スポーツ報道の新展開
記者と選手との「距離感」
――スポーツ記事の座標軸は「科学性」にある


    メディアミックスの試み

 スポーツ報道の可能性を考える上で、一般紙のスポーツ面、スポーツ新聞、テレビ、そしてフリーランスそれぞれが一堂に会した中で、良くも悪くも絶好のサンプルとなり得る初めての「試み」が、サッカーW杯を迎えた2002年元日に実現した。
 2002年元日付の紙面に掲載された、サッカーセリエAのパルマに所属する中田英寿選手のインタビュー記事である。
 読売新聞は、朝刊第4部の紙面で、日刊スポーツはニュース扱いで1、2、3面、さらに1日おいた(2日は新聞休刊)3日付で1枚を割いて、ともに「独占」とする格好で、ほぼ1年ぶりに中田選手のインタビューが新聞に掲載されることになった。日本代表の話、移籍話、さらには読者の関心が高い、フィリップ・トルシエ日本代表監督との関係について、日刊スポーツは中田が話した約1時間の内容ほぼすべてを2日間にわたって掲載し、読売は紙面構成上からこれをダイジェストにしたものを掲載している。
 系列ではない2社、しかもインタビューをしているのがフリーランスである私、さらには、これをテレビ局(東京放送)もドキュメンタリーの一環として撮影、本来ならどう見ても「まとまるはずのない」媒体、メンバーでこうした試みが行われたことの詳細は、読者にも関係者にも伝わっていないだろう。

 この話は、10月下旬、中田選手のマネジメントを行っている株式会社サニーサイドアップ(次原悦子代表取締役)からの連絡で始まった。
 中田サイドとしてはW杯の今年、メディアには協力をしたいと考えている、しかし年頭の特別な企画についてだけでも、新聞、雑誌、テレビと申請は30を超えているため、すべてへの対応は無理である、仮に数社の取材を受けるとしてもそれぞれのインタビューを個別に行うことは、時間的な制約、また選手の負担を考えるとき難しいものがあるとした上で、「メディアミックス」という形は取れないものだろうか、との提案だった。ミックスするにあたって、1人のインタビュアーに質問を任せることでスムーズに取材を進行する。その代表質問者を、中田選手を日刊スポーツ在籍時から取材してきた私が担当する、そういう話である。新聞社、テレビ局の選択には私は関知しておらず、これは中田サイドの決定による。

 スポーツ新聞には10年も勤務し、現在は一般紙でも連載を持っている。五輪、世界選手権とテレビの仕事も頻繁にしているし、軸足を置くのは雑誌媒体でもある。フリーにあって比較的多くの媒体と仕事をさせてもらっている私も、この話は無理だと思った。
 最初に考えた難関は、それぞれの媒体の「メンツ」である。日刊スポーツならば、外部の、しかも退社した者に正月の紙面を任せることは歓迎すべき選択ではないだろうし、読売も打ち合わせの当初、フリーの場合「社の方針として外部の人間の名前は紙面に掲載しない」とした。最終的にはこちら側が譲歩をし、現地取材に「同席」した運動部記者との連名で「インタビュー・クレジット」が掲載された。両社とも外部のライターをこうした形で使うことに当然抵抗はあったはずだ。
 テレビは、ドキュメンタリーの性格上、ストーリーに沿った答えが必要になる。トルシエ監督や代表の話、あるいはパルマでのことになると、事情が放送日までに二転三転する可能が高い。内容をかなり絞り込み、また困難な交渉の結果「取材場所」を提供するため、新聞以外の質問をする時間を確保することで独自性を保つことにした。また共有したインタビューは各社がどう使っても良い形を取るため、構成、出稿等は担当者が行っている。
 共同会見とは違い、個別の内容を違った媒体で分け合い、しかも両者に属さないフリーランスが司会を行った点で、メディアミックスの選択は困難で目新しいものだった。

 どう見てもまとまるはずのない媒体、メンバーが無事出稿を終えることができた背景には、さまざまな収穫があったはずである。中田選手のホームページでの発言はファンには届く。しかし、一般の不特定多数の読者、ファンにはチャンスがない。そういう中で中田選手がこうした取材はしっかり受けるとする態度を示した点は大きな収穫であるし、今やスポーツメディアに「難攻不落」の要塞とも言える彼、あるいは彼と同じスタンスを取るアスリートたちとも、手法を模索さえすれば、交渉が可能であるとしたことも収穫である。
 さまざまな利益や方針の差異から極めて難しいはずの媒体同士が、まずインタビューをすることを目的として集中した点もマイナスはない。欧米とは違い、新聞は新聞記者が、雑誌はフリーが、テレビはタレントかキャスターがといった日本的な枠を払う、構造への問いかけにもなるかもしれない。
 もっとも、満点ではなくとも、中田選手のようにメディアと対立構造にあるアスリートの取材に新しいサンプルができるか、その着地寸前になって、日刊スポーツがなぜか中田選手と現場にいた記者とのツーショットを大きく掲載。複雑な状況の中で作った「ツーショット写真は掲載しない」とのルールを破ったことは、非常に残念だった。
 中田選手も今回の試みを、大歓迎とまではいかないまでもひとつの形として、長時間積極的に行ったはずだった。ルール違反について「とても残念です」と、話している。
 このミックスにおいて「とりあえず何とか載った」ことがプラスとすると、負の部分は「選手と記者の距離感」にあったと思う。

    距離感と、スポーツの不在

 染み付いた習慣はなかなか抜けないもので、今もスポーツ新聞、朝刊の運動面をくまなく読む。やはり新聞のスポーツ報道は最前線を走る部分として極めて重要な存在である。言い換えれば、現場取材の重要性を示すシンボルだからである。現場での取材は根幹でなければならないと教えられたことは幸運だった。スポーツにはフィールドだけではなく、日々、広義において「現場」以外何もない、いわばナマモノが原点である。
 ハイライト、ニュース、こうしたものに注意を払う中で、さまざまな競技において記者の顔が見えにくくなっている印象がある。顔が見えにくいとは、原稿のスタイルや個性であり、実際に選手とどれほどの距離感、コミュニケーションの深さで仕事をし、原稿を書いているのか、これがつかみにくいという意味である。信頼関係などといった甘い表現ではなく「距離感」がつかめない。
 中田選手は極端な例であるが、彼と記者の間にはそもそも距離さえ、測るような関係がなかったことが、メディアミックスの動機であるし、同様に希薄な距離感にある選手は間違いなく増えている。名刺を渡そうが渡すまいが、選手にしてみれば自分の記事を誰かが書いたとして、「はて、この人はどの記者だっけ?」、そういう状態になることが多いのである。自分が記者の時代と今とでは、一人が抱える仕事の量が全く違うだろう。今は、現場取材のほかに、社内でしなければならない仕事が多い。

 プロ野球担当のように、遠征からすべてともに移動する形の是非はともかくとして、適度な距離感を築く上ではこれも非常に恵まれた手段ではある。言い争いもあれば喧嘩もする。時には夢のように、トップアスリートと一対一で技術論に耳を傾ける時間もあれば、互いの愚痴や世間話を延々とすることもある。選手を「書いてあげている」わけでもなければ「書かせてもらっている」わけでもない。こうした関係が、新聞記事に透けてくるのが難しい時代になったのだと思う。
 非常にスマートな仕事だと言うことはできる。選手の肉体にたとえると、こうした一対一やチームと過ごす「無駄な」時間がいわば、筋肉を増やすための贅肉だとすれば、今の記事は非常にシェイプアップされた格好だ。贅肉はしかし、適度な距離感を生むための重要な大いなる無駄だとも思う。
「書かれたことに腹を立てたり、怒っているわけではない。無駄を承知で話を聞きに来たり、腹を割って話してもいない。よく知らない記者に批判されても、それは首をひねる」
 選手はよくそう口にする。
 裏を返せば、よく取材し距離感がわかるならば、批判など不満には思わない、むしろ納得できるという意味である。

 距離感は、フリーランスになると縮まることはよくある。しかし今度は、全体との相対性に欠け、「誰々選手と特別な信頼関係にある」といった状態になりがちだ。こうなると、選手の隣に立っているような、近すぎて見えない、息苦しい距離感にもなる。自分自身、選手と「適性距離」を測る難しさを、スポーツライティングと同義語に考えている。
 最近よく目にする「スポーツ報道とは」「スポーツ報道の検証」といった大上段に構える視線の前に問われるのは、それを書いている記者が選手とどれほどの距離感にあるかではないか。スポーツ報道の原点ともなる、記者と選手の距離感から考え直していくことが先決なのではないか。

    ドラマチックは「逃げ」だ

 距離感の測定にもう一点重要なのは、何よりもスポーツそのものに対する知識である。記者時代には、よく「スポーツの原稿には必ず座標軸がある」と注意された。座標軸とはつまり、スポーツのレベルであり、技術であり、なぜこの記事を、どういう理由で書いているのかといった科学性にある。
 これの対極が、「ドラマ性」である。人間ドラマ、人物ドラマを、スポーツを通じて描こうとする。スポーツを通じて人間を描くことはできるが、スポーツでドラマを描こうなどというのはナンセンスである。個人的には、心技体含めて「スポーツはスポーツだ」と、自戒を込めて常に言い聞かせることにしている。五輪などは顕著な例で、スポーツ新聞はもとより一般紙も盛んにドラマ性を強調する傾向にある。社会部の記者が五輪を書く手法と何ら変わらない記事が運動面に掲載されることは頻繁であるし、もっと言えば「ドラマ」に流された結果、どの新聞のどの記事もすべてくくり方が同じ、距離感がみな一緒、といった記事が氾濫する。

 もしも距離感を測る手段があるならば、それはスポーツそのものへの知己であり、スポーツに対する関心を探究しようとする姿勢こそが、選手との信頼関係の土台になるものだと考えている。
「人間性とか、ドラマチックな話ばかりを聞かれて、結局、競技のことなど真剣に説明する必要はないわけです。いくら取材を受けてもどれも同じだ、退屈だと思いました」
 世界選手権でメダルを獲得し、殺到した取材をこなした選手に聞いた話であるが、徹底した技術論が読者にはわかりにくいから人間ドラマで、というのは、専門的に物を思考しない担当者や、スポーツライティングそのものからの「逃げ」である。スポーツに存在するさまざまな科学性を、読者にどうわかりやすく伝えることができるか、その一般性を探ることは困難だが、打破していかなくてはならない壁なのだ。

    新しい手法の確立

 日本のジャーナリズムにおけるフリーランスの立場は、独立性への評価という点で欧米とは大きく異なる。記者からフリーの立場に変わって充実があるとすれば、それは興味深いテーマについて掘り下げられる時間と自由を確保できることである。連載やひとつひとつの記事についても、記者時代の人間関係や知識、専門家へのアプローチをすることで、日々のニュースを抜いた、抜かれたという厳しさとはまた違った難しさや、それを超えて出稿する試合のような面白さを享受できる。
 一方では多くのフリーにとって、テーマ性を専門的な知識で見い出すことはできても、発表する場が必ずしも多くはない点が問題である。雑誌をサッカー、スポーツ総合といったジャンルに分けたとしても、扱う人物が競合する。特にサッカーになるとこれは顕著で、新聞広告や中吊り広告を見ても、選手の名前で取った大きな見出しだけが並ぶ。最近はこうした没個性の中で、どういう「個性」──それはフリーの命綱でもあるが──を示すのかに重要なポイントが存在すると問題意識を抱く。今年は、冬季五輪、サッカーのW杯と、競合と個性のバランスがフリーとして試される年だとも位置付けている。

 新たな可能性のひとつに、インターネットメディアの存在がある。これほど、スポーツの速報性とナマモノとしての良さを強調し、存分に発揮できる媒体はないだろう。現在は新聞社もホームページで速報を流しているが、刷り物としての新聞との共存は、自らの中に自己矛盾を抱えるかのようなものでもあり、難しいはずだ。フリーがより現場に密着した形で、1日遅れの新聞に対抗することはそう難しくはない。
 2年前の1月、今後のスポーツメディアのあり方を概念ではなくて、技術的に象徴するような事件があった。
 NBAのマイケル・ジョーダン選手が自らのホームページに「I'm Back」と打って、一体どこに、選手としてかオーナーとしてか、と全米が一日大騒ぎしているころ、日本でも中田選手が「ローマに移籍することになり、この経緯は」とホームページに打つのを、ファンよりメディアが懸命にアクセスしていた。
 選手にはすでにスポーツメディアは媒体として必ずしも必要ではないとされている点、ニュースさえ取材ではなく、ホームページでチェックしなければならない点、速報、正確性を競うにもキーボードひとつで済むという点、あらゆる意味で、この時のトップアスリートが示した技術的変化が、今後に大きな意味と課題を投げかけたはずだ。フリーならば新聞、雑誌といった表現方法に縛られずに、もちろん困難な権利関係の問題は派生しても、新しいスポーツ報道の手段を模索することが比較的自由にできる。何を書くか、これが最大のテーマであるが、どう書くか、これについての危機感も常に抱いていかねばならない時代なのだと思う。

 最後に、女子マラソンの弘山晴美選手、コーチで夫の勉氏(資生堂)がある講演で話したメディアへの視線を紹介したい(抜粋)。苦しい時には、これを読み返すことにしている。
「シドニーオリンピック・マラソン代表選考の件以来、私は一人のスポーツ選手像のある部分は確かにマスコミが作り上げるものだと思うようになっています。一部の選手にはマスコミ嫌いという人もいるらしいです。しかし私たち夫婦はむしろ逆です。取材する立場の人のスポーツに対する情熱や知識があって、選手のビッグパフォーマンスを期待するメディア、それに応えようとする選手がいてこそ成り立つのがスポーツ界だと考えるようになりました。人間として、良い部分を引き出すのは互いの心のふれあいではないでしょうか」

新聞研究・607号[2002.2、日本新聞協会]より再録)

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