城の成り立ちについて
戦国時代の城の姿を求めて
関東に数ある城址の中で、江戸時代の城は現存してたり復元されたりするのですが、戦国時代 以前(以後中世)の城については、復元された城が一ヶ所だけあるだけで建物の現存している城 は存在しません。そこで中世の城について私なりに簡単にまとめてみました。 館から城へ 平安時代末期から鎌倉時代の頃の豪族の城は領地の真ん中にあった館に掘や塀や柵を廻らす程 度の簡単なものでした。天守閣なども無く、門の上に物見の足場を組んだり、館の屋根の上に小 さな物見の櫓を載せたりしていました。 このような館では小競り合いや野盗を防ぐ程度で、本格的な戦は出来ないので、時代と共に居 館を山の麓に構えるようになりました。館の防衛機能はさほど無くとも、背後の山に砦を築いて、 いざという時には館を捨て山頂の砦に立て籠もって戦をしていました。 戦国時代になりさらに戦乱が激しくなると、淘汰の中で生き残った豪族は領地を拡大し、山や 湖沼や川などの自然の地形を生かした場所に、領国経営の中心になるような、居館と砦を兼ね備 えた本格的な城を築くようになりました。その為に現在遺構の残るのは、この時代の城が多いよ うです。 徳川氏が天下を統一し戦国時代が終わると、一国一城令により諸大名は居城以外の城を破棄さ せられました。もはや戦が無くなった江戸時代の城は、大名の威厳を示す華美な建物と成ったの で、簡素な中世城郭の様子を伝える城はほとんど無くなりました。 そこで、現在見られる建物に戦国時代の城の姿をさがしてみました。 今に残る中世の城 T 初期の隅櫓の姿を推測すると 今に残る中世の城 U 中世の城跡に建つ寺院 今に残る中世の城 V 中世の館を思わせる旧家 上記の三つの建物を重ね合わせると中世の城の姿が浮かび上がって来ると思うのですが、皆さ んはいかがでしたでしょうか?・・・ また、上記に説明したような戦国時代の城のかつての姿を、現代に再現した茨城の逆井城址を 紹介します。 逆 井 城 址 T 茨城県猿島町逆井城址公園内 逆 井 城 址 U 城址に復元された建物ほかの写真 関東の主要な城には中世に天守閣の原型となる楼閣が存在していたようです。 大田道潅の天守閣 江戸城初代天守閣の静勝軒 大石氏の引又の城 同様の高閣、万秀亭があった城は 上記でも触れた中世の櫓の姿は絵図の中にも描かれています。 絵図に描かれた望楼 長篠城の図ほか
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