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03.10.02

「始めまして」か「初めまして」か

 「はじめまして」というあいさつをワープロで打ったら「始めまして」と出た。なぜだ、最初に会ったときのあいさつなのだから「初めまして」ではないのか、おかしいじゃないか。1997年、当時中学2年生だった三好万季さんの疑問はここに発しました。
 『新明解国語辞典』を見ると「はじめる【始める】」の項に、「【始めまして】」と「始」が記されている。それなのに解説文は「初めてお目にかかりますという、挨拶(アイサツ)の言葉」と「初」が記されている――。
 ショックを受けた彼女は、これは調べてみなければならないと大調査を開始しました。この成果は「シめショめ問題にハマる」と題されたレポートにまとまり、あまりにもよくできていたため、当時の新聞記事(たとえば「産経新聞」1997.09.23、「読売新聞」1997.12.14)などで多く取り上げられました。

 三好さんはその翌年、今度は毒殺事件に関するレポートをまとめて雑誌社に送り、そのレポートが読者賞を取りました。これらの文章は、現在『四人はなぜ死んだのか』(文春文庫 2001)としてまとまっています。
 僕はこの本を買い、申しわけないけれど、事件レポートの部分は途中からだんだん飛ばし読みになり、その後についている章の、彼女のいろいろな意見表明のページはさらに速くページを繰り、一番最後の「付録」としてついている「シめショめ問題にハマる」を熟読しました。

 公平に見て、これは、中学生のレポートとしてはきわめて上出来といってよいと思います。
 三好さんは30種類以上の辞書の記述を調べ、「はじめまして」の表記として「始」を採るものが10種、「初」が16種、併記が7種であって、「始」を採るものが決して少なくないことを明らかにします。また、日本語入力ソフトでも「始」が優勢であることを確かめます。
 彼女は書物の説明には飽き足らず、「一大世論調査」を敢行しました。新聞社や、国語審議会委員、はては日本を代表する作家・研究者などにまで手紙やアンケートを送ったということです。受け取ったほうは仰天したと思いますが、おおむねていねいに答えてくれたようです。こちらの結果は「初めまして」が優勢。

 さらに有意義だと僕が思うのは、銀行の待合所などで順番待ちをしている人に直接面談したアンケート結果です。年齢区分をみると、おおむねどの年齢層も20人以上のサンプル数があり、世代ごとの差がよく現れています。

 結果を見る限り、年齢層が高くなるほど、「シめまして派」〔注・「始めまして」〕が多くなるようです。学齢期に使った辞書が、直接間接に影響しているのでしょうか。また「ショめまして派」〔注・「初めまして」〕でも、低年齢ほど、仮名書きの比率が高くなるようです。(p.292-293)

 数字を見ると、たしかにそのとおりで、20代は「始」が2人、「初」が22人。30代は「始」が4人、「初」が21人というふうに、「初」が優勢。それが、高年層に近づくにつれて伯仲し、70代は「始」が14人、「初」が9人と、逆転しています。
 今、彼女の示す数字を元に折れ線グラフを作ってみると、きれいに交差しています。彼女は「辞書の影響か」と、これ以上深入りしていませんが、年齢層によって「始」「初」の使用の割合が漸次入れ替わっている理由については、さらに追究する余地があります。おそらく、このような研究はこれまでなかったでしょう。重要な指摘だと思います。

 残念なことに、三好さんはせっかく貴重なデータを手にしているのに、「始めまして」と「初めまして」とが歴史的にどのように交渉しあってきたかについては、ほとんど考察していません。もっとも、それを本格的に行えば大学のレポートになってしまいますが。
 彼女はむしろ、「始めまして」と「初めまして」とのどちらが正しいかを知ろうとして、「文法的」に考えようとします。
 彼女は、「最初に会う」のだから「初」を使いたいのに、「初める」という動詞がない(常用漢字音訓表の「初」に「はじめる」の訓がない)以上は「初めまして」と書くわけにはゆかないことに悩みます。
 そしてしまいに、次のような結論に達します。

 実際に、動詞「初(はじ)める」という形で使うことは少ないとしても、連用形〔注・筆者は「初めまして」の「初め」を連用形とする〕がある以上、動詞「初(はじ)める」はあるのであって、無いと決めつけるのは間違いだと思います。(p.302)

 この結論には、僕は賛成できません。
 今回は、なぜ僕が賛成できないかを中心に書くつもりだったのですが、もうだいぶ長くなってしまったので、できるだけ手短に述べます。

 僕は、「始めまして」「初めまして」いずれもOKであると考えます。理由は簡単で、昔から両方の例があるからです。ことばの正誤というものは、試験の採点のようにマルバツで割り切ることはできないものです。昔から例があって、ある程度人々の間に流通していれば、立派に「正解」として通ります。

 このように言ってしまっては身もふたもないというならば、もう少しもっともらしいことをつけ加えましょう。

 「始めまして」はこれでかまいません。三好さんのところに返ってきたアンケートでは、ある女性作家が「始めまして」は「英語ではbeginの意。始めるの意だから、この場合は間違いです」と記していたとのことです。しかし、漢字の本来の意味と、その漢字を用いて書き表した日本語の意味とが合致しないことは、ごくふつうにあることです。
 たとえば、「テレビを見る」「花を見る」などと使っている「見」は、本来は「みえる」の意の漢字であり、「みる」の意ならば「看」や「観」を用いるべきところです。現代中国語でも「看電視」(テレビをみる)などと使っています。だからといって、日本語で「テレビを看る」としては、ずいぶん違和感があります。
 また、「髪を切る」「木を切る」「封を切る」などの「切」も、本来ならば「髪を剪る」「木を伐る」「封を開る」などとなるはずです。しかし、日本語ではいずれも「切」で間に合わせています。
 これらに限らず、日本語での漢字の用法が、本来の漢字の意味とどこかずれてしまうのはやむを得ません。「はじめまして」に「始」を当てるのも、日本語での用字と考えれば問題はないでしょう。「これからあなたとの関係を始める」という意味も含まれているとすれば、必ずしも無意味な用字ではありません。

 また、「初めまして」も、これでかまいません。三好さんは「初める」という動詞がないのに「初めまして」と書いてもよいものかどうか悩んでいましたが、「初めて」という副詞をていねいに「初めまして」と言っているだけです。別に「初める」という動詞として使っているわけではないのです。
 このような例はほかにもあります。「当映画館に於いて上映予定」というのをていねいに言うと、「当映画館に於きまして上映の予定です」となります。しかし、「於く」という動詞があるわけではありません。
 「本日を以て閉店する」はていねいに言うと「本日を以ちまして閉店いたします」となりますが、これも「以つ」という動詞ではありません。「以て」のていねい形が「以ちまして」というだけのことです。


関連文章=「「続きまして」「したがいまして」はだめか

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