生きる喜び
       神の支えを知るとき……労働と文化の無意味性からの解放
                                     高橋照男
               一九九九年九月二六日 今井館伝道聖書集会

一章 労働の苦と文化文明の無意味性の悩み

1 労働の苦は罪の結果

 私の若い日の悩みは、労働の意味の不明にあった。その意味が不明であったが故に現実の労働は「苦」であり、そこに喜びが見出せなかった。この悩みはわたしを、生きる意味の探索、生きがいの模索、文化文明の意味の探求、天職の追求へと追いやった。しかし、これらの解決がなかなか得られなかったとき、労働はそもそもはじめから「苦」なのだということが聖書にも書いてあることを知って、労働とその苦は人間の宿命であり、それは諦めなければならないものだと考えるに到った。それは実に聖書に書かれている。創世記によれば人間にとって労働は、人類の祖たるアダムが罪を犯したためであり、その罰として「労働の苦しみ」が与えられたのであるという。

創世記三章一六―一九節
神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」
神はアダムに向かって言われた。「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる、野の草を食べようとするお前に。
お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」

また詩篇やソロモンの知恵(旧約外典)にも労働のむなしさについて次のようにある。

詩篇九〇篇一〇節
われらのよわいは七十年にすぎません。あるいは健やかであっても八十年でしょう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

ソロモンの知恵(旧約外典)二章一節
我々の一生は短く、労苦に満ちていて、人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。

2 文化と労働の無意味性の悩み

 これらの悩みは、労働に伴う肉体の苦痛もさる事ながら、労働に意味と意義を見出せない事による精神的苦のほうが大きかったのである。
 若い日、わたしは建築というものを自分の職業とするべく勉強をしていたのであるが、建築文化そのものに対する愛着が湧かずに苦しんでいた。それは建築は数十年もすれば跡形も無く滅びるもの、そんなものにどうして生涯をかける事が出来ようか。それはむなしい事ではないか。人間の営む生、また文化文明は皆むなしいものではないのか。この気持ちは聖書の次の個所が代弁してくれた。

伝道の書(コヘレトの言葉)一章二―三節
伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。
日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。

伝道の書(コヘレトの言葉)四章四節
また、わたしはすべての労苦と、すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。これもまた空であって、風を捕えるようである。

 特にこの「すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。」
という指摘はよく人間活動の動機をあらわしている。すべてはむなしい、人間の造り出す文化文明はことごとくむなしい。

3 労働は罪の結果ではないという部分の発見。

 創世記によれば労働は「罪の結果の罰」としてあるので、労働は宿命的に苦であると認識していたのである。ところがある時同じ創世記に、アダムはまだ罪を犯す前から「労働」という行為をしていたという個所があることを発見した。それは次の個所である。

創世記二章一五節
主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。

 ここに「労働は罪の結果」ではないことが記されている。ではこのときのアダムの労働の動機、生きがいは何であったのだろうか。これがわかれば自分の悩んでいる「労働の動機は何か」という課題も、そこに解決の道があるのではないだろうか。これがわたしの若い日の探求の原点であった。

4 プロテスタント神学からは答えが得られなかった。

 この探求の途上において、さまざまな本や人物に出会ったが、総じてプロテスタント教会の神学は力が無かった。むしろカトリックのほうが労働や文化文明に対する考えがしっかりしている事が感ぜられた。それはプロテスタント神学がもつ「現世否定」の雰囲気とその傾向が私の心を、少なくとも見える形を作る「建築」を職業としている者にとっては、満足を与えなかったのである。今でも忘れられないのであるが、当時のプロテスタント神学の第一人者に、「罪を犯す前のアダムの労働の動機は、何であったのか」と尋ねたところ、「それはアダムに聞いてみなければわからない」と冷たく突き放された。このとき私は、プロテスタントの聖職者に「現世労働」の意義を尋ねても満足な答えは得られないと感じた。現代の新教教会の聖職者は、プロテスタントであるのにカトリックと同じく、聖と俗とを区別する意識が根底にあり、聖なる職業、伝道、聖書研究のほうが一般労働よりも意義があるとしていたのである。仕事の苦、生きがいの喪失、疎外の苦しみを持つ若者を導けるだけの実力を、今日のプロテスタント神学者は持っていない。彼ら聖職者にとっての主要関心事は、ただひたすら自分の教会の会員数が増加することだけである。数の増加をもって神の国到来と誤解しているところにその原因がある。オウム真理教サリン事件主犯の土谷正美君の発言は次の通りである。「科学と宗教の一致を求めたかった。それを自分はオウムに見出した。」彼は科学者の精神的空白、宇宙大の空虚さを感じていたのである。彼の悩みをキリスト教が救えなかったのはなぜか。また彼がキリスト教に救いを求めなかった原因はどこにあったか。彼の悩みの解決にキリスト教が選ばれなかった原因はどこにあったのか。教会員の増加と社会批判(社会批判をする前に自分の心の醜さに気づけ)に熱中している教会では、彼のような有為の青年が抱く深い悩みを救うことはできない。特にプロテスタント神学に限って言えば、現世労働の積極的意義については見るべき神学的見解を持っていない。
 

二章 無教会主義との出会い

 一六歳の秋に、わたしは教文館でふと手にした塚本虎二著「年若き友へ」が、無教会との出会いであった。その無教会には聖職者がいなかった。聖職者になるな、聖書学者になるな、伝道者になるな、これが無教会主義の基本的な主張であった。そこには逆に現世労働に対する積極的な意味を見出す雰囲気があった。わたしはこの無教会主義に私の悩みを解決してくれそうな光を見て、それ以後無教会に引かれて行ったのである。そしてこれは誤りではなかった。
 現代のキリスト教が抱えている課題は、いかに若者の悩みを理解して彼らを導けるか、であるが、少なくとも私にとっては無教会主義が救いであった。無教会主義でなければ得られない救いであった。具体的には塚本虎二先生のルカ福音書一六章一―一三節の解説に出会った事がその解決であった。それは次の通りである。

塚本虎二著「放蕩息子とその父」第7救われた人の生涯……より

「地上のことは凡て来世の準備である。それ自身が目的でなく、いわば小事である。しかし、だからと言っていい加減にしてはいけない。小事が大事、この世のことに不忠実な者は天国のことにも不忠実である。あなたたちは出来るだけこの世のことに忠実でなければならない。しかしまた、だからと言ってこの世のことに心を奪われてはならない。これは飽くまで準備に過ぎない。そしてこの世と神とは互いに相容れない。
……この譬はクリスチャンに関するものであるが、クリスチャンばかりでなく、凡ての人に対して人生の何であるかを教える最も尊い教である。この世がそれ自身目的でなく、死後の生活への準備であることを知ることは、この世本位の人生観を根本からくつがえし、これを永遠の立場に於て正視することを教えるからである。地上の生活を来世への準備としてみる時だけ、そこに希望と、何にもめげない忍耐力とが生まれる。」

以上の解説は次の文献に掲載されている。前後を詳しく読まれたい。
   塚本虎二著「聖書知識」一六三号一六ページ「行方不明の息子の譬話7・
                               救われし人の生涯」
    (これは聖書知識文庫「放蕩息子とその父」聖書知識社発行に収められている。)
   塚本虎二著「聖書知識」三一七号二ページ「不埒な番頭の譬」
     同        三一八号二ページ「この世の生き方」

 この短いわずかな解説に、人生観労働観の究極の原理が見事に説明されていた。しかもほかならぬイエスの言葉の中に。それは、「人生と労働はそれ自身が目的ではなく、来世に入る準備のためにある」というのであった。別の言い方をすれば「人生はそれ自身が目的ではなく、人からでなく神に誉められるように生きるときに、その本道を見出す」というのである。わたしはこの解説で若き日の悩みの解説に方向が示されたのである。これは万巻の解説書、指導書に勝るものであった。

この解説のもとになっている聖書の個所は次の通りである。

ルカ福音書一六章一―一三節(以下新約は塚本訳)
また弟子たちにも話された、「ある金持に一人の番頭があった。主人の財産を使い込んでいると告げ口した者があったので、主人は番頭を呼んで言った、『なんということをあなたについて聞くのだ!事務の報告を出してもらおう、もう番頭にしておくわけにはいかないから。』
番頭は心ひそかに考えた、『どうしたものだろう、主人がわたしの仕事を取り上げるのだが。(土を)掘るには力がないし、乞食をするには恥ずかしいし……よし、わかった、こうしよう。こうしておけば仕事が首になった時、その人たちがわたしを自分の家に迎えてくれるにちがいない。』
そこで主人の債務者をひとりびとり呼びよせて、まず最初の人に言った、『うちの主人にいくら借りがあるのか。』『油百バテ[二十石]とこたえた。番頭が言った、『そら、あなたの証文だ。坐って、大急ぎで五十と書き直しなさい。』それから他の一人に言った、『あなたはいくら借りがあるのか。』『小麦百コル[二百石]とこたえた。彼に言う、『そら、あなたの証文だ。八十と書き直しなさい。』
すると主人はこの不埒な番頭の利巧な遣り口を褒めた(という話)。この世の人は自分たちの仲間のことにかけては、光の子(が神の国のことに利口である)よりも利巧である。 それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。だから、もし(この世の)不正な富に忠実でなかったならば、だれが(天の)まことの富をあなた達にまかせようか。もし他人のもの[この世のこと]に忠実でなかったならば、だれがあなた達のもの[天のもの]をあなた達に与えようか。しかし(この世のことはみな準備のためであるから、それに心を奪われてはならない。)いかなる僕も(同時に)二人の主人に仕えることは出来ない。こちらを憎んであちらを愛するか、こちらに親しんであちらを疎んじるか、どちらかである。あなた達は神と富とに仕えることは出来ない。」

 この譬話の意味は難解であるが、塚本先生はここに潜む人生と労働の意味を見事に示してくださった。しかも神学ではなく聖書そのもの、しかも短い解説で。真理は短い言葉で伝わる。わたしはこの事から「神学」よりも聖書の言葉そのものをじっくり深く学ぶことに興味と意義を見出した。これが無教会の方法であった。元東京神学大学学長の桑田秀延氏は「教会論入門」(東神大パンフレット?八―一五ページ)で、「無教会は聖書の権威を認め、これを土台としているので健全な気風を示している。世界教会協議会もこれに聞こうとしている。」と述べている。聖書そのものを深く学び、そこから深い真理を汲み取る事、これが来るべき二一世紀のキリスト教徒の歩むべき道であると考える。
 この番頭は店を辞めさせられたときのことを考えて、今のうちから次の職場の用意をしていたのである。その準備の良さをイエスは誉め、君たちの人生も命が終わった時に来世という次の職場に入れるように、今のうち(生きているうち)にその準備をしておけ、というのである。
 この解説はまた私に次のことを教えてくれた。この人生はまだ前半であり、来世という後半がある。決着は後半にある。前半が失敗と遅れに悩み悲しんだとしても、まだ後半がある。しかも前半が失敗と不利の人ほど後半が有利である。なぜなら前半が不幸であった人は後半に期待をかける気持ちが湧き、しかも神がその人にひいきして応援してくれるからである。この真理は福音書のイエスの言葉と態度にたびたび表れてくる。

マタイ五章三―五節
ああ幸いだ、神に寄りすがる“貧しい人たち、”天の国はその人たちのものとなるのだから。
ああ幸いだ、“悲しんでいる人たち、”、(かの日に)“慰めていただく”のはその人たちだから。
ああ幸いだ、“(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、”、“(約束の)地(なる御国)を相続する”のはその人たちだから。

 またこの世と来世は逆で、この世で満たされなかった人は来世で満たされるらしい。
このことは人の子の親になってみると少し分かる気がする。兄弟の中でハンデや遅れをとっている人には、親としてなんとかバランスをとるために、特別に愛を注ぐのである。

ルカ一六章二〇―二六節
またその金持の門の前に、ラザロという出来物だらけの乞食がねていた。せめて金持の食卓から落ちる物で満腹できたらと思った。それどころか、犬まで来て出来物をねぶっていた。
やがて乞食は死んで、天使たちからアブラハムの懐につれて行かれ、金持も死んで葬られた。金持は黄泉で苦しみながら、(ふと)目をあげると、はるか向こうにアブラハムとその懐にいるラザロとが見えたので、声をあげて言った、『父アブラハムよ、どうかわたしをあわれと思ってラザロをよこし、指先を水にひたしてわたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの焔の中でもだえ苦しんでおります。』
しかしアブラハムは言った、『子よ、考えてごらん、あなたは生きていた時に善いものを貰い、ラザロは反対に悪いものを貰ったではないか。だから今ここで、彼は慰められ、あなたはもだえ苦しむのだ。そればかりではない、わたし達とあなた達との間には大きな(深い)裂け目があって、ここからあなた達の所へ渡ろうと思っても出来ず、そこからわたし達の所へ越えてくることもない。』

 今、この世で不幸な人は、来世という後半で幸福になれる。新約聖書の言わんとすることは簡単である。この事である。しかもそれが分かった人は前半のこの世で来世に希望が湧き、自分の後半の喜びのために、現実の仕事を一生懸命励む事が出来るのである。それは来世に入る準備のためである。このとき労働は正しい道に置かれる。労働はこの世での完成、またこの世で人に誉められることが目的ではなく、来世において神に誉められるためにあると考えるとき、意味が見えてくる。神に良く思われるように働いていれば、来世での地位が約束されるわけである。そしてこの姿勢は、キリスト再臨への待望へとつながるのである。

 さて若い日のこの探求は、別の見方をすれば「天職」の探求でもあった。なぜかというと「生きがい」の探求は「天職」の発見と同一線上にあるからである。自分の天職が発見できれば生きがいと喜びが湧き、人生を楽しく歩めると考えたからである。この天職問題については、内村鑑三の天職観がわたしが抱えていた問題をしっかりと受け止めてくれた。
 ではこの天職観は内村鑑三の著作のどこに表れているかといえば、それは「いかにしてわが天職を知らんか」(一九〇四年八月「聖書の研究」)である。このわずか二頁にも満たない文章の中に内村鑑三の天職観、職業観が端的に見事に表わされている。有名な文章であるのでここでその一部を掲げてみよう。

 「人におのおのその天職のあるのはよくわかっております。しかしこれを発見するのは非常にむずかしくあります。『いかにしてわが天職を知るを得んか』、これ実際の大問題であります。
天職はまた考えて見つかるものではありません、我は何のためにこの世につかわされたるものなるか、これはイクラ書を読んでも、いかなる大先生について問うても、いかに沈思黙考をこらしても見つかるものではありません、多くの人は自己の天職を発見せんとて非常に苦悶します、そうしてこれが見当たらないとて非常に心配します。しかしながら、これは無益の苦悶であります、無益の心配であります。天職はかかる方法をもって発見さるべきものではありません。天職を発見するの法は、今日目前の義務を忠実に守ることであります、さすれば神はだんだんと我ら各自を、神の定めたまいし天職に導きたまいます。要するに天職はこれに従事するまでは発見することのできるものではありません。あらかじめ天職を見つけておいて、然るのちこれに従事せんと思う人は、終生その天職に入ることのできない人であります、「すべて汝の手に堪うることは力をつくしてこれをなせ」(伝道の書九章一〇節)との聖書の教訓が、これが天職に入るための唯一の途であります、我らは時々刻々と我らの天職に向って導かれて行く者であります。ある一時の黙示に接して、活然として天職をさとる者ではありません。
 天職は、高尚なるほど、これを発見するに困難であります。女官であるとか、政治家であるとかいうような天職は、これを発見するのはいたって容易であります。しかしながら貧家の良妻たらんとか、または平民の伝道師たらんとかいうような、高貴なる、神に似たる天職を探し出すのは、非常に困難であります。これには、多くの時と経験とを要します。これは、幾度となく私どもに示されても私どものしりぞくる天職でありまして、私どもがついに感謝してこれを受くるに至りますまでには、多くの失敗にもおちいらなければなりません。しかしながら、神の定めたまいし天職は、とうていこれを私どもよりしりぞくることはできません。神はその選みたまいし者を無理にもその天職に押し込みたまいます。私どもはただひたすらに神に仕えんとの心を持っておれば足ります。されば神は遅かれ早かれ必ず私どもを彼の定めたまいし天職にまで連れ行きたまいまして、そこに私どもに大満足を与え、私どもをしてこの世に生まれ来たりし甲斐(かい)のありしことを十分にさとらしめたまいます。」

 これは「ある青年婦人に告げし言葉」とあるので、誰か若い人の深刻かつ現実的な質問に答えたものであると考えられる。若い日における進路問題、天職問題は深刻である。そんなとき内村鑑三によってこのような指導を受けた青年婦人たちは幸いである。これを聞いた婦人の中には文字通り貧家の良妻で生涯を送った人もいたであろう。無教会は髪を振り乱して伝道活動に走り回る女性を作らなかった。一般職業の深い意義を知らず、人生経験を踏まないで神学校に行き、難解な神学論を振り回す青白い牧師を無教会は作らなかった。このことだけでも神が日本に「無教会」を植えた意味があった。そしてなんと言っても一般職業、それも低い仕事こそが「神に似たる天職」であるとの見解は、私にとって大いなる慰めであり、啓示であった。ここに名実ともに「無教会主義は宗教改革のやりなおしである」と言われる意味がわかるのである。しかしながら今日の無教会にも聖職者とはいわないまでも、聖書の専門家という人物がいつのまにか生まれた。彼らは聖書研究で生活をしていて、事実上宗教の専門家になっている。そしてこの世の仕事に就くことは俗なることと理解し、そこに積極的な意義を見出していない。彼らに教導される若者たちは気の毒である。普通一般のいわば低い毎日の仕事に意義を見出せずにいる。しかし内村鑑三とそれに続く二代目の指導者たちは、信者が聖書の職業専門家や伝道者になることを嫌った。内村鑑三とその無教会のこのような職業観で、どれだけ多くの青年が一般職業に神の導きを見出し、そこで深くかつ尊い仕事をしたかは枚挙にいとまがない。それは家庭内の家事労働者、正直な商人、病にも失望しない闘病者、山間僻地に働く農業者、手仕事を尊ぶ下町の工場労働者、目立たない洗足の精神で生きる労働者など、私の身近に知るところでも内村先生の教えを忠実に守ってその生涯を終えられた方が何人もいる。彼らは無名であるがそれは天に宝を積んだ生涯であった。内村鑑三の職業観はプロテスタンティズムを徹底したのである。労働の神聖を説いたラスキンも彼らの職業的実存に賛辞を惜しまないであろう。

  内村鑑三の言わんとする天職発見の方法を、一言で要約すると、「天職は考えても分からないから考えることをやめて今現在自分に与えられている仕事を真面目に忠実に行え、そうすれば神は次第にその人を天職に導く」というのである。しかし考えてみれば、これは冷たい答えである。若い者にとってはすぐその場では解決できないことを言っている。わたしもこの言葉に出会ってそれは謎としてずっと心の底に沈殿していた。悩みの中、模索のなかにいるときには、内村鑑三のこの「天職は考えてもわからないから、今与えられている仕事をしっかりやれ」という指導は、若い日のわたしには何の解決にもならない言葉であった。しかしその謎が解けたのは二〇年三〇年と人生経験を積んでからのことであった。五六歳の今になって「本当にそうだ。神は徐々にわたしを生きがいのある仕事に導いてくれた。」と思えるようになった。では、内村鑑三の言うこと(それは、わたしにとっては預言であった)がどのようにして私の身に現実のものとなっていったかについて、次に述べよう。

三章 よい建築主との出会い

 内村鑑三の預言がいよいよ自分の身に実現するときがきた。それは三〇歳を過ぎて、三三歳になったときに大仕事が降りかかってきたことに始まる。それは最高裁判所の判事であられた藤林益三先生から、お住まいの新築の設計監理を依頼されたことである。当時私は三三歳でまだ若輩であったが、先生はすべてを私に任せられた。さあ大変、こうなると生きがいとは何か、仕事の意味とは何か、など考えている暇などなくなった。身体中のエンジンが全開した。しかも設計中に藤林先生は最高裁判所の長官になられたので、なお大変であった。打ち合わせにも警備の関門をかい潜り、しかも時間の無い先生の合間を縫って打ち合わせをした。そんな時ふと「ああ私にも家庭があったのだなあ」と思うほど没入した。このことを考えると人生は三〇才になる前に身を固めて良い伴侶を得ることが大切と思う。男が仕事に打ち込むためには、家庭を守る助け手としての良い女性が必要である。女性にとっては天の使命に邁進している男性と結婚してそれを助けるという高い目標を定め、双方とも三〇才までにはしっかり身を固めることが大切であると信ずる。二人組みというのは二倍以上の効果がある。イエスが弟子を伝道に使わされたときも二人組みであった。
 さいわい建築は総てが感謝のうちに竣工し、先生から三っのことを誉められた。それは「設計も満足、予算も予定通り、工事も良かった」この言葉が後に私を建築主の代理として働くプロジェクトマネジメントの道に進む暗示となった。三五歳の時、その藤林邸の設計に携わっていただいた設計事務所から招かれ、それまで勤務していた建設会社を辞し、以後二〇年間は建築設計事務所で働いた。その間さまざまな建物の設計に携わったが、無教会者から建築を頼まれることも多くなり、その数は二六件におよび、その貴重な体験を通して次第にプロジェクトマネジャーの道に導かれていった。これが次第にわたしの天職になっていったのである。そして我が国で最初の「プロジェクトマネジャー」の養成機関である「コストスクール」のディレクターとなり、一九九六年には鹿島出版会から「プロジェクトマネジメントの知識」という本を出版した。内村鑑三の預言のように、天職へは次第次第に導かれていくということがこの身に起こっていったのである。
 人物や仕事を成長させるのはよい依頼者である。わたしに建築を依頼された二六人の無教会者は私を成長させてくれた。プロジェクトマネジャーの精神基盤は、無教会者との交わりから生まれた。ある方は貯金通帳を目の前に広げ、有効なお金の使い方の相談から話しを始められた。これは私にとって仕事とか労働の本質を分からせてもらえた貴重な出来事であった。何がわかったかというと、それは仕事というのは「人様の財産をお預かりして、これをうまく保護し増やし価値のあるものに創造することなのだ」ということである。(タラントの譬、マタイ二四章十四ー三四節)また、建築主とプロジェクトマネジャーの関係が良いと、プロジェクト関係者全員の心が喜ばしくなり、結果的に良い建築ができる。わたしはこれを実地で教えられた。わたしは二六人の無教会者の建築を通して、次第に労働の意味、仕事の喜び、そしてこれを通じて天職に導かれていった。いまここに感謝の気持ちを込めて、その建築主のお名前を記録させていただく。

建築主としての無教会者二六人との出会い。
藤林益三(木の枝)、大熊一雄(好子)、宮本佳彦(成美)、長谷川新吉、長谷川俊子(浩)、石井勉(雅子)、石井弘、西村義一(潤子)、大塚嵩(紀美)、佐竹藤太郎(好光)、内藤修(三重子)、伊藤進(康子)、雲野武夫(信子)、雲野篤彦、金子幸子、小寺利男(七重)、高橋晋(花子)、水永武光(晃子)、今井館図書資料センター(教友会理事)、津上毅一(和子)、松島省三(信子)、高橋三郎(美佐子)、本間信長(愛子)、大沢胖(すみ子)、藤林律夫(真理子)、キリスト教愛真高校(三宅理事長、風間文子校長、教職員)

 一方、これとは別に告別式の執行を依頼されることも多くなり、それは十数回ほどになったが、そのうち右の建築設計を依頼された方と重なったことが七回ほどあった。これがまたわたしに深い認識を与えてくれた。それはこの世の住まいと来世の住まいのつながりのことである。
 藤林先生の奥様からは、建築設計中に「高橋さん、家で前夜式を行うときに便利なように設計しておいてください」と頼まれた。完成して一〇年後に奥様は亡くなられたが、わたしがご自宅での前夜式も青山葬儀所での本葬も司るように依頼された。それ以外にもわたしが死に立会い、葬儀を執行したケースが何回かある。松島省三先生は、設計中にわたしに葬儀を依頼された。先生は新しい家で二年ほど住んだだけで召された。居間に先生のご遺体を安置したときは、感無量であった。そのお顔は荘厳かつ崇高であった。その他長谷川新吉、佐竹藤太郎、高橋晋、宮本成美、西村潤子、の方々も私の設計した家に住まわれるのは僅かの期間であった。自分の設計した家にご遺体が安置されるとき、私はこの世の家は実に仮の宿だということをしみじみと思う事がしばしばであった。そして同時にこの世の建物の依頼と、葬儀による次の世の住まいへの見送りとで、地上の家と来世の家とのつながりに深い思いをめぐらすことになった。そして実にこのことを通して、この世の家を造ること(それは小事)は来世の家を準備する(それは大事)ことなのだという、先に述べたあのルカ福音書一六章一〇節の意味がわかってきた。それは地上での建築を通しての心の交わりが来世へ行っての心の交わりに続くという事である。かくして信仰と労働が一致し、天地が繋がった。このようになると人間は、生きがいとか、生きる意味とか、労働の意味とは何かというような問は発しなくなる。それはすでにこの世で楽園が回復したからである。その聖書的根拠を次に考えてみたい。
 

四章 楽園労働の回復

 キリストによる救いを通して神との交流を回復し、心に楽園を回復した者が労働に携わるとき、そのとき初めて低い仕事こそが「神に似た仕事」(前掲の内村鑑三「いかにしてわが天職を知らんか」のなかの言葉)になりうるのである。人間は神との交わりが回復して、はじめて労働の喜びが湧き出す。それまでは神以外のものに仕える労働なのであるから、生きがいも喜びも湧かないのである。神以外のものとは、マモン(金銭)、支配欲、思想、美、哲理、効率、高度な技術、早さ、大きさ、享楽などである。それは荒野の誘惑でイエスに対してサタンが並べ立てたこの世の魅力である。(マタイ四章一―一〇節)。人間は神と交流のないうちは、必ずこれらのどれかに生きがいを見出そうとするのであるが、結局はそのどれにも喜びを見出すことはできない。そこにあるのはただむなしさと寂しさだけである。
 人類がなぜこのように労働に生きがいと喜びを見出せなくなったかは、一章で述べた創世記にその答えが出ている。(二章一五節―三章十九節)。神ははじめにアダムにエデンの園を守らせ、これを管理させた。アダムを愛して彼に財産を任せ、アダムはこれに答えて労働をした。ここに美しい心の交流があった。労働はこれを愛するものに捧げるときには苦痛でなく、喜びである。アダムの楽園での労働はそれであった。しかしリンゴを食べるなという命令を破ったことで、アダムは神と心の交流がなくなった。アダムにとって労働が苦痛になったのはこの時からである。以来何千年、労働は人類にとって苦痛以外の何ものでもなくなったのである。人類はその苦痛をやわらげるために様々の努力を積み重ねてきた。機械化によって労働の苦痛から逃れて楽になろうとした。しかし神との交流を回復することなしにはそれは効果はなかった。肉体は楽になったが、生きがいを失って人間疎外が発生し、かえって苦痛になった。
 しかし第二のアダムといわれるイエスキリストによって人類に楽園が回復されると、労働が再び喜びに変わったのである。それは聖職でなくとも、どんな職業でも神と共にあるときには労働は神聖であり喜びに満たされる。私の若い日の疑問「アダムの労働の動機は何であったか」は、このようにして解けていった。わたしの深い悩みは、近世の人間苦そのものである事は後で知ったのであるが、それはは無教会主義との出会いによって解決したのである。無教会に感謝する。わたしに与えられたこのような職業観を教えず、あいかわらず聖なる仕事と俗なる仕事を区別する意識を持つ教会主義は災いである。彼らはキリストの血でせっかく開かれた楽園労働回復の道を塞いでいるのである。内村鑑三はそのことに気がつき楽園労働回復の道を指し示し、無教会という具体的なフィールドを作ったのである。労働の神聖を具体的に実践する無教会主義は、近世の人間苦である「労働の疎外」から人間を自由にする人類の光であると信ずる。

忘れ得ぬ言葉
 信仰の交わりに基づく建築は、それは実に楽しく喜びに満ちたものであった。天国の前味とも言うべき労働であった。そこに労働の苦痛はなかった。楽園が回復された労働をわたしは味わうことができた。神はこの多くの無教会の建築主を通して、わたしに労働の本質と喜びを実地で教えてくれた。そのなかでもどうしても忘れ得ぬ言葉を頂いたことがあるのでそれを紹介しよう。それは次の手紙である。
「高橋さんに建てていただきましたこのビルは、先日屋上でご一緒に見た隅田川の花火のように、永遠という時の流れから見れば一瞬のうちに消え去るでしょう。しかし信仰によって一生懸命造っていただいたという思い出は、私の心に永遠に残ります。」
この手紙を頂いた私は、この短い生涯において楽園が回復した労働をすることができたと感じた。このことは内村鑑三、塚本虎二先生、また労働の神聖を説いた英国のジョン・ラスキンにも喜んでもらえることであると信ずるものである。
 

五章 本当の家に住む

 地上のことはすべて天上のことの影である。本当のものは天にある。そして神のもとにある真理は地上の事物になぞらえて表現される。イエスは自分のことを、水、光、食べ物、飲み物、パン、道、真理、命、ぶどうの木、と言った。(すべてヨハネ福音書)

ヨハネ福音書四章十四節
わたしが与える水を飲む者は永遠に渇かない。そればかりでなく、わたしが与える水は、その人の中で(たえず)湧き出る水の泉となって、永遠の命に至らせるであろう。」

ヨハネ福音書六章五五節
わたしの肉は本当の食べ物、わたしの血は本当の飲み物だから。

これらはみな人間が生きる上になくてはならないものである。イエスはこれらの事物を引き合いに出して、神との交わりこそ生きていく上で本当に大切なものであると言ったのである。では「建物」に関してはどのように扱われているであろうか。やはり「わたしは本当の建物である」という概念がある。それを見てみよう。

ヨハネ福音書二章一八―二二節
するとユダヤ人が口を出した、「あなたはこんなことをするが、(その権威を証明するために、)どんな徴[奇蹟]をして見せることができるのか。」
イエスは答えられた、「このお宮をこわせ、三日で造ってみせるから。」ユダヤ人が言った、「このお宮を建てるには四十六年もかかったのに、あなたは三日で造るというのか。」
しかしイエスは自分の体のことを宮と言われたのであった。
だから死人の中から復活された時、弟子たちはこう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言われた言葉と(が本当であること)を信じた。

これは無教会主義の根拠であり、また同時に人間にとって本当の住まいとは何であるかを教えてくれるものである。本当の住まいとは神のところに住むことである。そのことは次の個所によく現れている。

ヨハネ福音書十四章二三節
イエスは答えられた、「わたしを愛する者は、わたしの言葉を守る。するとわたしの父上はその人を愛され、わたし達は(父上もわたしも)、その人のところに行って、同居するであろう。(口語訳は、その人と一緒に住むであろう。)

神、イエス、聖霊と共に住むこと、これが命の交わりであり、霊の交わりであって、本当の家に住むことである。これが人生の究極の幸福である。心が満たされることである。これなくしてどんなに立派な家に住んでも心は寂寞としたままである。
たとえ地上の建築は数十年で滅びても、信仰の交わりによる心の交わりによって、建築という「小事」に尽くす事は、その事がそのまま天に宝を積む「大事」な事になるのである。目指すは天国の家に住む事である。同時にキリスト再臨の待望である。(善い僕と悪い僕の譬、マタイ二十四章四五―五一節、ルカ一二章四十二―四六節)これを分からせて頂けて、わたしの若い日からの悩みは止んだ。感謝、喜び、希望、満足。これを与えてくれたキリスト教無教会主義に感謝する。

天の住居とは「永遠の住居」である。人間の真の人生目標はそこに住むことにあると聖書は言う。これは驚くべき概念である。

ルカ福音書一六章九節
それでわたしもあなた達に言う、あなた達も(この番頭に見習い、今のうちにこの世の)不正な富を利用して、(天に)友人[神]をつくっておけ。そうすれば富がなくなる時、その友人が永遠の住居に迎えてくださるであろう。

この住居はイエスが血の値を払って、買い整えてくださったものである。絶対無条件の罪の赦しで、人類は一人残らずそこに住むことが出来るのである。今地上では住宅難であるが、人類は来世に住まいが備えられている。これこそが「福音」「よきおとずれ」である。

ヨハネ福音書十四章二ー三節
父上のお家には、沢山住居がある。(あなた達は一人のこらず、そこに住むことが出来る。)もしそうでなかったら、『あなた達のために場所の準備に行く』と言うわけがないではないか。(間もなく出かけるが、)行って場所の準備ができたら、もどって来て、あなた達をわたしの所に連れてゆく。わたしのおる所にあなた達もおるためである。

私もこの永遠の住居に住めるように、残る地上の生涯を励もうと思う。
 

                            一級建築士 建設物価調査会技術顧問