G/Wに続き韓国を訪れた。 今回は韓国西南部の全羅道を中心に南部の海岸沿いをまわることにした。
前回はUAで成田、ソウル間の往復を購入したが今回は下関、釜山間をフェリーで越境してみることにした。
(1)8/10
新幹線で一気に小倉へ。 そして下関に戻りフェリーに乗船。 G/Wにはすでに絶滅していたと聞いていた担ぎ屋のおばさんは健在で待合室は荷物で一杯。
近くにいた日本人と団結し、寝場所の確保をした。
(2)8/11
この日は一気に木浦(MOKP‘O、韓国西南端に位置する)まで行くつもりだったが一緒に寝場所の確保をした人達の釜山グルメツアーに参加してしまうことにした。
まずは鶏の腹にもち米、人参などを詰めて煮込んだサムゲタン。 良く煮込んであるので軟骨まで食べられる。
うまい!! やはり韓国は食になってしまう。 夕方はプルコギ(たれに漬けた肉の焼き肉)を食べに行く。
最後に夜の散歩で釜山タワーへ行く。 とりあえず展望台まで登ってみると意外にもごちゃごちゃしていると思っていた釜山の町が意外にも整然と区画されていることがわかった。
たかをくくっていたが景色は良かった。 お勧めである。
(1)8/12
釜山駅でソウルに向かう皆を見送って予定の木浦(MOKP‘O)に向かう。 とりあえず釜山高速バスターミナルに向かう。
バスまで時間があるので少し早いが昼食を取ることにした。 適当な軽食堂に入ったがバイトといった感じの女の子が日本語で「日本語は少しわかります。」と言った。
昨日入った喫茶店でも店員が日本人とわかると日本語で話していた。 釜山はかなり日本語が通じるらしい。
木浦にはPM6:00前に到着した。 思ったより大きな町だった。 地球の歩き方に載ってた木浦駅近くの宿に行くと、そこのおじさんも日本語を少しだが話せた。
さすがにここまで来ると外国人が珍しいのか、ビーサンをはいて外出したら珍しそうに見ていた。
(2)8/13
さらに離島へ行くつもりだったが台風が接近しているらしいのでもう一泊してから様子を見ることにした。
とりあえず、フェリーターミナルに行ってみる。
勉強不足のせいか済州島(CHEJU−DO)に行く船はわかるがあとはわからない。
こうゆう田舎はハングル上級者でないとだめかな?とあきらめかけていたが1番の窓口に名刺大のちらしが置いてあるのを発見した。
良く見ると船の運行地図と時刻が書かれているらしい。
2時間ほどで木浦に戻ってくるらしく丁度いいと思って一番小さな島、OEDAL−DOに行って2時間後に再度船に乗り木浦に戻ることにした。
船は瀬戸内海で良く見られる車が10台ものれるか?といった大きさのフェリーだった。
甲板に出ると鼻にかかった感じの女の声の英語が聞こえた。
話し掛けてみると大阪で英語の先生をしているアメリカ人だそうだ済州島(CHEJU−DO)に行くつもりだったが台風のため木浦で様子を見ているとのこと。
済州大の男子学生と途中から一緒に行動しているらしい。
まさか日本人を含めて外国人に会うとは思わなかった。
彼らはOEDAL−DOの前で下船した。 さて、問題のOEDAL−DOについた。
何か店があるかと思ったがとんでもない、あるのは民家が20〜30軒、教会1つであとは畑や放牧地だけだった。
他の島には店のあるところもあった。 所々に唐辛子が干してあり、牛糞が落ちていた。
サングラスをかけていたので島の人が珍しそうにこちらを見ていた。
小学校の分校らしい建物が廃校になったのか、雑草だらけだった。
過疎化が進んでいるらしい。 海水浴に来たのだろうか?一緒に下船した親子ずれのあとについて行くことにした。
海はあまりきれいではなかった。 ふたたび船に乗り木浦に戻る。
Wが少なくなってきたので銀行に行く。 丁度その時、日本人の3人組みも両替に来ていた。
山形の中学校の先生でソウルから南下してきたらしい。 木浦の名所、儒達山(YUDALSAN)に夕方行くとの事でご一緒させてもらうことにする。
入口でW700払い儒達山(YUDALSAN)に入る。 途中中国的なあずまやに土産物屋がちらほら。
山頂に登ると瀬戸内とは少し違った感じで島がたくさん浮かんでいた。 ちょうど干潮だったのか、干潟がたくさんできていた。
かつての瀬戸内もこうだったのか?と思ってしまった。 ここはお勧め。
(1)8/14
昨夜は飲みに行ったのでPM7:30前のKBSの天気予報が見られなかった。
大丈夫とは思うが念のため内陸の全州(CH‘ONJU)に行くことにした。
AM10:00にバスは木浦を出た。 バスはこの国では時間に取り残された感じがする埃にまみれた田舎町とすいか畑を進んでいった。定刻どうり、PM1:30にバスは全州(CH‘ONJU)に着いた。60万人位いそうな町だ。
PM5:00メインイベントのピビンパプを食べに行く。 地球の歩き方に出ていた店に行く。
この店は94年にKBSの番組で紹介されていて店内にその時の写真か飾ってあった。
ここは全州で有名な熱い石の器でなく、金属の器だったが器ごと暖められており混ぜるといい香りがする。
日本人だからか?あまり辛くなくおいしかった。なかなか繁盛している店で程々客がいて忙しそうだったが感じが良かった。
(1)8/15
台風が日本の東北地方に向かった事を確認したので再び全羅南道へ向かうことにした。
帰国する日が迫ってきたので釜山からバスで3時間30分の麗水(YOSU)に行くことにした。
全州(CH‘ONJU)のバスターミナルは人で一杯だった。
この日は韓国の休日、光復節すなわち日本が今を去る事51年前のこの日に降伏して朝鮮半島が開放された日である。
しかし、辺りにいる人々は日本と同じ夏休みを楽しんでいる感じがした。
そうこうするうちに乗車するバスがやってきた。
数人が立ってAM10:40に出発した。 3時間後には海が見えてきた。
重化学コンビナートがあるらしく、紅白の煙突がちらほら見える。
以前KBSでここから釜山までの海域で赤潮が発生することを報じていたが日本同様開発が進んでいる様に思える。
定刻どうり麗水(YOSU)バスターミナルに到着した。
ここから町の中心まで離れているので乗り換えをしなければならない。
そこで外に出て町の中心方面に行くらしいバス停で真面目で人のよさそうな青年に紙で中心方面に行きたい旨の英文を見せると意味が通じたらしく、彼の後に付いていけば良いらしい。
バスに乗って地球の歩き方を見ていると彼がやってきてバスから見える名所の案内をしてくれた。
彼はあと何番目で降りるかを教えて下車した。
握手で別れた。 言葉はほとんど通じなかったが誠意ある態度が良く伝わった。
(1)8/16
朝、腹痛で目が覚めた。 トイレへ直行すると液状の下痢が。
さらに頭痛がした。 もともと腹が弱く、しかもこの時は数日前から下痢気味だったのでこれは冷たいものを取っていたので悪化して体調を崩したかと思った。
もう少し麗水(YOSU)を観光したかったがこれでは不可能だ。
帰国が迫っていたので様子を見て取りあえず日本語の通じる釜山に移動することにした。
昨日バスターミナルから町の中心までの移動に使った9番のバスはあまり走ってないのか、なかなか来ない。
そこで昼食の買い出しをしに近くのコンビニに入ってみた。
ロールパン10個入りとミネラルウオーターを持ってレジに行くと二人の若い店員がパンの袋を指差して何か言っている。
韓国語が通じない旨を伝えると英語に切り替えてくれた。
どうやら賞味期限が過ぎてしまったものらしい。
どこから来たかを聞かれたので日本人であることを告げると一人が英語、日本語、アラビア語会話の本を取り出して試しにと言った感じで金額を日本語で話した。
日本語に興味のある学生か?それとも昔習った日本語を試していたのか?
とにかく英語が通じるので彼らに腹痛で麗水観光を諦め釜山に移動することを話してバスターミナルに行くバスの番号を聞いてみた。
1、2、3と100以降は行かないらしいが何度も聞いたせいか通じなかったと思ったらしく外に出てこれに乗れと言った。
結局二人とも店をほったらかしにして見送ってくれた。
彼らに早く会っていたら良かったのにと思った。
また、住所交換をして文通しても良かったとも思った。
残念なことになったがこの町はいつか再度訪れたいと思った。
釜山では初日に泊まった宿に泊まることにして近所の薬局に行ってみた。 一応ハングルで頭痛、腹痛がすることを紙に書いておじさんに見せたがさすがは釜山、おじさんは流暢な日本語で症状を説明してくれた。
頭痛は腸内の細菌によるもので冷たい物は取らないようにとのことで漢方薬を処方してくれた。
どうやら昨日食べたものがあたったらしい。
(2)8/17
朝、起きるとだるかったがとりあえずフェリーターミナルに行くことにした。
宿から歩いて行ける所である。 福岡までの高速船の窓口が開いていたので聞いてみると乗れるとのことだった。
港湾税込みでW60、000現金とのこと。 約¥8、000で日本で購入するより安い(日本だと¥12、400港湾税は入っていない)。
フェリーの窓口に行ってキャンセルする旨を伝えると不乗船証明書を作成してもらえた。
払い戻しは購入した旅行代理店でとのこと。
PM1:00前に出国窓口が開いた。 待っていた人のなかに中国人民がいた。
どうやら韓国で稼いで帰国する所らしい。 そのうち高速船、ビートル2世号の乗船も始まった。
外に出ると煙台(YANTAI)のほかにVLADIVOSTOKの看板も出ていた。
どうやらロシア航路も開設されたらしい。 釜山は国際航路が徐々に拡充されるようだ。
ビートルの座席につくと隣に眼鏡をかけた少し品のよさそうなおばさんが座っていた。
何回もこの船に乗船しているらしく船の様子などを話していたが、突然酒の瓶を運んでくれないか頼んできた。
断るとどこかへ行ってしまって別の韓国人らしいおばさんがやってきた。 彼女は日本語が話せないらしくこちらにはなにも言ってこなかった。
どうやらここにも担ぎ屋がいるらしい。 さっきのおばさんは交渉役らしい。
一時間しないうちに対馬らしい大きな島が見えてきた。
もう日本の領海らしい。 約3時間後予定どうり博多港に到着。 博多駅で念のためブルトレの空席を聞いたところはやぶさ号に空席あり!それで熱海まで乗っていくことにした。
(3) 8/18
昼前には寮に着いた。 念のため休日診療所に行ってみたが下痢止めを渡すから下痢が止まらなかったら病院に行けとのこと。
帰って精神的に楽になったのか、釜山でもらった薬が効いたのか大分楽になった。
軽い食中りだったらしい。
全羅道は日本人が良く訪れるソウル、慶州(KYONGJU)、釜山といったところに比べて田舎になるらしく麗水(YOSU)を除いてあまり大規模な工場がみられなかった。
道路もこれから整備されていく様子だった。 台風のためあまり離島巡りができなかったが町から遠く離れると海がきれいな良いところがあるかもしれない。
人は外国人慣れしていないようだったがあまり迷惑しているわけでもなくむしろ楽しんで相手をしている人もいた(特に若者は)。
そんなところだが意外と日本人がいて一日一回日本人に会って一緒に食事したりした。
こじきにたかられたり、変だと思った店でボラれたり麗水で泊まった宿で案内してもらった店で食べたものにあたったりした。
大体少し変な感じがするところが共通した。 以上から以後これらのことを注意しなければならないと思った。
1.周囲を観察し、変な人間、動物がいたら近づかない。 変な人間が近づいたら無視する。
2. 宿探しの際、少しでも変なところがあったらよそに行く。
3. 店に入る際、少しでも変なところがあったらよそに行く。
また、腹痛になることを前提に電熱式の簡易湯沸かし器を携帯した方がいいかもしれない。
最後の方でひどい目に会ったが全般的には良い旅だったと思う。 懲りずにまた行ってみたいと思う。
韓国はかなり日本と似ているところがあるが違いもまた多い。 習慣など違いがわかったことがあったがそれよりも新たな疑問のほうが増えてしまう。
それで通い続ける人が多いことも納得できる。 感じたことを2、3あげると
1. 若者の中で日本に興味がある、あこがれている者は少なくない。
2. 歴史的に見て仕方ないかもしれないがないが年配の人の中で日本を覚めた目で見ている人がいる
らしい。
3. 日本ではバスなどでこの座席は空いていないことを雑誌などを置いて示すが韓国では雑誌を置いて席
から離れるとその雑誌は捨ててしまったものになり、誰が見てもいいことになるらしい。
物の所有観の違いか?