
07/27
本日、ウェスカの孫が三宿にやってくる。が、こちらは日帰りで佐賀で講演である。孫の初めての里帰りであるが、4月にこちらがウェスカへ出向いて孫とは対面しているから、孫の到着が待ち遠しいというほどではない。うるさいものが来る、という感じである。まあ、「ヤマトタケル」の校正が終わり仕事が一段落しているので(400円ミステリーを書かなければならないのだが)、うるさいものの相手をする心の準備は調っている。
早朝、成田に迎えに行く妻の車に同乗して、最寄り駅まで送ってもらう。池尻大橋から半蔵門線で青山一丁目乗り換え大江戸線、大門でモノレールに乗り換え。羽田に着いて、地下の本屋を点検。「角王」平積みになっている。2階の本屋は棚に1冊あるだけ。しかし本があるだけでもありがたい。ふつうこういう本屋にわたしの本が存在していたためしがない。ノベルス版の効用か。カード会社のラウンジでひまをつぶす。成田のラウンジはビールが飲めるがここはビールは有料。前夜から一睡もしていない。ここで眠くなっては困るのでジュースを飲む。
荷物検査のゲートをくぐり、待合室に入ったところで妻のケータイに電話すると、長男が出た。すでに成田から三宿に向かっているという。無事着いたことが確認できたので、安心してビールを飲む。わたしが日帰りで佐賀に向かいつつあることを妻は告げていなかったので、電話に出た長男が、「あなたはどこにいるのよ」などと尋ねた。「これから佐賀に行く」と言うとびっくりしていた。
佐賀の講演は稲門会の支部会で、総長の講演とセットになって、早稲田エクステンションセンターが共催するもの。去年の夏も前橋でやった。講演の後の宴会で総長が「人生劇場」を歌いながら踊るのには驚いたが、今年も同じ踊りを見た後、退席。福岡から羽田に向かう。講演の前に妻のケータイに電話したら次男が出てきた。つくば市に勤務先のある次男も前日の金曜深夜に三宿に戻っている。妻のケータイに次男が出るということは、ケータイが三宿に存在しているということで、孫も無事に三宿に着いたのであろう。次男は口数の少ない人物なので、これから佐賀で講演をする、と告げると、今夜は帰るの、などと訊く。日帰りで佐賀に行くと前夜告げたはずなのにろくに聞いていないのだ。帰りの飛行機に乗る前に電話したらまた次男が出た。これから飛行機に乗る、とだけ告げた。次男は何も語らず。
三宿に着いたのは11時。2階から孫の声が聞こえてくる。妻とエレーナの声も聞こえるので、二人で寝かしつけているのだろう。自分でカギを開けて家に入る。長男と次男がパソコンの前で何やら画面をのぞきこんでいる。長い一日を終えてようやく帰り着いたのに慰労の言葉もない。やがて妻とエレーナが2階から降りてきた。孫も一緒。4月に比べれば倍くらい大きくなっているはず(体重が)だが、大きさはそれほどとも思えない。目がぱっちりして美人になっている。ほっぺたが丸いのは、わたしに似ているのだろう。やれやれ。疲れがドッと出た。
07/28
いつもどおり正午すぎに起きる。孫たちもヨーロッパ時間だから同じような感じ。スペインの流儀に合わせて、午後の食事をディナーとする。妻が天ぷらなどを作る。次男もいるので、わが家族がフルメンバーで揃った。寝たきり老犬のリュウノスケも元気によたよた歩き回っている。自力で起き上がることができないので、人がいないと寝たきりになるのだが、軽く支えてやると立ち上がることができる。日によって一歩も歩けないこともあるが、元気にすたすた歩くこともある。本日は元気な日だ。人の気配に呼応して元気になったのだろう。オムツをつけた犬が歩き回っている。オムツをつけた赤ん坊がラックに座っている。同じようにオムツをつけていても、赤ん坊には未来がある。犬には未来がない。この15年の犬との付き合いを思うと、胸が痛む。
長男一家は世田谷公園に散歩に行った。そこから三軒茶屋に向かうというので、われわれも次男を誘って三軒茶屋に向かう。西友ストアで買い物。夜は軽い食事。本日は日曜日。明日から仕事のある次男は車で帰っていった。夜中、寝かしつけた孫を残して、長男とエレーナは散歩に出かける。あとで聞くと和食の店に入ったとのこと。三宿は不夜城である。わたしは「マイナスの青山」と呼んでいる。渋谷を原点0とすると、プラスの方向が青山で、同じ距離でマイナスの方向に進んだところが三宿だ。青山もどきのオシャレな飲み屋がいろいろあるが、値段は少し安い。しかし、長男が入った店は、値段も青山並なので、わたしは一度入っただけで、二度とは行かなかった。長男も、もう行かないと言っていた。
長男とエレーナが夜の散歩を楽しんでいる間、わたしは緊張状態だった。妻も寝てしまったので、わたしは、孫が泣いていないかと耳をすましていた。いろいろと空耳が聞こえる。冷蔵庫のうなりとか、近所の犬の声とかが、孫の泣き声に聞こえる。5分おきくらいに、階段のところまで行って、耳をすませた。結局、長男が帰ってくるまで、孫は一度も泣かなかった。4月にウェスカに行った時も、毎日、深夜になると孫の番をさせられたのだが、息子のウェスカのアパートは隣の声も聞こえるくらいだから、孫が泣けばすぐにわかる。わたしの家は広いので、緊張して耳をすましていないといけない。仕事をすることも、テレビを見ることもできなかった。
08/01
浜名湖の仕事場へ移動。むろん孫も一緒。今回は仕事をしにいくのではない。大阪から来ている妻の両親に孫を見せるのが目的。愛犬リュウノスケは動物病院に緊急入院させた。まったく歩けなくなったので仕方がない。車は孫関連の荷物で満杯。渋滞もなく無事、三ヶ日に到着。
08/06
富士山の叔母さんの別荘に移動。涼しい。浜名湖では、孫を舞阪の海や阿多古川に連れていった。仕事としては、「夢将軍頼朝」のゲラをかかえていた。これは最初「頼朝」というタイトルだったのだが、編集者のアドバイスで「鬼武者」にタイトルを変更していたのだが、営業からのクレームで、今度は「夢将軍」というタイトルになった。「夢」という語を入れてくれというのは編集者の提案だが、「夢将軍」というのは自分で思いついたもので、不満はない。結局「夢将軍/頼朝」ということで落ち着いた。タイトルが変わったので、最初から読み返して、「夢」につながるような言い回しを少し増やしたが、読み返してみると、もとから「夢」という言葉は効果的に使われていた。ある種のキーワードになっている。前作がシンプルな「清盛」というタイトルだったので、「頼朝」で行きたかったのだが、「清盛」が売れなかったので、やはり魅力のありそうなタイトルにしないわけにはいかなかった。読者に恵まれないと、タイトルが物欲しげなものになってしまう。
叔母さんの別荘は涼しい。仕事場もこういうところに造ればよかったと一瞬思ったが、冬は寒いだろう。浜名湖の仕事場は、冬は暖かく、年中使えるのがメリットである。しかし夏は暑い。今年の夏はとくに暑かった。富士山は快適で、オウム真理教の教祖も暑がりだったのだろう。
08/08
三宿に戻る。ゲラは完了している。ミステリーに戻ってワープロを叩いてはいるのだが、まだ集中力が不足している。孫は明るく元気でまったく人見知りをしない。父親の日本人に似て鼻が小さく顔の輪郭が丸い。しかし母親のスペイン人に似て目がパッチリしていて、通りがかりの人が駆け寄って、お人形さんみたい、と絶賛する。孫というものは、どんな孫でも可愛いものらしいが、うちの孫は客観的に見ても可愛い、などと考える。ジジバカである。
08/09
集英社へ出向いて、校正者がチェックしたゲラと、こちらのゲラを付き合わせる。主に、校正者のギモンに答える作業が続く。歴史小説なので、歴史を偽るわけにはいかない。「新アスカ伝説」なら何を書こうと自由自在なのだが、頼朝の場合は、いろいろと制約がある。頼朝は空を飛ばない。超人ではない。しかしそれなりに魅力的な人物である。校正者は実に細かいところをチェックしてくれる。ありがたいことである。しかし、うるせえ、と怒鳴りたくなることもある。校正者が目の前にいるわけではない。それに、明らかにこちらのミスだと思われる箇所もある。校正者のおかげで、ミスを未然に防ぐことができる。この校正者は「清盛」も担当してくれたので、担当編集者に次ぐ、第二の読者である。もう一人、若い女性編集者も校正を担当してくれた。つまり「頼朝」の読者はいまのところ三人いることになる。三人も読者がいるというのは、すごいことである。
08/16
孫はスペインに帰っていった。寂しいが、正直のところ、やっと帰ってくれたという気持ちもある。この三週間、ほとんど仕事ができなかった。近所のスペイン料理店で食事をしたり、浅草へ行ったり、数々の楽しい想い出がある。わが母、姉など、必要な人にも会わせることができた。息子たちは大量の荷物とともに飛行機に乗り込んだ。赤ん坊用のベッドを取り付けることのできる壁の前の席も確保できたようだ。妻の運転で成田から帰る時、涙ぐむような気分になったのは、孫がいなくなって寂しいということではなく、祖父母としての務めを果たせたという安堵感のようなものではないかと思う。
08/17
動物病院へ愛犬を引き取りにいく。リュウノスケはいよいよ体が弱って、点滴を受けていた。寝たきりである。入院前は、自分で立ち上がることはできないが、立たせてやれば、しばらくは立っていた。数歩くらいなら歩けた。入院させたために、ますます弱ったという気持ちもあるが、こちらは孫の世話をしていたのだから仕方がない。孫とは今年の四月に一週間ほどウェスカで付き合ったのと、今回の三週間の共同生活だけの付き合いだが、犬とは十五年の付き合いだ。まだ犬の方がはるかに存在感が重い。それだけに、立つ力のなくなった犬の姿を見るのはつらいが、十五年も生きたのだから、これも宿命というものだろう。
いまは寝たきりで、ものを食べる力もないが、注射器みたいなもので水やミルクを飲ませれば、ゴクンと飲むことはできるので、点滴は必要ない。入院までは、まだ立とうとしてもがいていたので、その度に仕事を中断して、起こしてやらなければならなかったが、寝たきりになってくれたおかげで楽になったようにも思う。犬も安らかに眠っている。このままどれほど生き続けるのかわからないが、最善を尽くしたいと思う。孫にも最善のサービスをした。犬にも最善のサービスをする。もちろん、読者に対しても最善の作品を提供しなければならない。
08/21
昨夜は学研の担当者と三宿で飲んだ。「ヤマトタケル」の見本が届いた。三部作がこれで完成した。まずはそのことを喜びたい。売れ行きは、まずまずというか、初版の刷り部数に対して、期待通りの売れ行きになっていないので、三巻目は刷り部数が減ってしまった。このままの状態が続けば、四巻目はますます部数が少なくなる。そうなると平積みで置けなくなるし定価も上がる。ますます読者に届きにくくなる。しかし、とにかく四巻目は書くことにする。できれば六巻目までは何としても書きたい。ちなみに、四巻目は神功皇后、五巻目は応神天皇、六巻目は仁徳天皇である。仁徳天皇は日本最大というか世界最大の墳墓として有名なので、名を知っている人もいるのではないか。
さて、ミステリーである。締切まであと十日となったが、まだ三分の一くらいだ。これからペースを上げたい。書き下ろしの締切というのはかなりダルいものだと思っているから、まだ追い詰められているわけではない。第一の殺人がようやく起こった。しかし伏線として二十年前の殺人はトップシーンで暗示してある。担当編集者に最初の五ページで殺人が起こるようにと指示されているのだが、この二十年前の殺人でごまかして、第一の殺人はなかなか起こらないように設定した。登場人物は六人。この六人が軽井沢の山荘の地下に閉じ込められる。ここから、一人ずつ、死んでいくことになる。女二人は除外して、男が四人。このうち二人が死んだ段階で、お互いに、相手が犯人だと思うことになる。で、どちらが犯人かということは、ここには書けない。犯人がわかってしまっては、誰も本を買わないだろう。
とはいえこの作品は、謎解きや犯人探しよりも、四人の中年男と二十年前の青春を描いたものである。いくぶん叙情的に、人生とは何か、青春とは何か、という純文学的なテーマを、密室の連続殺人を軸に展開したいと思っている。一人目が死んだので、ようやくエンジンがかかってきた。
08/24
孫がスペインに帰って一週間になる。成田に送りに行った直後は寂しいという気もしたが、老夫婦二人きりの日常が戻ってきた。病院に預けていた老犬が戻ってきて、けっこう大変だ。犬は寝たきりになっている。病院では点滴を施されていたのだが、自宅に戻ると元気が出てきた。立つことはできないが、チーズやカステラなら噛んで食べるようになった。液体を飲むのは難しいようで、注射器みたいなもので水とミルクを与えている。寝たきりで動けないのだが、前脚に力を入れて立とうとする仕種を見せる。これが続くようだと、かえって床ずれがひどくなるのだが。まあ、元気になったので、医者に往診を頼む必要はまったくない。点滴が必要なら往診してもらわなければと思っていたのだが。
400円ミステリーは、孫の相手をしていたせいで、8月前半はまったく進まなかった。しかし孫が帰ってからは、順調に進んでいる。いま半分くらいのところまで来た。締切まであと一週間あるから、頑張れば草稿は完成するかもしれない。しかしミステリーだから、最初から読み返してチェックする必要がある。渡すのは少し先になる。この企画は、岳真也、笹倉明の両氏との共作ということでスタートした。親しい作家であり、要するに、売れない純文学作家ということで共通しているのだが、笹倉は直木賞作家だから、ミステリーふうのものは書いたことがある。岳氏は、最近は時代物を書いてはいるが、ミステリーの経験はないから、難渋しているはずだ。他の二人が締切から大幅に遅れることを期待する。
新アスカ伝説のシリーズは、もうすぐ三冊目が出る。三軒茶屋の本屋では、「活目王」は平積みになっているが、「角王」はタテになって2冊置いてあるだけだ。「ヤマトタケル」が出ると、「活目王」はタテになるだろう。それでも、「ヤマトタケル」が平積みになっている間は、注目度はある。3冊ともタテになってしまった時に、どういうことになるのか。結局のところ、4冊目を書くしかない。1冊目が完売していな状況なので、4冊目、5冊目となると、次第に発行部数が少なくなっていく。経済的には厳しくなるが、それでも出し続けていかないと、すべての本が書店から消えてしまうおそれもある。ということで、とりあえず年内に「アスカ伝説C息長姫/オキナガヒメ」を書くことにした。やるしかない。
08/27
スペインに帰った孫と入れ違いに、犬が病院から戻ってきた。病院では点滴という状態だったのだが、わたしと妻の献身的な介護によって、まずミルクが飲めるようになり、続いてカステラやパンが食べられるようになった。寝たきりであるから、水も、注射器のようなもので飲ませてやらなければならないが、パンはちゃんと噛んで食べる。昨夜、突然、血尿が出たが、人間用の抗生物質を与えたら今日は回復した。シベリアンハスキーの十五歳は寿命といっていいので、入院させて延命措置を施すのは、かえって犬に負担を強いることになるだろう。点滴をしている犬を見てそう思った。自宅で天寿をまっとうさせてやりたい。
400円ミステリーは、ようやく、半分を越えた。値段の安い本だけに、原稿の枚数もわずか200枚だから、半分を越えたら、残り100枚を切るということで、いきなりラストスパートということになる。500枚の作品であと100枚を切ると、もうゴール寸前という感じがする。これくらいになると、1日に20枚くらい書けることもあるから、今週中には、ゴール寸前というところまで行けるのではないかと思う。
9月のスケジュールを見ると、文化庁の会議が6回もある。ペンクラブが2回、文芸家協会が1回ということで、会議で時間がつぶれてしまう。ということで、ミステリーはなるべく早く完成させてしまいたい。「夢将軍頼朝」の再校も届いたが、これは担当者のギモンに答えるだけにとどめる。初校はきっちりと2回読み返したので、もう大丈夫だろう。「清盛」に比べると、かなり小説としてのテンポがよくなっている。自分にとっても、貴重なステップになる作品だと思う。
今回のミステリーは、密室連続殺人なので、謎解きという要素もあるのだが、ある程度、リアルな人間像を描いているので、現代小説、という感じになっている。天下国家を論じる作品ではない。「頼朝」も「ヤマトタケル」も、いってみれば「王子」が「王」になろうとする話である。つまりロマンスといっていい。ミステリーではひさしぶりに、一般庶民が主人公だから、リアルではあるが、少し寂しい。せちがらく侘びしい話を書いているという感じがしてしまう。現代小説、というのはそういう意味だ。まあ、たまにはこんなものもいいだろう。
08/29
祥伝社の担当者から電話。売れないトリオの他の2人の状況を聞くと、笹倉明は9月半ば、岳真也も遅れ気味とのこと。とりあえずこちらも9月半ばと答えておく。まだ半分しかできていないが、孫が帰った8月の半ばから書き始めたのだから、あと半月あれば、充分にゴールにたどりつけるだろう。そう思うと少し気がゆるんだ。こういうことではいけない。あと一週間くらいでゴール寸前までたどりつきたい。
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