網掛中落円形土塁(仮称)(あがけなかおちえんけいどるい)

概説 宮ヶ崎地区から網掛地区を流れ涸沼へ注ぐ川沿いの水田を見下ろす台地の辺縁に蟻、すぐ北側には自然の谷津が入り込んでいる(現在は廃材置き場)。台地側には堀のようにも見える部分もある。昭和20年代初期の米軍による航空写真には円形の土塁がはっきりと写っているが、昭和49年の航空写真(国土画像情報(カラー空中写真):国土交通省)ではすでに円形はぼやけ始めている(この写真の74の7の少し下。ついでに、数字32の少し下には宮ヶ崎館(きゅうでん堀)の方形館址が認められる。)。遺跡登録されてはいない。
現在は円弧の一部が土塁として残るだけ
その他の写真
  1. 谷津を挟んで北側からの遠望
訪問記[2005/01/24]川を見下ろす台地の辺縁で監視所の役割を持っていた砦だろうか。北海道に多く分布するチャシの立地との関連が気になる所だ(チャシについてはKUBOさんのサイト『KUBOの家系城郭研究所』「道内のチャシ」をご覧下さい)。海の道を通って北日本の人々が涸沼へ入り込んで来るのは、現在の感覚で考えるよりも容易だったかも知れない。
所在地茨城町網掛字中落(あるいは堂山または垂川かも)。網掛の八坂神社の南方約600m付近。川沿いの水田を見下ろす台地の辺縁。
参考書