な趣を残したまま現在に至っているのも彼が、
元々は、建築家だったから出来たことと言われている。



広い敷地に美しい構えの建物を配し、その建物は、
ジャングル風の深い緑で囲まれていて、
都会のオアシスのような空間になっている。

(絵葉書より)







ジム・トンプソンのコレクションのギャラリーでもある
もう一つの建物

*クリック


建物の入り口付近。中は撮影禁止。







家の柱は、それぞれ一本の木から作られた堂々としたもの。
一枚板から作られた床は、木の弾力を持ち合わせつつ堅固。
チーク材なのだそうだけれど、中を歩いていると、足に触る木の
質感などから日本の茅葺の古民家にいるような気持になる。

各部屋ごとに敷居が異常に高い。
建築の構造上のこととの関連なのかは、よくわからない。ただ、
その高い敷居を触らずに越えなければ、良くないことが起こる、
というガイドさんの説明に従って、一回ずつ皆で、
注意して越えた。日本の風習とも似ているような・・・。



ベンジャロン焼きやミャンマーの漆塗りの見事なコレクション(絵葉書より)


ガイドさんの説明が終わって、出たところで
クリック
シルエットがあまりにも綺麗だったので撮ってみた仕切りの衝立?


ジム・トンプソンのサイト


ジム・トンプソンを出て、さて、どうしようか?
手には、ネットからコピーしてきた情報がある。
有名ホテルの中の手工芸のお店とか、庶民的なデパートの穴場とか。
でも・・・暑くて、気力が。やっぱり無理は止めよう。あっさり諦める。

再びサイアムスクェアに戻り娘に連絡してみるが、
彼女は、Tシャツが一枚¥260で買えるとかで、大喜び。すっかり買い物に
夢中、帰る気配は、なさそう。大通りに向かい合って並んでいる
3つの大きなデパートを精力的に歩き回っているらしい。
一人、ホテルに戻る。


宿に帰って、荷物のまとめをする。
明日は、いよいよルアンパバーンだ。

まもなく、娘が帰ってくる。
プールで泳ぐとのこと。、私は、プールサイドで日記を書く。



街灯と三日月


暑い日差しを浴びた後の
プールは、とても気持がよかったらしい。


その後、コンビニに買い物に行く。
今まで、人が入っているのを見たことがなかった
途中の二件の食堂に結構お客さんが入っていることに気づく。

そして、よく見ると、外のメニューには、二件共、英語の説明が・・。
Pさんが、教えてくれていたのは、ここだったんだと、
やっと気が付く。よし、今日は、ここで夕食にしょう。

帰ってきた主人と出かける。行ってみると、タイ料理と中華料理が
ミックスした感じ。主人もほっとして食べる。
三人でお腹一杯食べて¥1000位。
こんなことなら、昨日もここにくると良かった。

その後、主人が娘を誘い、通りの向かいにあるロックバーに行く。
全く年の割りに好奇心旺盛な主人である。
私は、部屋に戻る。



荷物のまとめにかかりながら、
さて、明日のルアンパバーン行きは、どうなる?という話に。
私は、荷作りの手を休めないまま、主人に「地○の・・・」を見てもらう。主人いわく。
「タイ国際空港の乗り入れにPGなんて、ないぞ。」「えっ、どういうこと?」

さて、それから、翌日無事ルアンパバーン行きの飛行機に
乗るまでがとんだハラハラものになったのだった。

その騒動は・・・後になるほど、ホントに恥ずかしい。
恥ずかしすぎて、正直のところ書きたくない。
旅の基本的な知識のなさに加えて、私は、その時まで、
というより、翌日ルアンパバーン行きの飛行機に乗るまで、
バンコクからルアンパバーンへは、
スコタイを経由して行くものと思っていた。
その勘違いが、事態をややこしくしていたのだった。

ネットで調べた時には、確かにそうなっていたので、それ以来
そうと信じて疑わずにいたのだから仕方がない。
「地○の・・・」にだって、バンコクから直通の経路は、載ってなかった
・・・と思う。チェンマイでガイドブックを落としてしまったので、
今、手元には、ないけれど。
実は、これ、未だにどうしてかわかっていない私だ。

とにかく、あやふやな私に、あきれる主人。
一方私は、
(今回の旅のアレンジは、特に全面的に私だったのだけど)
案内役には、一番向かないその私に全部任せていたくせに、
とふくれる。


娘が、「明日、予定通り早めに出れば、
大丈夫なんじゃないの?」と中を取る。


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14日ルアンパバーンへ


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