母に「肺癌余命6ヵ月」と告知して悩んだとき
神による余命告知 身体の痛みと信仰
2004.2.1 於東京聖書読者会
1・人の命には限りがある。・・・その余命は神ご自身がお決めになる
口語訳
詩
90:10
90:10
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。
塚本訳 ルカ 12:15-20
12:15
人々に言われた、「一切の貪欲に注意し、用心せよ。いかに物があり余っていても、財産は命の足しにはならないのだから。」
12:16
そこで一つの譬を人々に話された、「ある金持の畑が(ある年)豊作であった。
12:17
『どうしよう、わたしの作物をしまいこむ場所がないのだが…』と金持ちはひそかに考えていたが、
12:18
やがて言った、『よし、こうしよう。倉をみなとりこわして大きいのを建て、そこに穀物と財産をみなしまいこんでおいて、
12:19
それからわたしの魂に言おう。──おい魂、お前には長年分の財産が沢山しまってある。(もう大丈夫。)さあ休んで、食べて、飲んで、楽しみなさい、と。』
12:20
しかし神はその人に、『愚か者、今夜お前の魂は取り上げられるのだ。するとお前が準備したものは、だれのものになるのか』と言われた。
塚本訳 ルカ 16:7-9
16:7
それから他の一人に言った、『あなたはいくら借りがあるのか。』『小麦百コル[二百石]』とこたえた。彼に言う、『そら、あなたの証文だ。八十と書き直しなさい。』
16:8
すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。
16:9
それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。
2・この身体の命は100%神が握っておられる・・・生きるも死ぬも神のご意志のまま・・・神は一人一人の病気とその痛みをよくご存知である
塚本訳 マタ 6:26-31
6:26
空の鳥を見てごらん。まかず、刈らず、倉にしまいこむこともしないのに、天の父上はそれを養ってくださるのである。あなた達は鳥よりも、はるかに大切ではないのだろうか。
6:27
(だいいち、)あなた達のうちのだれかが、心配して寿命を一寸でも延ばすことが出来るのか。
6:28
また、なぜ着物のことを心配するのか、野の花の育つのを、よく見てごらん、苦労をせず、紡ぐこともしない。
6:29
しかし、わたしは言う、栄華を極めたソロモン(王)でさえも、この花の一つほどに着飾ってはいなかった。
6:30
きょうは花咲き、あすは炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこんなに装ってくださるからには、ましてあなた達はなおさらのことではないか。信仰の小さい人たちよ!
6:31
だから、『何を食べよう』とか、『何を飲もう』とか、『何を着よう』とか言って、心配するな。
塚本訳 マタ 10:28-31
10:28
体を殺しても、魂を殺すことの出来ない者を恐れることはない。ただ、魂も体も地獄で滅ぼすことの出来るお方を恐れよ。
10:29
雀は二羽一アサリオン(三十円)で売っているではないか。しかしその一羽でも、あなた達の父上のお許しなしには地に落ちないのである。
10:30
ことにあなた達は、髪の毛までも一本一本数えられている。
10:31
だから恐れることはない。多くの雀よりもあなた達は大切である。
塚本訳 マタ 4:3-4
4:3
すると誘惑する者[悪魔]が進み寄って言った、「神の子なら、(そんなにひもじい思いをせずとも、)そこらの石ころに、パンになれと命令したらどうです。」
4:4
しかし答えられた「『パンがなくとも人は生きられる。(もしなければ、)神はそのお口から出る言葉のひとつびとつで(パンを造って、)人を生かしてくださる』と(聖書に)書いてある。」
3・人は復活をどうして信じることができるか・・神の霊が臨んでくださる時に信じられる・・預言者の時、キリストの時、聖霊の時・・・来たれ聖霊
塚本訳 ヨハ 11:21-27
11:21
マルタがイエスに言った、「主よ、あなたがここにいてくださったら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。
11:22
しかしあなたがお願いになることなら、神様は何でもかなえてくださることを、わたしは今でも知っています。」
11:23
イエスは言われる、「あなたの兄弟は生き返る。」
11:24
マルタが言う、「最後の日の復活の時に生き返ることは、知っています。」
11:25
イエスがマルタに言われた、「わたしが復活だ、命だ。(だから)私を信じている者は、死んでも生きている。
11:26
また、だれでも生きている私を信じている者は、永遠に死なない。このことが信じられるか。」
11:27
イエスに言う、「はい、主よ、(信じます。)あなたが救世主で、神の子で、世に来るべき方であると、私は信じています。」
塚本訳 使
9:3-5
9:3
ところが進んでいってダマスコに近づくと、突然、天から光がさして彼のまわりを照らした。
9:4
彼は地上に倒れ、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と言う声を聞いた。
9:5
サウロが言った、「主よ、あなたはどなたですか。」彼がいわれた、「わたしだ、あなたが迫害しているイエスだ。
塚本訳 マコ 5:21-42
5:21
イエスが舟でまた向う岸に渡られると、大勢の群衆が彼のところに集まってきた。彼は湖のほとりにおられた。
5:22
するとヤイロという一人の礼拝堂監督が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏し、
5:23
しきりに願って言う、「わたしの小さな娘が死にかかっています。助かって命びろいをするように、どうか行って、手をのせてやってください。」
5:24
イエスは彼と一しょに出かけられた。大勢の群衆がイエスについて行って押しまくった。
5:25
すると十二年も長血をわずらって、
5:26
大勢の医者からひどい目にあわされて、財産を皆使いはたして、なんの甲斐もなくて、かえってますます悪くなって、
5:27
イエスのことを聞いて、群衆にまじってついて来た女が、後ろからその着物にさわった。
5:28
「お召物にでもさわれば、なおるにちがいない」と思ったのである。
5:29
はたしてすぐ血の源がかれて、病気が直ったのを身に感じた。
5:30
イエスは自分の中から力が出ていったのにすぐ気がついて、群衆の中で振り返ってたずねられた、「わたしの着物にさわったのはだれか。」
5:31
弟子たちが言った、「御覧のとおり群衆が押しまくっているのに、さわったのはだれか、とおっしゃるのですか。」
5:32
イエスはこのことをした女を見つけようとして、(黙って)見まわしておられた。
5:33
女は自分(の身)におこったことを知っているので、恐ろしくなって震えながら、進み出てイエスの前にひれ伏し、すべてをありのままに話した。
5:34
イエスは言われた、「娘よ、あなたの信仰がなおしたのだ。さよなら、『平安あれ。』もう病気をせず、達者でいなさい。」
5:35
イエスがまだ話しておられるところに、礼拝堂監督の家から人々が来て(監督に)言った、「お嬢さんはもうなくなりました。どうしてこの上、先生にご迷惑をかけられるのですか。」
5:36
イエスはそう言っているのをそばで聞いて、監督に言われた、「こわがることはない。ただ信じておれ。」
5:37
そしてペテロとヤコブの兄弟のヨハネとのほかには、だれもついて来ることを許されなかった。
5:38
やがて監督の家に着いて、人々がひどく泣きわめいて騒いでいるのを見ると、
5:39
(家の)中に入って言われる、「なにを泣いたり騒いだりするのか。子供は死んではいない、眠っているのだ。」
5:40
人々はあざ笑っていた。しかしイエスは皆を外に出し、子供の父と母と、一しょに来た者(三人だけ)を連れて、(死んだ)子供のいる所に入ってゆかれる。
5:41
そして子供の手を取って、「タリタクミ!]と言われる。訳すると「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」である。
5:42
ただちに少女は立ち上がって歩きまわった。十二歳になっていたからである。見るなり、人々は気が遠くなるほど驚いた。
塚本訳 ルカ 24:32-35
24:32
二人は語り合うのであった、「(そう言えば、)道々わたし達に話をされたり、聖書を説き明かされたりした時に、胸の中が熱くなったではないか」と。
24:33
時を移さず二人は立ち上がってエルサレムに引き返して見ると、十一人とその仲間とが集まっていて、
24:34
「ほんとうに主は復活して、シモン(・ペテロ)に御自分を現わされた」と話してくれた。
24:35
それで二人も、(エマオへの)道であったことや、また、どうしてパンを裂かれたことで(主と)わかったかを物語った。
塚本訳 ヨハ 21:4-7
21:4
もう夜も明けたころに、イエスが(どこからともなく)岸に出てこられた。それでも、弟子たちはイエスだと気づかなかった。
21:5
イエスが彼らに言われる、「子どもたち、何も肴があるまい。」「ありません」と彼らが答えた。
21:6
イエスが言われた、「舟の右側に網を打って御覧、獲物があるから。」網を打つと、(はたして捕れた)魚が多く、もはや網を引き上げることが出来なかった。
21:7
するとイエスの愛しておられた弟子が気づいて、ペテロに「主だ!」と言う。主だと聞くと、シモン・ペトロは裸だったので(急いで)上っ張をひっかけ、湖に飛び込んだ。
4・本人に信仰がなくとも神は救う・・・神の絶対恩恵による無条件の罪の赦し・・・いわゆるクリスチャンが天国に入れるのではない・・・神の主権によって人は救われる
塚本訳
ルカ 19:2-10
19:2
すると、(町に)名をザアカイという人がいた。この人は税金取りの頭で、金持であった。
19:3
イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低いので、群衆のため見ることが出来なかった。
19:4
それで先の方に駈けていって、桑無花果の木に上った。そこを通られるところを見ようとしたのである。
19:5
イエスはその場所に来られると、ザアカイを見上げて言われた、「ザアカイ、急いで下りておいで。きょうはあなたの家に泊まることになっているから。」
19:6
ザアカイは急いで下りてきて、喜んでお迎えした。
19:7
皆がこれを見て、イエスは(税金取りのような)罪人の所に入りこんで宿を取った、と言ってぶつぶつ呟いた。
19:8
しかしザアカイは進み出て主に言った、「主よ、わたしは(誓って)財産の半分を貧乏な人たちに施します。人からゆすり取ったものは四倍にして返します。」
19:9
イエスが(人々に)言われた、「救いは(きょう、)この家に入った。(人でなしのように言われる)この人も、やはり(あなた達と同じ)アブラハムの末だから。
19:10
人の子(わたし)は『滅びうせた者をさがして』救うために来たのである。」
塚本訳 マタ 9:10-13
9:10
イエスが家で食卓についておられたときのこと、大勢の税金取りや罪人も来て、イエスや弟子たちと同席していた。
9:11
パリサイ人はこれを見て、弟子たちに言った、「なぜあなた達の先生は、税金取りや罪人と一しょに食事をするのか。」
9:12
聞いて言われた、「丈夫な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
9:13
『わたしは憐れみを好み、犠牲を好まない』という(神の言葉の)意味を、行って、勉強したがよかろう。わたしは正しい人を招きに来たのではない、罪人を招きに来たのである。」
塚本訳 ルカ 5:29-31
5:29
レビがイエスのために家で大宴会を催すと、税金取り、その他の人々が大勢、(イエスや弟子たちと)共に食卓についていた。
5:30
パリサイ人とパリサイ派の聖書学者が弟子たちに向かってつぶやいた、「なぜあなた達は税金取りや罪人と一しょに飲み食いするのか。」
5:31
イエスはその人たちに答えられた、「健康な者に医者はいらない、医者のいるのは病人である。
塚本訳 マタ 18:12-13
18:12
あなた達はどう思うか。ある人が羊を百匹もっていて、その一匹が道に迷ったとき、その人は九十九匹を山にのこしておいて、迷っている一匹をさがしに行かないだろうか。
18:13
そしてもし見つけようものなら、アーメン、わたしは言う、この一匹を、迷わなかった九十九匹以上に喜ぶにちがいない。
塚本訳 マタ 5:44-46
5:44
しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ。
5:45
あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから。
5:46
自分を愛する者を愛したからとて、なんの褒美があろう。(人でなしと言われるあの)税金取りでも同じことをするではないか。
塚本訳 マタ 20:13-15
20:13
主人がその一人に答えた、『君、わたしは何も間違ったことをあなたにした覚えはない。一デナリの約束ではなかったのか。
20:14
自分の分を取って帰りたまえ。わたしはこの最後の人に、あなたと同じだけやりたいのだ。
20:15
わたしのものを、わたしがしたいようにしてはいけないのか。それとも、わたしが親切をしてやったのが羨ましいのか。』
5・身体の痛みと信仰・・・こらえられない身体の痛みが人を「なりふりかまわず」にさせ神に近づける・・・身体の痛みは神の招きで、それは神の愛
口語訳
ルカ 9:37-40
9:37
翌日、一同が山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。
9:38
すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。この子はわたしのひとりむすこですが、
9:39
霊が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。
9:40
それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」。
塚本訳 マタ 8:1-3
8:1
イエスが山を下りてこられると、多くの群衆がついて来た。
8:2
すると一人の癩病人が近寄ってきて、しきりに願って言った、「主よ、(清めてください。)お心さえあれば、お清めになれるのだから。」
8:3
イエスは手をのばしてその人にさわり、「よろしい、清まれ」と言われると、たちまち癩病が清まった。
8:4
イエスはその人に言われる、「だれにも言わないように気をつけよ。ただ(全快したことを)世間に証明するため、(エルサレムの宮に)行って体を『祭司に見せ、』モーセが命じた供え物を捧げよ。」
塚本訳 マタ 8:5-13
8:5
カペナウムに帰られると、一人の百卒長がそばに来て願って
8:6
言った、「主よ、うちの下男が中風で家にねていて、ひどく苦しんでおります。……」
8:7
彼に言われる、「(ユダヤ人の)このわたしが、(異教人のあなたの家に)行ってなおすのか。」
8:8
百卒長は答えた、「主よ、わたしはあなたを、うちの屋根の下にお迎えできるような者ではありません。(ここで)ただ一言、言ってください。そうすれば下男は直ります。
8:9
というのは、わたし自身も指揮権の下にある人間であるのに、わたしの下にも兵卒がいて、これに『行け』と言えば行き、ほかのに『来い』と言えば来、また僕に『これをしろ』と言えば(すぐ)するからです。(ましてあなたのお言葉で、病気が直らないわけはありません。)」
8:10
イエスは聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた、「アーメン、わたしは言う、イスラエル人の中でも、こんなりっぱな信仰をもっている者を一人も見たことがない。
8:11
わたしは言う、(最後の日には、このような信仰のあつい)大勢の人が『東から西から』来て、天の国でアブラハムやイサクやヤコブと共に宴会につらなり、
8:12
(かんじんのイスラエル人、すなわち)御国の子供たちは外の真暗闇に放り出され、そこでわめき、歯ぎしりするであろう。」
8:13
それからイエスは百卒長に言われた、「お帰り。あなたの信じたとおりに成れ。」するとちょうどその時に、下男は直った。
8:14
イエスはペテロの家に行って、その姑が熱病でねているのを御覧になった。
8:15
その手におさわりになると、熱が取れ、彼女は起き上がってイエスをもてなした。
塚本訳 ルカ 23:39-43
23:39
磔にされている罪人の一人がイエスを冒涜した、「お前は救世主じゃないか。自分とおれ達を救ってみろ。」
23:40
するともう一人の者が彼をたしなめて言った、「貴様は(このお方と)同じ(恐ろしい)罰を受けていながら、それでも(まだ)神様がこわくないのか。
23:41
おれ達は自分でしたことの報いを受けるのだから当り前だが、このお方は何一つ、道にはずれたことをなさらなかったのだ。」
23:42
それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください。
23:43
「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽にはいることができる。」
6・イエスも生きているうちは身体の苦しみに泣かれた・・・イエスは神に打たれた・・・その傷が我々を救った・・・その血で我々の罪が赦された
新共同
ヘブ 5:7-10
5:7
キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。
5:8
キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。
5:9
そして、完全な者となられたので、御自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり、
5:10
神からメルキゼデクと同じような大祭司と呼ばれたのです。
口語訳
マタ 26:38-39
26:38
そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。
26:39
そして少し進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。
塚本訳 ヨハ 19:1-3
19:1
そこでピラトは、(何とかしてイエスを赦してやろうと思い、ユダヤ人を納得させるために、)今度はイエスを鞭で打たせた。
19:2
また兵卒らは茨で冠を編んで頭にかぶらせ、紫の上着をきせて(王に仕立てたのち、)
19:3
進み出て「ユダヤ人の王、万歳!」と言った。そしていくつも平手打ちをくらわせた。
塚本訳 マタ 27:38-46
27:38
その時イエスと共に二人の強盗が、一人は右に、一人は左に十字架につけられた。
27:39
通りかかった人々が『頭をふりながら、』イエスを冒涜して
27:40
こう言った、「お宮をこわして三日で建てるという人、自分を救ってみろ。神の子なら、十字架から下りてこい。」
27:41
同じように大祭司連も、聖書学者、長老と一しょに、こう言ってなぶった、
27:42
「あの男、人は救ったが、自分は救えない。イスラエルの王様じゃないか。今すぐ十字架から下りてくるがよい。そうしたら信じてやるのに!
27:43
『彼は神にたよっている。神が可愛がっておられるなら、』今すぐ『救ってくださろう』だ。『わたしは神の子だ』と言ったから。」
27:44
一しょに十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスを罵った。
27:45
昼の十二時から地の上が全部暗闇になってきて、三時までつづいた。
27:46
三時ごろ、イエスは大声を出して『エリ エリ レマ サバクタニ!』と叫ばれた。これは『わたしの神様、わたしの神様、なぜ、わたしをお見捨てになりましたか!』である。
塚本訳 ヨハ 19:28-30
19:28
こうしたあと、イエスは(自分のなすべきことが)何もかもすんだことを知って、(最後に)聖書の言葉を成就させるために、「〃渇く〃」と言われた。
19:29
酸っぱい葡萄酒の一ぱい入った器がそこに置いてあった。人々はその[酸っぱい葡萄酒を]一ぱい含ませた海綿をヒソプの(茎の先)につけて、イエス(の口許)に差し出した。
19:30
イエスは酸っぱい葡萄酒を受けると、「(すべて)すんだ」と言って、首を垂れて霊を(神に)渡された。
新改訳
イザ 53:5
53:5
しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
8・母より先に死んだ33歳のイエスの苦悩・・・母を捨てる・・・母マリヤの愛の思い出、別れの悲しみ・・・イエスの真の親孝行・・・母との再会
塚本訳 ルカ 2:42-50
2:42
イエスが十二歳になった時、両親は(その)祭の習わしに従って、(彼を連れて都へ)上った。
2:43
(祭の)日が終って帰る時、イエス少年はエルサレムにのこったのに、両親はそれを知らなかった。
2:44
道連れの中にいるとばかり思って、一日路を行ったのち、(はじめてそれに気づき、)親類、知人の中を捜したけれども、
2:45
見つからないので、捜しながらエルサレムに引き返した。
2:46
そして(都を出て)三日の後に、イエスが宮で教師たちの真中に坐って、話を聞いたり尋ねたりしているのを見つけた。
2:47
彼の話を聞いている人々は皆、その賢いうけこたえぶりに舌をまいていた。
2:48
両親はこれを見て驚き、母が言った、「坊や、どうしてこんなことをしましたか。ごらん、お父さまもわたしも(こんなに)心配して、あなたをさがしているではありませんか。」
2:49
彼らに答えられた、「なぜおさがしになったのです。わたしが(天の)お父さまの家に居るのは当り前でしょう。御存知なかったのですか。」
2:50
両親にはこう言われた言葉(の意味)がわからなかった。
塚本訳 ルカ 2:25-34
2:25
さて(そのころ)エルサレムに名をシメオンという人がいた。この人は正しい、信心深い人で、イスラエルの慰め(である救世主)を待ち望み、聖霊が彼をはなれなかった。
2:26
かつ主の救世主を見ないうちは決して死なないと、かねて聖霊からお告げを受けていた。
2:27
(この日)御霊に感じて宮に行くと、ちょうど両親が、律法の仕来りどおり幼児イエスに行おうとして彼をつれて入ってきたので、
2:28
シメオンは幼児を両腕に抱き、こう言って神を讃美した。──
2:29
今こそ、主よ、あなたはこの僕をしてお言葉のとおり安らかに(この世に)暇乞いをさせてくださいます、
2:30
わたしの目が『もうあなたの救いを拝見しました』からです。
2:31
この救いこそ、あなたが『全人類の(ため、その)目の前で』用意されたもの、
2:32
『異教人には啓示を、』あなたの民『イスラエルには栄光をあたえる』『光』であります。
2:33
幼児のことをこのように言うのを父と母とが不思議に思っていると、
2:34
シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った、「驚きなさるなよ、この幼児はイスラエルの多くの人を、(この方に対する態度によって)倒されたり立たせたりする、また、一つの目印となって(この世の烈しい)反対をうける、使命を負わされているのです。──
2:35
(母人よ、)あなたも劔で胸を刺しつらぬかれ(る苦しみをせ)ねばなりますまい。──これは多くの人の心の(隠れた)考えを外に出させるためなのです。」
新共同
ヨハ 2:1-4
2:1
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
2:2
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
2:3
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
2:4
イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
塚本訳 マタ 12:46-50
12:46
イエスがまだ群衆に話しておられると、そこにその母と兄弟たちがイエスに話しがあって、外に立っていた。
12:47
〔無し〕
12:48
しかしイエスはそのことを知らせた者に、「わたしの母とはだれのことだ、わたしの兄弟とはだれのことだ」と答えて、
12:49
弟子たちの上に手をのばして言われた、「ここにいるのが、わたしの母、わたしの兄弟だ。
12:50
だれでもわたしの天の父上の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母であるから。」
新共同
ヨハ 19:25-27
19:25
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
19:26
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
19:27
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
塚本訳 マコ 10:29-30
10:29
イエスは言われた、「アーメン、あなた達に言う、わたしのため、また福音のために、家や兄弟や姉妹や母や父や子や畑をすてた者で、
10:30
今、この世で──迫害のうちにおいてではあるが──百倍の家と兄弟と姉妹と母と子と畑とを、また来るべき世では永遠の命を受けない者は一人もない。
塚本訳 使
1:10-14
1:10
イエスがのぼって行かれる時、彼らが天をじっと見つめていると、突然、白い着物を着た二人の人が彼らのそばに立って
1:11
言った、「ガリラヤ人たちよ、なぜ(ぼんやり)立って天を見ているのか。あなた達の所から天にあげられたあのイエスは、(いま)天にのぼって行かれるのを見たと同じようにして、(また下って)来られるであろう。」
1:12
それから彼らは、(このことのあった)いわゆるオリブ山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日の旅行距離[八百八十メートル]ほど)であった。
1:13
(都に)入ると、彼らはいつも泊まっている二階の部屋に上がった。それはペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダ(の十一人)であった。
1:14
この人々は皆、女たち、とりわけイエスの母マリヤや、イエスの兄弟たちと、心を一つにして祈りに余念がなかった。
9・天国では身体の痛み苦しみはない・・・・楽になる・・・ホスピスの意義
口語訳
黙
7:16-17
7:16
彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
7:17
御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。
口語訳
黙
21:3-4
21:3
また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。
10・天国では先に死んだ人に会えるのか、来世は本当にあるのか・・・空の墓は来世実在の歴史的証明・・・2千年間続いている地上の復活伝承を信ず
塚本訳 ルカ
16:22-24
16:22
やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。
16:23
金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、
16:24
声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
塚本訳 マコ 12:18-27
12:18
そこに、復活なしと主張するサドカイ人たちが来て、イエスにこう言って質問した、
12:19
「先生、モーセは(その律法に、)『もし死んだ兄が、』妻を残して『子をのこさない場合には、弟はその女をめとり、兄の家をつぐべき子をもうけよ』とわたし達のために書いています。
12:20
(ところでここに)七人の兄弟があって、長男が妻をめとったが、子をのこさずに死に、
12:21
次男が(この律法に従って)その女をめとったが、また子を残さずに死に、三男も同様で、
12:22
ついに七人とも子をのこさず、一番最後にその女も死んでしまいました。
12:23
(もし復活があるなら、)人が復活する復活の折には、この女はその(七人の)うちのだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしましたから。」
12:24
イエスは言われた、「あなた達は聖書も神の力も知らないから、そんな間違いをしているのではないか。
12:25
死人の中から復活する時には、めとることもなく嫁ぐこともなく、ちょうど天の使のようである。
12:26
死人が復活することについては、(聖書にはっきり書いてある。)モーセの書の茨の薮の(燃える話の)ところで、神がモーセにこう言われたのを読んだことがないのか、──『わたしはアブラハムの神、またイサクの神、またヤコブの神(である)』と。
12:27
(ところで)神は死人の神ではなく、生きている者の神である。(だからアブラハム、イサクなども皆復活して、今生きているわけではないか。)あなた達は大間違いをしている。」
塚本訳 マタ 5:8
5:8
ああ幸いだ、『心の清い人たち、』(御国に入って)神にまみえるのはその人たちだから。
塚本訳 マタ 28:5 -10
28:5
天使は女たちに言った、「恐れることはない。あなた達は十字架につけられたイエスをさがしているようだが、
28:6
ここにはおられない。かねがね言われたとおり、もう復活されたのだから。来て、お体が置いてあった場所を見なさい。
28:7
それから急いで行って弟子たちに、『イエスは死人の中から復活された。あなた達より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる』と言いなさい。これを言いにわたしは来たのだ。」
28:8
女たちは恐ろしいが、また嬉しくてたまらず、(中には入らずに)急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走っていった。
塚本訳 ヨハ 20:16-18
20:16
(こう言って、また墓の方を向いていると、)イエスが「マリヤ!」と言われる。マリヤが振り向いて彼に、ヘブライ語で「ラボニ!(すなわち「先生!」)と言う。(そしてイエスに抱きつこうとした。)
20:17
イエスが言われる、「わたしにすがりつくな。まだ父上の所に上っていないのだから。わたしの兄弟たち(弟子たち)の所に行って、『わたしは、わたしの父上、すなわちあなた達の父上、わたしの神、すなわちあなた達の神の所に上る』と言いなさい。」
20:18
マグダラのマリヤは行って弟子たちに、「わたしは主にお目にかかった」、また、主がこのことを彼女に言われた、と報告した。
塚本訳 Tコリ15:3-5
15:3
まえにわたしが(福音の)一番大切な事としてあなた達に伝えたのは、わたし自身(エルサレム集会から)受けついだのであるが、キリストが聖書(の預言)どおりにわたし達の罪のために死なれたこと、
15:4
葬られたこと、聖書どおりに三日目に復活しておられること、
15:5
またケパに、それから十二人(の弟子)に、御自分を現わされたことである