”川添学長と中央大学の理念”


大学の百年を振り返って、川添学長の三つの言葉

   「カンバニー精神」「不撓不屈の精神」「実地応用の精神」


 “真に尊敬すぺき人物を持たない、いや、持ち得ないでいる現代青年が不幸ではないか。と思うのは、真に尊敬に値する人間を持っているなら、そういう人物を手本にして生き、雄々しく人生の試練や苦難に立ち向かい、あるいは、どうにもならない運命というものを堪え忍び、なんらかの理想の実現のために、小なりといえども自分も貢献しよう、といった気概が生じるはずだからである”。(講談社編「学生時代に何をなすべきか」1985年)
 京大教授、勝田吉太郎先生の、若者に向けた燃えるような励ましの言葉です

 中央大学の川添学長は、実に温厚で誠実な人柄が評判の優れた憲法学者ですが、私たちにとって、まさにこの“真に尊敬に値する人問”です。

    10年前に始めてお会いした日から、先生の数々のお言葉が、私たち教育研究グループの真中で、いつもあかあかとに輝いていました。あの日から、火のついた熱い心を抱えて、飽きることもなく熱心に、日本の若者の教育間題や大学改革の方策などを、議論し続けてました。先生が掲げられた理想の実現のために、それぞれが、まさに“小なりといえども自分も貢献しよう”、という献身の気概に燃えていました。

「CCCの精神」

   中央大学が、創立百周年を向かえた記念式典で、川添学長は、次のような講話をされました。
   中央大学が百年間に警積してきた優れた先人の業績を振り返り、次の世紀に向けて引継ぎ発展させていくぺき精神として、
「カンパニ一精神」「不撓不屈の精神」「実地応用の精神」
の三つを取り上げました。
   尊敬する川添学長の、若者にかける熱い想いが、この言葉によく集約されています。私は、この三つの精神を「CCCの精神」を呼んでいます。これは、次の三つのCです。「カンバニ一精神」(company)のC、「不撓不屈」チャレンジ・アンド・ネバーギブアップ(challenge&never-give‐up)のC、「事例研究」(case study)のC。

   当時、川添学長は、新しいタイプの学部を創設されようと、懸命に努カされていました。しかし、種々の厳しい因難に直面して、新学部の創設が時聞的に相当遅れてしまいました。新学部の創設を支援していたわれわれも、深まり行く挫折感、敗北感に気力が萎えていくことが、しぱしぱありました。
  そんな時、尊敬する学長の存在、その励ましの一言一言が、“どうにもならない運命というものを堪え忍び”、われわれの心の中に、意欲と希望を取り戻すのに大きなカになりました。
  その後、設立準備委員会の精カ的な努カの結果、『総合政策学部』がついに正式に認可されました。その時には、皆で素直な気持ちで喜びをわけ合うことができました。同時に、日本で始めての新学科『国際企桑関係法学科』『公共経済学科』などが次々に創設され、非常に優秀な先生方がキャンバスに集まってきました。
  日本で第一号の『総合政策学部』は、少し前に慶応大学の藤沢キャンバスに創設されていました。中央大学でも、あれほど長い長い時間をかけ、多くの教職員が協カして厳しい困難を乗り越えられたのも、川添学長の若者教育にかける想いが、みなの心の中に熱く伝わっていたからです。

  現在先生は、定年のために、大学を辞しておられます。なつかしいお話を思い出しながら、「カンバ二一精神」と「不撓不屈の精神」について、以下簡単に紹介していきます。
 なお、第三の「実地応用の精神」は、社会の実地に則して学問体系を造り上げ、その学問的成果を市民の幸福のために応用していこう、という学問的手法です。そこでは実地の「事例研究」が重視されています。優れた研究者には、現実の杜会現象から鋭敏な感性で問題を発見して体系的に分析し、その学問的成果を世の中のために応用し役立てたい、という豊かな心の知性が必要不可欠です

「社中」は、志を同じくする者の集まり

   慶応大学の創設者、福沢諭吉先生が、中央大学の創設記念式典に来賓として招かれた時、その祝辞のなかで「社中」という表現で、創設者達の素晴らしい功績を称えました。早稲因大学や同志杜大学は、一人の優れた創設者によって設立されましたが、中央大学は、東京大学の20才台の若手18名の協カによって創設されたからです。

   慶応大学では、「社中」を創設者の言葉として大切にしています。
  その意味するところは、「志を同じくするものの集まり」。将来世の中のためになにか役立ちたい、と高い理想を掲げている人々の間では、上下の関係なく、この志に支えられた心の思いの同調性が見られます。共通の高い目標を実現するために、一つの集団をなして相互に協カしようとしています。ここでは、目の前の自己の利益よりも、時代の潮流の先の新しい国づくりに向けた熱い理想や夢が、人々の心を一つに結び付けているのです。

  幕末の激動の時代、上野の森でまだ激しい戦聞が展閲されているその時に、塾では福沢先生が、将来有為な若者に経済学の講義を行っていました。
   時代の大激動の荒波の中で、学ぷ者は、ただいたずらに仲間と徒党を組んで暴れるのではなく、一身独立した確固たる精神で志を合わせ、時代を切り開くために、上下の関係なく相互に協カするのです。塾では、この精神が代々受け継がれて、多くの優れた人々の活耀と、世代を越えた緊密な相互協カ体制、とを支えるような強固な基盤が形成されてます。

「カンパ二一精神」

  川添学長は、「社中」という言葉を、現代風に「カンパニー」と呼び変え、志を同じくするものの協カの心を「カンパニー精神」として大切にしています。

   損得勘定抜きの無私の心で、世の中のためにお互いの志を一つに合わせて協カしようと、学長から話しかけられると、みなそれぞれに、”小なりといえぞも自分も貢献しよう”、という強い気概が出てきます。

  川添学長の説明によると、中央大学では、伝統的に「家族的情味」という言葉が使われてきました。この場合、力の弱い者を強い者が庇護するという、一種の上下の関係がその背後にあります。これは、弱い「庶民」を力強い政府が守ってやる、という発想に通じます。
 「カンバ二一精神」では、確固としたアイデンティティをもった者同志の、自発的内発的な協カの姿が、より強く全面に出ています。
   学生は、まだまだ精神的にきわめて未熟であり、その意味では、われわれ大人が、若い命を暖かく包み込んでやらなければなりません。しかし、将来厳しい実杜会で活躍する本当の実力を鍛えあげようとすれば、学生一人一人を自立した大人の個として取り扱い、生命への長敬の念を持って導いていくことが、必要になります。川添学長は、この辺のことを見抜いて、われわれ教職員に「力ンバ二一精神」の重要性を、絶えず語りかけてきたのだど思います。

  「友愛」の言葉で良く知られている、鳩山由紀夫議員は、自立と共生の原理について、大変興味深いことを話しています。
   社会集団の中の人々について、国家がこの人達は強者、この人達は弱者、と上から決めつけるのではなく、自立した個人としての責任を負いながら社会の中で生きていこうとする人、と考えるべきである。それをわきまえた個を「市民」と呼んでいます。
   「カンパニー精神」は、こうした意味で、上下関係など社会の外見的なものに囚われず、それぞれが「個」として自立し、志を高く持つ市民同志による協力の精神を重視するものです。

  「カンパニー精神」で結ばれた市民は、確立された自己のアイデンティティを基に、愛する仲間と共に生きる「日本」という国の市民の幸福の発展、さらに国境を越えて、地球市民の幸福の発展に向けて、その熱い思いを大きく拡げていきます。地球全休の利益を守る、「宇宙船地球号」というイメージの同胞愛があっても良いのでしょう、と鳩山さんは話されています。

「不撓不屈の精神」

 「不撓不屈」は、貴乃花の横綱昇進の際に使った言葉として、一般によく知られています。私は、「チャレンジ・アンド・ネバーギブアップの精神」と呼んでいます。

   新しい事に積極的に挑戦し、どんなに苦しくても、自分の心の中の感情の動きをよくコントロールし、諦めることなく不屈の精神で頑張り抜くことの大切さを強調しています。
  川添学長は、大学の偉大な先人、長谷川如是閑の活躍の例を取り上げました。如是閑翁は「大阪朝日新聞」の論説主幹として、当時台頭して来た軍部に激しく抵抗して、鋭い論陣を張ったそうです。「如是閑全集」などで、時代の風雪に耐え抜いた「不榛不屈の精神」を知ることができます。

  私は若い頃、東大総長、矢内原忠男先生晩年の「無教会」の集会に、ご子息の矢内原勝先生の縁で参加していました。矢内原忠男先生は、戦争中、反戦の立場から官憲に抵抗して東京大学を追われました。戦後は、復興日本の精神的な主柱として指導的な立場にありました。
  内村鑑三の「無教会」の伝統を受け継いだ先生は、日曜日の朝に聖書講義をされており、内村鑑三の思い出なども含めて、本当に素晴らしい話でした。
  その講話は、毎週会員に『嘉信』として配布されました。私は郵便を待ちかねて、一行一行朱印をつけながら、繰り返し読み耽りました。先生の一言一言が、本当に若い魂に重たく響き、胸を射されるような鋭いものでした。現在、『嘉信』は「矢内原忠雄全集」にすべて収録されています。
  著書『余の専敬する人物』(岩波新書)という二冊の文庫本が出されておりますが、そこでは、先生の生きる信念が強烈に伝わってきます。

  先生が東大総長を辞する時に、学生に与えたが言葉があります。
  「科学的な精神」、ならぴに「社会的正義についての公的な精神」を持つこと、「個人の権威と責任を自覚した民主的な人間」になること、「心のよりたのみとする不動の精神的立場」を求めるこど、などの四か条です。
  「不撓不屈の精神」の形成には、自己愛に立ってただ頑固に自我を主張し続けるのではなく、そこには確固とした不動の精神的よりどころがなけれぱなりません。時代の厳しい風雪に耐えていけるだけの鍛練された強い信念が必要です。

  ある日、矢内原先生は、恩師内村鑑三の生き方を取り上げて、”デモ行進のようなジグザグした進み方”と話していました。
  その時その時に発せられる先生の言動だけを見ていると、その方向が違って、先生がどちらに進んでいられるのか、よく理解できない。しかし、もう少し長い時間で見ると、確固とした基本方針のもとに一定の決まった方向に進んでいる。その時の環境や状況によって、より現実に則した方向を取ったとしても、長い目でみると、一本筋の通った不動の精神的な拠り所にしたがって、まっすぐに正しく思索し行動しているのです。
  これは、時代の大きな転換期において、現実杜会の激しい環境変化を的確に読んで弾カ的に適応しながらも、集団を常に正しい方向に向けて導こうという、偉大なり一ダーの生き方です。

  「不撓不屈の精神」は、現実に則して柔らかく弾カ的に間題解決の方向を見付けながら、初めの高い目標達成に向かって挑戦し続け、自分の思考や行動をそこに収斂させて行く、という人生の生き方の重要性を強調しています。
  キャンパスでは、読書や講演会などを通じて、先人の優れた経験と知恵を学び、自分の心の動き、自分の感情をしっかり掴んでコントロールしながら、考え抜かれた高い理想や夢に向かって自分を導いていくことが、大切な努力課題になります。
  安易な気持ちで快楽や楽しみの誘惑に負けないように、心の中の世界に自己抑制的な姿勢をいつまでも大切に保持したいものです。

参照文献
講談社編「学生時代に何をなすべきか」(1985年)
中央大学百周年記念式典の川添学長「講話」