三井のロンドン絵日記(21)

S-REG.からT-REG.へ

−じどうしゃ小話 (補)





 3月から、いろいろなことが始まりました。

 S-REG.からT-REG.になったのです。これは画期的なことです。


 なんのこっちゃ?おこたえは、「自動車のナンバープレート」です。

 いつ頃から始まったのか知りませんが(ずっと昔の車のナンバープレートにはなかった。いまも走っているのがあるのでわかる)、英国では新規登録された自動車は、ナンバープレートにその登録年次をアルファベット順で記すという規定になっております。たとえば、「T432APT」とか(はじめの「T」が、この春からの新規登録車を表す)。これは乗用車でも、バスでも、トラックでもすべて同じです。ちなみに、ナンバープレートは車の前側が白、後ろ側が黄色と、これも決まっています。

 なんのためにそんなことをやっているのかはわかりませんが、結果としては明らかに、「登録年次明示」で、「新車購買意欲」をかき立てる意味を大いに発揮していましょう。「オレの車は最新登録の新車だぞ!」と威張れるかどうかは大きいわけです。


 ちなみに、私の考えでは、自動車、とりわけマイカーというのは、20世紀消費社会の最大のシンボルであり、しかも「動くブランドマーク」「消費者のアイデンティティそのもの」という、きわめて大きな意味をもっていると思います。ほかのどんな商品とも違い、常にその所有者=消費者と行動をともにし、紛れもなくそのブランドと商品イメージをいつも担いでまわっているのですから、誰の目にもそれがわかるのですから、「ユーメイブランドのバッグ」なんかの比じゃあありません。まさしく、「私そのもの=マイカー」なのです。もちろんそのうえに、「便利さ」「快適さ」「スリル」を十二分に味あわせてくれる、もっとも大衆的な「文明の利器」です(もっともそれゆえ、私は「消費社会の『死に至る病』(mortal disease)」だとも思っていますが)。


 その車の消費をうながすには、「相次ぐモデルチェンジ」、「新しいタイプの発表」が大いに効果を発揮してきていること、これは現代巨大企業の「商品戦略」の絵に描いたような見本であることは、これまた誰でも知っています。でも、それに加えて、おかみがわざわざその車の年式を車体に書いてくれるんですから、メーカーやディーラーは大いにやりやすいでしょう。

 もっとも英国人には「古いもの大好き」人間もいるので、ひとがどんな新車を得意げに乗り回していようがいっさい気にせず、ビンテージものの車をいまだ大事に走らせているひとも少なくありません。その場合はむしろ、「登録年次が書いてない」ほどの古いナンバープレートと、博物館でしかお目にかかれないようなスタイルが誇りでもあるわけです(かつて、日産がライセンス生産をしていた、オースチンA50なんて、どう計算しても四〇年以上前のを目にしたこともあります。日産の人間が見たら、感無量でしょう)。

 まあ、そこまでいかなくても、「車なんてゲタの代わり」(英国人がゲタを履くわけないか)とばかりに、いくら古くても、ボロでも、全然気にもとめず、車体に穴があくまで乗っているひともいることはいます(これがよく穴があくんですね、英国などでは冬季の道路路面凍結防止のため、塩化カルシウムをしばしば撒くので、それが付着して、手入れをしていないとたちどころにボディに錆が生じ、そのうちにほんとに腐って穴があくのです。そんな車も見かけることが珍しくありません)。




 さて、この車の登録年次の表示は、アルファベットを用いていまして、これを順次つけてきています。Aから始まるのですが、数字と紛らわしいI、O、Q、Zは飛ばしますので(Qは電気自動車に与えられているよう)、実際には22年で一巡をするわけです。一巡しちゃったあとはどうするのかといいますと、今度はこの登録年次アルファベットのつく位置が入れ替わります。

 いままでにこの制度になって二巡目に入ったようなので、現在の登録車はアルファベットがナンバーの最初についています。それと同じ文字でも、ナンバーのおしまいについている車も少数あるわけでして、それはつまり、一巡前、22年以上前の車ということになるのです。


 この制度、新車の売り上げを伸ばすのには大いに貢献してきたはずですが(もちろん、中古車を売る際も、必ずこの「登録年次アルファベット」を、「FORD GANADA, F-REG.」などと、広告に書き添えます)、問題もありました。この登録年次の更新は、毎年8月1日をもってスタートしてきました(欧米では日本のような「年」と「年度」という二つの制度がはっきり区別され、広く用いられるというしくみがないため、「年度」にあたるものは、かなりあいまい多様です。学校はご存じのように、9月が新年度新学期ですし、英国政府の会計年度(financial year)は、日本同様に4月1日から始まります)。どうして8月1日なのか、よくわかりませんが、ともかく長年そうなっているそうです。

 そうなりますと、ほとんど同じ車をわざわざ7月31日に買い、一日遅れで「一年前の登録車」にしたいひとはいないでしょう。したがって、ニッポンのボージョレ・ヌーボー騒ぎ同様に、8月1日には一斉に各ディーラーが「新車発売!」のお祭り騒ぎをやり、買い手が殺到するという光景を呈してきました。ですから、一年間の自動車販売台数統計を見ますと、7月なんかほとんどゼロで、8月にグラフがピンとはね上がり、この一ヶ月で一年間全体の半分くらいを売ってしまうという状況になっていたのです(そのかわり、8月1日を過ぎてしまった「売れ残り」は、旧年登録ナンバーをつけてのバーゲン「新古車」になるわけです)。

 こういうのが、メーカーにも、ディーラーにもやり易いビジネススタイルなのかどうか、最近疑問の声があがってきていました。特にディーラーの販売員たちは、このおかげで「夏休みがとれない」(7月は8月の販売に備えて、準備をしなくちゃなりませんから)、という嘆きの声しきりで、こどもたちと家族のホリディを過ごすのを何ものにも代えられない大事な年中行事とする英国の伝統から、大いに問題となってきたわけです。


 そこで政府は近年になって、この登録年次表示制度を変え、今度から「年二回の変更にする」と発表したのです。だんだんと、山をならしていこうというわけです。

 その結果、昨年8月からの「S-REG.(Sナンバー登録)」の期間(もちろんその前は、「R-REG.」)は、今年2月をもって終わり(ちょっと中途半端ですが)、3月1日からは、新しい「T-REG.」に切り替わりました。今度は鳴り物入りの騒ぎもなしで、「いつのまにやら」Tナンバーの車が走り出した、というところです。次回からはちょうど6ヶ月毎になって、9月切り替えの予定だそうです。恐らく、年二回の更新となれば、だんだんややこしく、紛らわしくなってきて、そのうちに、「これが新車!」「こっちのは何年前の車」などと、ナンバープレートだけでは、見た目にはわかりにくくなるかも知れません。



 しかも、数年先には、現在のナンバープレート表示制度自体が大幅に変わる予定です(Yまで行ったら)。これはEU市場統合に伴う措置の一環でもありまして、市場統合というのは、それぞれの国毎に異なっていた、規制や規格や登録制度などを、加盟国全体で揃える、ということでないと実効があがりません。英国のナンバープレートはEU諸国内でもかなり異色で、他の国のものとは一目で区別されてしまう状況です。

 ほかの諸国のナンバープレートがどのような表示形式になっているのか、車を運転しない(できない)私としてはよくわかりませんが、少なくとも先日行って来たアイルランド共和国の場合は、数字中心のもので、ただ、ここでも登録年次を、年号数字そのもので示していました(コンピュータソフトじゃないので、2桁表示だけだったけれど)。見た目に英国車のナンバーとはかなり違うので、おりからあった「五カ国対抗ラグビー戦」応援に大挙北アイルランドからダブリンにやってきた車、つまり英国形式のナンバーつきというのは一目でわかる状況でした。でも、なにごともなかったのですが。

 ともかく、英国のナンバープレートもこれから他の諸国のものに近づくはずです。もっとも、最新のニュースでも、EU内での「域内車両登録の調和」条項はまだ検討・審議中で、最終案は決まっていないもようですが。




 なお、面白いのは、このナンバープレートというのは、その車を販売するディーラーが作成用意することになっていて、日本のようにおかみが同じ規格のものをすべての車に交付する、つまり押しつけるという制度ではない点です。したがって、車のタイプ毎に、かなりサイズなども違っていますし、気をつけてみると、書体などだいぶ違ったデザインのナンバープレートが堂々と使われています。そこに書いてある、文字や数字が登録どおりであればいいんだろ、というわけです。


 もっとすごいのは、ナンバーそのものを「選べる」という制度です。これは単に、同じ登録年次用の各ナンバーのうちから、自分の気に入ったような文字と数字の組み合わせのを選ぶ、というのではありません。この辺、どういうしくみなのかよくわからないのですが、昔登録された車のナンバーを「買ってきて」、最新登録のはずの自分の車につけてしまう、という離れ業ができるのです。恐らく、こういったナンバーの廃車手続きとともに、新しい方の車の登録変更手続きを行ったりするのでしょう。

 もちろんそれにはさまざま手数料がかかるようですが、それに加えて、ゴロのいいナンバー自体が、プレミアムつきで売り買いされているのです。うえの、登録年次表示アルファベットのつかなかった頃を含めて、ナンバーは一般に三桁の数字と三つの文字を並べるようになっている(三桁といっても、少ない数字ならば0を落として、一桁二桁になってしまう)ので、この組み合わせにより、電話番号のような語呂合わせもできるわけです。「123JET」とか。「VTR321」「1 MAC」「PRC GX」「PUD5OK」なんていうのもありましたな(みんな近所で目撃した車)。

 こういったのを買い、自分の車に登録するには、人気のある、目立つ組み合わせのだと、へたな新車一台くらいのカネがかかるようです。それでも、どこにでも好き者はいるものでして、こういったナンバーを誇らしげに、自分の最新の車につけて走っているのをよく見かけます。よくあるパターンは、ポルシェとか、ジャガーとか、ロータス、フェラーリとか、車自体がメチャ高いのに、それに登録年次アルファベットのつかない、数十年前のナンバーをつけて、粋がっている、というのです。自分の車には、金に糸目は付けないんだぞ、と誇示しているわけです。


 まあ、やたら粋がると、車上荒らしや自動車泥棒の格好の標的になるんじゃないか、とも心配になりますが、あんまり高い車はそうは盗まれることもないし(盗んでもすぐに足がつくからでしょう)、セキュリティが厳しくセットしてあって、おなじみの、ウィンドウを割ってドアを開け、中のカーオーディオなどを盗む、という窃盗被害もあまり聞かないようです。ちなみに、こういった車上荒らしは日常茶飯事で、どこでもいつもおこっています。先日も、朝の通りがかりに、見事に窓を割られ、オーディオを引っこ抜かれ、配線のみが垂れ下がっている、無惨な車(VWゴルフ)を目にしました。

 ですから、つい先頃まで、駐車しておく車からはオーディオは取り外し、もって歩くというのが通例になっており、カーステ自体簡単に取り外しできるよう、ハンドルつきのプラグインスタイルになっていたのですが、そのものの値段が安くなったせいか、また盗難保険にみんな入っているせいか、近ごろは路上駐車中の車でも(それが合法的というのもすごいですが)、オーディオをつけたまんま、どうぞ盗って下さいというのが増えてきました。もっともこれから英国でも、カーナビTVなど普及しだしたら、また盗難対策が問題になるでしょうが。



 ついでに自動車の話題、もう一つ。


 VW(フォルクスワーゲン)社が、懐かしのビートルの現代版を出した、というのは日本にも聞こえていましょう。かのヒットラーの命で開発された、文字通りの国民車、値段の安さと、維持費の安さ、そしてカブトムシのようなデザインで一世を風靡したこの車、のべ30年くらい作られ続けたようですが、現在はもう地球上のどこででも作ってはいません。

 でも、いまだ熱狂的フアンが多々いるので、「Volks Journal」「Beetle People」などのマニア雑誌が出ており、現物は高値で取り引きされています(ニッポン人はMiniの方が好きだけれど。こっちはいまだ生産中 − ローバー社で唯一「売れている車」、これを世界中で一番数多く買っているのが日本だとか)。これまた得意げに乗り回している人も少なくありませんが、空冷RRエンジンはそろそろ息切れ気味にも見えます。


 そういったマニアをねらったのか、VWはかつてのビートルを彷彿とさせる、丸まるとした外観の、新しい車を昨年から発売したのです。ただし中身はゴルフで、ですからエンジンはでかいのが前に載っており、それだけで「こんなのはビートルじゃない」といったマニアの反発もあるようです。

 そのせいかどうか、米国ではなかなか売れ行き好調と言われたこの車、欧州では今のところさっぱりで、VWメキシコ工場で始まった生産を欧州工場でもやる、という話は立ち消えになったと、先日の新聞が書いていました。

 私は英国内で(まだ英国では正式販売になっていない、英国で売るには通常右ハンドルだから)、いままでに2台これを見かけました。いずれもナンバーは英国外のもので、宣伝用に持ち込んできたのかも知れませんが、それなりに人目を引いたものの、やっぱりさすが英国人も、ビンテージカーならぬまがい物にはあまり興味はないようです。



 もう一つ、「北欧の車は電気つけっぱなし」です。


 冬は日が短く薄暗い欧州のことですから、用心のために、車もよく日中からヘッドライトをつけて走っているのかと思いきや、マイカードライバーの人から教わりました。もちろん自分で安全のために、日中もライトをつけている人もいるけれど、北欧はスウェーデン製の車、つまりVolvoやSAABは、キーを入れてエンジンをスタートさせると、そのままヘッドランプもつくようになっており、これを切るすべがないんだそうです。確かに言われてみると、こういった車はみな(よほど古いのを別として)、どれも電気つけっぱなしで走っています。

 なんでそうなるの、というのには、北欧諸国は特に冬の夜が長いし、下手すりゃ一日中夜で、そのうえ雪が降って危険だから、車は常時ランプはつけていること、という決まりになったんだ、とか。

 なるほど、と思いましたが、よく考えてみると、これは若干まゆつばで、もしスウェーデンなどの国内でそういった規制があったとしても、他国向けの車の仕様は別にすればいいわけです。EU内もそこまで「統合」されていないのが、ナンバープレート同様の現実です。まして英国やアイルランド向けの車は、他の国と決定的に違って、右ハンドルなんですから、右ハンドル車を作るくらいなら、ヘッドランプのスイッチをつけるくらい造作もないことでしょう。それに、日本ではVolvoも電気つけっぱなしではないように記憶していますし。


 ま、その辺はこれらの企業の「ポリシー」かも知れません。ただ、いくら頑張ってみても、実情としては、「電気つけっぱなし」のユニークな製品ポリシーの甲斐もなく、北欧自動車メーカは相次いで他の巨大メーカに飲み込まれてしまい、ついにVolvoも米フォードの軍門に下ることとなりました。世界の自動車市場は、圧倒的に過剰生産・過剰設備状態で、どこがつぶれても不思議はないような状況なのですから。


 そして、思い起こします、いまから20年近く前、このVolvoのウディバラ工場でおこった、「ベルトコンベアラインを廃した新しい生産システム」の試みが大反響を巻き起こし、そこから「ポスト・フォーディズム」という新観念が登場し、「いまやポスト・フォーディズムの時代!」というのが、あらゆるところでの魔法の呪詛、または決まり文句になったものでした。わがニッポンからも、多くの経済・経営学者や社会学者が争って「ウディバラ詣で」をし、感激とともに帰ってきたものでした。

 ヘンリー・フォードが編み出し、世界の自動車工場などの基本的なスタイルとなり、またかつてチャップリンが『Modern Times』でカリカチュア化して告発した、「非人間的な」ベルトコンベアシステム下の作業、「大量生産」の発想、その時代は終わったというんですから、感激もむべなるかな、でしょう。

 もちろん日本が元祖というわけじゃなく、こういった動きをいち早くとらえ、「ポスト・フォーディズムの時代」を唱えた、米国のチャック・セーブル(C. Sabel)らの書は、文字通り「一世を風靡した」バイブルとなったのですが、私が以前ロンドンに滞在した12年前、この書は「エコノミスト・ブックショップ」(LSE の学内書店)に山積みされ、大いに読まれていました。これを見て、私は「一年遅れの流行」が日本に来るぞ、と予感しましたが、帰国後まさしくその通りになりました。何でもかんでも、「ポスト・フォーディズム」や「フレキシブル・スペシャライゼーション」(セーブルらの「概念化」)を枕詞にしないと議論ができない、という時代が一足遅れでやってきたのです(この辺の話は、拙稿「中小企業研究の『貿易収支』とグローバリゼーション考」『駒沢大学経済学論集』第27巻4号、1996年、に、もうちょっと「学術的に」書いております)。


 不幸にして、「フレキシブル・スペシャライゼーション」のモデルのひとつであった、Volvoの「ウディバラの実験」はことのほか短命に終わりました。ベルトコンベアラインなき自動車工場という「夢物語」は文字通り夢と終わり、いまではその話を口にするひともまずいません。

 セーブルらのモデルのもう一つのイメージ、「トヨタシステム」は、「なんであれが『ポスト・フォーディズム』なんだ?」という本家ニッポンからの疑問符が出て、企業経営ハウツー分野での一時の大隆盛とは裏腹に、「理想論者」たちの議論のうちではうやむやになってしまいました。いままだ(日本で)残っているのは、「第三のイタリア」モデルです。ウディバラ詣では終わってしまったけれど、イタリア巡礼の旅はまだ続いているようです。


 巡礼たちの純粋な信仰心は歴史に残るでしょうが、「ポスト・フォーディズム」のかつてのシンボルが、「ウディバラの実験」どころじゃなく、遂には当のフォード社に吸収されることになったというのは、歴史の皮肉としては相当にきつすぎます。「ポスト・フォーディズムの終わり」(The End of Post-Fordism)まで見られたのは、やっぱりmillennium 直前の1999年らしい出来事というのでしょうか。

 「歴史」は慌ただしいのです。Volvoの運命だけじゃなく、「エコノミスト・ブックショップ」もこの12年間に、「Dillons」(英国の大手書店で、近年多店舗展開が急)、そして「Waterstone」(大手文具店チェーン「W.H.Smith」の書店部門チェーン)と、看板が相次ぎ変わってしまいました。さて、Ford-Volvo となってからも、やっぱり「電気つけっぱなし」なのかどうか、これはなんともわかりませんが。




訂正

 この文をロンドンで書いてから三年半もたって、突如匿名で、「三井ゼミ『みんなの窓』」掲示板に、大変率直かつ親しみある書き方で、「オールドビートルはVWメキシコ工場でいまだ生産されている」旨のご忠告をしてくれた人がいました。
 私もメキシコまで確認に参るわけにもいきませんが、諸般の二次情報を総合すると、どうやらそのようなので、三年半後にして訂正をさせていただきます。「現在はもう地球上のどこででも作ってはいません」は間違い、「唯一メキシコではまだ作ってはいるようですが」と致します。

 


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