9月
7月
6月
08/02
孫たちとお台場に行く。疲れた。息子たちはスペイン時間で生活している。時差ということではなく、夕方から夜にかけてのことだ。スペインでは日が沈むのが十時くらいだから、それから晩ご飯ということになる。子供も平気で真夜中に走り回っている。しかし毎日、日本の幼稚園に通っているのだし、スペインのように昼寝はしていないので、疲れているはずだが、若い人々は平気である。老人は疲れる。
08/03
KKベストセラーズの編集者と打ち合わせ。文章の書き方に関する本を出すということで、コンセプトに関しては同意できる。細部はやってみないとわからないが、とりあえず隙間を覧てやってみるということで話を決めた。謡曲は頼まれてすぐに半分書いたのだが、それから二年ほど先に進まなかった。この仕事はやればすぐにできるので、すきを見てやりたい。三田和代さんの招待で六本木で中華料理。孫の長女は二年ぶり。二歳だったのが四歳になっているから、かなり人間らしくなっている。初対面の次女はもう10カ月だから、しっかりと人格をもっている。長女はやや東洋系が強いキュートなファニーフェイス、次女はスペインの血が強く出た正統的美人。この二人の女の子がどのような人生を歩むのかははなはだ興味深い。「謎の空海」は何度も試行錯誤している。小説ではないのでどうしても理屈っぽくなりがちだが、小説も難しいという初心者を読者に想定しているので、もっとわかりやすくしないといけない。
08/04
孫たちの一団は本日から四日市の次男宅へ。スペインにある長男の家は一戸建ての豪邸であるが、次男のところはごくふつうのサラリーマンが住むアパートなので、雑魚寝状態になるだろう。まあ、若い人々だから、合宿の乗りで楽しむと思う。久しぶりに妻と二人きりの生活。オペラシティーで新谷しのぶさんのフルートコンサート。新谷さんは長男の都立芸術高校時代の一つ後輩。芸大大学院のあとドイツに留学して、いまはチューリンゲン州アイゼナハ劇場オーケストラの主席フルート奏者。日本の音楽教育は優秀で、大量のアーチストを輩出させる。芸大を出て外国の音楽院に入ると卒業の時はたいてい主席の成績だ。それでも日本の演奏家は飽和状態なので、そのまま外国に居住することになる。わが長男のようにスペインまで行くのはめずらしく、たいてい出身の音楽院の周辺に仕事を見つけることになる。長男の高校の同級生も、ヨーロッパ全土に拡散している。グローバルで楽しいことだが、何となく寂しいような気もする。新谷さんはスラッとした美女で、演奏技術は申し分なく、ドイツでも人気があるのでは思う。
08/05
土曜日。頼んでおいた名刺をとりにいく。時々肩書きが変わるので名刺をかえないといけない。今度の名刺はものすごくシンプルにした。孫たちは昨日から四日市の次男宅なので、うちは平和である。このあいだまでわれわれが乗っていた車を次男に下げ渡したので、次男の車も緊急用の三列シートがあるから、何とか人は乗れるだろう。次男の嫁さんから電話あり。次男の運転で奈良に出かけたとのこと。暑いが、長女は四歳だから、大仏など見ると記憶に残るだろう。妻が風邪でダウン。こちらはひたすら仕事。少し調子が出てきた。
08/06
日曜日。暑い。妻が風邪で完全にダウン。孫のいない時でよかった。こちらも何となく喉がおかしい。正月にスペインに行った時も、タイムラグで日本に帰ってきいからこちらがダウンして、その後、ずっと喉の調子がよくなかった。といってどうすることもできないが、まあ、急ぎの仕事がないのでのんびりしている。
08/07
「週刊ダイヤモンド」の取材。『父親が教えるツルカメ算』関連。父と子の問題というのは永遠のテーマだ。暑い日が続く。孫はまだ帰ってこない。この間に仕事をしないといけないのだが、気持ちがゆるんでしまう。昨日の夜中はF1を見てしまった。いままで見たF1の中で一番面白かった。アロンソとシューマッハがともに予選でペナルティーを受けて、後方からのスタートだったのが、アロンソのものすごい追い上げで、シューマッハは雨天のタイヤが不調でずるずる後退して、こころアロンソがポイントを上げ、シューマッハがゼロ点だと今シーズンが終わってしまうと思っていたら、アロンソがリタイアして、シューマッハは路面が乾いてきたので急に元気になってトップに出そうだと思っていたら、あと5周くらいのところでタイヤが摩耗してアウト。それでホンダが復帰後初優勝というオマケがついた。レース途中までは、アロンソ優勝、シューマッハゼロの可能性と、そのまったく逆の可能性があって、結局、二人ともゼロということになった。それにしても、ハンガリーに雨が降るというのは、あまりそういうイメージがなかったので意外だった。
08/08
取材一件。あとはひたすら仕事。いちおう軌道に乗っている。あとは分量を考えながら必要事項だけをセレクトして書いていくだけだ。四日市の次男から電話。孫たちは無事、大阪に向かったとのこと。土曜日は奈良、日曜日は伊勢、昨日は四日市近辺を回ったそうで、孫たちも楽しんだのではないか。
08/09
調子は出ているが、時代状況を書いていると、なかなか話が先に進まない。小説よりも長くなってしまってはいけないので、あとで削っていく作業が必要だ。台風接近で雨。大阪は晴れているようだ。孫たちは本日は大阪で親戚と会っているはず。
08/10
夜、東京駅まで孫たちを迎えに行く。今日は一日、京都を見物したようだ。やれやれ、また日常が戻ってきた。長女はまた日本語がうまくなった。言葉は使っているとどんどん憶えていくものだ。これがまたスペインに戻ると消えてしまうのだろうが、何かもったいない感じがする。テレビ電話でもっと話をするべきか。
08/11
日経新聞の取材。著作権問題。著作権の保護期間の延長に関して、著作者団体と協議をしているので意見を求められる。この問題はとてもクリアーなので、問題というほどのこともない。作家が亡くなった時に奥さんが20歳(そういう奥さんもいるだろう)だったら、原稿では70歳になった時に著作権が切れてしまう。子供は0歳の場合もあるので、50歳になったら切れてしまう。一般のサラリーマンの年金も半分は奥さんのものだという時代だから、妻子が生きている間に著作権がなくなってしまうというのは、時代に合わない。すでに欧米先進国では作家の没後70年ということになっているので、フェアに平等につきあうためにも、70年にすべきだということだ。青空文庫などのボランティア活動については、著作権の保護期間に関わらず、文藝家協会で対応できないかと考えている。このためにはご遺族へのレクチャーが必要だが、ご遺族のご理解を得るために最大限の努力をしたいと考えている。今日も暑い。記者が来た時にはまだ孫がリビングルームを走り回っていたのだが、そのうち静かになった。下北沢方面に散歩に行ったようだ。
夜、甲府に出張に来ていた次男が帰りに寄ってくれた。嫁さんはお盆で宇部の実家に帰ったとのこと。次男もこれから宇部に向かうのだが、週末は孫たちといっしょにいるとのこと。孫たちは四日市の次男のところに4泊したばかりで久しぶりというわけではないが、二人きりの兄弟なので、できるだけいっしょにいたいということだろう。四日市での出来事は話としては聞いているのだが、目の前に兄弟が揃っているところを見るのは正月以来だ。わたしの人生の重要な局面として、二人の息子を育てたということがある。子供たちが赤ん坊だった頃から、大学生くらいまで、いっしょに暮らした。20年ほどの年月はけっして短くはない。ただ次男が社会人になってから(会社の独身寮に入った)、夫婦二人きりの生活が数年続いているので、息子たちといっしょに暮らしていた日々が遠い昔のように感じられる。しかし改めて息子たちの顔を見ると、そういう日々もあったなと思うと同時に、この人生で彼らと出会えてよかったと思う。ところで次男はグルメである。渋谷まで迎えに行った妻が、腹の具合を尋ねると、空腹だと言う。残りものが何もないので、とっさに、今月の初めにわたしが宇都宮でお土産に貰った冷凍餃子があるのを思い出して、宇都宮餃子があると言うと、それは××か、銘柄を指定した。有名な餃子屋があるらしい。われわれは「餃子だ」と思っただけで冷凍庫に放り込んであったのだが、冷凍庫から出してみると、次男が指定した銘柄の餃子であった。ということで、土産をくれた専門学校に感謝。
08/12
昼頃に起きると誰もいない。多摩動物公園に出かけたとのこと。子供たちが小学校の頃までは、八王子に住んでいた。だから多摩動物公園は懐かしい場所だ。バルセロナにも大きな動物園があるので、動物園が珍しいわけではないが、父が子供の頃に行った動物園ということで、娘に店に行ったのだろう。次男も懐かしいのではないか。ところで、子供が生まれる前にも、わたしは妻と多摩動物公園に行ったことがある。そのころは井の頭線の渋谷から一つ目の神泉にに住んでいた。鉄道のストがあって、定期をもっていると、お詫びに全線乗車券をくれた。京王線でいちばん遠いところというと高尾山口だが、高尾へは行ったことがあったので、動物園に行くことを思いついた。正式結婚前の同棲時代の思い出である。ということで、この動物園にはけっこう思い出がつまっている。
ところで、わたしのところにはジャンクメールがたくさんくる。ホームページにアドレスを出しているので仕方がないと諦めていたのだが、自動的にメールを送るシステムがあるみたいで、同じメールが何通も来る。それでホームページに出してあるアドレスに無意味な記号を入れて、自動送信できないようにすることにした。ということで、黄緑の背景のインデックスページはすぐに修正したのだが、わたしのホームページにはミラーサイトがある。こちらの方が打ち込みが簡単なので名刺にも刷り込んである。以前使っていたプロバイダーをそのまま解約せずに残してあって、メールは転送の手続きをとり、ホームページはインデックスページだけ残してある。こちらのインデックスも修正しようと思ったのだが、これは光ケーブルでは遅れない。昔と同様、電話をかけるしかない。ところがいま使っているモデムがなぜか動かないことが判明した。昔は原稿をFAXで送ることもあって、モデムをよく使っていたのだが、いまはメールに貼り付けるからFAXでモデムを使うこともない。もう長い間使っていないのだが、確かに昔はモデムでファイルを送った記憶がある。しかしどうすれば修復できるかわからないので、とりあえず、原稿を書くのに使っているノートパソコンで送ることにした。これは大学から貸与されているパソコンで、ウイルスが怖いのでネットにはつながないことにしている。大学の研究室で直結で使ったことはあるし、大学内だと電波でも動くはずだが、モデムを動かしたことはない。しかし中を開けてみると、おそらく旅先からの接続を考慮したものらしく、電話で大学のサーバーにつなぐ接続のアイコンがあった。ということはモデムが内蔵されていることは間違いない。ということで、新しい設定を入力したのだが、これがまた難しい。パソコンを買い換える度にやった手続きなのだが、老人はそういうことはすぐに忘れてしまうので、どこをどうすればいいか、まったくわからない。ただいまのパソコンのモデムを設定した時、電話のトーンをパルスにするのに苦労した記憶があった。わたしのところの電話はプッシュホンのかっこうはしているのだが、回線はアナログ式なのだ。使っているパソコンの設定をプロパティーで調べてコピーするだけでいいのだが、機種が違うので微妙に何かが違っている。ということでえらい苦労をしたのだが、ちゃんとつなげた。インターネットから入って、ちょんとインデックスページが更新されていることも確認。やれやれ。
08/13
日曜日。この暑いのに孫たちは秋葉原に出かけた。次男のみ家にいる。妻は風邪が悪化。3日ほどのタイムラグでこちらも風邪気味。ということは3日後にこちらも悪化するか。いまのところ医者の薬で咳はひどくなっていないが、微熱と喉の痛みがある。仕事は何とかできている。空海の「秘密曼荼羅十住心論」をどう説明するか。それだけで本一冊ぶんになるので、何も説明せずに項目だけ羅列することにした。3行ほどですんだ。
08/14
お盆に嫁さんの実家へ行く次男を羽田まで送っていく。去年のいまごろ、嫁さんのお父さんが亡くなった。われわれもあわてて葬儀に参列した。二姉妹の長女と結婚したので、次男は長男の代わりみたいで大変だったが、よく働いていた。わたしも長女と結婚したので立場は同じだが、義父母はまだ生きている。嫁さんのお父さんはわたしより年下だった。個人営業のシステム・エンジニアで、だからわたしと同じような孤独な仕事だった。集中しすぎで無理がたたったのだろう。わたしはなるべく集中しないようにしているから大丈夫だ。
08/15
風邪が長引く。妻はダウン。孫の疲れか。
08/16
医者でレントゲン。悪化はしていない。ただ気分としては悪化している気がする。医者によると奥さんの方が重症だとのこと。確かに妻の方がストレスが多い。「謎の空海」は半分くらいのところまでは来ている。唐に向かうまでの経緯を書いているのだが、分量としても適当だと思う。小説ではないので、思想についてつっこんで考えることもできるのだが、難解になりすぎてもいけないので、さらっと書きたい。むしろ政治力学の方が面白いだろう。
08/17
長男はスペインで床屋に行った時、ぼんやりしているうちに切りすぎて、収拾がつかなくなった。スペイン人の髪は柔らかいので、切りすぎてもどうということはないのだが、日本人の髪は硬いので、カッパみたいになってしまう。長男はそういう状態にで帰国したので、会った人のすべてから、その髪は何だと指摘されていた。で、「ウエスカの結婚式」にも登場したキミコさんが、自由が丘の美容院につれていってくれた。ついでに長女も髪をセットしてもらったようだ。本日は次男の嫁さんが来た。人数が増えてにぎやかになった。長男のところの次女と、次男の嫁さんは、同じ名前だ。スペイン人はよく同じ名前をつける。長女が次男の結婚式に出席して、次男の嫁さんを気にいって、同じ名前にしようと提案したらしい。ということで、本日はあまり仕事は進まず。
08/18
横浜へ行く。中華街などを散歩。孫たちはクルーズディナーの船に乗ったので、わたしと妻は中華街に戻って食事。それから大桟橋まで迎えに行く。結局、一日つぶれた。夜中に次男くる。今度は嫁さんもいるので家族が勢揃いした。にぎやかでいいが、何だか疲れる。
08/19
土曜日。スペインふうに午後のディナー。自宅で焼き肉を食べる。孫たちは夕方から下北沢へ。阿波踊りなどをやっていたので面白かったようだ。孫たちの滞在も残り少なくなった。とても疲れる人々だけれど、いなくなると寂しくなるだろう。
08/20
日曜日。孫たちの最後の滞在。長男、次男、その嫁さんらは、三軒茶屋のマッサージ屋に行ったので、しばらく孫の守り。それから三軒茶屋のキャロットタワー。ここはまあ、三軒茶屋のランドマークなのだが、地元の人はめったに行かない。しかし嫁さんの甥がいるので、とりあえず最上階に昇ってみると、曇ってはいたが富士山のてっぺんだけが見えたので、あれがモンチーニャ・フジだと教えると喜んでいた。サラリーマンの次男を東京駅まで送っていく。わたしはサラリーマンというものを尊敬している。わたしは三年くらい、サラリーマンを体験したが、なるべく早くやめるということを前提に、よく働いた。次男はそういうものではなく、ずっと会社で働いているので、わが子ながら、尊敬している。長男はピアニストなので、いまは高等音楽院で働いているが、ほとんど自営業みたいなものだ。しかし長男にはピアノを弾くという技術がある。わたしだけが、単なるフリーターという感じがする。
サラリーマンの次男は四日市に帰り、長男たちは荷物を作り、孫たちも寝たのだが、嫁さんの甥の十五歳の少年と、次男の嫁さんが起きていて、英語で何やら話しているうちに、彼がビートルズのカバーなどをするバンドをやっているというので、突然、彼の伴奏でわたしが「レット・イット・ビー」を歌うことになった。あー、すごいことだなあ、と思う。わたしはビートルズのほとんどすべての曲を歌えるが、40歳も年齢の違う若者とセッションをするとは思わなかった。
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08/21
昨夜は早く寝ようと思って飲み始めたのだが、結局、明け方まで飲み続けたので、ひどい宿酔。自宅で宿酔してどうするんだ。しかし孫たちが出発する日。8時半に出発。一ヶ月の滞在がようやく終わる。老夫婦の静かな生活に慣れたわれわれにはハードな日々であったが、長女が幼稚園に通ったことと、お盆の前の頃は四日市にいる次男のところへ行ってくれて休めた。ただこちらは風邪が長引いて、疲労が蓄積している。しばらくはのんびりしたい。孫たちがゲートに入っていく時、二人とも小さな手を振ってくれる。孫というのはいいものだという凡庸な感想を抱く。
08/22
孫が帰った翌日。孫疲れでぼうっとしている。昨日、高校野球の決勝戦を見た。すごい試合だった。わたしは小学校の頃、選抜で王貞治投手が優勝したのを見て以来、早実のファンである。その頃からの早稲田好きで、大学も早稲田で、いまは先生をしている。今年は東京大会の決勝戦を見たけれども、接戦だった。あまり強いという印象はなかった。打線は予選ではホームランなしで、コツコツと打ち、ちょこちょこ走るという感じで、典型的な弱いチームのスタイルだったが、甲子園に出てみると堂々と打ち勝つチームに変身していた。さい、本日は疲れでぐったりしているが、「謎の空海」を書いている。枚数としてはちょうど半分くらいのところで、予定のペースより遅れているが、仕方がない。喧噪の中でよくここまで書いてきたと思う。明日からは著作権の仕事なども入って、夏休みも終わりだが、まあ、日常のペースが戻ってくるので、仕事も進むだろう。まだ大学は当分休みなので、仕事のペースは上がると思う。
08/23
著作権を考える創作者団体協議会に出席。前回に引き続き議長を務める。会議は順調。会場のジャスラックは代々木上原で、自宅まで徒歩三十分。いい散歩になった。
08/24
孫がいなくなって3日目。徐々に日常性を取り戻しつつある。風邪の薬の影響だと思うがまだ体調は万全ではない。本日は文化庁の会議。昨日の会議で、わたしが発言して問題提起をする段取りになったので、発言した。他の委員の賛同の意見が相次いだので役目は果たせた。帰途、電車で帰宅するのは久しぶりだなと思った。大学は夏期休暇だし、著作権がらみの会議もしばらくなかった。昨日の会議は徒歩で帰ったからまったく反対の方角だった。それで池尻大橋からの帰路の緑道を通るのは、今月初めに宇都宮に行って以来かとも思った。その時、季節はずれのカルガモのヒナを見たように思ったのだが、もしかしたら夢だったのかもしれないと思っていた。本日、確認。まだかなり小さいヒナが8羽、元気に育っていた。カメラを忘れたな、とドキッとしたが、べつに写真に撮る必要はない。実はは去年の10月から今年の7月まで、原稿料をもらってブログみたいなものを出していた。こちらは写真つきだったので、つねにカメラをもって何か写さないといけない。それがプレッシャーになっていた。先月末で終わったので、いまはカメラは必要ないのだが、トラウマになっていてドキッとする。
08/25
「父親が教えるツルカメ算」増刷決定。ビジネス街の本屋(わたしの本はあまり置いていない)に行っても平積みになっていた。ビジネスマンのお父さんに読んでもらいたい。インタビューの申し込みも入っているので、まだ伸びるだろう。
08/26
土曜日。月末も迫ってきたが、「謎の空海」はまだ半分をすぎたところ。孫が帰ってからの一週間に疲れが出てペースが落ちた。もう気持ちとしては、孫のことはきれいに忘れているのだが、体がついていかない。著作権の仕事で外に出かけるということも、久しぶりなので体が覚えていないので疲れが出る。来週の月曜は超ハードなスケジュールになる。体調を調えないといけない。
08/27
日曜日。作家に日曜日はない。ひたすら仕事。
08/28
自宅にて打ち合わせと取材。4件。午後1時、2時、4時、7時にスケジュールを入れた。7時からのは飲み会も兼ねている。長い一日だ。あいまにちゃんと仕事もした。
08/29
散歩のみの一日。暑い。
08/30
散歩。渋谷まで歩いた。昨日よりはまし。
08/31
新潮社の前担当者と現担当者と祝杯。「父親が教えるツルカメ算」の出版記念の打ち上げのはずだが、スケジュールがあわず少し遅れての宴会、と思ったら増刷が決まったので増刷祝いになった。最近の出版は部数を絞って出版するので、増刷が出ないと赤字になるので、増刷が出てようやくトントンというところだ。書き手としても、増刷されないと生活が苦しいので、まあ、ほっとした。原稿を渡して1回書き直しのところまでが前担当者で、ゲラの修正が現編集者。いろいろとお世話になった。あと何回か増刷してほしい。
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