我孫子の街と手賀沼の風景

我孫子駅前のスケッチ

JRと千代田線

駅舎は小さいが、常磐線と成田線の分岐駅。鉄道施設は大きい。

電車から降りると、大きい建物がないので、落ち着いた感じ。最高で6階建。

駅の北側はこれからの街。あちこちで建物が建築中。

我孫子駅から上野や、大手町へは、15両連結でいくらでもある。

駅から歩き始めると本当にほっとする街。


歴史(今と昔)

手賀沼の高台にあるグリーンタウンには”根戸の古墳”がある。

その昔、人々が住んでいた。手賀沼は古利根(川)の残留湖。

江戸時代から今に至るまで、干拓、干拓の歴史。

昭和35年頃にも未だ沼に鰻が沢山いたという。


江戸時代。江戸から水戸への水戸街道、我孫子の宿。戸数約300戸。

S家が脇本陣。今も裏庭に、大きな欅の木がある。

国道にひっそりと、当時の石の道路標識。左”みと”右”なりた”。

庄屋の家のほか、鈴木、日暮、小熊、などの名字が多い。


東京のベッドタウン。別の見方をすれば郊外、田舎。住むのに本当にいい所。

何となくのんびりしている。ゆとりがある。

夜10時まで開店の本屋。花屋、お蕎麦や、スーパー、欲しいものは何でも揃う。

ウインドーショッピングは電車賃160円で柏のそごう、高島屋、まるい、など。


北の鎌倉

大正、昭和のはじめ、東京の文化人はここを”北の鎌倉”と呼んだ。

志賀直哉、武者小路実篤、バーナードリーチ、柳宗悦、嘉納治五郎。

挙げてゆけばまだまだ。大勢の人が夢を抱いてここに住んだ。

手賀沼公園の一角に記念の小さなコーナーがある。


ホームページに戻る