進化の方向、発想の転換 :ああでもない、こうでもない、ううむ…
> 今、僕達が見ているのは、生き残ったものだけです。
> 消えてしまったもの達の声を聞くことはできません。
> 発想の転換が必要です。
僕自身が、「いったい自分は何のために生きているのかなぁ?」と
考え始めたのは、小学5年くらいの時だったと記憶しています。
学校からの帰り道、川沿いの土手の砂利道を歩きながら、流れる雲を眺めて、
大人になったら何をするべきなんだろう? 何のために僕は生きて成長して、 子供産んで、それが育って、子供産んで、育って、… その先には、 神様が用意した、なにか人類としてなすべき大仕事が用意されているのかなぁ。 それはなんだろう、う〜んう〜ん…などと考えていました。(ませたガキ)
わかんないや。世界はまだその大仕事の時期が来ていないってことなのかも。 とりあえず自分は、次の世代の子供を残しとけば、あとは彼らがその時に 考えてくれるから大丈夫だろう。
それから、約16年たったある日、
1990/10/29 TV朝日「アフターマン」という番組
(それは、人類が滅亡した後に、どんな生物が知的生命体として
進化してくるかを想像した番組)を観ていた時でした。
ピカッ はきました。
そうか、目的なんて、ないんだ。その日の日記は、興奮に満ちてびっしり書き込みがされています。
みんな、結果の側から過去を見ているから、
あると思っちゃうんだ。
人間の思考は、効率を優先するために、まず目的があるのだ、 という考え方に慣れていますが、自然現象である進化を考える時には、 その思考回路を切って、ただ現象を眺めてみる方がとらえやすい のではないかと思います。
* 「アフターマン」で覚えている一場面。
暗い空から恐竜が降ってくるアニメーション。
恐竜の尻尾は傘のように、皮膜がパラシュートのように広がっていて、
それを空気抵抗としてゆっくり降りてくる。
尻尾が傘だって? そんなのあるわけないじゃん。聞いたこともない、はっはっは
…んーでも待てよ。待て待て。
ほんとうにいなかったと言い切れるか?
進化はどんな変異でも作り出してしまうんだから、何億年も試行錯誤を
繰り返してるんだから、いつかの時代にはいた、と考えた方がいいんじゃないか?
ただ、今はいないから昔もいなかったような気がするだけだし、化石が見つかって
ないからいなかったような気がするだけじゃないのか?
そして、ひょっとしたら、そういう、いたなんて想像もできない生物のほうが
はるかにはるかに多いんじゃないのか。それらはある時期にいたけれども、
生存競争に負けて、絶滅して痕跡もなくなった。今この世界にいるものは、
たまたま勝ち残って続いている少数のものにすぎない。
あ、そうか! それが進化か。 (2000/02/27)
* 「生きる目的は、ない」というのは、目的を持ってはいけない、
という意味ではありません。
生物として、人間として、共通に設定された目的が、あらかじめ
あるのではない、ということです。
個人個人がそれぞれに、自分で目標を定めてそれに向かって努力するのは
自由です。なにを目標としても良いのです。
T.Minewaki / minew@post.email.ne.jp