母の死と神の慰め

高橋照男

東京聖書読者会における感話

2004.4.4

はじめに

私の母は先月3月18日、肺癌の ために召されました。家族が手を握っているときに安らかに逝きました。88歳と9か月の天寿でございました。昨年11月に余命6ヶ月と宣告されてからの私 は悩み悲しみが深く、この間集会の皆様には何かと精神的にお支えいただきましたことをこの場で深く感謝御礼申しあげます。

 「母」を失うという悲嘆のとき に、神は不思議な方法で私を慰めて下さいましたので、本日はその感話をさせていただきます。「母」のことを語ると多くの方がどうしても「胸が詰まる」もの です。これは生理現象で致し方のないものと思われます。どんなに年齢を重ねても母はいつまでも母です。私も途中で泣いて見苦しい姿をお見せするのは申し訳 ないので用心のために今日はプリントを読ませていただきます。3回もリハーサルをしてまいりましたのでもう大丈夫とは思いますが・・・・・。

本日(2004年4月4日)の日本経済新聞の文化欄に作家の辻井喬氏(もと西武会長)が、俳人中村汀女の次の句を解説していました。この句は「母」とは何であるかを現わしていると思います。

「泣いてゆく 向こうに母や 春の風」

辻井氏の解説はこうです。「中村汀女にはいつも幼な児の彼女を腕を広げて受け止めてくれる母がいたのだ。」

「母」という存在は生きているうちは空気のようなものでしたが、失ってみてはじめて「母」というのは私の体の重要な一部分であったのだなーと感じるようになりました。いま私は体の2−3割を失ったような感じでございます。

母の死と神の慰め

信仰なき母は救われるか

・・・母を送るということは大変なことです(藤林先生からのお手紙)・・・

2004.4.4 東京聖書読者会 高橋照男

1・ 信仰なき肉親は救われるか・・・この悩みは「信者」のみが持つ特有なもの。肉親同胞に対する心配・・・パウロの悩み。不信のユダヤ人は救われるか・・・ロ マ書9章・・・同胞とは多分身内肉親のこと・・・聖書は「信ずる」ものが救われるとある。それでは信仰なき母はどうなるのだろう・・・ダンテの悩み

塚本訳 ロマ 9:1-3

9:1 私はキリストにある者として本当のことを言う、嘘はつかない。わたしの良心も聖霊によって、(それが本当であることを)保証してくれる。

9:2 (わたしが急にこんなことを言い出したら信じてくれないかも知れないが、)わたしに大きな悲しみと、心に絶えざる痛みとがあるのである。

9:3 ほんとうに、兄弟すなわち血を分けた同胞の(救われる)ためならば、このわたしは呪われて、救世主(の救い)から離れ落ちてもよいと、幾たび(神に)願ったことであろう。

2・この難問を何に解決を求めるか・・・聖書に解決を求める・・・使徒信条に解決を求める・・・しかし文字、頭「知識」「信仰」ではさっぱり慰めを得られない。・・・金持ちの青年が「永遠の生命」を求めた背景には「肉親の死」が間近にあったのではあるまいか(マタイ19:16)・・・聖書の各所が見えてくる

口語訳 Tペテ3:18-19

3:18 キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。

3:19 こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた

塚本訳 Tペテ4:6

4:6 何故なら、肉体では人間的に(既に罪人として)審かれ(て死んだが、)霊では神に倣って(永遠に)生きるため、(陰府に在る)死者にも(キリストによって)福音が宣べ伝えられたからである。

使徒信条・讃美歌566

主は聖霊によりてやどり 処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり

塚本訳 マタ 19:16

19:16 するとそこに、ひとりの人がイエスの所に来て言った、「先生、永遠の命を得るには、どんなよいことをすればよいでしょうか。」

3・母は呼べど答えず、精神的死が事実上の別れ・・・深い悲しみ・・・聴かれざる祈祷・・・母からはついに信仰告白を聞けなかった・・・自分が至らなかった・・・罪悪感に満たされる・・・12年前に召された父にも申し訳ない

母が答えなくなった瞬間の極度の悲しみ

日記

040315(月)・・・母召天3日前・・・

母の病室で目覚め、母は息をし ている。しかし昨日よりも意識が低下。「おはよう」と言っても目を閉じたまま答えが返ってこない。私の60年間の人生で母に呼びかけても答えが返ってこな かったのはこれが始めて。母は私の胸から今精神的に死んだ。最高に辛い瞬間。真に淋しかった。母の救いを祈り続けて40年。ついに祈りは聴かれなかった。 泣けた。極度の悲しみに襲われた●還暦の男がなぜ泣くか。第一クリスチャンらしくない。

クリスチャンは葬式の時には泣いてはいけないと塚本先生に教えられてきたではないか。 

口語訳 詩  3:4

3:4 わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる

 

口語訳 詩  120:1

120:1 わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる

 

●母は答えなくとも神は答えてくださる。神は死なない。ところがイエスはあの十字架上でその神からも答えが返ってこなかったのだ。イエスの極度の悲しみ。イエスはその死の時に「母」の出てくる詩篇22編を思い出したのだ。人間、最後の時は母を想う。

 

口語訳 詩  22:1-2

22:1 わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。

22:2 わが神よ、わたしが昼よばわっても、あなたは答えられず、夜よばわっても平安を得ません。

 

口語訳 詩  22:9-11

22:9 しかし、あなたはわたしを生れさせ、母のふところにわたしを安らかに守られた方です。

22:10 わたしは生れた時から、あなたにゆだねられました。母の胎を出てからこのかた、あなたはわたしの神でいらせられました。

22:11 わたしを遠く離れないでください。悩みが近づき、助ける者がないのです。

 

● かって母は娘に「照男は私に説教をする」と涙ぐんで語ったことがあるという。●さらに40年以上も前の事。母は私が18歳ぐらいの頃教会に行き始めた時、 「照男君は小さい頃は私に素直でとてもよい子であったが、教会に行き始めてから私に反抗するようになった」と言って泣いたことがある。しかしわたしはその 後無教会主義になってから塚本先生のご母堂に対する姿勢に学んで、「キリスト教孝行」を身に付けたつもりでいたが、やはり最後までダメだった。私の不徳で あった。わたしの話に「説教の匂い」がしていたのだ。信仰を頂くことができなかった。私が至らなかったので母はついに福音の恩恵に預かることができなかっ たのだ。私の祈りが足りなかった。罪悪感と無念さに満たされた。

4・人生は極度の悲しみの時に「慰めの霊」が下る・・・塚本虎二に下っ た「神は愛なり」の声・・・私の場合は、悲嘆の底で、母が「テルオちゃん、テルオちゃん」と4回も呼んだことを思い出した・・・そうだこれは母が「キリス トの名を呼んだのと同じ事」なのだと信じられ、このとき川のような平安が訪れた。・・・この「呼び声」が耳に響いたのは私の悲嘆を和らげるための神の「慰 めの霊」の働きだったのだ・・・これが母の意外な形での信仰告白だったのだ

母がうわごとで私を呼んだ時のこと

日記

040314(日)・・・母召天4日前・・・

6時起床、母は頑張った。一夜持った。● タンが詰まって苦しいので吸引、それでも「苦しい」と言うので、看護士はモルヒネ24時間連続皮下注入の量と速さをアップ。手に痙攣が来たので皮下注射、 痙攣は脳の酸素不足。激しい幻覚症状、これも脳の酸素不足●昏睡状態にありながらもうわごとで食事の心配。母親は一生子供の食事の心配をするものだ。母 「看護婦さん、この人(照男)には普通食を出してください」。私「病院がちゃんと用意してくれています」。母「アーよかった」●母の手を握りながら、「生 まれるとは何か、死ぬとは何か」「人間はどうして生まれるときも苦しみ、死ぬときも苦しまなければならないのだろう」ということをしきりに考える●その 時、母は意識朦朧のために見えない目をしてうわごとで「テルオちゃん、テルオちゃん」と4回ぐらい言い、右手で私の顔を探った。「ちゃん」というところが 強調された。その不思議な言葉づかいに背中がゾクッとして心が震えた(これが私に対する母の最後の言葉となった)●昏睡状態の母の枕辺で「母の旅路、高橋 ハナ子を偲ぶ」をじっくり読む。長い旅路であった。88歳と9ヶ月●「安らかに、安らかに召してください」と祈る

040315(月)・・・母召天3日前・・・

 1330に 妻が来て母に呼びかけると、母は昏睡状態でありながら「照男さんは、照男さんは」と見えない目で手を探る。妻が手を握りながら「照男さんはそばにいます よ。安心してお休みください」と言う。「母さんさようなら。また会う日まで」●この悲しみの底で私の胸にドット神の慰めが下る。母が昨日「テルオちゃん、 テルオちゃん」とうつろな目で私を4回ぐらい立て続け呼んだ。これだ!。これでよいのだ!。私は小中学校以来「テルちゃん」とは言われて きたが、「テルオちゃん」と呼ばれたことは無かった。それを昏睡状態の母の口から聞いた。これはきっと母が私を赤ん坊の時にこう呼びかけていたのかも知れ ない。母はこのとき60年も前のことが夢うつつの中で頭に去来していたのかも知れない。●昨日私を「テルオちゃん」と4回も呼んだことで、母はキリストと 神と永遠の生命を受け入れたのだ。母はついに教会の型どおりの「信仰告白」をしなかったが、キリストを信じている息子の名前を呼ぶことによって神とキリス トを受け入れたのだ。そしてこのとき「永遠の生命」をいただけたのだ。神に覚えられた。これでよかったのだ。このような不思議な確信を与えられ、私の心は 安んじ、感謝の涙が溢れた。大河の流れのような平安が与えられた。不思議な経験。そしてこの時に、すべてが「成就した」、「母さん」もう早く神のもとに 逝ってほしいと思うようになった。●これで40年間の祈りは成就した。母に対して私は「使徒」の働きができた。私はいつ死んでもよいと思うようになった。 これが転換点であった。霧雨のように下った神の「慰めの霊」が私に「母は神に覚えられた」という確信を与えてくれた。平安になった私の心の変化で傍にいる 妻も楽になった。

 

塚本訳 ヨハ 13:20

13:20 アーメン、アーメン、わたしは言う、わたしが遣わす者を受けいれる者は、わたしを受けいれるのであり、わたしを受けいれる者は、わたしを遣わされた方を受けいれるのである。

 

新共同 ヨハ 19:30

19:30 イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

 

塚本訳 Uコリ1:3-5

1:3 讃美すべきかな、わたし達の主イエス・キリストの神また父、慈悲深い父、あらゆる慰めを賜わる神

1:4 どんな苦難の時にもわたし達を慰めてくださる神、こうしてわたし達自身も神に慰めていただくその慰めをもって、どんな苦難の中にいる人たちをも慰めることが出来るのである。

1:5 というのは、キリストの苦しまれた(苦しみをわたし達は共に苦しむので、その)苦しみがわたし達に満ちあふれるのと同じように、わたし達の慰めもキリストを通じて満ちあふれるからである。

●福音というのはキリストを信じている人を信じて受け入れることによって伝わっていくのだ。頭や口での華々しい伝道によるのではないのだ。

使徒信条には「聖なる公同の教会、聖徒の交わりを信ず」という部分がある。

5・母の最後・・・命が去るということはどういうことなのか・・・神は土の人間に命を吹き込んで生きるものとし、吸い取ることによって終わらせるのではないか・・・母は最期にスーッと息を吐き出した・・・担当医師は「お母さんは人生の品質とも言うべきQOL(Qality Of Life)が最後までしっかりしていました」という・・・家族が手を握っている間に逝った・・・医師は理想的な最期と言う

母の最後の日の日記

040318(木)・・・母召天当日・・・

母はまだ粘っている。「母さんもういいよ」と心の中で思う●昨夜から私は5時間、交代で妻も5時間睡眠●なお昏睡状態の母の寝顔を見ながら、讃美歌2番2節を思い出す

讃美歌2番2節

母の胸に ありしときより 

わがふむみち さきわいたもう

いまものちも あだをふせぎ

世のわざわい のぞきたまわん

●人間はだれでも「母」は一人。その母との別れというのは人生の大苦難だ。9: 00小野寺時夫医師(73歳、癌診療40年のベテラン。夫人はクリスチャン)が血相を変えて入ってこられた。「先週はお元気だったのに、急に変わりまし た。お母さんは間もなくです。癌の進行はこういうこともよくあるのです。しかし今お母さんの頭の中は天国です。お花畑を見ていると思われます。息が荒いの ですが決して苦しんではいません」。さすがホスピス、家族の心のケアもしてくれる●女性の最期は生命力があって粘るもので、医師の余命予測がしばしば外れ るものだとも説明された。●冷たくなりつつある母の手を握って讃美歌405番「神ともにいまして」を一人で歌う。こういう状態なっても耳だけは最後まで聞 こえているという。しかし途中で声が詰まる。この讃美歌は、母が若い頃救世軍の療養所で働いていたときに退院する患者を玄関で「見送るとき」に看護婦たち が皆で歌ったことがあると聞いていた。あるいは思い出すかもしれないと思った。

 

讃美歌405番

1・かみともに いまして ゆく道をまもり

  あめの御糧(みかて)もて ちからをあたえませ

  また会う日まで また会う日まで かみのまもり汝(な)が身を離れざれ

 

●この「あめの御糧(みかて)もて」に強く感じ入った。母はもう4日間何も食べていない。栄養の点滴もしていない。衰弱●「母さん長い旅だったね。次は神のところの永遠の家だ。もう地上の病院や家のように追い出されることは心配ないから安心だ。」●13: 40息が細く小さくなる。妻が立ち上がって声をかけるとかすかに目をあけた。私が左手、妻が右手を握って、看護婦の前川さんが体をさわっているうちに細く なった呼吸が静かに静かに止まる。●看護婦の前川さんが医師を呼びに走っていく。沖主治医が入ってきて聴診器で心臓を診る。「残念ですが13時43分、お 迎えが来ました」と言われた。●体が震えた。「母さんよく頑張ったね。さようなら。また会えるよ」●母は眠った。しかし実に安らかな顔●小野寺医師が入っ てこられ、「お母さんの意識の低下期間は短かった。数日前まで頭がしっかりしていた。人生の品質とも言うべきQOL(Qality Of Life)が最 後までしっかりしていた。自分が死ぬときもこのようでありたい」と言って母を誉めてくださった。●看護婦の前川さんが顔に薄化粧をしてくださった。苦しみ から解放されたその顔は実に美しかった。思わず写真を撮った。今まで見たこともないような穏やかな美しい平安な顔。父のところに行く花嫁であるからか。花 が好きだった母が苦しみから解放されて天国の花園を見ているような穏やかな顔●母が「眠るように逝きたい」と願っていた通りになった●妻と手分けして各方 面に電話報告●16:30母が自ら医学の進歩のためにと希望していた献体先の明海大学から遺体を引き取りに来る。明海大学歯学部口腔解剖学第二講座助教授 歯学博士中島敏明氏。母の遺体は大切に保存、医学生のための解剖研究のために使わせていただくと言う。来年2005年10月に解剖。遺骨の返還はその12 月。中島氏に母の生涯の記録である「母の旅路、高橋ハナ子を偲ぶ」を献呈。母はこの本のゲラ原稿に目を通して訂正個所を指摘するほど最後まで頭がしっかり していた。●霊安室から17:30出棺。立会いは兄嫁の増子さん、私、トミ子、新一、小野寺医師、沖医師、佐々木婦長、中野、前川、井出、高杉の各看護 士、ほか、一人一人が母の遺体に手を合わせる。●霊柩車に乗せられて出発の時、これが地上での最後かと思うと本当に名残惜しかった。車が動き出したとき思 わず2、3歩追いかけた。車は走り去った。「さようなら。母さん。また会う日まで」●母には桜の花を見てもらいたかったが、病院の窓から見える桜はまだで あった。しかしニュ―スでは今日が東京の桜開花宣言。「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月(きさらぎ)の 望月(もちづき)のころ」西行法師。その通りになった。●母の「死に顔」を見ると、私に「説教をしない使徒になりなさい。怒ってはいけません」と無言で語っているように思えた。母の死は私のこれからの人生に明確な方向付けをしてくれたように思う。

塚本訳 ヨハネ12:24

アーメン、アーメン、わたしは言う、一粒の麦は、地に落ちて死なねば、いつまでもただの一粒である。しかし死ねば、多くの実を結ぶ。(だからわたしは命をすてる。)

塚本訳 使  4:10-12

4:10 あなた方御一同はもとより、イスラエル国民全体も、このことを知ってほしい。ナザレ人イエス・キリスト──あなた方が十字架につけ、神が死人の中から復活させられた方──その名で、この人がよくなって、あなた方の前に立っているのです。

4:11 この方は、(聖書にある)『大工の』あなた方から『投げ捨てられ、隅の土台石になった石』です。

4:12 この方のほかのだれによっても救いはない。天下ひろしといえども、わたし達が救われるべき名はこれ以外、人間に与えられていないからです。」

4:13 人々はペテロとヨハネとの大胆不敵な態度を見て、しかもそれが無学な人間で、全くの素人であることがわかると、不思議でたまらなかった。

●母の死は私にキリストの 「使徒」の自覚を促した。人間はキリスト以外に救われる道はないのだ●信仰なら何でもよいと言うのはキリストによる救いの道を閉ざすこと。「キリスト教の 敵はローマ帝国にあらずしてグノーシス主義(霊肉分離の思想)にある」といわれる。これと同じように「今日のキリスト教無教会主義が衰退している原因は老 齢化ではなく仏教化」。仏教は霊肉分離の思想であって復活がない。死んだら皆ホトケになるという思想と人間死んだら皆天国に行くという思想を混同。それで はキリストの死と復活が無駄になっている。キリスト教の「神の恩恵による救い」と仏教の「弥陀の本願による救い」との違いがはっきりしていない。無教会主 義は「他人の宗教」を尊重するあまり、うっかりすると「キリストのみが人を救う」という福音の立場を逸脱して人に救いの道を閉ざす。

塚本訳 マタ 11:11

11:11 アーメン、わたしは言う、女の産んだ者の中に、洗礼者ヨハネより大きい者はまだ出たことがない。しかし天の国で一番小さい者でも、彼より大きい

新共同 Tペテ2:5

2:5 あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。

新共同 Tペテ2:9

2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民ですそれは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。

6・人生の極度の悲しみは神の霊によってのみ慰めを得る・・・私の心の変化・・・神の霊による立ち直り・・・男にとって母親の死は打撃・・・慰めの手紙

神による立ち直り

040323(火)・・・母召天5日後・・・

5時半起床●お悔みメールに返事●バッハ「二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043第2楽章ラルゴ」を鑑賞。写真の母が笑っている。懐かしい思い出が走馬灯のようにめぐる。涙が止まらない人生というのは「愛する者との別れ」という何と悲しいむごいことがあるのだろう神戸照子さんという方が婚約者を戦争で失った時、塚本先生の前で号泣された。先生は「タオルでは足りない、毛布がぐっしょりになるまでお泣きなさい」とおっしゃられた。その一言で彼女の人生は立ち直り、後にYWCAの会長にまでなられ、キリストのために尽くされた。私の場合は英国の女流詩人クリスチナロゼッティが慰め。4年前の火災のとき、悲しみの中で焼け跡の残骸の中に必死に彼女の詩集を探し出した。今またその詩集を読む。

 

「The Heart Knoweth Its Own Bitterness」 心その痛みを知れり・・・大原三八雄訳

泣くのも暫(しば)し ――  その曙(あけぼの)まで泣いたとて かの日には微小(ほほえみ) その日をお待ち その日には ただ愛のほか ものみな過ぎて行く いたましくひとりでお 泣き 心を涙にして・・・・春まで お泣きよ めぐみの雨が 花をもたらせ 花盛り咲く夏の日に あなたは歌を うたうでしょう ・・・胸つぶれ 黙って お泣き・・・ごらん その日が来るならば 愛のほか皆過ぎてしまうのです その時には 楽しい愛が 泣くことも 忘れさせ 望むことも 恐れることもなく  見張ることも 眠ることもなく あるのはただ 愛のみです 深く深く いつまでも続く愛 今 涙のうちに愛を蒔く けれどかの日には 収穫(かりいれ) できるのです 主の飼い給う 羊のようにお忍び 主は地上に死に給うたが あなたの為天に生きていられる

 

●クリスチナロゼッティ(1830-1894)はその若き日に結核の苦難をわずらった。英国の抒情信仰詩人同じロゼッティの詩として有名なものに「誰が風を見たでしょう」がある。小学校の時に音楽の授業で習った。

 

だれが風を見たでしょう 僕もあなたも見やしない けれど木の葉を震わせて 風は通り過ぎていく

 

これはヨハネ福音書の次の個所がもとになっているという。

 

塚本訳 ヨハ 3:8

3:8 風[プニューマ]は心のままに吹くその音は聞えるが、どこから来てどこに行くか、あなたは知らない霊[プニューマ]によって生れる者も皆、そのとおりである。

 

● 神は土で造ったアダムの体に息を吹き込んで生きる者とした、と創世記にある。母の最期はフーっと息を吐いて終わりであった。母はあのとき神に命を吸い取ら れたのではないのだろうか。その命は目には見えなかったが「木の葉を震わせ」るように母が肩で息をする姿を示して命は去っていった。

 

新共同 創  2:7

2:7 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。

 

新共同 ヨブ 1:21

1:21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う主の御名はほめたたえられよ。」

●しかし神は 見えないはずの命を、イエスの復活を通して、霊の体としての有体的な姿を見せてくださり、来世の実在を信じやすくしてくださったのだ。今の我々はそのイエ スの有体的復活に接することは出来ないが、それに接した人たちの伝承を聞いて、「胸が熱く」なることによってそれを信ずることが出来、永遠の生命の喜びに 参入することができる。「汝これを信ずるか」「見ずして信ずる者は幸いなり」というイエスの言葉が耳に響く。

 

文語訳 ヨハネ11:25-26

"431125","イエス言ひ給ふ『我は復活(よみがへり)なり、生命(いのち)なり、我を信ずる者は死ぬとも生きん。"

"431126","凡そ生きて我を信ずる者は、永遠(とこしへ)に死なざるべし。汝これを信ずるか』"

 

文語訳 ヨハネ20:29

"432029","イエス言ひ給ふ『なんぢ我を見しによりて信じたり、見ずして信ずる者は幸福なり』"

 

●どこからともなく「なぜ泣くのか」という声が聞こえてくる。

 

文語訳 ヨハネ20:15

"432015","イエス言ひ給ふ『をんなよ、何ぞ泣く、誰を尋ぬるか』マリヤは園守(そのもり)ならんと思ひて言ふ『君よ、汝もし彼を取去りしならば、何處に置きしかを告げよ、われ引取るべし』"

 

●そうだ、いつまでも泣いてはいられない。第一母に叱られる。背中の笑っている写真の母が「照男さん。人は誰でも死ぬものです。いつまでも泣いていてはいけません。」と言っているようである。あんまり泣いているとイエスにも「あー、信仰の薄い者よ」と言って叱られる。

 

塚本訳 ヨハ 11:33

11:33 イエスはマリヤが泣き、一しょに来たユダヤ人たちも泣くのを見ると、(その不信仰を)心に憤り、かつ興奮して

 

新共同 黙  5:5

5:5 すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」

 

● そうだいつまでも泣いていてはいけない。人生におけるこういう私の場合のような「極度の悲しみ」を慰めるために神はイエスを有体的に復活させ、来世がある ことを信じさせてくれたのだ。ラザロの復活の出来事もそのためにあったのだ。来世はあるのだ。母は今心地よいところに住まいを移したのだ。そしてそこでま た会うことができるのだ。

 

口語訳 黙  21:3-4

21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、

21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

 

 

● 午後、妻と父の墓参、母の死を報告●某夫人からのお悔みのお電話で「男の方にとって母親の死は一入(ひとしお)お悲しみが大きいように思います」と頂いた ので、「母親は父親と比較しておしめを取り替えた回数と食事の面倒を見た回数が比較にならないほど多いからではあるまいか」と答えた。●某夫人より慰めの お手紙を頂き心安らぐ「御母上様のご昇天お悔やみ申し上げます。 わたしは一度もお会いしたことがないのですが、なんだか今までお会いしていた方のような気がしてなりません。賛美歌405番(かみともにいまして)をひと りで歌っています。」・・・こういうお手紙を頂くと来世での母との再会を確実に信じられるようになる。

040325(木)・・・母召天7日後・・・

4時半起床。● 笑顔の母の写真を見ていると「貧しきものは福音を聞かされる」という聖書の個所が聞こえてくる。そうだ母の生涯は不遇で苦労のみが多かったが、なぜか結果 的にその淋しく悲しい人生だからこそ福音を聞かされたのではあるまいか。父との出会い、そして最後に昏睡状態の中からキリストを信じている私を「テルオ ちゃん」と4回も呼んだことで「キリストを呼ぶ」生涯になったのだ。私としてはその母が最後に「テルオちゃん、テルオちゃん」と4回も呼んだことで母は神 に覚えられのだと不思議に信じられるようになった。母は私の名を通してキリストを呼んだのだ。私にはそう信じられた。私の40年間の祈りはこのとき聴かれ たと信じられた。感謝である。●母の呼びかけというのは、あるいはモルヒネで意識が朦朧としていたためだったのかもしれないが、確かに私を呼んだ。不思議 な出来事であった。私の心に平安が訪れたことは確実なことであった。妻が楽になった。●母が召天する5日前の3月13日(土)には医師から「今晩逝くかも しれません」と言われたのだが、それから5日間も母が頑張ったのは「テルオちゃん」と私の名を呼ぶためであったのかもしれない。母は私の名を呼ぶことでキ リストの名を呼んだのだと思った。それによって神は私の極度の悲しみを和らげてくれたのだ。昏睡状態の見えない目で手を探って私の名を呼んだとき、私は母 が自分の娘のように思えた。「母さん。よく言ってくれた」。ダンテ「新曲」の「自分の子の娘」という言葉を思い出した。親というのはなかなか自分の子供に 助けを求めないものなのだ。母はキリストを信じている私の名前を呼ぶことによってキリストを呼んだのだ。

新共同 ロマ 10:13

10:13 「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

塚本訳 ルカ 23:42-43

23:42 それから(イエスに)言った、「イエス様、こんどあなたのお国と共にお出でになる時には、どうかわたしのことを思い出してください

23:43 「イエスが言われた、「アーメン、わたしは言う、(その時を待たずとも、)あなたはきょう、わたしと一しょに極楽(パラダイス)にはいることができる。」

●母の私への呼びかけの心はこのイエスと一緒に十字架につけられた人間の心と同じではなかったのか。母は私の名前を呼ぶために昏睡状態でもよく5日間もがんばって生きてくれたのではないのか。そのおかげで私は平安をいただけたのだ● 「貧しきものは福音を聞かされる」。これは巨大な真理。母は両親の離婚で一家離散、その生涯は不遇、「(心も経済も)貧しい生涯」であった。しかしそのためにかえって「福音を聞かされた」。●イエスはこういう不遇な「貧しい者」を探し求めて寝食を忘れて歩いたのだ。わたしもそれに見習おう。「幸いなるかな 貧しき者。天国は彼等のものなり」●この世で泣いた人は天国に迎えられるとも聖書に書いてある(ルカ16章)。母の生涯はその真理に預かったのかもしれな い。

7・母の愛と神の愛・・・山室軍平、塚 本虎二、母の愛で神の愛を知る・・・藤林先生からのお手紙・・・聖書にはなぜ母の愛が書いてないか・・・ルカ15章の放蕩息子の譬えには母が出てこない。 あのとき母はすでに死んでいたのではあるまいか・・・イエスの言葉の背後にはことごとく「母」の存在を感じる

●山室軍平「母の愛」(レコードにもなっている)

「慈愛の神様がこの世にいますに相違ないないという、何よりの証拠は私の母であります。母の愛であります」日本キリスト教団出版局「日本の説教5山室軍平」p146  御母堂召天71歳。そのとき山室軍平29歳

●塚本虎二

「私は母に愛を学びました。それによって神の愛、キリストの愛を知りました」

聖書知識270号、昭和27年10月号 「御母しゃん」  御母堂召天91歳、そのとき塚本虎二68歳

昭和27年9月15日の先生の日記「雑感雑録」

「午後2時から経堂の春風学寮で告別式。・・・・極めて静かな会であった。母上も喜んで下さったことであろう。私は一滴の涙も落とさず好成績であったところ、式がすべて終り某夫人と二人になった時、にわかに堤防決壊、醜態を演じた。」

●藤林益三先生からのお手紙

「お送り頂きました『母の旅路』、私としては最大スピードで本日3月26日全部読了いたしました。母を送るということは大変なことです。私も昭和29年8月を想いおこしました。丁度50年前のことです。当時は医療施設も今のようではなかったのです。胃ガンでした。御心情を思い、同情に堪えません。私の母は77才でした。御礼を申しあげます。2004年3月26日」 御母堂召天77歳 そのとき藤林先生46歳

●イエスの言葉のことごとくにイエスの母の影響ではないかというものを感じる

塚本訳 マタ 5:5

5:5 ああ幸いだ、『(踏みつけられて)じっと我慢している人たち、』、『(約束の)地(なる御国)を相続する』のはその人たちだから。

塚本訳 マタ 5:7

5:7 ああ幸いだ、憐れみ深い人たち、(かの日に)憐れんでいただくのはその人たちだから。

塚本訳 マタ 5: 22

5:22 しかしわたしはあなた達に言う、兄弟に腹をたてる者は皆、(ただそれだけの理由で、天国の)裁判所で罰せられる。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院で罰せられる。畜生と言う者は、火の地獄で罰せられる。

塚本訳 マタ 5:44-45

5:44 しかしわたしはあなた達に言う、敵を愛せよ。自分を迫害する者のために祈れ

5:45 あなた達が天の父上の子であることを示すためである。父上は悪人の上にも善人の上にも日をのぼらせ、正しい人にも正しくない人にも、雨をお降らしになるのだから

塚本訳 マタ 6:3-4

6:3 あなたは施しをするときに、右の手のすることを左に悟られてはならない

6:4 これは施しを隠しておくためである。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マタ 6:6

6:6 あなたが祈る時には、『奥座敷に入り、部屋をしめきった上で、』隠れた所においでになるあなたの父上に『祈れ。』そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父上は、褒美をくださるであろう。

塚本訳 マタ 21:28-31

21:28 いったいあなた達はどう思うか。──ある人に二人の息子があった。長男の所に行って、『坊や、きょう葡萄畑に行って働いてくれ』と言うと、

21:29 長男は『いやです』と答えたが、あとで後悔して出かけた。

21:30 つぎに次男の所に行って同じように言うと、こちらは、『お父さん、承知しました』と答えたが、行かなかった。

21:31 この二人のうち、どちらが父の心を行ったのだろうか。」「もちろん長男」と彼らが答える。イエスが言われる、「アーメン、わたしは言う、税金取りや遊女たちは、あなた達よりも先に神の国に入るであろう

塚本訳 ルカ 13:6-8

13:6 そこでこの譬を話された、「ある人が葡萄畑に一本の無花果の木を植えておいた。(ある日)実をさがしに来たが、見つからないので、

13:7 葡萄畑の作男(さくおとこ)に言った、『もう三年この方、この無花果の木に実をさがしに来ているのに、まだ実がならない。切ってくれ。(ならないばかりか、)なんで土地までくたびれさせることがあろう。』

13:8 答えて言う、『ご主人、今年もう一年だけ勘弁してやってください今度は回りを掘って、肥料をやってみますから。

7・私のホスピス体験・・・延命治療しないということの悩み・・・人為 的行為の放棄でよいのか・・・医学や薬学の否定ではないのか・・・信仰の先輩たちのアドバイス・・・ホスピスの医師の説得・・・抗癌剤を使わないで痛みを 取りつつ自然に生き自然に死ぬ・・・信仰の思想と合致・・・余命期間の告知について・・・使命感に燃えた優秀な人材をそろえているホスピス・・・癌患者の 家族への心のケアが貴重・・・末期癌が対象のために入院期間は長くても一ヶ月以内だから費用はそんなにかからない

●信仰の先輩たちからのアドバイス・・・「癌末期の疼痛緩和には終末期医療(ターミナルケア)が発達してきている」「お母さんの場合は延命より疼痛緩和だ」「別にお母さんを殺すわけではない。楽にしてあげたほうがよい」

●ホスピスの医師のアドバイス・・・「ホスピスは抗癌剤を使わない。しかしそれは延命治療をしないという考えではない。積極的な延命はせずに疼痛を緩和して楽な安らかな有意義な人生の終末を送っていただくのだ。放っておいて死ぬのを待つのではない。」

●余命期間の告知・・・癌の告 知は最近では100%。しかし余命期間の告知はケースバイケース。余命期間の予測は当たらないから、その理由だけによって告知しない。余命を告知しない方 が本人の精神的落ち込みがないために長生きするというのは間違い。逆におおよそでも余命期間を告げたほうが良い場合がある。ケースバイケース。母の場合は 告知してよかった。よい終末期を過ごせた。母は「親しい人にお見舞いを頂きゆっくり話しをすることができてお葬式をしてもらっているようでうれしい」と 言っていた。

8・立ち直り・・・母を知る親しい方々に送った最後の「お礼の言葉」・・・復活の日の再会を望む心・・・ようやく落ち着きを取り戻す・・・この人生は復活の希望なくしてやりきれない。渡りきれない・・・神から「慰めの霊」を頂いて突破・・・親しきものが召天すると復活と来世が理屈抜きで信じられるようになる・・・内村鑑三の愛嬢の死・・・「ルツ子さん万歳」の気持ちが分かる

[お礼の言葉]

母 が召されてから10日たちました。多くの方々のお悔みに「男の方にとっては母親との死別がことのほかお辛いようです」という言葉が多くありました。実にそ のとおりで、何を見ても母のことが思い出されます。昨夜は母が住んでいた家の方角に宵の明星の金星がひときわ強く輝いて見えましたが、それも母の顔に見え ました。今わたしの部屋には生前に母自身が気に入っていて3人の子供たちに複写して渡しておくようにと指示された笑顔の写真があります。次ページにそれを 添付します。アルバムにでも貼っておいて頂ければ親しかった皆様のことゆえ母も喜ぶと思います。今後のことは5月の連休に兄弟3名が合い寄って相談いたし ます。献体した遺骨が戻って来るのは来年2005年の12月でございます。翌2006年3月はいわゆる3回忌ですのでその頃に父の眠る秋川霊園に埋骨した いと思います。その節は皆様にお越しいただきまして「偲ぶ会」を開こうと考えております。

長 い間ありがとうございました。寂しさが癒えるのはいつのことか分かりませんが、皆様には今後とも引き続き精神的にお支えいただくようになると思います。よ ろしくお願い申しあげます。なおホームページでの公開日記は続けますので、パソコンをお持ちでしたら時々「覗いて」見て下されば幸いです。母は今ごろ天国 の春の花を見ながら皆様に感謝していることと思います。皆様の残るご生涯の安らかならんことをお祈りいたしまして最後のお礼のご挨拶といたします。            

2004.3.27 朝  高橋照男     http://www.asahi-net.or.jp/~ej2t-tkhs/

讃美歌489番

1・きよき岸べに やがて着きて        (おりかえし)

  天(あま)つみくにに ついに昇らん       やがて会いなん

  その日数えて 玉(たま)のみかどに       愛(め)でにしものと

  友もうからも 我を待つらん           やがて会いなん





母・高橋ハナ子

2002年6月15日 86歳

父 高橋晋10周年の記念日に