マックス・クリンガー
Max Klinger
(1857-1920)

私が最も高く評価するイラストレーター・画家・彫刻家。
ライプツィヒの石鹸会社の子息として生まれる。カールスルーエの美術学校で学び、17才になると画家カール・グッソーに弟子入りした。翌年ベルリン・アカデミーに入学する。優秀な学生だったようだ。
1983年から3年間パリで修業、ギュスターブ・ドレやゴヤの銅版画を研究している。ベルリンに戻ると先輩のアーノルド・ベックリンに会い、親しくなってローマへ一緒に旅行したりした。この時期にエルフ(11人会・ベルギーの象徴主義絵画集団)に参加した。
1892年ミュンヘンでシュトゥックが「分離派」を旗揚げすると、それに呼応してクリンガーたちもベルリン分離派を結成した。彼の作品は常に絶賛を受け、93年に全裸のキリストを描いて問題になった「磔刑」事件以外ではおおむねどの出展品も歓迎された。特に奇抜な発想を動的な画面で現した銅版画は後世に大きな影響を与え、シュールリアリズムの元祖とも言われる。
油絵、彫刻は古典主義・自然主義・ロマン主義が混沌として矛盾した印象を残す。しかしミケランジェロやダ・ビンチなどルネサンス期の巨人たちが理想とした「文学・彫刻・絵画を統一した作品」を、現代に実現した才能と技術は高く評価できるだろう。

パリスの審判 キャンヴァスに油彩 1886−1887

(左)白鳥の王子 1912−1915 (右)ベートーヴェン像 1902

「手袋の発見についてのパラフレーズ」より 「誘拐」 1880−1881

「ある生涯」より 「誘惑」 ?年


戻る