98.10.09 
 
貫一さん! 
 
 前回に登場した「金色夜叉」の、有名な熱海の海岸の場面。富山唯継に心を傾けたお宮を振り払って、間貫一(はざま・かんいち)は去って行きます。 
 やがてその黒き影の岡の頂に立てるは、此方を目戍(まも)れるならんと、宮は声の限に呼べば、男の声も遙に来りぬ。 
「宮(みい)さん!」 
「あ、あ、あ、貫一(かんいつ)さん!」 (新潮文庫 p.78 ルビ一部省略)
 
 「貫一(かんいつ)さん!」のカッコは、新潮文庫ではルビ(振り仮名)になっています。僕は新潮文庫しか見たことはありませんが、たぶん発表当時も「貫一(かんいつ)さん」だったのでしょう。 
 これを何と読むかがちょっと問題です。まさか「カンイツサン」ではないだろうから、「カンイッサン」なのだろうか。しかし、こう発音してみると、どうも間が抜けています。 
 「カンイッツァン」と読んではいけないでしょうか。つまり、ここの「さん」は、現代の「つぁん」という表記に当たると考えるわけです。 
 「ツァン」と読ませたいなら「つぁん」と書くだろうというのは今の発想で、昔は「ツァ」と読ませるために、どう表記したらいいか悩んだようですね。有名な例ではありますが、文化年間(19世紀初め)に刊行された式亭三馬の「浮世風呂」には
 
兄「おとつさ゜んまだ熱(あつ)いものを(「浮世風呂」前編 巻之上 新日本古典文学大系版 p.22) 
 
甘「イヤ\/飛八(とびはつ)さ゜んの話(はなし)はいつも鉄炮(てつぽう)だテ(同 四編 巻之上 同書 p.230) 
 
のように、「さ゜」で「ツァ」を表す例が見られます。しかし、この表記は明治時代には受け継がれなかったようです。 
 『日本国語大辞典』の「おとっつぁん」の項では、明治以降の例として上司小剣「父の婚礼」(1915)、および、谷崎潤一郎「異端者の悲しみ」(1917)が挙がっています。 
「〔前略〕内ぢやあお富より外に、お父つあんだつて私だつて、その機械に手もつけた事はありやしないんだよ。」(『谷崎潤一郎全集』4 p.392 による)
 
 これらを最古例とすれば、「つあん」の表記は大正時代から出てきたものかとも思われます。 
 「ツあん」という表記もあり、やはり大正期に高浜虚子が「染吉ツあん」(「杏の落ちる音」)、昭和戦前に新美南吉が「太一ツあん」(「耳」)などと用いています。ひらがなの「つ」とせず「ツ」としているのは、〔tsu〕ではなく〔ts〕を表すのだと強調する意味があるのかな。 
 明治期に「つぁ」の表記が確立していなかったとすると、「貫一(かんいっ)さん」も「カンイッツァン」だった可能性は十分考えられるでしょう。「カンイチサン」からの変化の仕方としては、むしろ「カンイッサン」よりも自然だと思います。 
 「オトッツァン」とともに「オトッサン」はあり得たらしいです。漱石も1915年の「硝子戸の中」で、下女から聞かされた話として次のように書いています。
 
「貴方が御爺さん御婆さんだと思つてゐらつしやる方は、本当はあなたの御父(おとつ)さんと御母(おつか)さんなのですよ。先刻ね、大方その所為であんなに此方の宅が好なんだらう、妙なものだな、と云つて二人で話してゐらしつたのを私が聞いたから、そつと貴方に教へて上げるんですよ。誰にも話しちや不可せんよ。よござんすか」(『漱石全集』12 p.589 ルビ一部省略)
 
 しかしこの「おとっさん」も、中には、筆者が「オトッツァン」のつもりで書いたものもあったのではないでしょうか。
 
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