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04/20
第五章完了。あと一章で終わるが、山場の結婚式は終わった。あとは披露宴のもようと、その後の旅を簡単に追いかけて、最後に犬と出会っておしまいだ。私小説というのは、ストーリーを考えなくていいから楽ではあるが、自分を見つめる作業なので厳しい。あまり見つめずに出来事だけを羅列している感じもするが、あまり深く見つめすぎると暗くなる。ユーモアエッセーとしても読めるものにしたい。最初から読み返して、暗くなりすぎている部分は修正したい。
「頼朝」の資料も読んでいる。出だしの部分は文覚が中心になるのか。少年時代の頼朝を描きたい。その場合、少年の視点ではなく、外部からの視点としたい。後白河の視点では困るので、文覚を考えている。文覚が伊豆に流される場面で、その後の主要登場人物を揃えておきたい。時代的に無理かもしれないが、北条、安達、それに梶原は必要だ。何とか状況設定を工夫したい。
あと一章は一週間かかる。それから最初から読み返すので、完成は連休明けとなるが、テストとして「頼朝」の文体チェックもしたいので、文覚を中心としたプロローグを書き始めないといけない。上西門院の周辺にいる人物を、文覚の視点で描いていく。動きがあまりないので、小説のプロローグとして適当か。この作品は、歴史評伝の一貫なので、あまりあざとい導入部にはしたくない。淡々と歴史を語るという文体でスタートしたい。
04/23
いま6章(最終章)の半分くらいのところ。ゴールが見えてきた。ここでこの作品のコンセプトを改めて考えてみたい。この本は私小説であると同時にユーモアエッセーという感じでスタートした。私小説の基本は自分を見つめるということで、わたしは小説家としての出発点以来(最初の作品「Mの世界」ということだが)、自分を見つめ続けてきたつもりだ。しかし最近は歴史小説を書いているので、書いている自分自身を直接見つめるということはなかった。たとえば女帝三部作に出てくる参謀的な人物、吉備真備、藤原不比等、蘇我蝦夷といった人物に、自分を投影するということはある。むろん主役の道鏡や聖徳太子にも自分は投影されている。しかし歴史的な人物にシンパシーを求めるというやり方では、焦点がぼやけて、自分が見えなくなるということがある。そこでたまには自分を見つめたいという欲求が起こる。
ただし、わたし自身、ふだんの日常生活で、それほど自分を見つめているわけではない。作品を書き始めれば、作品のことを考えるしかないわけで、自分のことは忘れてしまっている。たぶん、どういう作品を書くかというあたりに、いま自分が何をなりたいかということが見えてくるはずだが、職業として作家をやっている以上、停滞は許されないので、スケジュールに従って次々に作品を書いていくということになる。最近出た本は「三田誠広の法華経入門」という作品だが、これも出版社からのオーダーで書いたものだ。むろんオーダーがあっても書きたくなければ書くことはない。昨年の「星の王子さまの恋愛論」にしても、たまたまサン=テグジュペリの生誕百年ということで、企画が持ち込まれたのだが、言われてみれば、サン=テグジュペリについて書きたいという気がしたから書いたわけだ。しかし言われなければ、サン=テグジュペリについて本を出したかどうかは何とも言えない。少なくとも昨年出すことはなかっただろう。
サン=テグジュペリも「法華経」も、読んだのは高校の頃だ。一年間、登校拒否をして、閉じこもっていた。その頃に、聖書を読み、仏典を読み、古典文学を読み、哲学を読んだ。アインシュタインについて考えていたのもそのころのことだ。そのころの自分を振り返りたいという気持ちはいつももっているし、あのころ考えたことが、いまの自分にとってどのような関わりをもっているか、ということもじっくりと考えてみたいとつねに思っている。たまたま出版社からオファーがあり、テーマを与えられた時に、書きたい、という気持ちがわきおこるのは、高校時代の自分と関わっているからだ。もちろん編集者の方も、わたしのこれまでの本、たとえば「十七歳で考えたこと」などの本を読んでいて、わたしが高校時代に、サン=テグジュペリについて考えたり、仏典を読んだということを知っていて、提案をしてくるのだ。その編集者の努力にむくいたいという気持ちもある。こちらが書きたいと思っても、現在の出版状況では、企画が通らないということもある。編集者の方から企画をもってきてくれるというのは、ありがたいことだ。
それも、ただ売れ筋を狙ったといったものではなく、わたしの原典と深く関わったテーマを考えてくれる編集者の存在はありがたい。というわけで、本の企画がもちこまれ、スケジュールが埋まっていく。「ウェスカの結婚式」が終わると「頼朝」を書き、夏休みには「宇宙論」を書く。タイトルはいまのところ「ビッグバンと生命の謎」といったものを考えている。これは「アインシュタインの謎を解く」が売れているので、もう一つ宇宙をテーマにという出版社の要望だが、わたしとしても、宇宙について、根底から考えてみたいという欲求をもっているし、それで本が出てある程度売れてくれればありがたいと思う。
秋には、日本の神話の時代を描きたいと思っている。このあたりが、「自分の書きたいもの」と関わってくるのだろう。担当は「女帝三部作」と同じ谷口くんで、谷口くんはある程度エンターテインメント的なものという範囲内で、わたしの書きたいものを書かせてくれる。わたしは横光利一の言った「純粋小説」を自分でも書きたいと考えている。他のジャンルでは表現できない小説の機能を活用しながら、芸術にして大衆小説、といったものを目指している。いま書いているものは、いくぶん純文学に傾いているかもしれないが、それは現在の大衆小説の文体がゆるんでいるからで、まあ、若い書き手といっしょにしてほしくないというくらいの、年齢相応の見識というか、プライドみたいなものはある。それを失えば、わたしが小説を書く意味もないだろうと考えている。つまり、読みやすく、同時に、クオリティーを下げない程度には読みにくさも保持しているような作品だ。
なぜ神話の時代について書きたいかといえば、高校時代に、聖書、仏典を読んだということに尽きるだろう。登校拒否をして、学校に行かずに、好きなものを読む、という状況になった時に、わたしが読んだのは漫画やエンターテインメントではなく、聖書、仏典、哲学書だったのだ。その方が、わたしにとっては楽しかったし、そのことを読者に伝えれば、読者も充分に楽しめると信じている。それが、わたしが小説を書き続けているコンセプトといっていいだろう。その意味では、これから書き始める「頼朝」は、充分に楽しめる作品になるだろうと思っている。
さて、そのような歴史小説と系列と、「法華経」とか宇宙論とかの系列の中に、突然、息子の結婚が入り込んでくるわけで、これはもしかしたら異様な眺めからもしれないが、神や仏や宇宙について考えることが楽しいのと同じような意味で、結婚して子供が生まれ、新しい生命が身近に誕生したということが、わたしにとっては神秘であり、驚異であり、面白いことであったというしかない。その息子が、スペインで結婚式を挙げるというのだから、わたしはその不思議さに大いに驚きまた充分に楽しんだ。そのことを読者に伝えれば、少なくともわたしの驚きと楽しさは伝えられると思う。他人が楽しんでいるのをはたから見ている人間が楽しめるかどうか、わたしにはわからないが、他人の旅行記を見たり、私小説を読んだりしても、わたし自身けっこう楽しめると、共感できる部分もある。まあとにかく、わたしはこんな体験をしたのだということを書いて、読者に読んでいただきたいということだ。それ以上のコンセプトはない。
結局、息子の結婚式に出席した時に、すでに、翌年(つまりいまということだが)のスケジュールに、「息子の結婚」という本を組み込んでしまっていたので、「法華経」「天神」と予定どおりに作業が進んだあと、「息子の結婚」の順番が来てしまったということだ。だからなぜ書くかといったことを真剣に考えたわけではない。しかし生身のわたしにとって、驚嘆すべきことが起こったのだから、書かずにはいられないということだ。少なくとも結婚式でウェスカにいた時には、これを書きたいと思った。そこから少しタイムラグがあって、半年以上たったいまは、本当に書きたいかどうかはわからないのだが、スケジュールに従って書いている、ということになる。すべての作業はそのように進んでいく。
書きたいと思った時にすぐに書けばいいのだが、そこが素人と違うところで、プロの作家である以上、段取りが必要だ。出版社が出版してくれないことには、本が出ないのだから、書くべきものがあれば、編集者と打ち合わせをする。「星の王子さま」や「法華経」のように出版社の方からオファーがあったものをスケジュールに組み込みつつ、「清盛」「頼朝」「後白河」という三部作を提案しているので、この時期には「頼朝」を書かなければならない。これも書きたいから提案したのであって、だから書きたいことは確かなのだが、スケジュールがめぐってきたいま、書きたいかどうかは、何ともいえない。締め切りみたいなものがあると書きたくなくなるということもあるだろうと思う。まあ、いまは、「頼朝」を書きたいと思っている。
これでは「ウェスカの結婚式」をなぜ書き始めたかの説明になっていない。しかし結婚したのは息子の意志だし、ウェスカで結婚式を挙げたのも若い二人で決めたことだ。わたしはただ参加しただけだが、ただ参加しただけにしては、けっこう疲れる旅行ではあった。わたし自分の仕事を何よりも優先させたいと考えているので、歴史小説や仏典や宇宙論についての資料を読み、考えている時間を何よりも愛し、楽しんでいる。そういう自分がウェスカという地の果てのようなところにつれていかれたということ自体が驚天動地であり、何でこんな目にあうんだと言いたくなるようなことでもあったのだが、そこが面白いといえばいえる。
何でこんな目にあうんだということでいえば、今月は文化庁の会議に4回出ることになっている。退屈な会議だ。何でこんなものに出なければならないのかと不思議な気がする。江藤淳という偉い評論家が死ぬまぎわに、「著作権の問題は三田くんに」と言い残したらしいが、わたしは江藤氏の弟子でも何でもないので、何でそんなことになったのかいまだにわからない。たぶんその時、江藤氏の机の上に、たまたま「三田文学」があったのではないか、と冗談で人には言っているのだが、人生には不可解なことがいっぱいある。不可解といえば大学の先生になったのも偶然の経緯にすぎない。
今年は大学はお休みである。非常勤を9年、客員教授を4年勤めたので、13年も大学に通ったことになる。筆一本の生活に戻りたいと思っていたことも事実だが、4月になって大学へ行かなくていいという事態になると、ほっとする反面、寂しい感じがすることも事実だ。しかし大教室の授業を担当していると、400人ぶんのレポートがドサッと出てくることがあり、何でこんなもの読まなければならないのか、と嘆いていたのだから、今年は仕事に集中したいと思う。
というようなことで、4月も終わろうとしている。今月中に「ウェスカの結婚式」を仕上げて、来月のあたまから「頼朝」を始める。この創作ノートも、「頼朝」の巻に移ることになるが、草稿の練り直しやゲラ校正などもあるので、何かあれば「頼朝」のノートに「ウェスカ」関連のことを書き込むかもしれない。
04/28
このところ3日連続で宴会がある。佼成出版の編集者と、これは「三田誠広の法華経入門」の打ち上げ。集英社の編集者と、これから書く「頼朝」の景気づけ。「清盛」は歴史書を書くということで、第一章が歴史的な説明に終始した。小説としては導入部が弱い。「頼朝」は少し派手目に書く。昨日は午前中に文化庁の会議に出たあと、夕方は自治労東京本部文芸賞の選考。もう一人の選考委員、直木賞作家の笹倉明氏は大学一年の時の同級生である。自治労の担当者をまじえて少し飲む。笹倉氏は自らプロデューサー的な仕事までこなした映画「新雪国」のゼロ号試写会のあとで、元気いっぱいだった。
で、宴会が続いたのだが、一昨日の夜中に、「ウェスカの結婚式」は材料をすべて書ききった。まだ最初から読み返していないし、日本に帰ってくるところを書いていないから草稿完成という気はしないが、とにかく読み返して文体を整える作業をするところまで来た。どの程度の直しが必要かは読んでみないとわからない。日数も不明だが、五月になれば「頼朝」をスタートさせたい。「ウェスカ」は連休明けくらいに完成ということになるだろう。
05/06
「ウェスカの結婚式」最終的なチェック終わる。全体6章のうち、1章は文体そのものが暗かった。少しずつ修正した。まだ暗い感じが残っているが、作品そのものが軽いユーモアエッセーというふうにはならなかったので、むしろ心あたたまるしみじみ文学、といった感じの出だしになっている。読者が少し減るかもしれないが、これでいいと思う。「いちご同盟」をちゃんと読んでくれた読者には、そのまま続編のように読めると思う。
最近、「十七歳で考えたこと」の読者からのお手紙(メールではなく)があいついでいる。もうしわけないけれども、手紙には返事を出さないことにしている。手で文字を書くのがつらくなっているので、手書き文字は日記だけと決めている。この本はもう絶版になっているはずだが、高校の図書館に常備されているのだろう。悩んでいる高校生が多いようで、いまだに時々、出版社あてに手紙が届いて、こちらに転送されてくる。その十七歳の人間が、35年後に、息子の結婚式に参加するためにスペインに行く話が「ウェスカの結婚式」だ。
これでこのノートは終わる。次は、「頼朝」の創作ノートです。
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