私たちの望むものは ・・・ から30年(98.06.21)

「私たちの望むものは」という歌を初めて聴いたのは、FM放送で日本の「フォーク&ロック」の歴史をたどる番組だった。20数年前の話である。「メッセージソング」、「関西フォーク」のロックへの転換という解説の後、この歌がかかったのである。ギンギンのギター、開き直ったように叫ぶ歌。「ああ、これがロックというものか。」

ディープな埼玉--つまり、洗練されていないし、情報は枯渇気味であったということだ--でティーンエイジャーであったぼくにとって、この音は衝撃であった。「これが、ロックという音楽なのだ。何て、激しいのだ。何て、素敵なのだ。」

ぼくは、新譜ジャーナルの岡林信康の特集号を買った。何度も何度も読んだ。ちょうど、「金色のライオン」の出た直後であったから、あれは、73年の冬あたりだったのだろう。

この歌については、「逆説的であるのが恐ろしいばかり」という紹介がなされていたように思う。また、68年のパリ5月革命の時に書かれた落書きから、題名をとったという説明もあった。

「私たちの望むものは、荒々しくはかないひとつの音楽」ロック展開をしていた頃の岡林がそのように語っていたということも読み、あの「日本語のロック」の代表ともいえる曲の音源に対する思いは強まるばかりであった。

さて、それから、ぼくの「私たちの望むものは」を求めてレコード屋を訪れる日々がはじまった。そう、一番最初に聴いた「これこそ、ロック」といえるあの音源を求める旅のようなものだった。

「チューリップのアップリケ」とのカップリングのシングル盤を買った。しかし、これが全然ギンギンのエレキギターではなかったのだ。ピアノがしょうしょうと鳴っている。そんなバージョンであった。気のせいか、歌も説教くさい感じであった。あの、叫ぶようなものではなかった。

次に出会ったのは、「見る前に跳べ」という岡林のセカンドアルバムのバージョンだった。これは、シングル盤のものよりも長いバージョン。基本は同じなのだが「私たちの望むものは あなたと生きることではなく 私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ」のくだりで、銃声が入る。「ああ、なんと説明的なのだ。なんて、説教くさいのだ。」そんな感想を抱いた。

70年の中津川フォークジャンボリーの「私たちの望むものは」。このアレンジは、ぼくが魅かれたあのバージョンに近い時期、近いものであったのだろう。はっぴいえんどがバックをつとめている。これは、これでずいぶんと聴いたのだけれども、録音状態のせいか、音がすかすかという感じであった。さらにいえば、大滝詠一さんのサイドギターが冴えていないと感じたのだった。

そして、最終最後で入手したのが、ビクターSFシリーズの「岡林信康 第2集」で ある。セカンドアルバムから、サードアルバムまでの間の音源を集めたものであった。この中には、はっぴいえんどがバックをつとめる「だからここに来た」や「自由への長い旅」(アコースティックギターが冴えている)とともに、ぼくが、最初にFMで聴いたバージョンの岡林信康&はっぴいえんどの「私たちの望むものは」のあの分厚い、ギターが冴え渡る、そして、音のハードさ加減では、はっぴいえんどの中でも極めて異端・・とも思えるあのバージョンであった。

このバージョンで聴くとき・・・

「私たちの望むものは 決して 私たちではなく
私たちの望むものは 私であり続けることなのだ」

というその後の若者のメンタリティをぴたりと言い当てたようなフレーズ、それまでの「フォークの神様」としての自らの在り方をふっ飛ばすようなメッセージは最も直截に伝わってくる。

LPの時代が終わり、CDの時代となった。

このビクターのSFシリーズ(確か、頭脳警察のサード以降はこのレーベルだった)の「岡林信康 第2集」と、「1973年 12月 31日」のライブ盤。これらは、ここ10数年、音源屋にいくと必ず探すのだけれども、見つからない。だから、多分、CD音源にはなっていないのだろう。

あの音源の「私たちの望むものは」以外の「私たちの望むものは」の音源はみなCDで揃ったのであるけれども、やはり、聴く気がしない。

どなたか、一緒に「出たら買いますから・・・」ということで一緒に動きませんか? 中川一郎 執筆(98.06.22) 著作権者





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