モスラ讃
 モスラ2を見た。 
 同行の友人の感想は、「ひどい出来だ」
 私の感想は、「ひょっとしたら傑作かもしれない」。
 どちらの感想も正しいような気がする。
 ひどい出来だというのは正解である。
 ストーリーはご都合主義の固まり、特撮はファミコンの画面並み、巨大感などかけらもない。
 モスラは相変わらずモコモコのぬいぐるみで生物という気がまるでしない。
 俳優の演技もろくでもない。 
 でもやっぱり、私は評価するのですよ。
 どこがと言うと、「ふっきれているところ」
 開き直ったところがプラスに作用していると思うのです。
 例えば、ストーリー。 
 これまでの怪獣映画は、ほとんど最初がだれた。
 なにやら怪事件が起こり、新聞記者が走り、科学者が警告する。
 お決まりのパターンである。 
 モスラ2はこれをほとんど無視した。
 とーとつに怪獣が出現するのである。
 当然、説得力は無し、ご都合主義となる。
 それでもいいではないか。 
 現実感と説得力を持たせようとする、怪獣映画の常套手段など、退屈なだけなのだ。
 実際は、ちょっとはあるけどね。怪ヒトデ出現が。
 でも、新聞記者も科学者もニュース画面も出てこない怪獣映画って、ひょっとしたらこれが初めてかもしれない。
 「子供と小悪党だけ出せば、それで映画が作れるんだ!」
 と開き直った姿勢には、好感が持てる。
 現実感は、ありませんね。 
 子供がカヌーで海の沖(海流が強いので漁師さえ怖れる、海の難所という)に出ているのに、親も先生もまるで心配しないし。
 どうやら子供を捜しもせず、怪獣が出たというので大人だけで避難してしまったらしい。
 なんだか、昔の「15少女漂流記」のような印象でした。
 あれも現実感がない、浮遊したような不思議な映画でした。
 例えば、科学考証。 
 まるでありません。 
 新登場の怪獣は、「ニライカナイの古代技術で作った」としか言われていない。
 何をどうやって作ったのか、何故今ごろ出現したのか、全く説明されない。
 今回の売りであるモスラの変身も、何の説明もない。
 大森ゴジラが、DNAだの細胞融合だのクローン技術だの用語を並べて破綻したスカタンな設定をこねあげ、ひんしゅくを買いまくっていたのに比べると、まさに対照的である。
 爽快ですらある。 
 どうせ考証したってインチキなのだ。
 やらぬがまし。 
 造型も開き直ってるのかもしれない。
 前にも書いたようにモスラはぬいぐるみ。
 足がモコモコしている上、なぜか6本が全く同じ動き。
 しかも関節が曲がらない。 
 羽根といえば、とうてい鱗粉が載っているとは思えない。
 グライダーのような飛び方。 
 それがいい、とはこれについては言わないが。
 「開き直って行こう」 
 日本特撮界にあたえた、貴重なメッセージなのかも知れない。
 そういえば、成虫だけで幼虫が出ないモスラも、今回が初めてかもしれない。
  
 ちなみに私の東宝ゴジラ系特撮怪獣映画のベスト10は、